・たのしい学園祭
・たのしい学園祭
「そういやサチコのクラスって何やってるの」
「人形劇。時間が腐るから見ないほうがいいぞ」
「よくの自分のクラスをそんなふうに言えるわね」
自分のクラスだからこそ気兼ねなく悪く言えるのではあるまいか。
ああ、俺人生で初めて、廊下を邪魔な横並びで歩いてる。三人で廊下の半分を埋め、他人の往来を妨げている。これは気分がいい。
「いいじゃん見に行こうよ。恥も苦行も最初に終わらせといたほうが楽だよ」
「そうよねぇ、底辺高の底辺クラスの出し物なんか、最初に片付けないと後が辛いものね」
「お前らだって人のクラスをけちょんけちょんに言ってるじゃない」
今日び言わないよ『けちょんけちょん』って。
どういう意味なんだろう。
「それも付き合い、これも付き合いよ」
「俺は止めたからな」
「まあまあ、キノコの件を抜きにしたら、普通の学祭なんだ、楽しまなきゃ損だよ」
それはそうなんだけど。いや言うまい。
「OBの顔も何時学校に来るのかも分からない以上、そのときまで私たちは、今日を楽しんだらいいのよ。私ら以外に誰も手伝ってくれないなら、私ら以外に被害が出たって、気に病むことじゃないわ。共同体ってそういうものでしょ」
南は髪をかき上げて当然のように言い放った。日頃から備えている者だけが、助かればいい。
こいつのエリート思考は後に続かないが、もっともではあるのだ。もっともではあるが、それでは困るということも、あるかも知れない。
「後進をしておかないと、足を引っ張られるぞ」
「私の人生の時間くらいは、住み良い場所に移り続けたらいいわ」
ああ、こいつはこういう奴だった。
といっても俺だって、他の人間を世のため人のため自分のために導こうなんて、考えないが。
「そんな政治談議みたいな話し方をしてないでさあ、ほら、サチコのクラス着いたよ」
「ええ、本当に見てくんですか。元気が無くなっても知りませんよ」
教室の壁には『野球人形劇』と書かれた看板が。
中に入るとスタンダードな掘っ立て小屋と、その前に並ぶ観客用の椅子。開園時間から間も無いのでまだ始まったばかりだ。
「ねえ、野球って九人でやるのよね」
南が小声で話しかけてくる。小屋の内側から伸びる腕は三本。三分の一である。
人形は簡単な編みぐるみだ。球団はドラゴンやライオンじゃないほうの、青と白のユニフォーム。うちは小田原なのに。
ていうか青と白のユニフォーム多く無い?
「もっと言うと敵チームがいるはずだね」
先輩も小声で話しかけてくる。
人形はバッター、ピッチャー、審判の三体だけだ。キャッチャーはいない。拝啓のスタジアムには人型に切り抜かれたシールがびっしりと貼られ、まるで呪物のよう。
「狭くて出しきれないし、居ても意味がないからな、内容は九回の表なら三者凡退、裏ならサヨナラということになっている」
ちなみに人形だけは、何故かチーム分作らされた。実に一クラス分以上の人形を作ることになった。練習をしたときになって小屋に入りきれない、チームを出しきれない、一試合が長すぎる。恥ずかしいなどの問題がボロボロと出て、こういう形にまとまった。
色々と言いたいこともあるが、こうしてやってみて修正とか調整に追われて、分かることもあるだろう。いい勉強になったと思うことにしておこう。
『ストライク、バッターアウト! ○○これで三者三振の完封!』
素人声の勢いもそんなにない掛け声が、二十分くらい続く。客席には保護者の方や、うちみたいに付き合いで来てあげた、他のクラスの生徒の姿。
たぶん昼を過ぎたら誰も来ないだろう。
俺は隣に座った二人をちらりと見る。二人とも秒で脳細胞が壊死したような顔をしている。
しきりに手をポケットに入れてごそごそしている。携帯電話を触りたくて仕方が無いといった様子だ。
「南、先輩、これ向こうからはこっち見えないから、途中で席立ってもいんだぞ」
「や、それは」
「かわいそうだし」
君らは本当に馬鹿だな。その中途半端な良心のせいで楽には死ねないぞ。
『サヨナラー! ××渾身のサヨナラー!』
シーンが変わると今度は別人の叫び声が響く。テレビでこの球団の、サヨナラの勝利シーンを、録音したものだ。
なんでも今シーズンのサヨナラ勝利は、二回しかなかったそうなので、九回裏はその二回を繰り返し流すことになる。
だったら表もそうしろと思うが、仮に表も録音となると、いよいよ生徒の出番がなくなってしまう。
司会進行のナレーション以外、喋る人がいなくなってしまう。
ちなみに人形を操るのは皆男子でそれぞれ当番制。長時間拘束される訳じゃないんだから、別にいいだろうと思うんだがなあ。
「なあこれ楽しいか」
「自分のクラスの出し物でしょ、自信持ってよ」
「そうよあんたが楽しいって言ってあげなくちゃ」
南と先輩の顔色が悪い。俺もそうだが別に野球とかサッカーとかオリンピックとか、どうでもいい類の人間からすると、他人が競技に参加している姿など興味ないし、それでテレビの見たい番組が潰れることは、すこぶる不愉快なのである。
この状況は自分が見たくもない番組を義理で見ている状況に近い。
「ほら頑張れあと15分くらいだから」
「まだそんなにあるの」
先輩がうわ言のように呟く。そんな嫌なら席を立てばいいものを。あとはもう日数が進むだけだぞ。
作った人形も増えないし、これなら割り箸に厚紙貼り付けただけの、簡素な物でよかったんじゃないか。
――でさ、三組行ったら、なんかもめてんの。
――え、なんで。
お、他の女生徒がおしゃべりをし始めた。一般的には上演中は私語を慎むものだが、今はノイズを中和する別のノイズだ。もう少し大きな声で話してくれ。
――なんか、三組うどん屋やってるらしんだけど。
――うどん屋? 変じゃない。なんでうどんなの。
――えーしらないけど、そのうどんやで具、買ってなかったらしいよ。
――うわ最悪。買い物する奴袋叩きじゃん。
――だからー、朝揉めてて、急いで買出し行くって話になってた。
買い物のし忘れや発注ミスって何処にでもあるな。
「これ終わったら料理部行くか」
「そうね、そういう確認って大事よね」
「あーうん、そうだね」
いかん先輩だけダメージが深刻だ。白昼の教室で、こんな訳分からん人形劇なんか見せられたから、脳が溶けたのかも知れない。
タダでさえ教室は異質な空気を増幅する構造をしているんだ。駄目なものをもっと駄目な感じに演出するのに、教室以上に適切な場所はない。
みかんがぬくぬくと腐っていくような場所では生き物は暮らして行かれないのである。
『○○優勝です! 実に二十×年ぶりの優勝!』
「あ、ほら終わったぞ」
「え、でもまだ上演時間が五分くらいあるけど」
「あとは監督のインタビューと、ビールかけで人形がわちゃわちゃして、生徒が出てきて挨拶して終わり。あ、お前ら映画館でエンディング終わるまで座ってるタイプか」
「え、全然」
「ほら先輩も、終わったことにして行きましょう」
先輩の肩を揺すると、彼女はこちらと人形劇を交互に見た後、何をか言わんとした、したのだが口にすることなく頷いた。
「あーうん、終わったんだもんね。うん、いこっか」
想像以上に疲労が色濃い。目から不健康を摂取したばかりに、こんなことになってしまって、好奇心とか冷やかしとか、俺への付き合いとか内心色々あったんだろうな。
それを振り切れないばかりに、こんなことになってしまって。
「温かいものを食べに行きましょうよ。きっと元気が出るわよ、ね、そうしましょう」
南が背中を擦りながら先輩を励ます。
こいつは優しい所もあるんだよな。
俺たちはそっと席を立って廊下に脱出した。ほんの少し前と変わらぬ喧騒と、人の波が行き交っている。
まだ十一時にもなっていないのに、俺たちは二時間くらい拘束されていたような、疲れを感じていた。
「ほら先輩、空元気でいいから出して、ちょっと長めにトイレ行ってたくらいに思えばいいんですよ。こんなの。ね、ほんとなんか悪かったから」
別に俺が謝る要素は一つも無い。
「……すう、ふうー。うん」
先輩は自分の顔をよく揉み解すと、深呼吸をしてから背筋を伸ばした。
彼女はたった今、自分の精神を修復したのだろう。
「あー、つまんなかった! 次行こ! 次!」
「そうですね」
「そうしましょ!」
俺たちは気持ちを切り替えて歩き出す。
学園祭の出しものは基本的につまらない。
そんな当たり前のことを今更思い出しながら、もう忘れないよう心に誓って、足を動かす。
「私ちゃんと面白そうなとこにはチェック付けてきたのよ」
当然うちのクラスにチェックは付いていない。
「でかしたみなみん、早速行って見よう」
ポジティブになるために何より必要なのは、躓きから一早く立ち上がることだ。
それを教えてくれた俺のクラスよありがとう、今日はもう二度とここには来るまい。
そう固く心に誓って、俺はクラスを後にした。
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文章と行間を修正しました。




