・それでも勝ちは勝ち
今回長めです。
・それでも勝ちは勝ち
※このお話はミトラス視点でお送りします。
僕はミトラス。サチコの修学旅行中は猫になって、家を守っていた魔物だ。でも今は遠く離れた街に来ている。
何故かといえば、急にサチコの気配が消えたから。もっと言うと、近くにいた人々の気配も。
何事かと思い家を飛び出して来たけれど、事態は僕の想像も付かない有様となっていた。
「あれは……サチコか!」
予めコピーしておいた彼女の『修学旅行のしおり』に従い移動していると、街中の魚臭さがどんどん濃くなっていく。そして霧に包まれている一角から、新たに漂う血生臭さ。
霧はドーム状になっていて、彼女たちが寝泊りしているはずの小学校と、その周りを包み隠していた。
何らかの魔法でも使われているのか、中に入ると元の地点に戻ってきてしまう。間違いなく何かが起きている。
そう確信してもう一度、飛び込もうとした矢先のことだった。巨人の頭頂部がこう、ずぼっと霧の天辺からはみ出したんだ。
高さにして十メートル以上。
距離から目算して、五月に計ったときよりも、少しだけ高さが増しているんじゃないだろうか。育ってるなあ。着実に前より育ってる。
「って感心してる場合じゃないな」
僕は気を取り直して、霧をぶち抜いた。こんな洒落臭いものに遅れをとる我々異世界人ではない。
そして中に突入した直後に見たものは、案の定巨大化してすっぽんぽんになったサチコと、頭が魚で体が人間の魔物。この世界産だろうか。
グラウンド上には結構な量の血が飛び散っていて、魚人間の死骸と思しきものが転がっている。相手はサメの頭をしている。サハギンの亜種だろうか。
随分大きい。今のサチコの半分はあるし、見た限りでは今のサチコじゃ、ターンが回って来ないくらいの力はある。
「なるほど、だから巨大化したんだね」
となるとさっきから後ろでかかっている、大音量のダサい音楽にも、何か意味はあったんだろう。校庭には僕が教えた毒の煙と火の粉が取っ散らかってるし、必死に抵抗したんだろう。
その証拠にサチコの頭からは血が出てるし、長かった髪も失われている。
僕は巨人になったときの、サチコの長い黒髪が好きだった。一度これ以上に大きくなったときの、彼女といったらそれはもう素敵だった。
神々しくて、山ほどもある艶やかな黒髪から香る、サチコの匂い。大きい彼女、集めた語彙を念等に置いてそれらを一度片付けて、好きの一言で済ませるくらい好きだった。
そのサチコが今、戦っている。
僕の助け無しで、一人で戦っているんだ。
「ん、なんだ」
学校の屋上に小さな明かりの点が灯る。それはこちらに向けられていて、どうやら僕のことを見つけたみたいなんだけど、あれは。
「桜子さんか、あ!」
「わ!」
僕は彼女の目の前までワープした。僕くらいともなると、宙に浮いたり自動車より早く走ったり、見えてる相手の眼前に瞬間移動するくらいは、容易いことである。
「どうして君が加勢してないんだ!」
「一応したことはしたんです。でも一緒に戦ってくれとは、言われなかったし」
「君はそれでもサチコの友だちなのか!」
「私ってサチコさんの友だちのかなあ」
こ、こいつ。この期に及んでなんて言い種だ。
少なくとも殺傷力に優れた魔法ばっかり覚えているらしい彼女が、校舎内や空中から援護してあげれば、話はもっと楽な方向に進んでいたはずだ。
「それにここで戦って、顔を覚えられでもして、あいつらに目を付けられるのも嫌だし」
「君はサチコよりも強いじゃないか。なんだってそう弱虫なんだ!」
人間の強者の何が嫌って非常に身勝手な所だ。強さの割りに、全く精神が追いついていないことが多い。勇気が無いとか、傲慢だとか、何かに長じると事ある毎に幼稚さが顔を出してくる。
「そんなふうに言わないでください。私だってこれでも異世界転生する予定の人を保護してるんですから、この音楽だってサチコさんの指示です。何もしてない訳じゃありません、警察に電話だってしました」
「じゃあどうしてそれを先に言わないんだ。それは君の中で先に来なかったからだろう。及び腰のくせに、一人善がりだから君はエッチがへたくそなんだ」
「うっ!」
全く関係のない個人攻撃をして僕は溜飲を下げた。振り回された挙句に関係を持ったにも関わらず途中で放り出された身としては、どうしても許せないものがある。
桜子さんとの件については自分の不甲斐無さ、情けなさは勿論ある。逆恨みでもある。でもちょっかいを出されて波風を立てたのも、僕に過ちを犯させた原因もこの人だ。
僕も一人の雄である以上、一時の過ちに快楽が伴っていたなら、まんまと流されてしまえた。
しかしはっきり言って『アレは何だったんだろう』という以外になかった。正直に言えば最早慣れるまでゆっくり回数をこなしていこうかという気にさえならない。
簡潔な表現を心掛けるなら桜子さんとはもうしたくない。
それに異世界転生する人物を匿って、音楽をかけた後はどうだ。何度でも手を出す機会は、あったんじゃないのか。
止そう、今はサチコが大事だし、僕が付きまとっていれば良かったことだ。
「うおおおぉおーー!!」
「ぐうううぅうーー!!」
サチコが振り下ろした拳を、サメ人間が頭上に掲げた両腕で受ける。交差した腕と両足と尾が校庭に沈み込む。
すかさず蹴り飛ばそうとして、繰り出されたサチコの足に、サメ人間が大きな口を開けて噛み付いた。
満身の力を込めているようだけど、歯形が付くのみで皮膚を貫くことができないようだ。
「サチコ、頑張れ!」
「おおーー!」
サチコは唸り声を上げてサメを殴り付ける。食い付いている牙が拳の威力を利用して、肌を浅く裂いた。鮮血が迸りさらに血の臭いが濃くなる。
サチコは僕の声が、聞こえているのかいないのか、微妙な精神状態にあるらしい。
「魔王さんは加勢しないんですか」
「僕はサチコの保護者でもある。僕が出たら全てが終わってしまう。彼女や君みたいなひよっこが一生懸命戦って、どうにか勝利を得られるかもという経験を、奪うことは出来る限り避けたいんだ」
「さいですか、それはどうも」
僕では経験値にならないが成長途中のサチコたちにとっては貴重な体験だ。戦うということは取りも直さず暴力を振るうこと、暴力に暴力で返すということ。
暴力を振るう経験無くして、暴力に立ち向かうことはできない。サチコは格闘技とかやってないから暴力慣れするには、どうしたって実戦頼りになる。
彼女が他人から、日常的に悪意を向けられていたという背景は、いざそういう相手に向けて、やり返すという時に、躊躇わせないという点で大いに役に立っている。
人間の悪意はサチコに、恐怖と孤独への強い耐性を与えた。だからこそ、彼女は戦えない人間ではない。
「ツゥエ!」
創られた傷口にここぞとばかりに、サメ人間が噛み付く。先程と異なり牙が食い込む。まずい!
「ぐっあああっ!」
「サチコ! 引き派がして持ち上げるんだ!」
「こん、のおおーオォー!」
サチコが両手で鷲掴みにしようとすると、サメ人間は全身をぶるぶると振るわせる。掴みかかったサチコの手が見る間に出血する。
「あのサメ肌で皮膚を削り取ってるのか、でも」
サチコは力尽くで圧迫してサメの振るえを止めた。破裂するのではないかという、嫌な膨れ方をしたサメ人間を、顔の高さまで持ち上げる。
「叩き付ける気か。いや違う! 耳を塞いで!」
「え」
「ええい!」
逆さまに持たれたサメ人間の後頭部は、サチコの口の前。巨人が大きく息を吸い込む。
空気だけじゃない。この空間にある霧と闇まで吸い込まれて行く。
「すーっ……ヴォオオォオーーーーー!!」
「う、うわああああああ!」
校舎から流れる音楽をかき消すほどの大音声!
音の圧力で肌がビリビリする。とてもうるさい!
窓ガラスが割れるんじゃないかってくらいの大声!
「ふーっふーっ」
「さ、サチコ。あとは、あとはそいつを、遠くに捨ててくるんだ!」
「うー」
サチコは頷くと、自分の髪の毛のまだ長い部分を、幾らか引っこ抜いてサメ人間に結び、片方の端を両手で持って、校門の辺りまで歩いて行く。
それから自分の体ごと振り回し始めた。サメ人間は気を失っている。仮に意識があったとしても、これで間違いなく気絶するんじゃないかな。
縮尺や遠近が妙な感じになってくるのが巨人の戦いの難点だ。
「うー、うー、うー、うー、オオォォオオーー!」
全身をぐるんぐるんと横回転させながら相手を振り回すサチコ。
やがて遠心力によって、安定して宙に浮かんだサメ人間は、巨人の咆哮と共に天高く投げ捨てられ、夜に溶けた漆黒の水平線へと消えて行った。
この瞬間こそ、サチコの勝利の瞬間だった。
「やった、サチコが勝った! サチコ、君は勝ったんだよ、サチコ! 本当に凄い、君もここまでできるようになったなんて、僕は嬉しい……サチコ?」
見ればサチコは蹲り、縮んで行く最中だった。時間経過でしか解けないと思っていたのに、自分から無意識にそうしているのか。
「サチコ!」
慌てて校舎を飛び降りて彼女を迎えに行く。足元で待っていると、十分もしないうちにサチコは人間大に戻った。彼女はボロボロだった。
「本当によく、頑張ったね」
気を失っているサチコの横顔は、とても安らかとは言えなかった。いつまでも心配事が消えない、疲れたような顔。
少しして霧が晴れると、校舎のほうから人々のざわつく音が聞こえ始めた。今騒ぎを起こされるとサチコが困るな。
「霧よ、帳となり給え」
僕は霧を乗っ取って再展開した。校舎が再び静かになる。これでもうしばらくは、時間を稼げるはずだ。
それから彼女の身なりを整えて、傷口の最低限の手当をしてから部屋、というか教室へと戻した。
桜子さんはいつの間にか、姿を眩ませていた。
「ねえサチコ。僕は君の戦うところを見ていたけど、帰ったらちゃんと、自慢してよね」
部屋を出る前に頭を撫でる。サチコの表情が、少しだけ柔らかくなったような気がした。
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文章と行間を修正しました。




