・知人が増えた日
今回長いです
・知人が増えた日
西は黄色い半袖シャツに、白い短パンという姿だった。顔は小動物っぽくやや目が大きい。とはいっても、サチコの友だちの北さんほどではない。
身長は僕より少し高め。細くも太くもない、なだらかな体は、生命力に満ち溢れているように見える。
あとおでこが半端なく広い。生え際がキレイな放物線を描いている。ぴかぴかのおでこ。髪留めがしてあるから、もう少し髪があるはずなんだけど、その量はよく分からない。
「で、西さん」
「あ、ひ、日。こう書いてひかるって読むの。西日」
西は本名を西日というらしい。
僕が勉強した範囲だと『日』はそんな読みをしないはずだけど、元々ないはずの読みを、勝手に追加するのはよくあることだと、サチコが言っていたっけ。
アルバイト先の店長の名前もそうなんだって。ならこれもその類かな。
「うん、それでね西さん」
「あ、うん」
何で少しがっかりしたふうなんだろう。もしかして、下の名前で呼んだほうがよかったのかな。
国や人種によって苗字と名前、どちらで呼ぶほうが失礼かは異なるから、面倒臭いことこの上ない。
「僕は僕の保護者から許可貰ってるの。学校には行ってないけどね。それなら学校でする分の勉強くらい、自分でしなさいって」
「……でも、教科書もノートも持ってないよね」
お、よく見てる。
「そんなのは家を出る前に済ませるよ。ドリルで済む分は最初にやるし、教科書を読むだけの部分なんて、寝る前でもいいし。ノートはいらないかな」
「要は登校拒否ね」
「そうなるかな。君は違うの?」
自分の頭をかいて、ちゃんと耳が隠れていることを確かめつつ、問い返す。
今の僕の髪は緑じゃなくて黒。サチコと同じ色だ。人間に化けているときは、耳が四つにならないように気をつけなくてはいけない。尻尾は元々ないから大丈夫。
変身するときは元々自分にあった感覚が変化、消失するから、その点を踏まえてないと、色々大変だったりする。
「う、あ、お、こっちはその、気になることがあって。その、どうしても」
うん? なんだ。なんで自分のことを、一人称を口にするのを避けたんだろう。西の言葉は続く。
「気になること。さっき地理のコーナーにいたけど、何を調べてるの?」
「あ、えと、この町のこと。建物の場所や、人の名前とか」
西は微妙に隠すような様子で答えた。建物の場所、人の名前。何故そんなことを。オタクとかいう人種は、意味の無い知識欲に取り憑かれて、存在そのものが迷惑だけど、この子はそうは見えないしなあ。
「それはまたどうして」
「どうしてっていうと、その、えーっと」
どう説明したものか答えあぐねているみたいだった。何気に質問に答えられるようになるのって、練習でも経験でも、とにかく慣れがないと難しい。
慣れの問題だから、正しく会話を積み重ねていれば、どうってことはないんだけど、同意をするか排斥するしかないという、粗末な人生ないしは人間関係にある人の場合は、この限りではない。
いい歳こいた人が質問されて、しどろもどろになったり、若い人がキョロキョロし出したりして、返答もろくにできないという場合、は決して少なくない。
これは僕のほうで、質問の仕方を工夫しないといけないかなあ。
「何かを探してるの?」
「そういう訳じゃ……」
探してはいない。
「何かと比べてるの?」
「違う、あいや、違わない、かも」
比べている、かもしれない。
「何かを確かめようとしてるの?」
「うん。そう、だね。今確かめてる最中なの」
確かめてる。ふむふむ。
「この町のことなんだよね?」
「そう」
そこで僕は考えてみることにした。図書館の窓ガラスは分厚く、外で揺れる木々に反して、風の音は聞こえてこない。
日中曇りの図書館は薄暗く、不思議な安らぎがある。人の出入りが少なければ、更に風情を醸し出すけど、現実はお年寄りが一杯で、ごみごみしているのが悲しい。
「ふーむ、となると……」
比べている。確かめている。何を? 施設の場所、人の名前、この町の中の。この町の中で。
「この町の中にある施設同士や、人の名前同士を比べたり、確かめたりしてる?」
「同士、じゃ、ないなあ。そのまま。同じ人や場所」
「ああ、分かった」
僕は席を立って、二階に上がった。そう、この図書館は実は二階建てなのである。そして歴史の書架も、というか資料系の書物は殆ど二階にある。
ついでに言うと、新聞や雑誌も二階にあるので、やってきたお年寄りは大抵そこに詰っている。
彼らに気付かれないように気配と足音を殺しながら歩いて、目的の書架へと辿り着く。
棚の側面には『歴史』と彫られた銀色のプレート。
同じ町の中の施設や人の名前で、他との比較じゃない。他と比べないなら、残る比較対象は自分しかない。今の自分と比べられるのは過去の自分だ。
昔の記録を見るとなればここしかない。
僕は『小田原史』と書かれた、やたらと大きくて分厚い、辞典のような本を抜き出し、西の元へと戻った。
「ちょっと待ってて、今地図も持ってくるから」
そうして今度は西が最初の場所にいた『地理』のコーナーへ。そこでこの町の地図を借りてくる。机の上には二つの資料。たぶんこれでいいはずだ。
「はい。要するに、君は小田原の前と今を、比べてみたたいってことでしょ。これで合ってる」
結構自信があるので態度に出して言って見たけど、何故か西は僕と僕が持ってきたものを交互に、それも不思議そうに見ていた。
そして最後に『あっ』という、何かに気付いたような顔をした。なんだろう、僕がこの子の考えていることに気付いたことに気付いたんだろうか。
だとすると結構鈍いぞ。
まだそうと決まった訳じゃないけど。
「ああ、うん! そう、そうそうそう! あ、合ってるよ、うん。国語として」
「なんだい国語としてって、どっちかっていうと、社会じゃないのかい」
一瞬どきっとした。僕もこの国の言葉は一通り勉強したけど、相手がサチコしかいないから、どこか間違っていたのか思った。
自分の日本語が怪しかったらどうしよう。でも何故か西のほうがしどろもどろなんだ。どうしてか。
「まあいいや。とにかくお邪魔してごめんね」
「あ、うん」
それで、僕としてはこの関係と話題は終了のつもりだ。先に借りていた本を棚に戻して、次は小説を読み漁る。のだが、英米文学がないのはとても苦しい。
ロシアとドイツの本はあるけど、ここに日本の古典が加わると、パンご飯お酒パンご飯お酒って感じで、非常に息が苦しくなってくる。
お水のようなユーモアがなければ、とても読書を続けられない。なので読み漁るといっても、その速度はとてもゆっくりである。
短編集は早くも読み終えてしまったので、最近は童話に手をつけてみたけれど、この調子だと大長編に手を出さざるを得なくなる。それは何となく嫌だ。
「ねえ」
西が声をかけてくる。
振り向けばそこには、おでこにじっとりと汗をかいた少女がいた。少し俯いて視線は明後日の方向。緊張しているのが分かる。
これは知り合って間もない頃のサチコに見られた反応だ。
一般人に話しかけたり、逆に話しかけられたりしたとき、彼女は人間に対して気後れし、相手によっては嫌悪感を隠しもしないときがあった。
そんな場合、決まってこんな感じに苦しげだった。今はもう平気だけど。
育ちの良くない人間の何が良くないって、周囲の人間が良くないってことなんだよな。さもなければ他人に対して、こんな今一つ何が何だか分からない反応を、するようにはならない。掃き溜めの例えは全く持って正しい。
しょうがない。ここは年長者たる僕が、一肌脱いでやろうじゃないか。
「なに」
出来る限り爽やかなそうな笑顔を作ったつもりだ。
仮にも僕は一地方行政の長で、その職務には営業的な側面も、多分に含まれている。市長から仕事を仕込まれた際は、笑顔の練習を最初に山ほどやらされたものだ。
先生ほど美形じゃないから、どうしても見劣りするけど。
「あっ、え、いや、その」
「落ち着いて、汗を拭いて」
「あ、はい。うん、その」
どうも調べ物をするような子じゃないな。見てるとそわそわしてるし、体を動かしてるほうが、本来のこの子のような気がしてならない。
「いい? 僕はちゃんと話を聞いてるんだから、君は君の話を聞いてる相手を、ちゃんと見なさい。そうしたら落ち着いて、ゆっくりでいいから話す。間違っても直していいから」
「あっ……はい……」
目を見て、噛んで含めるように言うと、西は小さく返事をした。それから僕の目を見つめ返すと、段々と落ち着いていった。いい子だ。
「あのね、私。今、すごく気になってることがあるの。それってたぶん、言っても信じてもらえないようなこと、なんだけど、でもとっても大事なことだと思うの」
「それを調べてるんだね」
西が頷いた。目線は相手のほうが少し高い。相手の目を見るときは、相手の目に映った自分の顔を、追わないことが大切だと、僕は思う。
「それでその、いきなりこんなこと言うのって、変だけど」
そこで一度言葉に詰った。続きが出てこないのではなく、口に出すのを躊躇っている。でも僕は一応魔物な訳だから、そんないたいけな少女の背中を押しちゃうんだな。
「大丈夫だから、言って。心配しないで」
落ち着いたことで引いていた、緊張の赤みとは別の朱色が西の顔に差す。
「うん。ありがとう。それで、もし、良かったら、君にも手伝ってもらえない、かな」
そこで一度、西は自分の言いたいことを、言い終えたみたいだった。言えた、という前向きな動揺が、興奮した面持ちの中に見て取れた。
どういう内容なのか、何を調べているのか、そんなものは後回しだ。
今僕がすべきは、この子が不安にならない内に、意を決して告げた言葉が、熱を失わない内に、返事をすることだけ。
「いいよ」
少女が、安堵の笑みを浮かべた。初めて見る笑顔だった。やっと笑ったな。
「細かいことは今度聞くよ。僕は毎日ここにいるから。君は安心して、学校に行って、放課後に来なさい。でないと手伝わないよ」
そして後に付けた条件を聞いて西は直ぐに表情を曇らせた。ふふん、僕はサチコと違ってそこまで優しくないのだ。
「じゃあ、携帯のアドレスとか、SNSとか、連絡用に教えといてよ」
「僕はそれ持ってないの。話があるなら、合いに来てくれないといけないよ」
彼女は渋々の同意を示しつつ、連絡先を聞いてきたものの、僕の返事で一層不機嫌になった。悪いとは思うけど、最初より元気になってるから、よしとしておこう。
そんなこんなで、僕に新しい知り合いが出来た。彼女はそれからずっと、不機嫌なままだったけど、お昼過ぎには調べ物を切り上げて、帰ることになった。
「じゃ、また明日ね」
「ん。またね。さよなら」
荷物も何も無く、着の身着のままだった西に、僕は片手を上げて別れの挨拶をした。
すると、彼女は少し行ったところで立ち止まると、こちらを振り返って言った。
「ありがとね」
そう言って、返事も待たず足早に去って行った。
彼女の開けた図書館のドアからは、強めの風が吹き込んでくる。その風からは、石の乾きと木々の青さが混ざった、いい匂いがした。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




