・突かれた蜂の巣
・突かれた蜂の巣
米神高等学校は四階の隅っこにある我らが愛同研、それもこの時期は閑散としている。いつも小人数ながら賑やかな部室も、四月まではずっとこんな感じだ。
今年で先輩も南もいなくなるからな、引き継ぐにしても、今のうちから部員を勧誘できるよう、何か手を打たないといけない。
もっとも、先輩が部の存続に意欲的でないし、俺もやりたいことがあるから、所属している訳でもない。
義理とか付き合い以外に、この部活にいる理由がないんだよな。なんだかただの高校生みたいだ。
要はツルんでて楽しい相手がいたから、自分も部活に出ているってだけで。
「明けましておめでとうサチコ」
「おう、明けましておめでとう南」
始業式を終えて、特にすることも、行く当てもない部員たちに、未来の国外から戻ってきた南が、菓子折りを配っている。
年始の挨拶でこういうことをさらって出来る辺り、経済力の明確な差を感じる。
「これ有明のハーバーじゃねえか。横浜だろ」
「英語圏が無いんだから、英語表記の菓子折りなんか持って来ないわよ」
「ハーバーは英語じゃねえのか……」
銘菓になっちゃうともう、そういう名前なんだなって感じはするけどさ。
「タダで美味いもの食えるから文句はねえけどよ」
「そういえば、いっちゃんはどうしたの、今日はまだ見かけてないけど」
「先輩ならさっき栄たちと買い物に出かけたぞ」
三年生だし試験勉強があるから、部活を卒業するというのは一般人のすることである。勉強するにしても部室でするのが先輩だ。
「部室が私室なのよねあの子」
「いいじゃねえか、俺たちだって、ポットもレンジも使わせてもらえるんだし」
炊飯器でパンだって焼けるし、米粉でパンを作れるマシンもある。オーブンもある。冷蔵庫もある。食器も一通り揃っているが、コンロと鍋はない。
あ、あと調理器具もないな。
「あの子って卒業しても休みには部室に来そうよね」
「お前もそうするか」
「止めとくわ、そろそろ私の時代で、私の人生を送らないといけないしね」
そういえばこいつはこの世界で二年過ごしたけど、未来での動きはどうなっているんだろう。
俺とミトラスがそうしたように、世界間を移動した直後の、時間に戻るのだろうか。
それだと異世界の二年とは別に、またその世界の月日を送ることになるが。
「そっか。南が元の時代に戻るのって何時だ?」
一度未来に戻って半年経過させてるし、計算が複雑なんだよな。
「心配しなくても、私は飛び級で人より三年の猶予があったのよ。だから未来に戻っても、十八歳の大学生だから、安心しなさい」
「ならいいんだ」
思えば不思議な縁だった。このいけ好かないゆるふわ森ガールの皮を被った空手家も見納めか。ここまで長かったが、もっと長くてもいいのにな。
俺は部室のポットで自分と南の分のお茶を淹れた。他のやつの分はない。
「ありがと」
「先に食っちまおう。そのほうが帰って来た皆も文句が言えて、食い易いだろ」
「気が利くけど性格悪いわよ」
知ってると言い返して、俺たちは横浜銘菓こと有明のハーバーの袋を空けた。なんとも甘い匂いが食欲をそそる。栗が入っていたりいなかったりするが、とても美味い。しかし何故に有明なのか。
そんなことを気にしていると廊下が騒がしくなる。喚き散らす女の声が、勢いを増しながら、こちらへと突っ込んでくる。
「Esse tipo de te matara!」
※あの糞共ぶっ殺してやる!
部室のドアを蹴り飛ばしてから、外れていない無事なほうを開けて、アガタがやってきた。ブラジル系中国人で日本籍。髪が長く額は広く目は切れ長の美少女だが、怒るとそれが怖い。
「どうしたアガタ、ポルトガル語が出てるぞ」
アガタは激し易い性格で、怒りの度合いによっては発言が中国語やポルトガル語になる。不機嫌程度ではまだ日本語だが、アッパー系のキレ方をすると言語がとっ散らかっていく。
その一方でダウナー系のキレ方をすると、日本語のままなのだが……。
「ファンさんどうしたのいったい」
「俺たちを味方にしたいなら訳を話せ」
顔を真っ赤にしていたアガタはしばらくの間、ハ行と母音の抑揚の伸び伸びしている言語と、タ行と巻き舌が豊富な言語に、時折『馬鹿』とか『ゴミ』といった言葉も交えながら、悪態を吐き続けた。
スペイン語も混じってるなこれ。こいつの言葉を全部理解できるようになったら、アガタマスターと言えるだろう。
「ぜえ、ぜえ、すいません。あんまり頭に来て」
「それで何を怒ってるんだ。栄や先輩たちは一緒じゃなかったのか」
俺たちはアガタに落ち着けとは言わなかった。
アガタに対して行動を抑制したり催促したりすると却って矛先が逸れてこっちを向く。
促す場合も相手に選択肢を与えて、考えるように仕向けると、比較的安全だということを、今日までの付き合いで、なんとなく理解していた。
「そうです! 大変なんです! 先輩が」
アガタはそこで言葉を詰まらせた。再び怒りが込み上げてきたのだろう。俺と南は顔を見合わせた。
どうも先輩か栄が、彼女の機嫌を損ねた訳ではないようだ。
「いっちゃんがどうしたの」
「お前が怒るってことは人にやられたってことだな。誰だ」
南が俺を見てアガタを見る。
アガタは俯いたまま黙ってしまった。
「どうしたの、いっちゃんに何があったの」
「その、怪我をさせられて」
「大怪我か」
アガタが首を振った。南は一先ず安心したようだ。
「今保健室で手当て受けてます。その、変な連中に絡まれて」
「それで怪我をさせられたの」
「いいえ、付きまとわれたので、皆で走って逃げたんです。そのときに先輩が転んで」
「よく逃げ切れたな」
「いえ、追い付かれて、先輩も笑われて、私が咄嗟に持ってた彫刻刀で、一人の鼻を刺したんです。それで相手がびびって、逃げていったんです」
「よくやった。お前は偉いぞ。頑張ったなアガタ」
怒りで涙がこみ上げてきた、アガタの頭を撫でる。彼女は顔を袖で拭うと、小さな声ではいと答えた。
「災難だったわね。でも貴女にまで怪我が無かったのは良かったわ」
「話を戻すぞ。そいつらは誰だ。見かけない奴か」
「はい、でもうちの制服着てました。男子です。三人いました」
ということは、また会うだろうな。これ以上の数で報復があることも、考えなくてはいかん。何も始業式からこんな馬鹿なことを、しなくてもいいだろうに。
「いやー、酷い目に遭った」
いつもの聞き慣れた声がして振り向く。恐らくこの場のアガタを除く全員が、その声に、この状況を流せる何かを、期待していたはずだ。
しかしそこにあったのは、顔の片側を腫れ上がらせ眼鏡も歪ませた、斎の痛々しい姿だった。後ろに付き添っている栄の顔からは、血の気が失せている。
「ちょっと転んじゃってさ」
俺はアガタを見た。歯を食いしばって目を逸らしている。こいつの性格を考えれば、もう一度正直に全部ぶちまけたかったはずだ。
俺はもう一度、彼女の頭を撫でた。
「三人で出かけたんだけど、ちょっと転んじゃって、その、カトちゃんから聞いてないかな」
虚しい愛想笑いが乾いた部室の空気に霧散する。が、それで湿っぽい雰囲気になる、俺たちではない。少なくとも俺と南はそうだ。
「本当は大した傷じゃないんだけどさ、眼鏡はアレだけど、ほんと大丈夫だから」
「本当に」
「うん、大丈夫、平気」
「そうか」
――俺はそうは思わん。
「南」
「はい」
「召集かけろ」
「はい」
相手が在校生なら中途半端な解決はない。直ぐにも他の奴らに被害が出るだろう。いの一番に斎が狙われるとも考えにくいから、既に他の誰かに手を出されている可能性もある。
「いや! 違うって! 本当に気にしてないから!」
「俺はこれからアガタを連れて、先に生徒指導に話をしておく」
「いってらっしゃい。ファンさん、うちは十割被害者だからその辺しっかりね」
「あ、はい!」
相手と自分がいるのなら、クラスが二つで担任は二人だ。上に話をするしそこで収拾は着かない。
だが学年主任まで行くようなことでもない。生徒指導だけがそこで話を止めて、握り潰すことができる。
なら先にうちがやられたと、駆け込まなくてはならない。そうすることで斎たちに絡んだ連中が、恥知らずにも学校に泣き付いた所で、被害者の座は女子で先手を取ったうちの物になる。
後はクズ揃いの教員たちなら、必ず話を不問にしたがるはずだ。
先ずはアガタを守りつつ、この一件そのものはここで終わらせておく。またはそのための準備をする必要がある。被害者になったほうが後々動き易い。
「栄、南を手伝え、それと連盟員の連絡網から地図と通学路を作成しろ。敵の分も作るから二種類だ、時間が掛かっていい。戻ったら俺も手伝う」
「はい!」
「あ、いや、ちゅっと、みんな、ねえ」
「斎」
「あ、はい」
「お前がやられた以上は、他にもやられた奴がいないとも限らん。お前が聞き取りをしろ。それとも他の奴の分まで、泣き寝入りしてやるつもりか」
「あ……」
「そういうことだ。引退したつもりでも、お前はまだ俺たちの部長なんだぞ」
いつかこういうことが起こるのではないかと思っていた。しかし予想に反して、この部においては平和な日々が続いたせいか、頭から追いやっていた。
どこのどいつか知らないが、本当に要らないことをしやがって。
「それと、お前には悪いけどな、俺たちはお前の仇を討つ。いいな」
斎が顔から作り笑いを消して俯くと、小さく肩を震わせ始めた。俺はそれを抱き寄せて手を握った。
斎の手は冷たく、硬く、悴んでいた。かける言葉がないから、背中をさすって、少ししてから別れた。
何処のどいつかやったか知らんが二度とこの辺歩けないようにしてやる。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




