・ルートが増える
今回長めです。
・ルートが増える
三月を目前に控えた二月第四週の月曜日。麗らかな昼下がりの校舎に、生徒の姿は少ない。
何故かって期末テストが始まっているからだ。俺たち二年生までは、二月末から三月初めにやるのだが、三年生は一足先に終わらせている。
要するに今はもう、一時前で放課後ってことだな。しかし部室には、季節を問わない面子が揃っている。
先輩は無事に地元の大学に合格した。他の面々も落ちたり受かったり、その辺は愛同研でも悲喜こもごもといった様子だ。
南も何処か受験して合格したそうだが、通わずに未来に帰るらしい。
当たり前といえばそれまでだが、受験料がもったいないな。未来人からすれば、別に惜しむ物でもないのだろうが。
そういえばあいつは最初、この時代の人間に成りすますために、他人のご先祖を利用したそうだが、それも昔の話。
いや、ブラックな未来警察の下請けを辞めてから、どうやってこの時代の身元を用意したんだろう。
やっぱりあいつのご先祖様もこの時代にいて、それを如何にか使ったんだろうか。
「サチコ、ぼっとしてないで会費」
「ん、ああ、はい」
俺は自分の財布から三千円を取り出して、南に手渡した。卒業生の送別会と受験の残念会と祝賀会をまとめてやってしまおうということで、それは来月の卒業式に、行われる予定となっている。
料理は出前だったり飲食店やってる生徒たちの家に頼んだり、料理部が振舞ったりだ。任意なので誰かと学生最後の日をしけ込む者たちは、参加しない。
その辺は皆察しているので、強制はしない。
「あんたその財布やめたら」
「いきなりなんだよ」
「そんなの何時代の女の子だって使わないわよ」
「『仲良し六年生』の応募者全員サービスに失礼な」
「サチコそれ絶対財布に釣られて買ったよね」
先日使っていた財布がいい加減ボロボロになって、チャックも壊れたから買い替えようと、千円以下の安物を探して、街をうろついていた際に見つけたのだ。
どピンクで厚ぼったいどらやきみたいなデザインが表紙に踊っていた『なかよし六年生』を本屋の店頭で見かけて俺は即買いした。
この雑誌は、教育機関が発刊している漫画雑誌で、何というか全てが古いものの、学校が買わされているので中々消えない。
そんな訳で、切手と葉書は家にあったから、新しい財布の値段はおよそ600円。しかも漫画が付いてくるというお得さであった。
……さわやか三組並のタイトル詐欺で愛憎たっぷりな内容に加え、少年ジャンプに毛が生えた程度の厚さの月刊誌でこの値段。ボロイ商売やでえ。
「ていうかそれ未だに休刊してなかったんだね」
「小学生シリーズは全部潰れたのにな」
「あれは掲載作品が男子向けと女子向け両方入ってたから、どっちからも不評でなー」
先輩が腕を組んで目を閉じ、しみじみと何かを思い出す。一つの雑誌で両性に気を遣った結果、ウケが悪かったそうだ。
しかしどちらの性別に傾いても、既存の漫画雑誌に勝てる見込みは無いので、未来は変わらなかったと思われる。
「でも応募者全員サービスって、この頃は聞きませんからね、ラッキーでした」
「いや、うん、本当にそれ使うの」
「なんだ文句あんのか」
南が無言で自分の財布を取り出すと、心配そうな顔で俺に見せる。赤い皮細工が見るからに上等、金色の刺繍がブランド品であることを主張している。
なんだその『これがお財布っていうのよ』みたいな顔は。腹立つわあ。
人を雑草煮込んでお茶と言ってる土民を見る役人みたいな目で見るんじゃない。
「そんなことよりお昼どうする」
「学食でもいいけどサチコは」
「俺はこのクッキーで済ますよ」
俺は鞄からタッパーを取り出して、二人に中身を見せる。料理部を尋ねてなるべく低コストで高カロリーなクッキーを、自宅で作ってみたのだ。
我ながら珍しく女子っぽいことをしている。
「手作りのクッキーってまた珍しいことをするわね」
「でもこういうのでお昼済ますの辞めたほうがいよ」
「え、なんでですか」
「普通の食事と違ってカロリーに含まれる糖の比率が段違いだからね。体に良くないよ。糖代謝がきつくなるんだ。うちのお母さんも、それと似たようなことして血圧と血糖値が、一度まずいことになってさ」
なんということだ。上手い事やったとか節約できるとか思ったのにこれか。色んなところに落とし穴があるな。特に工夫もないけど上手にできたクッキーが。
「おかしは間食でつまむくらいにしないと猛毒みたいなもんだよ」
「私も気を付けないとね」
「ええ、じゃあこれどうしよ」
「日を分けてちょっとずつ食べたらいいのよ」
「それしかないね。でなきゃ砕いて鳥の餌にするか」
「味に反して、美味くいかねえな」
タッパーから丸くて黄色いクッキーを、一つ摘んで頬張る。レシピ通りに作られた何でもない甘さ。
俺の場合はパネルの効果で、余った栄養価は成長点になるが、二人が心配してくれてるんだし、控えたほうが良さそうだ。
そうしてお昼をどうするかという話は、振り出しに戻ったのだが、廊下からぺたぺたと、わざと鳴らしてるんだろうなっていう足音が、近付いて来た。
「先輩いますか!」
アガタだった。この一年で背が伸びていよいよ綺麗になったな。そんな外見で二回りほど差を付けてくる後輩が、俺を見るなり足早に近付いてきた。
「お昼まだですよね」
「うん」
「じゃあ、これあげます」
アガタが差し出して、というか突きつけてきたのはオレンジ色の巾着袋に入った、弁当箱だった。
白いプラスチックの二段重ねで、上の段におかず、下の段にご飯が入っている。
「いいのか、今日は俺弁当じゃないから、交換できないけど」
「いいんです。どうぞ」
「ああうん、ありがと」
受け取ってどうしたものかと棒立ちでいると、南と先輩は仲良く学食へと行ってしまった。もう少しこちらを省みて欲しい。
部室には俺とこいつの二人だけになった。
「えっとじゃあ、ありがたく頂きます」
「はい、召し上がってください」
手近な机に座り、たった今もらったばかりの弁当箱を広げる。アガタは俺の真正面に、椅子を持ってきて座った。まあいいか。
箱の中には変わった形のサンドイッチや鳥メンチが詰まっている。これって確か親父さんのブラジル料理だったな。
「手掴みでどうぞ」
「ん。美味い。そういやお前の親父さん、あれから良くなったかい」
「ええ、おかげ様で。店にもまた立てるようになりました」
「そうか、本当良かったよ。一時はどうなることかと思った」
鳥メンチを頬張りながら呟く。これパン生地じゃないな、米でもない。豆かなんかで作った生地だな。
海老しんじょの豆版とでも言おうか。
そのくせにボソボソしてなくて、普段食べない油やドレッシング使ってるからか、形容し難い。美味しいことには違いないけど。
「本当に、あのとき先輩がいてくれなかったら、お父さんは死んでたかも知れません。本当なら私がそうしなきゃいけなかったのに、敵と戦うことに夢中で」
先月の不良との抗争の一件で、不良集団が中年男性を誘拐していたことが判明した。というのもアガタの親父さんが、買い出しの帰りに拉致されたのである。
俺は愛同研の仲間たちと、奴らの根城である自治会館に突入し、親父さんも含め捕らわれていた人々を救出したのだ。しかし彼女はそのときのことを、ずっと気にしている。
「だから私より先輩のほうがその、いいのかなって、思って」
「アガタ……?」
こいつにしては珍しく歯切れが悪い。妙なことを口走るなり直ぐに俯いてしまった。俺がお前に勝ってる要素なんて、図体と暴力だけだぞ。
「あ、いえ。すいません。気にしないでください」
アガタは父親に懐いているのだが、味方を助けるよりも、敵を倒すことを優先する思考回路をしているせいで、父親を蔑にしてしまった。
そのことが自分でも結構ショックだったみたいだ。いや、後悔していると言ったほうが良いだろう。
だから彼女の俺に対しての、尊敬っぽい気持ちは、そういう背景から来る引け目と、自責の念が混ざっているように思えてならない。
当時のチーム分けの失敗である。
「ごほん、あんまり人が飯を食う所をじろじろ見ないでくれない」
「すいません、でも先輩ってよく見るとけっこう愛嬌ありますよね」
咳払いをしたことで、アガタも自分の様子に気が付いたようだ。態度を改めて、何処からか笑顔を引き出して顔に貼る。
却ってそっちのほうが心配になるんだけど。
「趣味が悪いぞ」
「そうですか。でも私、先輩って案外いいかなって最近思うんです」
サンドイッチは揚げたドーナツのようなサクサクの生地でちょっとべた付く。しかし具が野菜中心でさっぱりした味付けをしており、とても食べ易い。
「なんていうか背中が大きいし、他人のために傷付いたり、体を張ったり、泥を被ったりする先輩の姿は、見ていてなんだか安心するんです。不安なときに近くにいると、ほっとするっていうか。その、お父さんが二人になったみたいっていうか」
何も言って無いのに、アガタが水筒を取り出して、お茶を淹れてくれた。これ確か店のお茶。
なんだろう。後輩から告白のようなものをいきなりされて困惑してるんだが、それを抜きにしても素直に嬉しくない。
考えても見てくれ。『お父さん』みたいって言われてるんだぞ。俺。
そりゃ実年齢は成人してるけど関係ないじゃない。
女性が成人したら成人女性じゃない。
お父さんみたいとは世間一般からは言われないじゃない。
「俺はアガタのお父さんじゃないぞ」
「知ってます」
軽く受け流されてしまった。
アガタはしばらく何も言わずに、ニコニコしながら俺が弁当を食べ終わるまで、じっと見続けていた。
「ごちそうさま」
「お粗末様でした」
ハンカチで口を拭ってから弁当箱を返す。飯を食わせてもらった身で言うのも難だけど、そんなに嬉しそうにすること無くない。
「ありがとう、悪いなご馳走になっちゃって」
「いいんです、それより先輩」
「ん」
アガタは徐に立ち上がると、今度は上からこちらの顔を覗き込む。こいつは人の顔をロックオンしておかないと気が済まないのか。
案外束縛がきついタイプなのかも。
「先輩って今、アルバイトを探してるんですよね」
「そうだけど」
ここまでの流れからどうしてこいつが妙にウキウキした感じだったのか理由は知らんが察しはついた。
しまったなあ、まんまを一杯食ってしまった。向こうも俺が気付いたことが、分かったのだろう。
一つ頷くと、予想していた一言を投げかけてきた。
想像と一言一句、違わない言葉を。
「先輩、うちで働いてくれませんか」
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




