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出戻りサチコのやり過ごし  作者: 泉とも
七人の部員編
295/518

・被害者の陣

今回長めです。

・被害者の陣



「ご家族の方からメールは」


「謝罪と金銭の返金をするので、学校には言わないでくださいと」


「そうか。お金の確認が出来たら職場と教育委員会にばらせ」


「はい」


 男子便所の床には五人の男子が蹲っている。そして入り口は愛同研の連盟部員たちにより、現在閉鎖されている。


 彼らは尻を蹴られ続けたせいで立てないのだ。


「こいつらの携帯から謝罪文は回したか」

「いじめを認めるメールは可能な限り配信しました」


「ちゃんと個人情報は載せたな」

「はい」


「よし。後はこいつらの机に一筆書いて引き上げろ」

「はい」


 顔に唾を吐きかけてやりたい気持ちを堪え、俺たちは男子便所を後にした。


 これを実に放課後まで繰り返すのだから、とても疲れる。というか疲れた。


「襲撃七回の合計六グループを摘発した訳だが」

「一応報告にあった分はこれで全部ね」


 俺はバイト先の『東雲』で南と会議を行っていた。この時期は受験生が居座って、回転率が落ちるので、勤務中に話すこともできる。


 とはいえ、90分置きに500円の追加注文をすることが店のサービスとして設けられているので、そこまで売り上げが減る訳ではない。


「程度が低くて助かった。これが進学校だといじめのグループ同士で繋がってシンジケート化する。仮にそうなってたら、形振り構わず血を流すしかなかった」


 一人一人殴り倒しては連絡先を突き止めるという、地味で血腥い作業を、しなければいけなかったかと考えると、気が遠くなる。


 そういうのって、得てして全員を相手にしないと、いけないだろうし。


「でも、こんなことを言ったらアレだけど、皆よく協力してくれたわね」


「直接手を下したのは俺と運動部の部長だけだしな」


 俺たちの採った手段は、いじめというか犯罪集団と化した連中を釣り出し、軽く暴行して、携帯電話(スマホ含む)を取り上げて連絡先を押さえ、周知徹底するというものだった。


 未成年の学生間トラブルでこそできるやり方だ。


「それだって一日で動きが良くなるなんてある?」

「ありがたいことだよ」


 いじめの被害者が授業中トイレに立つと、加害者たちは必ずと言っていいほど後を付いて来る。


 それを利用しない手は無い。


 被害者が便所に入ると、予め個室でスタンバっていた俺と、運動部部長と、一部男子が飛び出し、そして後からやって来たもう一組の男子たちとで、挟み討ちにする。


 入り口の男子はあくまでも逃走防止用の壁であり、カルトめいて謝罪を要求するだけである。後は俺と運動部部長と人に暴力を振るってみたい男子とで、相手をする。


「それにアレ結構大怪我だと思うんだけど」


「だから聞いてるほうに大事だと思わせないよう気を付けたじゃないか」


 相手をすると言っても彼らと同じ仕打ちをするのは暴力だ。第三者が話を聞いたり文章で内容確認をしたりした際に、軽く捉えられるようにする必要がある。その方法が尻を蹴ることだった。


 いかにも馬鹿馬鹿しい。報復にしても可愛いものでこれこそ悪ふざけだ。誰も真面目に実態の把握をしようとは思わん。


 蹴った相手の力と蹴られた相手のことを冷静に考えられる第三者は、少なくともうちの学校にはいない。


「そうだけど、こっちはあんたが鞄から石斧出したときはヤバいって、本気で焦ったわよ」


「本当は使いたかったが思い留まった」


 尻が分厚い脂肪と丈夫な学生服に守られているとはいえ、尻の中には骨盤がある。腰にも繋がる。尻を強打することは腰をやることだと、危ないことだと普通は分かる。


 しかしケツを蹴られるという一文が持つ麻酔のような力は凄まじく、実態や本質との距離を0と1くらい遠ざけるのである。


 仮に『骨にヒビが入るくらいケツを蹴られた』という事実があったとしても、笑いが取れてしまう。


 現実が文章によって正しく伝わらなくなる、これが文化の力。


 ケツキックは文学的な暴力なのである。告げ口されてもまともに取り合ってもらえないよう、部位狙いで保険をかけたという訳だ。斧だと話が深刻になってしまいこうはいかない。


 それに蹴ってるこっちも段々と作業が楽しくなってくるから、気が重くならない。とはいえ今日だけで二桁近い人間のケツを蹴ったので、足が棒のようだ。


「男子たちもよく参加する気になったわよね」

「いっちょ噛みするだけでいいからな」


 自分たちは悪いことを、している訳では無いという事実。そういう部分は俺や運動部部長が担当だ。彼らはただ義憤に駆られ、加害者たちに被害者への謝罪を求めただけなのだ。


「こういうのはな、参加させても加担させないのが、大切なんだよ」


「まるで経営者みたいなこと言うのね」

「おいおいそれだと逆になるだろ」


 人にやらせて上前を撥ねるようなことを、愛同研でしたら終わりだ。俺たちが安心して学校に通える日が来なくなることを意味する。斎の作ったこの集まりに義務はない。


 だからこそ、今回のような人災に総出で対処できることが良いんだ。俺たちは呼び掛けこそしたが参加を命令したことはない。


 やられたら悲しいが不参加だって許される。


 それぞれの考えまでは分からないが、この状況に徒党を為してくれるんだから、ありがたい限りだ。


「あとは、そうねえ」

「まだ何かあるのか」

「一度衝突した以上、心配なんて無くならないわよ」


 南は指先に髪の毛を絡めて苛立たしげにしている。こいつってほんとストレスに弱いよな。能力は高いんだけど、発揮させようとすると必ず弱体化する。


 創作畑の人間じゃないから、のびのびさせても追い詰めても、特に発揮できるものがない。


 事務処理戦闘情報戦と何でもできるが、矢面かそれに近い所だと、精彩を欠くのである。心配が無いとか吹っ切れた場合は、本当に役立つんだけど。


「それで」

「あんたが狙われると、ここも狙われるんじゃない」

「ああ、海さんが心配なんだな」


「当たり前でしょ。ちゃんとしてる友だちなんてあの人くらいよ」


 その理屈で言うとお前もちゃんとした友人に含まれないのだが。しかし言いたいことは分かる。


「マスターや奥さんの好意に甘えるようで気が引けるが大丈夫だろう」


「どういうこと」


「海さんがいるんだ。学校ではいじめに遭うかも知れない、或いは海さんの友だちがそうなって、この店に問題が持ち込まれるかも知れない。だからといって店仕舞うかってなったら、違うだろ」


 学校なんていう腐ったみかん箱に子どもが入る以上その危険はどの家庭にも付きまとう。


 マスターたちは何時かそういう問題と直面する日が来るかも知れないと、考えた上で働いているのだと、以前に海さんから聞いたことがある。


「学生客も多いんだ。遅かれ早かれ巻き込まれたよ。俺が巻き込むことになるなら、申し訳ないが」


「あんたって変なところ割り切ってるわね」


「南。割り切ることと引き摺らないことは違う。見えてる責任や失敗を受け入れられずにグズグズしたり、逃げ出したりするのを、納得がいかないとか割り切れないとか言う奴がいるが、その根っこにあるのは自分が悪いというのは嫌だというだけなんだ。自分の非を認められるならそうはならない」


 俺がそう言うと、南がいかにもつまらなそうな顔をした。そして注文していたクロワッサンを、徐に齧り始める。


 無言で冷めた珈琲を飲み干して、ナプキンで口を拭うと、ナプキン越しにげっぷを吐いた。


 お前この野郎。


「……それができるのを、割り切ってるっていうのよサチコ」


「え、そうなの」

「そうなのよ」


 そうなのか。いや、それだけじゃないはずだ。例えば親しい人が犯罪者に人質に取られて、その命を助けるから、他の誰かと戦えとか言われたら。


 いや、悪いと思うし謝って済む問題じゃないけど、たぶん謝った上で、人質助けないんじゃないかな。


 だって俺と親しい人たちってお前らだろ。


 何だろう、どこか安心して、犯人に向かっていける気がするわ。


「でね」

「あ、はい」


 まだ話が続くのか。こいつホント話長いんだよな。まあ女子だしな。


 気を抜くと会話が続かなくなる俺よりはマシか。


「この状況をどれくらい続けるかってことよ」


「とりあえず校内の巡回は定着させたいが、それより例の三年を割り出すのが先だぞ」


 皆には悪いが俺としては校内のことは正直どうでもいい。斎に絡んで手を出したとかいう連中には、俺も手を出さないと気が済まない。それが本命であり他はおまけだ。


「愛同研が校内の生徒の、セーフティーネットとして機能しているのは私も分かってる。だからそれはいい案だと思う」


「いや、三年は」


「だから今回の件は、捉えようによっては、いい機会だったと思う」


「三年」

「しつこいわねそれも調べてるわよ!」


 ならいいんだ。

 最悪卒業式に縺れ込んだらいいだけだし。


「ファンさんが反撃したことで目が覚めて、二度と出て来ない可能性もあるのよ」


「それはない。連中は絶対に報復に来る。断言してもいい。屑は皆そうだ」


 俺は自分の財布の小銭をレジに入れて、カウンターのチョコレートを開ける。


 苦い。お砂糖が全然入ってないからとても苦い。


「その内部室が荒らされるはずだ。各部に連絡を入れて防犯に念を入れさせろ」


「どうしてそんなことが分かるの」


「お前は育ちが良いから分からんだろうが、俺の答えは変わらん。屑は皆そうだ」


 俺のこういう話を聞いて、南が信じられないとばかりに胡乱な目を向けてくる。


 幾ら教育が大事といっても、所詮ゴミはゴミということだ。ゴミはゴミ。


「その上で長期的な計画を練って、攻撃してくるという線は有り得ん。どんなに待っても、今月中にはまた動きがあるはずだ。俺たちも軸を立てて備えなくては危ういぞ」


「軸って、愛同研自体には私たち三人の他に栄ちゃんとファンさんしかいないわよ」


「他の部だとオカルト部と運動部の部長が、ほぼうちの部員と化してるだろ」


 どっちも俺からの縁だし不確定要素が強すぎるが。


「俺たちとその二人を合わせて七人、これを軸にしてこの状況を乗り切るしかない」


 南は返事をせずに珈琲のお代わりを注文した。独特の香りが湯気と共に立ち昇り、室内を満たしていく。


 人間の屑というのは、馬鹿で間抜けでしかも屑だ。早晩に仕掛けてくるだろう。


 原因は相手にあるとはいえども、果たしてどこまでこいつらを守れるだろうか。

誤字脱字を修正しました。

文章と行間を修正しました。

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