・自治会館燃ゆ 前編
・自治会館燃ゆ 前編
取り急ぎ帰宅して、ミトラスに訳を話して謝って、簡単にお茶漬けを啜るまでが三十分。
こんなこともあろうかと譲り受けた体育の鎧を身に付けて、帯刀し、猫と化したミトラスをカゴに入れ、チャリを飛ばしてアガタたちと合流するのに二十分。
危ういくらい速度を出したのにこれだけ掛かるんだから移動の手間って大きい。
これが俺たちだけなら深夜にミトラスの魔法で乗り込んだ後、巨大化して建物壊すくらいで話が終わるんだけど、今回はアガタの親父さんの安否を、確認する必要があるので、そうもいかない。
帰宅後直後にかかって来た、栄からの電話により、俺は麦仏高校前に急いだ。そこでは既に同行者となる女子たち、栄とアガタと、運動部部長が待っていた。
「何だって。大変なんだって」
泥の色をした作務衣、のようなものに身を包んだ、運動部部長こと風祭が淡々とした、しかし何処か嬉しそうな調子で呟いた。
服の縁は深い藍色で染められており、濃淡による縞模様もあって、暗がりだと輪郭と距離感がまるで掴めない。
「まだそうと決まった訳じゃない」
自分では全くそうは思わないが。そんなことよりも大事なことがある。俺が栄えとアガタに向き直ると、彼女たちはしっかりと、こちらを見返してきた。
「アガタ、奥さんには言ってきたのか」
「はい。先輩もいるし、お父さんがいなかったら帰ると約束しました」
「よし」
空振りなら大人しく家に帰る。それだけだ。いるとは限らない。いたら連れて帰らせる。だからアガタはいないといけない。俺は自分にそう言い聞かせる。
「栄は先輩に言ったか」
「そしたら斎の奴、さっき南先輩とこの装備を持ってきました」
栄とアガタは俺と同じ体育の鎧を身に付けている。
俺が帰宅してる間に、先輩たちは装備を届けていたらしい。バイクに乗れるのは南だけだから、手伝ってもらったのだろう。
バイクはまたバイク部から失敬したんだろうなあ。
「あの人は止められなかったのか」
「はい、止められませんでした」
先輩らしい。
できれば栄は家に帰して欲しかったが、この二人は今回の件に関しては俺よりも当事者だ。無理も無い。
むしろ首を突っ込んでる俺のほうが、余計とさえ言える。
「アガタ、みーちゃんなら探り易いとは思うんだが、親父さんの手がかりになる物は有るか。」
「この子が噂の高性能猫みーちゃん」
「こいつ本当に猫? なんか違う生き物じゃないの」
止めろ運動部。
今はそんな勘の良さを発揮せんでくれ。
露骨にちょっと距離を置かないでくれ。
不穏な空気が広がるだろうが!
「あります。父は必ずハンカチを持ってます。私か母が刺繍した、蘭の花の奴です」
お前見た目や態度に反して、想像以上に温かい家庭してんのな。正直羨ましいよ。元の性格に反抗期が重なっている時期の女子か、疑わしくなってくる。
「よーし、じゃあ先ずは自治会館の近くまで行こう。それでみーちゃんを偵察に行かせる。そんなに上手く行かないかもしれないから、そのときは俺が突っ込んで確認してくる」
強行突入して証拠を奪い取るようなやり方だ。ドラマじゃないから違法な手段で入手した証拠は、証拠能力に欠けてしまうけども。数撃ちゃどれか一つくらいは真っ当な証拠品にできるだろう、たぶん。
「あくまでも様子見、親父さんがいなかったら、すぐに引き上げ。いいな」
『はい』
そうして俺たちは、件の自治会館の近くまでやって来た。自転車に乗って。駐輪場が無いから、その辺に路駐するしかないのが心苦しい。
薄汚れた黄色い木造建築は、築年数も大分経過しているようだ。自治会長が自治会費を飲みに使ってしまうせいで、修繕費や施設の整備費などは、貯まらずに長い事エアコンが壊れていたらしい。
選挙の度にあっちこっちから懐に差し入れを貰い、地元では悪評が定着している人物だそうだ。それの孫が今はこうして手下を引き連れて居座ってるんだから泣けてくる。
公共の建物を一族で私物化するんじゃない。
「汚いですね。窓も割れてるし」
「この真冬にな、直しもしねえで」
「ガムテープ貼ってあるだけだぞ」
栄、俺、風祭で発言。自治会館は天井が高めの一階建てだ。横に広く入り口は一つ。非常口は裏手に無計画に立てられた倉庫で、塞がれている。
脳味噌腐ってんじゃないのか。倉庫は敷地にギリギリ納まっているが、果たして安全と交換するようなものだろうか。
「さて、上手くいけばいいが。みーちゃん」
「まうぅ」
うむ。完璧に猫だ。
忠犬ハチ公ならぬ忠猫みーちゃんだ。
その黒猫みーちゃんの首に、アガタのハンカチを結ぶと、俺は自治会館の入り口を、そっと開けて中へ入れた。
幸いにして周りに人の姿はない。ここが地域住民から避けられているのなら、中の不良共以外にうろつく奴はいないはずだ。
そしてこういう連中は寒いと外に出ない。外気温をカロリー代わりにするゴキブリや暴走族と同じだ。
息を殺して待つこと数分、時刻はもう十二時に差し掛かろうとしている。中からはテレビの音と話し声が聞こえる。案の定屯しているようだ。
――おい猫、猫入って来てる。
――え、マジで。あ、ほんとだ猫じゃん。
――寒いと思ったら玄関開いてんの誰か閉めろよ。
――窓も割れてっし。ってか早く直せよ窓。
――うっせ。おい、おい、ねこねこねこねこ。
――おい野良猫に餌上げちゃいけないんだぞ。
――何お前猫嫌いなの。
――嫌い。てか動物全般が嫌。何かうざいじゃん。
自分たちしかいないせいか、妙に話し声がデカい。そして誰も玄関を閉めに来ない。妙な牽制をし続けている。雑談のようでその実言われたことをやるという人間がいない。好都合だが苛つくな。
少ししてみーちゃんが戻ってきた。口にはから揚げを加えている。市販で売っているものではない。明らかに手作りだ。しかも本職の。
「よくやった。一旦戻るぞ」
「にゃい」
俺はみーちゃんから受け取った、から揚げを片手にアガタたちの元へと戻った。
「ハンカチは駄目だったが、代わりにこれがあった」
「コレ、お父さんの作るから揚げです。先輩も何度か食べたことありますよね」
「ああ、店だとこれより大きかったがな」
アガタの親父さんの作るから揚げは、大きくてサクサク、狐色も綺麗な出来栄えであっさり味。
ケチャップがあると尚美味しい。確認が取れて用済みになったそれをミーちゃんに上げつつ、俺は皆を見回した。
「いることは間違いないと思うが、どうやって救出するかだ」
「火を点けよう。焼け出された奴を襲えば、私たちなら十人は病院送りにできる」
「話聞いてた?」
人命救助なんだよ。人を襲うのが前提じゃないの。風祭の戦意をどうにかして逸らかさないと、突っ込んで行ってしまう。それが一番手っ取り早いんだけど。
「窓から中を見て見ましょう。見える範囲で」
俺たちは栄の提案に頷くと、自治会館の割れた窓から中を覗いた。
穴を塞ぐガムテープは刀で突き破ってから、アガタが持っていた鋏で残りを切り取った。こいつ結構刃物持ってるのね。
「誰かいる。一人じゃない」
最初に覗きこんだ風祭が言う。その後代わる代わるに覗くと、確かに傷付いて、ぐったりとしている中年男性が数人いた。
その中の一人に、外国人男性もいた。幽鬼のような虚ろな表情をしている。
「いました、あの人です!」
「栄、警察に連絡しろ」
「はい!」
これでこいつらがその辺の中年を拉致ないしは誘拐していたことがはっきりしたな。後は警察の到着と人々の解放を待つだけだが。
「……なんか臭くないですか」
「ほんとだ、コゲ臭い」
プラスチックや布が燃えるときの、あの嫌な臭いがする。館の奥のほうで、何故か賑やかな感じの騒ぎが起きる。
もしかして火が出てちょっと浮かれてるのか。
「おい風祭お前まさか」
「え、違うよまだやってないよ!」
「まだってなんだまだって!」
――火事だ!
焦りから俺たちが揉め始めた矢先、突如として中から大声と、大勢が慌しく動く様子が伝わってきた。
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文章と行間を修正しました。




