・違います
・違います
自転車を庭で乗り回し、雑草を踏み荒らして減量に励むサチコに向かい、それで痩せてもお腹が引っ込むのは最後になるよ、と余計なことを口走ったばっかりに、夕飯が猫のカリカリになってしまい『ちゅーするときにカリカリの味になるぞ!』と必死に抗弁して、舌打ちされながらも何とかご飯を元に戻してもらったのが、一昨日の出来事。
肉体強化の魔法と火属性の魔法で、代謝を活性化させ、適度な運動と繊維質の摂取で、お通じをよくすること。それを踏まえた上で、減らしたい部分の減量に取り組む。そういう流れを教えた結果、ご飯がお粥になったのが昨日のこと。
サチコの体重が軽くなるまで、僕の家事から食事の支度が復活することはない。なので最近は暇も増えた。増えた時間は図書館に充てる。今日も今日とて僕は図鑑とにらめっこ。
とはいえ神無側は殆ど開発が済んでるんだよな。どこか手頃な場所は。
そういえば砕魂区の復興って、まだ手付かずに近い状態だったな。でもなあ、なくても平気だったんだし、急いで人の手を入れるのもな。
土地の高低差もあれば交通の便も良くない。空を飛べる魔物を、運送業として積極的に配しても、人間より簡単にできるから、人間より安い賃金で、なんてことにもなりかねないし、そうしたら労組が出来て、未来に禍根を残すだろう。
ここはやはり色々と実の生る木を植樹して、十年くらい先に備えたほうがいいかもなあ。食用の木の実、果物の類はどれだけ有っても困らないからね。
四季に併せて、旬の異なるものが取れれば、年中を通して収入が見込めるし、加工業に手を出してもいい。動物も住むし養蜂にも貢献するだろう。調味料としても有用だ。
後は植生を考えて、何をどれだけ持って帰って植えるかだけど、ここまでで素人の限界だった。
「うーん、うまくいかないなあ」
思わず声が出てしまう。時刻はもうすぐ五時。サチコなら今日はバイトもないから、家にはとっくに帰っている頃だろうし、館内のお年寄りも粗方帰途に着いている。
残っているのは、塾にも学童に家にも行けない浮浪児たちと、職員を除けば僕だけだ。
おしゃべりをしたって誰にも咎められない。というか受付のオバちゃんたちはずっと話し続けている。いったいいつから喋っているんだろう。
「植物って離れていても、根っこでお互いの成長を邪魔し合うんだよねえ。けっこう陰険」
栄養を吸収できないよう根を被せたり、成長を阻害する成分を分泌したり、土の養分を根こそぎ集めたりだ。
それにこの世界だと、果樹園や植物園では、なるべく近縁種で揃えて育てるようにと書かれていて、異なる植物たちを植えるには、どうすればいいのかという資料が、中々見つからない。
こういうときユグドラがいればなあ。
※ユグドラさん
前シリーズのキャラ。初登場は『魔物がお金を増やすには』から。魔王軍時代のミトラスのお世話係であり、現在は公営のアパレル産業に従事している、お局様的な植物系モンスター。
無い者ねだりをしても仕方ないけど、自分の案を自分以外の人が、検討してくれないという状況は、けっこう辛いものがある。
案ばかり増えて整理ができないから、物事を進められないのだ。
僕は溜め息を一つ吐くと、本を返して入り口へと向かった。この図書館には、最寄り駅から払い下げられた古い伝言板がある。
西が息を切らせてやってきたのは、それに僕がここを出る時間を書いてから、臼井の下の名前を考えていなかったことに、頭を悩ませているときだった。
「臼井くん!」
「西さん」
入り口の自動ドアを挟んで内と外、僕は一旦外に出ると、肩で息をしている彼女に向けて、持参してきた水筒を手渡した。中身は麦茶だ。僕の道具袋は、サチコのお下がりの鞄である。
「はいどうぞ」
「あ、ありがと」
まだ半分ほど残っていた中身を全部飲み干して、ようやく西は息を整えた。
「遅くなっちゃった。でも、本当にいたんだ」
「また明日って言っておいたくせに、今日も来なかったら僕も来るのを止める所だったよ」
汗だくになりながらも、西は嬉しそうに笑った。走って来て汗だくの顔を、ポケットからタオルを取り出して雑に拭う。そんな彼女と知り合ったのは、今から三日前のことだ。
「ごめん、今日は委員会があって」
「この二日間は?」
「部活」
ふーん。こんな小さい頃から、あれやこれやと煩わしいことばっかりやってるなあ。
まさか異世界まで来て、こうして予定の擦り合わせを、しないといけなくなるとは。
「それでどうするの。もうすっかり遅い時間だけど」
「とりあえず」
西は『立ち話もなんだから』と、館内を指差して、中に入るよう促した。
「それで、この前手伝ってくれって言われた訳だけど。何すればいいの」
さっき立ったばかりの席にとんぼ返りして、その隣には西がちょこんと座っている。
「今日はもう遅いから、やるのはまた今度の土日にして、今日は説明と予定を立てることにしようと思うの」
うん、それはまあ別にいいけど土日か。サチコもいないし手持ち無沙汰だから構わない。しかしサチコの話だと、小学生はもっと早く学校が終わるらしいんだけどなあ。この世界の人は忙しいなあ。
「それでね、私なりにこの町の、ていうかこの世界のことを調べてるんだけど」
世界か。インターネットもあることだし、何か変なものでも見つけたのかな。
「何ていうのかな。私、変なこと言うと思うけど、流すつもりで聞いてね」
予防線を張っていくということは、どうやら頭のおかしい子じゃないようだな。僕は崩していた姿勢を正して、話を聞く用意をした。
「この世界にはね、その、あるはずのものが、物とか人だけじゃなくて、もっと大きなものが失くなってるの、そう、国とかとにかく、私のいた世界にあったものが、ごっそり消えてなくなってるの」
あるはずのもの、国とか極端に大きなものが、失われている。あれ?
つい最近、どこかでこんな話を聞いたような。
「家とか家族は変わってないんだけど、ご近所さんやこの町の地図は変わっているの」
「ん、ちょっと待って。敢えて否定しないでおくけど、それだとまるで、君が異世界人ってことになりそうな」
僅かな間、西は目を逸らして何かを考え込んで、そう、と頷いた。何かを思い出して、間違いないというような力強さがあった。表情だって真剣だ。
「私、どうやら元の世界から、こっちに迷い込んじゃったみたいなの」
「そんな不思議の国のアリスみたいな」
僕たちみたいな存在ならいざ知らず、現代の人間が別の現代にやってくるなんて、そんなことがあるだろうか。
「大昔の人は、こういうのをパラレルワールドって呼んでたみたいよ」
「もしもの世界ということだね」
「そうそう!」
うーむ。そうか、確かにそういうことなら、納得がいかないでもない。だから彼女は、歴史や地理の資料を調べていたんだな。
「一応本で調べてもみたけど、やっぱり実際に町を見てみないと、始まらないと思って」
「なるほど、それを僕にも手伝って欲しいってことだね」
「そういうこと」
ほっとしたように、実際話を聞いてもらえて、安心しているんだろう、西は力のない笑みを浮かべた。
自分の妄想に付き合ってくれる友だちのいない人の反応ではない。そういうのはもっと嬉々としているものだ。
「でもそれだけでいいの? 元の世界に帰る方法を探したりとかは」
「先ずは現状の把握が第一よ。目星も付けず無闇に動いて、危ない目に遭ったらどうするの。この世界にも犯罪者はいるのよ?」
ごもっとも。安全を考慮に入れている辺り、大変結構だ。うちの人はなんだかんだで、危ないほうへ行くからな。今日だって様子見に学校に忍び込んだら、いや止そう。
「だから最初にやることは、元の世界とこの世界の違いが分かる地図を作ることよ」
「それは分かったけど、僕は土方の人みたいに、測量とかはできないよ」
分かることと言えば天気の行方くらいだが、それも猫耳を出しているときに限られる。
「あ、それは別にいいの、ただ、付いて来てくれるだけでいいから」
手伝いで付いて行くだけ。それってつまり護衛ってことだろうなあ。一応背格好は、人間の子どもとそう変わらないはずなのに。
「君は僕が荒事をするような人間に見えるのかい」
「もっと逞しかったらよかったんだけど」
なんて言い種だ。でも女の子の一人歩きが危ないのも確かだしな。うちのと違って乱暴に慣れてなさそうだし。
なまじ表面上平和だと、犯罪も成長する。この世界の治安は、僕の世界よりもずっと悪い。
「そういう訳だから今度の土日、一緒に来てもらえないかな」
「いいよ。僕も話し半分くらいには付き合ってあげる」
「ありがと!」
西がおでこと同じくらい眩しい笑顔を向けてくる。可愛くない訳じゃないけど、やっぱりうちのサチコのほうが可愛いな。うん、うちの娘は可愛い。
ともあれそんな訳で、週末は西と探検に出かけることが、決まったのであった。
誤字脱字を修正しました。
文章を一部修正しました。




