・傷付く資格
・傷付く資格
気を遣っているつもりの自己満足に、遅まきながら気が付いた。そんな状態から少し時間が経って、俺はウルカ爺さんに連れられて、庵のような場所に来た。
純和風のお屋敷から一旦外に出て、そこから歩くこと数分。
屋敷を一歩出れば周りは鬱蒼とした森だった。日の光が差し込んでいるのが、不思議なくらい木と草しか見えない。向こう側が見えない。何より生き物の出す音が聞こえない。
砂利道だけが伸びていて、その先にある小さな建物がここだ。
「なんかすんません。人ん家で」
「御気になさらず。男女の仲のことは、全ての世界、全ての宇宙が果つるまで、終わりを見ぬことです故。神仏でさえも、男女のことは一筋縄ではいきません。死にます。故に仲睦まじい男女はそうでない神仏たちよりも、男として、或いは女として格上と見做され、篤い加護を賜るのです」
存在として格上だけど、人として格下になるのか。紀元前からこの世にある『それはそれ、これはこれ』の形だった訳だな。
「うちは駄目っぽいかな」
「弱気はいけません。摩擦衝突挫折の類は際限の無いものです。大事なのはお互いの気持ちです。まだ求め合っているかどうかです。その上で諦めたり、諦めなかったりの按配が、重要なのです」
「折り合いを付けろと」
「それもありますが、やり直そうとか立ち直ろうと思うなら、傷心を大事になさらないことです。早いうちに経験と割り切ってしまうことが肝要ですぞ。私も人間を渡り歩き、僧侶として多くの男女が痴情の縺れから破滅していくのを見ましたが、皆己の恥から目を背けることに血道を上げては、終わりを向かえます。寄りを戻せるのは、結局は相手と自分の醜い、至らない部分やそれが齎す現実に向き合い、己に責任を持つこと、つまりは恥を知る者同士だけです。分かれる理由は時代を追うごとに、次々と増えて行きましたが、戻って来れる人々は未だこの場合のみです」
ウルカ爺さんは熱弁を振るった。
まるで自分のことみたいに。
「なんです急にお説教なんかして」
「妖怪ですが僧侶なもので。迷える子羊を宥め諭すのも使命の内です」
ウルカ爺さんはそう言って、庵の中には入ろうとしなかった。俺がもう少し落ち着いたらって、思ってるのかも知れない。
「私、後ろ向いてますから、ちょっとくらい泣いても構いませんよ」
「大丈夫です。これで泣くのは違いますよ。良くないことです」
「というと」
「確かに悲しかったけど、俺はミトラスに気の毒なことをしたんだなって、それが悲しいんです。でもそれはつまり、自分が相手を傷付けたことが、悲しいってことなんです」
「それが罪悪感というものでしょう。罪の重さに打ちひしがれることは、ままあります」
罪、罪か。違いない。
「そうかな。でもそれで泣くってどういう意味です。悲しいから泣くって言っても、今の俺はそれができる立場じゃありません。相手から酷い目に遭わされて泣くとか、大切な誰かに不幸があって泣くのは分かる。でもこれで泣いたら俺は、加害者のくせに自分が可哀想だから泣くことになってしまう。そんな気がするんです」
自分を卑下し切っていれば、自分を差し置いて被害者を可哀想だ、申し訳ないと、泣くことはできるかも知れない。
だなそれは自分のしたことの責任を『どうせこんな自分なんて』という、前提の中に入れて、目を背けることに、なりはしないか。
「泣きたい気持ちもちょっとは有りますけど、自分が悪いくせに自分が、可哀想だから泣くっていうのは、そんな筋合い無いですよ。俺は嫌です」
心のどこかで、相手を束縛しなければ、相手を傷つけないで済むと、勘違いしていたのかも知れない。
「左様ですか……厳しいですな……」
ウルカ爺さんは大きく息を吸って、静かに吐いた。そして赤ら顔をにこりと笑わせると、特に何も言わずに背を向けて歩き出し、庵の入り口と思わしき、紫の暖簾を潜った。
塀のない小屋が、ぽつんと一つ建っているだけ。
後を追って入ると中は、逆に現代そのものだった。
外から見ると藁葺き屋根に漆喰の壁という、前時代的な装いなのに、屋内はコンクリートの床と壁。
天井にはどこから電気を引っ張っているのか、よく分からない電灯が煌々と輝いている。
そして工作に使われるであろう大きな台、高温そうな炉、様々な工具と機械、奥へと続く道と、ちらほら見える別室。明らかに外で見たよりも広い。
「ええ、あれ、ちょっと待ってください」
外に出て、小屋の外観を確かめてから中へ。やはり工場の作業場のような、広々とした空間が。
「外から見て分からないようにするのは、妖怪と犯罪者の常識ですよ」
「ああ、そう……」
これも神隠しの応用なんだろうか。
確かに純和風のお屋敷の外に、工場とかガレージみたいなのがあったら、景観を損ねるだろうし。
「ここで件の刀を打ち直します」
「え、ここで。工場っぽいんですけど」
「今は便利な機械が、山ほどありますからね、手仕事よりも安心ですよ」
「あの、霊験とかその、刀ですよね。えっとちょっと想像と違うような」
「念なら私が込めますし、素材もちゃんとしてます。刀そのものの製造工程には、神聖な様式は不要です。人間が勝手にありがたがっているだけです。よくある話ですよ」
ぐうの音も出ないな。確かに刀自体はただの製鉄品の一つに過ぎないし、ありがたいのは刀匠だし、今時はテレビで合金刀なんかも作られちゃってるし、刀自体はそうか、普通に機械で作っちゃっていいんだな。念は込めるけど。
「ああそうですね、よろしくお願いします」
「はい、よろしくお願いします」
RPG的に表現すると『機械製作の合金刀』が最強な訳か。ソーディアンだって結局は、古代の科学の結晶だしな。
それ以前に製鉄がと言われればそれまでだが。
ああ、こういう形式ばったものに、霊験とか不思議なパワーを求めるのを自覚すると、イメージに毒されてたんだなって分かる。
これを言い出すと、世の中の権力者とか金持ちが、こぞって銃とか車に、何かご利益や加護を、求めるんだろうな。ていうか昔から求めて来てたな。
「まあ実際の打ち方や段取りといった方法は、動画や書籍を当たってもらうとして」
「あのでも、機械で流派による鍛造の方法とか、再現できるんでしょうか」
正直な不安をぶつけてみたところ、天狗はその長い鼻を鳴らして、一笑に付した。
「流派とか、あんな前時代のオレ流なんて、流行りませんよサチコ殿。集合知にもできずに、てんでんバラバラに散って絶えていったものの技など、相手になりませぬ。というよりもですな、絶えるより先に何とか基本的なことを集め、まとめたからこそ現代の機械でも刀が作れるのです。残された技術と知識で十分過ぎるのです。当代の文明で過去のものを再現できないのならそれは紛れもなく物資が枯渇しているか、文明が後退しているということなのです。人間には無限の可能性があるとは言いますが、一つを選んで残りの無限は捨て去られるのが現実です。見方に拠っては無限の可能性を捨てて行くのが人間の摂理と言えますので、それも当然と言えば当然のことなのですがな」
ちょっとイラっとくる高慢ちきな言い方が、この人が天狗なんだなって思い出させる。遅れてる奴を遠慮なく笑う所というか。
強ち間違ったことは言っていないのだが。
天狗になるってのはこういうことなんだな。しかしこの物言いが、不思議と懐かしい。
「時間は掛かりますが、つまりはそれだけです。では始めましょう」
ウルカ爺さんはその辺の作業台に、無造作に置いてあった鉄の塊、英語で言うとインゴットを引っ掴む。
それを様子を確認するかのように、手の中で転がしてみせる。綺麗に整形してあるものではなくて、泥を積み重ねたような、ごつごつ具合。
「おおそうだ忘れる所でした。サチコ殿。何か隠し味は持っていませんかな」
「そんないきなりゲームみたいなことを言われても困るんだけど、ていうかもしかしなくてもそれ妖刀なんですか」
爺さんは頷いた。哀れ妖刀はこの数日で原初の姿へと戻されてしまったようだ。
ある程度は原料を追加されたであろう鉄塊は、今や小包みほどの大きさである。
「これをまた叩いて伸ばして、整形します。隠し味はまあ、特典になりそうなものですかね」
「例えば」
「その髪とか、落ち武者の遺骨とかですな。魔的な力が籠められていれば何でも」
「ああじゃあ、これとかどうだろう」
俺はポケットに入れておいた『鈴』を取り出すと、そのまま爺さんに手渡した。爺さんはそれを『ためつすがめつ』していたが、一つ頷くと懐にしまった。
「上物ですな。これはどこで」
「作業の合間にでも話すよ」
「それもそうですな」
夏に拾ったその鈴は、何処にも置き場が無いから、何となく持ち歩き続けていたものだった。
使い道なんてものが有るとしたら、たぶんここしかないだろう。
「ええ、では午前十一時十五分。妖刀の打ち直し作業開始」
ウルカ爺さんは壁に掛けられている時計を見ると、作業の開始を宣言した。
まだ十一時か。
ミトラスは今頃どうしているんだろうか。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




