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出戻りサチコのやり過ごし  作者: 泉とも
学祭奔走編
274/518

・昇る日

・昇る日



 俺たちは廊下を並んで歩き、部室へと急いでいた。時刻は後夜祭に突入している。恐らく先輩が待ってくれているはずだ。


「結局帰りのホームルームはサボっちまったな」

「あんたと保健室デートなんて最低だわ」


 隣で南がぼやく。


 俺たちは柔道場での試合が終わると、運動部の既得権益である、熱いシャワーを浴びた。


 鼻血が出ていた俺が使うのは、止めておいたほうが良かったのだが、如何せん汗は気持ち悪いし、あちこち痛いわで、体を綺麗にしたかった。


 傷の比較をして見ると、南のほうは腋腹が赤くなっている他、ビンタの貰い過ぎで顔が真っ赤に膨らんでいた。髪のバランスもやや崩れて、左腕の上側を除く全面には、痣が斑点のように浮かんでいた。


 俺はというと先ず両方の鼻の穴から出血し、南よりも顔が、厚ぼったくなっており、両腕どころか全身に殴られたと分かる跡が残り、おっぱいに至っては爪を突き立てられ引っ張られた、文字通り爪跡があった。

 

 血が滲むのではなく、僅かに出血している点から、いかにこのゆるふわ女狐が、本気で掴んだか分かろうというものである。

 

 極めつけは手刀での突きを受け続けた、肋骨の部分である。赤を通り越して黒ずんでおり、後もう少し、それこそ一発でも受ければ、皮膚が裂けていたのではという状態だった。髪の毛もまた減ったし。

 

 南のダメージは、ヘッドギアを脱ぎ捨ててからのほうが、圧倒的に多い。それに対し俺の場合は、終始に渡って増え続けたものである。

 

 最後の最後、お互いに『この状態に持ちこめたら自分の勝ち』と、自分に言い聞かせていたことが、現実になったため『たが』が外れた形となった。


 だが試合の運びを見れば、ダメージレースで俺が惨敗していたことは、誰の目にも明らかだった。


「まだ胸が痛え、まさか最後にあんな真似をしやがるとは思わなかったぜ」


「金的みたいなもんよ。ブロックできないのが悪い」

 

 金的は反則だしおっぱいは縮めないんだよCカップ君。君が下着と着こなしで限りなくD有るように見せかけても、俺には遠く及ばないんだ無茶を言わないでくれ給へ。

 

「そんなことをしなくても勝てただろうが、折角格好良く勝負が着きそうだったのに」


「煩いわね、負けたんだからツベコベ言わないの」


 南が湿布を貼られた両頬を膨らませる。鼻の両穴にティッシュが詰まってるから息苦しいし、言葉も鼻声になってしまっている俺よりまだマシだ。


「……しっかし、こんだけ力の差があるとはな」


 しみじみと呟けば、南がばつの悪そうな顔をする。気にすることじゃ、ないんだけども。


「結構力は強くなったと思ったんだけど、やっぱり、ちゃんと人と戦う形で、体を動かしてる奴には勝てないもんだな。あれだけ強くて、お前なんでそんな弱気なの」


「体を鍛えてるからって、それで気が強くなったり、相手を怖いと思わなくなったりする訳じゃないもの。やり過ぎたらっていう不安もあるし、強くなればなるほど戦えなくなるのよ、大抵はね」


「気に入らねえな」

「分からないとは言わないのね」

「うっせ」


 思えば南は初めて出会ったときから、俺なんぞ一蹴できてたはずなんだ。それなのにビビってあっさりと負けた。練習や競技以外で、他人に手を挙げたことがなかったんだろうな。


「宝の持ち腐れじゃねえか、いっそ俺に教えて欲しいくらいだよ」


「まあ、それは考えないでもないけど」


 南が少し悩んだふうな言い方をする。


 こいつの空手みたいな動きは、両親から教わったんだそうな。父親は大学生の頃からやっていて、母親はダイエットの一環で始めたとか。


 親子三人それぞれ別の流派に師事して、学んだ内容を教え合うという、格闘漫画みたいなことをしていたらしい。


 特に南はこの時代に来たとき、未来では無くなっている流派の、通信学習にまで手を出していたことが、判明した。


 いったい何時鍛えていたのか。まあ朝と夜なんだろうけど、道理で強い訳だよ。オシャレだの一般常識だの人に説教垂れてた裏で、良くもまあやるもんだ。


 まあそれが分かったところで、俺と南の力の差が変わる訳ではないし、関係だってそのままだ。ただ南が俺よりどれくらい強いかが分かっただけ。それだけ。


「俺がお前に習って、お前はどうするんだ。運動部の部長に言われてたけど」


「そうね。今まで修めていたことを手放すのも寂しいけど、適正を考えちゃうとね」


 俺たちが柔道場を去る前に、運動部部長は、こんなことを言った。


『負けないために前に出て受けるのがサチコ。勝つために退いて避けるのが南。それがあんたたちに見合った戦い方だよ。それなのにサチコは負けまいと打って出るし、南も勝つために前に出る。ちぐはぐなまま、二人とも前に出合うもんだから、こういうことになったの。自分に合ったやり方を覚えないと駄目だよ』


 俺の場合は今まで慣れと体に任せた、喧嘩殺法から脱却し、南に空手を教わるとして、じゃあ南は今後どうするのだろうか。


「長い足を活かすってのは俺には分からん。蹴り技主体になるのか。 ゲームで見かけるのだとカポエラ、ムエタイ、キックボクシングとかだけど、現実だと何がいいのか」


「空手にも蹴りはあるわ。でもあんたと戦ってみて、私には柔らかさとか粘りが足りないのは分かったわ。太極拳を取り入れつつ、あの部長さんのアドバイスに従って、鍛えてみようと思う」


 自分で自分の改善方法を既に閃いてる辺り、こいつやっぱ頭いいんだな。


「俺の相撲はいまいち通じなかったからなあ。当分はお前の真似をしとくのが良さそうだ」


「あらそんなことないわよ。サチコ、わざと組みつかなかったでしょ」


「それを言ったらお互い殴る以外やらなかっただろ」


 遠慮が有った訳じゃない。ただ、二人ともお互いにぶっ殺してやるなんて思ってないし。日頃ムカついてそう思うことはあっても、本当に手を出すならそんなことは考えない。


「組み付くまでが大事なんだから、あんたの場合は柔道かレスリングをやるべきなのよ。あんたの体なら関節技だって、怖くなくなるわよ」


 技の三すくみで言えば、打撃は関節技に弱く、関節技は投げ技に弱く、投げは打撃に弱い。いや、自分で考えておいて難だけど、違う気がする。


「あくまであんた個人の話よ」

「なんだそうか」


 何気に俺の戦い方の指南って、これが初めてな気がする。ミトラスを除けば、間違いなく人間では初めてだろう。


 運動部の部長とは、基本的に殴り合うだけだったからな。あの人は戦ってると、だんだんニコニコしてくるから怖いんだよね。


「個人的にはもう少し足が長ければなあ」

「それだと私の長所全部持ってかれちゃうじゃない」


 世の中には骨延長という特定の部位を長くするための手術があるそうだ。


 背の小さい人がそれで足の手術をして、数cmの長さと引き換えにウン百万という借金を背負うというのをテレビか何かで見た覚えがある。


 レベルアップで足を長くできないか、試しに今度見てみよう。今まで気にしたことは無かったけど、こういう機会に欲が出るんだから、我ながら分かり易い人間である。


「できるならそうして、少なくとも最終的に、今のお前よりは強くなりたいな」


「心配しなくても、あんたが卒業するまで、ちゃんと練習してたらそうなるわ」


 できればお前がいなくなる前に、お前より強くなっておきたかったな。そう思って南の顔を見ていたら、こいつも気付いたのか、少しだけ寂しそうに笑った。


「やあね、こればっかりは無理よ。こう見えても私、ちゃんと鍛えてるもの。それとも『私がもっと弱ければ良かったのに』とか思うの、あんたは」


「思わんな」

「でしょ」


 今まで周りにいたのが強すぎる奴ばっかりで、強くなる意味なんて、あんまり無かったんだけど、でも何だろうな。今ならもうちょっと、真面目に鍛えてみてもいいかなって思える。


 こいつの為に強くなってみたいって、言うのかな。それの何がこいつの為になるのか、俺にも分からないのに、何故だかそんな気持ちで。


「まあね、私も一人で隠れながら鍛えるのも馬鹿馬鹿しいって思ってたから、こういうのも、そろそろ丁度いいかなって、思ってたのよね」


「そっか」


 南は悪戯っぽく笑うと、ふざけるように拳を繰り出した。人の乳をバランスボールみたいに連打すんじゃない。俺がおでこにチョップを振り下ろすと、南はわざとそれを食らって呻く。


「二人とも遅い! もう後夜祭始まってるよ!」

「すんません」

「ごめんねいっちゃん」


 無意識に開けたドアから、先輩の声が飛び出した。気が付かないうちに、部室に到着していたみたいだ。中には珍しく部員一同が集まっていた。


「よし! それじゃあサチコとみなみんが来たことで全員が揃ったから、これより我々愛同研も、後夜祭に入るよ! いくぞー!」


『おー!』


 痺れを切らしていた先輩が号令を下すと、他の部員たちが一斉に返事をする。全員が部室から出ていくのに合わせて、俺たちも合流する。


「待たせてごめんな先輩」

「いいの。ほらほら、私たちも行こ!」

「どうしたのいっちゃん、さては妬いてる」


 南がそう尋ねると先輩は「勿論妬いてる。部長命令だから構って」と言った。俺と南が顔を見合わせて苦笑すると、先輩の表情が険しくなる。


「たかだか一回殴り合っただけで急に仲良くなって、ズルいなあ」


「あらあら、それじゃあお詫び、に仲良ししてあげるから、機嫌直して」


「先輩も俺みたいな顔になりゃあいいんすよ。それで一発ですから」


「え、絶対ヤじゃん」


 そうか。絶対ヤか。分かる。割に合わないよこれ。

 ともあれこうして俺たち三人の後夜祭が始まった。


 外はもう暗かったけど、学校中に生徒たちの声が、まだまだ溢れ返っていた。

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