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出戻りサチコのやり過ごし  作者: 泉とも
天狗の仕業編
241/518

・千年前物語とその後

今回だいぶ長いです。

・千年前物語とその後



 五時になっちゃった。入り口から見える外の森は夕暮れの赤から早夜色に。


「では本編ですが、エピソードゼロから百数十年後が舞台となります」


「ありがちだなあ」


 時代経過はシリーズもののお約束。現実からしてこれだもんな。そりゃハリウッドでも似たような展開になるよ。


「ていうか鈴鹿御前はどうなったんですか。赤ん坊生まれたばかりでしょう」


「御前はしばらくの間は村に留まりましたが、次第にいられなくなって、村を出ることになりましてな」


「何故」


 食事の後片付けも済んで、トイレ休憩を挟み、火路の電源も落とした今、庵に響くのは外からやって来る木々のざわめきと、俺たちの声だけだ。


 天狗の爺さんが話好きなのと俺の好奇心のせいで、作業は完全に中断となってしまった。


 今度は棒状に伸びた妖刀が、暇をしているように見える。ごめんな。お前が意思を持っていて喋れたら、文句を直接聞けたんだけど。


「子どもがすくすくと育ち過ぎたのです。三年胎の中にいたかと思えば、生まれて三つにもならぬうち、十ほどの背丈になって行ったのです。怪しまれない道理は無く、天女であると言っても人々は信じませぬ。妖怪だと言ったほうがまだマシだったでしょう」


「この辺は民族性だなあ。天国より地獄を信じるのが日本人だし」


 苦しみのバリエーションは次々浮かぶのに、逆は全く想像できない人々である。


 ミトラス風に表現するなら、愛情と幸福に欠ける地域性。救いようが無いともいう。


「御前は最後の息子を連れてあちこちを転々としましたが、悲しいかな、息子は将軍に顔が似てきました。御前はそれに耐えられなくなり、あるとき通りがかった寺に彼を置いて逃げたのです。ご子息も自分があまりにも周りと異なることを分かっていて、母の不幸の原因は自分にあると、彼女を責めることなく、知って沙汰を受け入れました。その時から百年以上が流れていきました」


「ウルカさんはどうしてたんですか」


「私はこの国にいる間に築き上げた、妖怪間の伝手を頼り、ご子息の様子を、見てもらうよう頼みました。私は私で、引き続き御前の後を追いました。他にすることがなかったからです」


 この人自由だな。現代ならストーカーだが、時代と状況を考えれば面倒見が良いと言えなくも無い。個人的な保護観察、いや保護は出来てないのか。


「御前は当時地理的にも日本の中心に位置する、京の周辺を巡り、やや離れた森に居を構え、隠棲することにしました。一人になったので、もう羽衣で天に帰れるはずでしたが、彼女はそうしませんでした。その心中は最早名誉などでは、到底推し量れないものになっていましたね」


 それはそうだろうな。人間だったら疲れ果てたり、燃え尽きたりするだろうし、心中に発展していても、おかしくなかったはずだ。


「そうして御前は信太の森に落ち着くと、一匹の狐を使い魔にして、かつて他の賊軍から騙し取った剣たちと暮らすようになって、後は静かに時を重ねていったのです」


「え、剣と暮らすって人に変身とかできるんですか。山賊の持ち物ですよね」


「当時京の周りにいる賊軍の大将は、ほとんどが仏敵の鬼神が化けたものでした。山賊討伐というよりは、宗教戦争が本質だったのです。アジアの神仏の勢力争いですな。当時は彼らが直々に出張る事も、珍しくなかったんですよ。剣も精と称して、剣以外の姿になるのは、かなりポピュラーでした」


 当時の営業活動の記録が伝承なのか。軍神とかドサ回りの代表みたいなもの、だったのかも知れない。


「しかしそうなると、元々は他人の剣なのによく一緒にいましたね」


「その辺は当人たちも戦でのことだから、と弁えていたようです。将軍の元を離れる際、御前はそれらを一度ご家族にお渡しになったのですが、何分当人たちが亡くなって、大分時間が経っていましたからね。他の子孫に託すことも無かったようで一振り、また一振りと帰ってきて、剣たちも世俗の荒波に揉まれ、幾らか丸くなっていました」


 剣が丸くなる。刃が落ちたのか刀身が歪んだのか。声に出すとユーモラスだけど、今は真面目な話をしているからな。黙っておこう。


「やがて時代は平氏から源氏の御世へと移り変わっていき、使い魔の狐も百歳を迎えて、妖怪として一人前になって一人立ちしました」


「ああ、ていうことはもしかしてそれが」

「サチコ殿もご存知、信太の葛の葉狐でございます」


 何となく関わってくるだろうと思っていたら、まさかの出自だったよ。あの人神様の使いだったんだな。


 異世界だと魔法の教習所やったり、お酒を買いに来たりで、ひょうきんな女性って印象があったけど。


「でも独立させて良かったんですか」


「御前は葛の葉を、行く行くは式神とするつもりだったようでして、そのために稲荷の系譜に加わらせて、格を上げたかったようです。だから森から出す必要があったんですな」


 意外にキャリア設定がしっかりしている。管理職が後任を育成する過程のようだ。


「ですが世の中は、思うようには行かないものです。葛の葉も飼い主に似て、波乱の恋路を辿りましてな。人間の男と結婚し、息子が生まれた後、正体がバレて出戻ってきたのです。破局を迎えたものの、子どもはちゃんと育ったようですが」


 そういえばシノさんが以前に、息子は有名人だって言ってたな。旦那のことも悪くは言ってなかったし。


 その辺は鈴鹿御前に、似なかったってことなんだろうな。


「葛の葉は亭主にはもう会いませなんだが、息子とはたまに連絡を取り合っていたらしく、孫が生まれると聞いたときはね、それはもうはしゃいでいましたよ。京に上って一目見ると言い出し、亭主のお墓参りにも行って、出かけるときは事ある毎に、御前たちも一緒にと誘った。思えばあの頃の葛の葉は、我らのかすがいでしたな」


 ウルカ爺さんが話せるっていうことは、まだこの人はそこにいたってことだもんな。御付きというか半同棲というか。


 百年単位で同じ人に付きまとって様子を見たり、世話を焼いたり。ここまでくると、ある意味大したものだな。


 そしてシノさんがいい子過ぎる。これでは妖怪というより聖人のようだ。


「御前も、かつての親族もいなくなり、顔も知らぬ子孫が生まれては、消えていく京の無常さに、少しずつ心の傷は塞がっていきました。癒えるというよりは、乾いていくような形でしたが」


 何もかもが失われていく中に、心の傷とか感情も、混ざって行ったってことだろうか。精神病患者の寛解みたいだな。


 疲れ果てて自分の病気っていう設定に、徐々に付き合い切れなくなって、段々と白を切るようになっていくアレ。


「ですが、やはり人生のツケというものは、必ず来るものですな。この国が千年目を目前に控えたある日、京に帝のお触れがあったのです。国中の若者や姫が、次々に姿を消す怪事件が起きている。此は鬼の仕業に違いない、と」


「千年の手前、京の鬼っていうと」


 人生のツケというものと、ここまでに取り残されている一人の消息を踏まえると、答えは恐らく。


「大江の山に鬼が住む。後世に酒呑童子の名で持て囃されるお方です」


「それが御前の最後の息子さん……」


 ウルカ爺さんは重々しく頷く。


「彼は寺前で捨てられ、坊主に拾われましたが、この下界、苦痛の種には困りませぬ。仲間の天狗は彼に術と技と知恵を授けましたが、彼はその素性と生い立ち故に何処へも行けず、ただ畜生働きを繰り返しては、諸国を転々とする日々を、送り続けていたそうです」


「ずっと放置だったのか」


「親譲りと言いますか、我々の居所を伝えてはいましたが、終ぞ訪ねては来ませんでした」


 俺も今更両親の居所を伝えられても、見に行ったりしないもんな。これは分からんでも無い。


「選りにも選って葛の葉の息子が、御前の息子を見つけ出すという始末。方やもうじき天寿を全うせんとする老齢、方や在りし日の将軍の生き写しの如き青年でした。いや、将軍よりもやや美丈夫でしたな。このことを伝え聞き、捨てた我が子の生存を知った御前は、色を失いました」


「けど百年ほったらかしにしたんでしょ。理由はどうあれ、もう出る幕なんか」


「左様。しかし現にこれから大軍を嗾けられて、死ぬ未来が、彼には着実に迫っておりました。それに万が一彼が生き延びたら、葛の葉の一族にも目を付けられないとも限らない。老いた身故、はらいせの役は務まりませぬ。それに、何故今になって京まで来たのか、それも気がかりでした。私は仲間の天狗の紹介で彼に会い、真意を問い質しました」


 爺さんは奥へ引っ込むと、しばらくしてお茶を持ってきた。


 気が付けば俺たちの吐く息は、白くなっていた。


 寒い、まだ九月だというのに、ここの空気は随分と冷え込む。


「彼は私を覚えていました。百年以上会っていなかった私を。彼は言いました。どうやら自分には父親と、兄弟姉妹がいたらしいのだが、見たことが無い。その顔を見たいような、見たくないような気持ちで、京の周りに巣食っていたが、とうとう皆いなくなるまで、近づけなかったと。行ってももう誰もいないだろうと思う度に、足は向いたが反面虚しいばかり。今となっては、誰も身内がいないことを確かめるために、京を目指しているのだと」


「人攫いの件は」

「勝手に集まった手下共が、勝手にしたことだと」


 出されたお茶の湯気で顔を湿らせてから、俺は湯のみに口を付けた。ほうじ茶だった。


「どうにも生きる場が無いのなら、せめてそれをはっきりさせてから、どうにかして死のうと思っているとも言われ、私は御前がまだこの地にいて、彼女は天界に帰れるだの、私の国に帰れば、君も何とかなるだのと言いましたよ。私が当事者意識を持つのは、百年遅かった」


 ウルカ爺さんはお茶を一息に煽って、黙り込んでしまった。外から冷たい風が吹いてくる。


「彼は、御前の心残りになっていることが、嬉しくもあり、腹立たしくもあったようです。とても聡明な方でした。今の自分と同じ事を、同じ空の下で母もしていたのかと。自分の言いたい事が、自分にも御前にも言える。それがおかしく憎らしいと。彼は天上の者ではないが人間とも言えず、であるならばせめて、地上の者として消えれば、母はこの地にいる理由を失くすだろう。顔を見たいとは思わぬと」


「お前の墓があるんじゃねえの」


「ずっと喪に服すことなどできませぬ、そういうものです」


 分かるような気はするが。


「彼なりの強がりと、気遣いと、恨みと、そんなようなものが、彼を破滅へと衝き動かしていました。私には最早それを止められず、御前に彼のことを伝えるのみでした」


「それで、御前はなんて」


「お互い共に生きようという考えはなく、それならばいっそ、と」


 そうだよな。家族に戻る気は、起こせないよな。


「しかしてご子息とて天界の血を引く者、なまじの刀では傷はつけられませぬ。御前は三振りの剣に頭を垂れると、刀たちは暇乞いをして、終に自ら一振りの刀となったのです」


「それがあれ」


「左様。既に山には兵が近付き、功名欲しさの神仏共があちこちに潜んでいました。我々は急ぎ山を登り、私と葛の葉は辺りの者を牽制して回り、御前は帝の差し向けた軍に紛れ、一つになった神剣と、大将の刀を摩り替えました。そして」


『後はお話の中にあるように、彼は首を刎ねられました』と老いた天狗は結んだ。


 その後、年老いた天狗は刀を取り戻し、シノさんが保管することになったと告げた。


 森にいたあの落ち武者は、山で運悪く討ち死にした侍を呪い、番をさせたものなのだそうだ。時代が進み霊験が人々の間から失われれば、盗まれることもないだろう、ということらしい。


 奇しくもあの刀で首を落としたのは、倒し方として合っていたようだ。流石に千年の歳月は、刀を手酷く傷めたが、こうして蘇る日を迎えたというのだから、感慨深い。


「御前はその後どうしたんですか」


「憑き物が落ちたかのような、それでいて箍が外れたような、狂える余力も既に無かったように思います。住処に帰るなり、後生大事に保管していた羽衣を取り出すと、一言も口を利かぬまま身に纏い、天へ帰ったのです」


「そっか」


「思えば、私があの方を力尽くで攫っていれば、また話は違っていたんでしょうね。私にあと少しの勇気がなかったから。むざむざあの親子を、夫婦を……」


 俺はお茶を一口飲んでから、残りを爺さんに差し出した。爺さんは手刀を切ると、それを飲み干した。


「御前はどんな人だったんだい」


「見た目はね、あなたの顔を美人にしたら、それでもう完成ですよ」


「そ、そうか」


「垢抜けなくて、笑顔が可愛く、少し頭が悪くって、でも情に篤かった」


「その後どうしたんだろうな」

「分かりませんが、今どうしているかは分かります」


 そうか。まあお互い死んで無いのなら、どこかでまた会うこともあったんだろう。


「私はその後色々あってここに落ち着き、葛の葉も稲荷の道へ進みました。だが私たちは、この刀のことを忘れていた。忘れていたくて、思い出したくなくて。此奴にしてみれば酷い仕打ちでしたな。揃いも揃って同じ事を繰り返して」


「余計なことをしましたかね」


「いや、あなたのおかげで、私たちはあの日の先に来ているのだなと、あの日がもう、とっくに終わっているんだなと、ようやく気付けたような気がします」


 ウルカ爺さんはそう言うと、お茶を片付けた。もう一度火炉の電源を入れると、薪を焼べ始めた。庵の中に熱気が入り、冷気を外へと追い出して行く。

 

 俺たちはそれきりほとんど話さなくなった。あの刀は俺ではなく、この人たちの物語の登場人物だったんだな。


「そういや結局息子さんの名前は何だったんですか」

 

 爺さんはぼんやりと天を仰ぐと、これで終わりだというように、ぽつりと呟いた。

 

「貴童丸。彼は最後まで、鬼の一文字だと思っていたようですが」

 

 もしかしたら俺は、この妖刀の後日談に、巻き込まれたのかも知れないな。

誤字脱字を修正しました。

文章と行間を修正しました。

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