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出戻りサチコのやり過ごし  作者: 泉とも
最後の一人編
286/518

・実はそんなには

・実はそんなには



 全く年の瀬というものは狂人が増えて困る。


 マスターが迅速に、防犯ビデオの映像を提出してくれたことや、他の客たちの証言もあって、俺のビンタはお咎めなしとなった。


 だって相手の女が、最初と警察を呼んだときに暴れたのは事実だし、俺のほうが打たれたり、足を踏まれたり、持ち上げた際に顔を蹴られまくったりで、被弾が多いのだから。


 それに何だかんだで、俺が小田原市警察のご厄介になり慣れていることもあり、事情聴取はなんと驚きの三時間程度で済んだ。


 もっとも、東雲に帰って来る頃には、夕方を回ってしまったが。


「すいませんマスター。俺が騒ぎにしたばっかりに」


「いいんだよ。クリスマスなのに営業をしてたから、天罰が当たったんだろう」


 店長である(クラウド)さんが、色黒の顔をニカっと笑わせ、角刈りの頭をぽりぽり掻いた。


 俺は今、マスターの自家用車兼、業務用車である、ミゼットの助手席に座っている。


 普通自動車に乗って移動するのは、かれこれ何年ぶりだろうか。


 昔は荷台が付いて、もっと安いタイプのものを愛用していたらしいが、海さんが生まれてから、後部座席があるのに買い換えたそうだ。


「どの道、明日は休むつもりだったし。今日は早めに切り上げるよ」


「そっすね。海さんたちも、俺たちがいない中、お店の切り盛りしてるだろうし」


「うん、絶対閉めてないだろうね」


 そうして俺たちが帰ってくる頃には、店はまだまだ微妙に盛況していた。騒ぎを起こしたせいで、客が居座ってしまったのだろうか。それだと回転率が落ちて困るんだけど。


『ただいま』

「あ、二人ともお帰りなさい!」


 レジから顔を出した海さんが、俺たちに向けて安堵の表情を浮かべてくれる。ありがたや。


 そしてその奥、普段はマスターが珈琲を淹れてくれるスペースには、奥さんがいた。マスターの代わりを務めていたのだろう。


 海さんの色を白くして、恰幅を良くして年を取ったらこうなるだろう。そんなイメージを抜き出したのが彼女のお袋さんだ。


 気が短くて愛想が無い辺り、俺に似ているが、所帯を持っているからか、俺より辛抱強い。


「おー帰ってきた帰ってきた。海、私はあっちに戻るから、後よろしくね」


 そう言うなり直ぐに引っ込んでしまう。俺は改めて店の中を見た。


 台形に近い長方形の空間で、下底側、入ってすぐの開けた空間を商品で埋めてあり、その先の中央やや手前にレジ。


 その正面にパンの陳列棚。その地点から奥。台形の残りの上部分を、縦半分に割った左側。


 カウンター席と壁沿いのテーブル席が、背中合わせに並び、間にまた珈琲関連の、商品棚が並んでいる。


 珈琲と小麦の匂いに満ちた素敵空間で、一年以上お世話になっている場所だ。ここに仇為すような奴は絶対に追い出したい。


 ただ今回は海さんが言ってくれたとはいえ、ちょっと軽率だったな。反省。


「ごめん海さん、勝手なことして」


「いいの、元々私から言い出したんだし、それよりも大変だったのよ」


 俺のやらかしを差し置いて大変とは。まだ何かあったのか。それとも『また』というべきか。


「まさか他の客まで問題起こしたのか」


「そうじゃなくてね、サチコさんとあの女の人が、パトカーに乗せられた後ね」


 俺とあの頭のおかしい女が仲良くパトカーに乗って護送された後、という意味である。


 そういえば店に警官が一人残っていたような。


「警察の人が、お客さんに揉め事のことを聞こうとしたの。そうしたらそのお客さんが、いきなり店の外に走り出してね、それを警察の人が追いかけていって、しばらくしたら戻ってきて、今度は私にその逃げたお客さんのことを聞いてきて」


「待て待て待て待て」


 なんだ。ということは俺たちのことが切っ掛けで、また事件が起こったのか。


「うちは渡す前に金貰うから食い逃げじゃないよな」

「警察の人はあまり答えてくれなかったわ」


「それはそうだろ。でもうちの客って基本的に一見は少ないから、顔は覚えてるだろ。誰だったんだ。万引きとか空き巣が毎日通ってた訳じゃ……」


 そこまで言って、自分の頭の中ではっとするものがあった。脳裏に浮かぶ人間の姿と、海さんが告げた内容とが、ぴたりと一致する。


「最近うちに来てたじゃない、ほらあの、よくお店のおしまいまで、居眠りしてた人」


「しまった!」


 俺は叫んで着けっ放しだったエプロンを外し、それを海さんに帰し、慌てて外へ飛び出した。


 何処へ行った、まさかこんな形で、こんなことになるとは!


「ちょっとサチコさん、どうしたのいきなり!」

「どっちへ行った」

「え」

「そいつはどっちへ逃げた!」


 聞いて見ても海さんに分かるはずがない。


 油断した。俺のついでから発覚するとは。考えてみればアパートでの一件で、目を付けられたとしても、おかしくなかったのだ。


 あのときは南が、やって来た警官の記憶を改ざんしたが、その前に報告が上がっていても不思議はない。仮にそうでなくても、こういうことが起きる可能性はあったんだ。


 小田原市警も神奈川県警の一部だと甘く見ていた!


「サチコさん、あのお客さんはどういう人なの」

「……今はちょっと」


 店の客に殺人犯が紛れ込んでいたなんて、果たして伝えていいものだろうか。それに俺は、その事実を知りようがないはずの人間なので、伝えるなら『かも知れない』の範囲に留めなければならない。


 情報の入手経路も、それらしく誤魔化さなくては。


「分かった、じゃあ後でいいから教えて。それと」

「それと」

「今できることがないなら仕事に戻って」


 海さんが先程渡したエプロンを、突っ返して来た。俺は無言でそれを受け取って、再び身に着けた。悔しいが確かに、今はできることがない。


 特定の人物を探し出す手段というのが俺にはない。恐らくミトラスにもない。ミトラスの場合は魔法とかではなく、単純に五感か何かで察知しているようで、一度補足した誰かを見失うことは、そうない。


 しかしその一方で、名指しで個人を呼びつけるような便利で、検索性に優れた道具も、魔法も何も無い。こういう点では文明に敗北しているな。


 手持ちの手段で一番優れているのが、条件を設定して合致する人物を、力づくで誘拐する召還術だ。


 あいつが使う転移魔法も、あくまで位置や場所を指定してそこに移動するだけであって、個人までは対象外だ。不便とまでは言わんが、現在求めている仕様とは違う。


 だが相手の名前も、どんな人相かもよく知らない人の設定なんかできないし、よしんば出来たとしても、呼びつける義理とか人間関係が、俺とあの客には存在しない!


 そう、そこまでする義理はないのだ!


 これがまた非常に困った問題で、つまり俺と相手の距離感というものがね。


 考えてもみて欲しい。俺はあくまで真相に近い所にいるだけなのだ。


 客と店員の間柄でしかないのである。


 今まではあの男が、次の犯行に及ぶかも知れないという危機に対し、刺激しないようにそっとしておこうという気持ちと、俺の同情から見逃していただけ。


 ここに警官が来て事態が急変したから大変だ。

 大変なのだが。

 俺の出る幕ではない。


 捕まらないように逃がしてあげようとか、逆に警察に突き出してやろうとか、そういう次元の話ではないのである!


 ただ、そうか。というだけなのである。だからまあ気にはなるけど、仮に居場所を突き止めても、様子を見に行こうかって感じにしか、ならないんだよなあ。


 一応心配ではあるんだけど。


 せめてファンタジーの占い師みたいに、水晶で相手の様子が分かるとか、或いは召還して呼びつけるのではなく、対象の近くに俺を送りつけるみたいな、そういう手があればな。


 それじゃ送還だな。いや、送り返すも何も来たことはないんだ、こちらから行くだけだな。


 ん? 

 送還?

 はて、どっかでそんな言葉を聞いたような……。


 ……。

 …………。

 ………………。


「あったな、そんな手が。けどいけるか……?」

「どうしたのサチコさん」

「いや、なんでもない。なんでもないんだ」


 手はあったかも知れない。

 だが、本当に何でもないんだ。どうする。


 俺と大して縁も所縁もない、危険人物の人生の岐路に対して、俺はどうするべきなんだ。


 別にどうもしないというが、じゃあ何がしたいというんだ。


 ヤバイ。やる気が無いことをこんなにヤバイと思ったのは、人生で初めてだ。どうする、どうしよう。


『どうでもいい』という気持ちが、心の何処かに有るせいで、どうしたらいいか分からない。


「今日は早めに閉めるけど、とりあえず仕事してね」

「あ、はい」


 そうだな。とりあえず仕事して、様子見に行って、それから考えるか。

誤字脱字を修正しました。

文章と行間を修正しました。

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