・終わりを作ろう
・終わりを作ろう
結局は土砂降りとなった今夜、食後の有酸素運動こと、散歩の中止を余儀なくされたサチコは、室内で腹筋を始めとした筋トレと、ストレッチを繰り返していた。
「なるほどな。確かに不思議の国のアリスは、アメリカだかフランスのお話だったもんな」
「イギリスです」
アルバイトから帰って来たサチコに、事情を説明すると、彼女はさして興味もなさそうに頷いた。この部屋にある音は、現在僕と彼女が出すものだけだ。
この時間帯のテレビは時代劇やアニメはやらず、陰鬱なドラマか芸人に体を張らせる番組しかやっていない。
この国ではドラマっていうのは、皆こう暗くて生臭くて、楽しませたらいけない人向けのものばかりだ。
逆にエンタメはというと、芸人からコントを取り上げて、彼らじゃなくてもできるものを、やらせ続けるっていうので、正直悪趣味だ。面白くない。
なのでどうするかと言えば、僕は文庫本を読んだり、サチコのパソコンや何やらを借りて、ゲームをしたりするかのどっちかだ。
勉強はしない。それは日中にするもの。メリハリは大事だ。サチコの学校みたいに、授業とも呼べない短い時間にごそごそやって、残りは家でやれなんていう手抜きでは、教えるはずの内容も、頭に入る人のほうが少ないだろう。
本当はスキンシップというものをしたいけど、減量に励むサチコは、そんな雰囲気じゃなさそうだったから、甘えはお預けとなったのだ。
「しかしまあ靴はびしょびしょだし、部屋干しの洗濯物に、シャツとズボンが増えてると思ったら、そんな冒険とロマンスを繰り広げていたんだなお前は」
「ロマンスは違うんじゃないかなあ」
首を傾げて異を唱えると、向こうも全く同じ行動をして見せた。
「なんで? 特異な女子の謎な活動に付き合えば、そういう方向に流れるのがお約束だろ」
「そうは言うけどさ、相手は子どもだよ。サチコみたいに、はっきり女の人って分かる体をしてないんだ。少し棒みたいでさ、ちょっとまだ疑わしいくらいなんだから」
ふーむ、とサチコは唸ると、部屋へ戻って枕を持ってきた。寝そべるとそれを腰の下に入れて、足を持ち上げたり、漕ぐように回したりするような動きをし始める。
「疑わしいって、お前もしかして人間の男と女ってそんなに区別が付かないのか」
「大人になれば分かるけどね、あまり鍛え抜かれた状態だと、難しいかな。魔物の女性はそうだと分かる部分が、割りと早い内に強調されるし」
要するにおっぱいとお尻と太股のこと。これが大きくなると、後は匂いとか髪が変わってくる。人間は個体差が激しすぎる上に、女の人も鍛えると男みたいになって、いよいよ見分けが付かなくなるから困る。
魔物が人間との戦争中は、捕まえた人間の女性に対する扱いが、どうこうと言われたこともあるけれど、それは女戦士たちが、男みたいだったからに他ならない。そんな事案が実際に何件もあった。
知識の乏しい魔物に到っては、女戦士の裸を見て、戦いに備えて自ら虚勢した、恐るべき覚悟の持ち主という誤解が生まれたこともある。
「正直なところ自信がないよ。ズボンを下ろされて実は男の子だった、なんて言われても不思議には思わないね」
「いや、顔を見れば分かるだろ」
「世の中には僕みたいに可愛い男の子もいるからね」
「うぜー」
疲れたのか、腹筋を柔軟運動に切り替えたサチコが、鬱陶しそうに言った。その割にはにかんでいる。
ふふん、僕は自分の容姿くらい弁えているのだ。好かれている自分を、客観的に認めることが魅力の第一歩。でもそこに依存すると、一気に頭がおかしくなるので要注意だ。
「しかし自分が消える、か。よく考えるもんだな」
「不安の種は一番自由だからね。人間の精神活動の中で、最もクリエイティブって奴かもよ」
「言いやがる」
これは本当によく思う。僕たち魔物の不安はいつも、直面している問題や、将来に迎えるであろう危機、長期的に悩まされるであろう困難を見ているが、人間だけが本当に、突然何もないところに『かも知れない』とか言い出すのだ。
敢えて問題から目を背けることも多々ある。
先天的に本能が狂っているという自説を展開する魔物の学者も少なくないし、これがその根拠として引き合いに出されることも珍しくない。
僕とて財政難で、群魔区の運営が健全化できてなかった頃に、似たようなことをしたけど、それでもそこから状況を改善するためにサチコ、つまり外部の人間に、協力を要請するという選択肢を残していたし、事実問題解決のためにそれを採択した。
目を背けきれなかったと言うほうが正しいかもしれない。
「けどまあ確かに不安を抱えた人間は、不安が無くなるのが、一番不安だっていう面がある。だからそれを維持しようとするかのように、不安材料をどこからか次々に引っ張り出すこともある」
汗をタオルで拭きながら水を飲んで、サチコはまた柔軟運動を始めた。けっこう体硬いんだよね。
「あるね。建設的なことを言うと、すごい勢いで癇癪を起こす人は、神無側にもいたよ」
「或いは積極的に、社会的弱者の地位に甘んじたがる人もいるな」
「いるいる! 『俺は弱いんだぞ! 俺を攻撃したらどうなるか分かってるのか!』っていう奴! そういうのって、だいたいエルフの傭兵さんたちに居場所を突き止められて、生活できなくなってたけど」
※エルフの傭兵さん
前シリーズのキャラたち。初登場は『魔物の港を開くには』から。群魔における警察的存在。相手と報酬によっては探偵業や暗殺まで請け負ってくれる頼もしい方々。
「っと話が反れたから戻すけど、今僕が直面している問題っていうのは、西がこれからどうするかってことなんだよ」
ふくらはぎを揉んだり開脚したり、背筋運動をしたり大きく息を吸って、力一杯吐き出したりしていたサチコが、こちらに向き直る。
運動なんか極力したくないという彼女が、こうも形振り構わないなんて。体重なんてそんな気にするものなのかなあ。
「そりゃあ今までは異世界に来たと思い込んでいた訳だし、情報が訂正された以上、今度は歴史を直そうとうするんじゃないか」
前屈する彼女の背中を押しながら話を聞く。後ろからでも胸が揺れて見える。したい。
「そこなんだよねえ。どうやってって話しだし。少なくとも、サチコが学校を卒業する年よりも、未来に切欠がありそうってことくらいしか分からないし、それを明かすこともできないし、分かったところでねえ」
何処かで目処とか落とし所を、見つけないといけないんだよね。でないと西がずっとこのことに、思考を捕らわれてしまう。
「それなりに納得のいく形で、この探検を終わらせてあげたいんだよね」
「まあなあ、でもこれって言っちゃえば普通じゃないことだろ。タイムカプセルを掘り起こすとか、町の有力者の過去を暴くとかじゃなくって、今と明日の手がかりを掴むって、これかなり難しいぞ」
サチコがさらっと時事の見出しみたいなことを言ったけど、正にその通りだ。何をどう足掻いても待つという結論が待っている。僕たちには未来へ行くための手段なんか持ってないんだから。
「むーん……あまりやりたくはないけど、手持ちの材料を考えると、仕込みの一つも打たないと駄目かもなあ」
「演出な、ヤラセとも言うけど」
僕の手元にある、この歴史改変に関わる手掛かりは次の通りだ。
サチコと僕、彼女の友人である東南北の女子、この世界の改変前の赤本。後は北っていう人の描いた漫画。少ないなあ。もう少し何か欲しいけど、これで何とかやりくりするしかない。
「風呂入ってくる」
「いってらっしゃい」
ああ、もう長いことサチコと一緒にお風呂入ってないな。この家のお風呂狭いから仕方ないけど。いいや、今は先ずこっちのことを考えよう。
――それから四十分くらい。
一応筋書きは考えた。でもこれをやるとなると、僕一人では無理だ。というか僕の存在を如何に外すかということにかかっている。
練習はできない。ぶっつけ本番になるからだ。一芝居打つのって、すごくめんどくさい。よく人間はこんな不毛なことをやりたがるものだ。
「風呂空いたぞ」
ほかほかと湯気を立てながら、やってきた彼女は既に寝巻き姿だ。飾り気の欠片もない紺色のパジャマ。以前桃色にしなかったのかと聞いたら、ピンクの明るさが眠りを阻害すると言っていたっけな。
「ねえサチコ」
「何だ」
すっかり寝る体勢に移行している彼女を呼び止める。体重を落とすために、早く寝ることを心掛けているので、最近は深夜アニメも見ようとはしない。
「手伝って欲しいことがあるんだけど」
「おう、まあそんな気はしてた」
僕は先ほど考え付いた作戦を、サチコに打ち明けた。彼女はそれを聞いて顔を顰めたけど、何も言わず二つ返事で引き受けてくれた。
そして、もう少し内容を煮詰めたり、修整したりした後、お互いに部屋に引っ込んだ。一日の終わりである。
それにしても、自分や周りの存在に関する不安か。僕の妹もそんなことを悩んでいたりもしたっけな。いなくなってしまったら、自分を覚えているはずのものが無くなったら、そうしたら自分は、これまでのことは何だったのか。
そんなの考えたってくだらないと思うけど、ほんとに、色んな人が気にするよ。
布団に潜った矢先。そんな感想が頭を過ぎったけど、僕は寝返りを打ってそれを意識から追い出した。お休みするときは、気にしないのが一番大事だからね。なんだけど。
――しかし、アレを考えついたはいいけど、正直なところ僕、要らないな。
代わりに痛い所を突く事実が、不意に脳裏に湧いてきたのだった。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




