・部活に入ろう
・部活に入ろう
相模湾からの磯風が薫る、神奈川県立米神高等学校は、小田原市内にある公立校である。
特にこれといった特徴はないが、生徒は必ず何らかの部活に入部することが、校則で義務付けられている。非常に鬱陶しいが校則ならば仕方ない。
そういう訳で現在は校内をうろついて、色々な部を見学している真っ最中。どこも新入生の獲得に躍起になっている。
他の学校よりも一年生の始業が早いみたいだけど、その期間は授業ではなく、こういうことに割り当てられているらしい。でもなあ。できれば働きたいんだけどなあ。
声を潜める類に属する、俺の家庭の事情を担任に正直に話し、アルバイトをさせて欲しいと言ってみたが『土日だけで何とかならないか』と言われてしまった。
どうして学校って奴は、人の生活の悩み相談を、職権と気分で却下しやがるんだろう。どうせ親が金を出すとでも思ってるんだろうか。
もしもこれが原因で生活が立ち行かなくなって、高校中退をする羽目になろうものなら、職員全員に報復してから群魔に帰ってやる。
ちなみにこの学校、土曜日に授業は半日で、もっぱら部活動に割り当てられるようだ。しかし困ったな。文系の部活があまりない。体育会系ほど熱心に勧誘をしてこない。
まあそれはそうだろう、内輪で安らかな日々が送れればいいんだ。わざわざ見知らぬ異物を招く必要は無い。同じ波長の人間がひっそりと、逃げるようにやってきたら、それを迎え入れたらいいんだから。
「俺にも入れそうなとこ、あればいいけど」
一人言を呟いて、手元にあるプリントに目を落とす。朝のホームルームで配られたものだ。それぞれの部室が書かれており、運動部の部室は校舎の外に部室棟があり、音楽系や家庭科は授業で使う教室が割り当てられている。
そこは別に興味がないので別にいい。
一応同好会とか研究会でもいいらしいから、そこに所属を置くことにしよう。足の向かう先は四階の空き教室だ。三年ひしめく最上階の片隅、奥にある空き教室。その一帯を占める部活がある。
その名も『愛同研総合部』
いかにも怪しい。
説明によると、人数が少なく部活動としての承認はもとより、居場所さえ得られないサブカルの沼に浸かった連中を、一まとめにした場所らしい。
最大の特徴は『いつの間にか人が増えたり減ったりしている』こと。そして部費がないことなのだそうだ。プリントに自虐ネタをぶち込んでくるのは止めて頂きたい。顧問の名前が書いてないのが不安だ。学校側から引き出した最大限の譲歩がこれなんだろうな。
階段を上がった先からは賑やかな話し声。目的地の角部屋から複数人分。オタクって自分の好きなことを話すとき、声が大きくなったり早口になったりして気持ち悪いから、たぶんそれだろう。
「すいません、愛同研総合部ってここでしょうか」
入ってすぐ鼻につく生暖かいこもった空気。そして鞄と荷物の山。本が多目。そして汚ねえ机と持ち主らしき眼鏡男女。ここだけ旧世界と雰囲気変わってねえなあ。
もう少しマイノリティ感を出してくれてると良かったんだけど。部室に入るなり部員たちが沈黙して、顔ごと背けるのはまあ、らしいっちゃらしいけど。
「あ、はい。見学の方ですね。好きに見ていって下さい」
誰にともなく聞いてみたところ、手近な机に座っていた女生徒が、片手を挙げて答えてくれた。軽くお辞儀をしてから部室内を物色する。
壁には写真や絵が飾ってあり、室内には模型とかノートパソコンとか、大量の文庫や歴史書の類が置いてある。そしてその中に紛れるように存在する配布物。
漫画のようだ。これも一種の公開処刑だよな。いや、漫画を描いてるほうはそうでもないのだろうか。
それを手に取りながら更に室内を見ると、あることに気が付いた。やたらとメモ用紙が貼られた壁がある。近付いてメモを見ると『マネージャー業務の代行:野球部:一日千円』と書いてある。
「あの、これは」
「ああ、それ? この部活の特徴です」
さっきの女生徒が教えてくれる。彼女だけが物怖じもせずに応対をしてくれる。よくよく考えれば、俺は彼らより年上なんだな。そう思うとちょっと複雑。
「うちって部費ないんで稼ぐしかないんですよ。で、その手段ってのは普通にアルバイトしても良いんだけど、他の部活の手伝いをして小遣いもらっても良いってことになってるんです。うちへの入部が前提ですけどね。そのまま懐に納めてもいいですし」
手をひらひらと振りながら、女生徒はそう説明してくれる。背は俺の肩辺りまで。おかっぱ頭で目が大きく、その中で黒目がやたらでかい。目力がすごい。もう少し顔が球状だったら、声を上げて怯えていたかも知れない。
で、彼女が言うにはこの部に入っていると、壁に貼られた他の部活からの依頼を、受けられるようになるそうだ。
そして依頼を達成すれば、依頼主の部は自分たちの部費の範囲から、報酬を払ってくれるようで、その報酬がこの部活の部費に充たると。壁のメモは他の部活からの依頼のようだ。冒険者か何か?
でもこれはありがたいな。学校にいながらでも金が稼げるのは嬉しい。中々前衛的な試みだけど。
「はあ、変わってますね」
「何せ寄せ集めが無理して部を名乗ってるからね。あ、そうそう、一応部長は私だから」
そう言って女生徒が自分を指差して微笑む。
「北斎。二年生。よろしく、背高いなあ」
「あ、俺、一年の臼井祥子っていいます」
後ろの机で噴き出した奴がいたから、聞こえるように舌打ちをしてやる。再び部室が静まるので、仕切り直しに年下の先輩へ話しかける。
「たぶんここにお世話になると思います。そのときはまた、よろしくお願いします」
「はいよろしく。そうそう、私部活では漫画描いてるんだ。部内の漫研にも所属してるから」
部内の漫研。寄せ集めって言っていたから、他にも愛好会や同好会があるんだろうな。面倒臭いなと思っていると、北先輩は俺が先ほど手にした漫画を指差した。
「それ私が描いた奴ね。絵は下手だけど、良かったらそれ以外の感想頂戴ね」
「ああ、はい」
言われて冊子を開いて中身を読む。どうやらロボットものみたいだ。二十一世紀にロボットものか、まあ、こういうのは個人の好き好きだもんな。
だが、そこに描かれていた内容は、俺の肝を冷やして余りあるものだった。何故か。
漫画の中の架空の悪役に『アメリカ合衆国』があったからだ。この世界にはないはずの、その名前が。
鞄の中のペンケースからシャーペンを取り出して、安手の印刷物の裏に慌てて質問を書く。
「いや何もこの場でじゃなくても、帰ってから読んでくれたらいいから、ってもう感想書いたの!?」
「すいません先輩。ちょっと恥ずかしいんでこっちに……」
そう言って部室の入口に寄ってから、俺は配布物の漫画を北先輩に渡した。そこにはこう書いてある
『歴史変えたのって、お前?』
「……え、まじ?」
半笑いのまま彼女はこちらを見上げると、凍りついたかのようにしばらくの間、動かなくなった。
不意に、先日のミトラスの言葉が脳裏を過った。
『必ず落とし穴があると思うんだ』
早すぎるだろ。群魔にいた頃はもう少し厄介事の間隔開いてたじゃねえか。そんなことまで規則正しくやってこなくたっていいだろう。
新生活に伴って、新たな困難が襲い掛かってくる。北先輩が再び動き出すまでの間、俺はそのことに内心で、只管愚痴をこぼし続けた。
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