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出戻りサチコのやり過ごし  作者: 泉とも
天狗の仕業編
235/518

・相互理解の過不足

・相互理解の過不足



 月末である。俺たちはしばらくの間、刀に血を吸わせては電車に乗るという工程を繰り返した。


 妖刀は血を吸うと、限界というか容量が増すのか、再び魂を吸うようになったのだ。


 俺たちはオカルト部部長の要求から、目を逸らすために作業に集中した。


 果たして妖刀はもうこれ以上血も魂も吸わない状態になり、刀身はいよいよ名刀の拵えかという代物へと変化していた。


 刃の長さが一メートルに達し、全体で一メートル半を越えている。


 それでいて刀身は分厚くなり、峰は黒々と鉄の存在を主張している。刀の腹を奔る波紋は落ち着き、銀色の雲のように浮かんでいる。


 刃に至ってはそれそのものが、光を発しているかのようだ。たぶん本当に発している。


 俺が手掛けた美観を損なう日曜大工の鞘と柄を以てしても、気にならないほどの重厚無骨の美しさ。


 時代の男たちが、これを男らしさのアイドルとして願を掛けたくなるのも、頷ける出来栄えだった。


 しかしながらその見た目の通り、再生を果たした妖刀は超糞重たい。


 以前の痩せた状態でも十分重かったが、今はもう両腕でしっかり持たないと辛い。それ程に重量が増している。何より硬い。


 ミトラスに軽く振ってもらった所、軽く切っ先の三十センチ先まで風が吹き、そして俺の投げた石を意にも介さず切り割った。


 一番使い慣れており、大分洗練された俺の魔法『石』は、何気にプラスチックのヘルメットを殴り壊しても、傷一つ付かないくらいには強くなっていたんだけど、甲高い音と共に切り飛ばされた瞬間『これは不味いな』って思った。


 大河ものの小説で、名刀ともなると石が切れるとか何人切っても、刃が歪んだりしないってのがあるが、これは正にそうなっていた。


 単純にミトラスが強いだけではとも思ったが、当人から『とてもよく切れます』と、お墨付きを頂いてしまった。


「完璧な仕上がりです。いや、この短時間でよくぞここまで。ゆうに千人は下らない血魂を貪りましたな。ううむ。これはいったいどうやったので」


 などど『進捗どうですか』とやって来た天狗のウルカ爺さんも、これには大満足。俺たちのやった方法を教えると何度も頷いた後、感慨深そうに。


「なるほど左様で。時代がそれを忘れ去ったことで、忘れられた者にとっては、却って都合の良い世の中になった。よくあることですが、ふふ、治世のほうが乱世より遥かに多く人が死ぬ。分かり切っていたことですが、面白い皮肉ですな」


 などと宣った。


「これならばもう、打ち直しに取り掛かれますな」


 ウルカ爺さんは刀を手に取ると、用意が出来たら呼びに来ると言い残し去って行った。わざわざ刀を打ち直す日に、呼ばなくてもいいんだけど。ともかくある程度の日程が決まってしまった。


 ここで困ったのが残された俺とミトラスであった。


 最早棚上げも、やり過ごしもできないので、オカルト部部長の件について、話し合わざるを得ない状態になった。


 そんな状況に置かれて、まんじりともせずにいる俺たち。今は週末金曜日の夜、明日の土曜日は祝日だから実質休みを一日損してる。


 だがそんなことはどうでもいい。

 これからどうしようか。どう考えているのか。

 それを決めないといけない。


「あのなミトラス」

「あ、うん」


 お互いテーブルを挟んで向かい合う。でも目はおろか顔も合わせない。言葉が無くなったのかってくらい言い様が無くて、声に出すのが難しいほどに重い。


「その、そろそろ答えを聞こうと、思うんだけど」

「あ、うん」


 ちらりとミトラスを見れば、手を膝の辺りでぎゅっと握って俯いている。猫耳も垂れて見るからに元気がない。俺のほうが座高が高いから後頭部まで見える。


「どうする」

「それは」


 沈黙。他の女がお前をご所望で、そのことについてお前はどうする。


 答えないのは、きっと俺のことを考えてくれているからなんだろうって、ちょっとは期待してる。


 それくらいしたって嫌がらないのは、今日まで一緒にいて、何となく分かったことだから。


 そうか。俺のことを考えてくれているなら、その俺がどう考えているかを、言わないといけなかった。


 でないと決められないもんな。


「なあミトラス」

「なに」


 ミトラスの体がぎゅっと縮こまる。俺は天井の明かりを少しの間見つめてから、一度だけ深呼吸をする。


「俺はさ、お前のことが好きだけど、俺よりもいい相手がいるだろうってことは、常々思ってるんだ。それこそ、どこをどう取っても」


 ミトラスが何かを怖れるように顔を上げる。

 今日初めて目が合った。


「俺はお前が他の女と一緒になるのを、嫌とは思ってない。蓮乗寺だって嫌いって訳じゃないし、俺から気持ちが離れていっても、それを拒んだりしない」


「止めて」


「無理があるって、お前に見合わないってことも知ってる。今までずっと幸せだったし、何時それが終わってもいいって思ってる。何がお前のためになるかは、内心ではいつも自分の引き際を考えて、けどそれが中々言い出せなかった」


「止めて!」


 ミトラスが顔をくしゃくしゃにして、静かに涙を零し始める。ミトラス。


「どうして、どうしてそんなことばかり言うんだ」


 震える声で、裏切りを責められる。

 金色の瞳が、苦しげに歪む。


「たった一言、嫌だって言ってくれたらいいじゃん。他の人に取られたくないって、ずっと一緒にいて欲しいって、そう言って欲しいのに!」


 テーブルに爪を突き立てて、ミトラスは悔しさから嗚咽を漏らした。罪を感じる。今、俺はまた誤った。そういうことではなかったんだ。


「自信がなくたっていい。本当に付いてこれなくてもいい。僕のことを真剣に想ってくれてるのだって知ってる! でもだったら、諦める用意なんかしないで。誰かに僕を、あげちゃってもいいなんて、そんなふうに思わないで……!」


 ――『そんなつもりは』


 喉まで出かかった声を、殺して飲み込む。俺にその気がなかろうと、ミトラスの言うことは正にそのものだったから。


 彼の気持ちに満足して、尻込みして。


 俺は彼を、俺と一緒に居続けさせることを、良くないことだと思った。


「サチウスの言うとおり、いつか、いつか僕が、君みたいに、他の誰かを好きになるかも知れない。だけど、そのときは、僕から言うよ。言うから、君のほうから、言い出さないで……」


 でもそれは、ミトラスからしたら、そんなことじゃなかったんだ。俺といることは。


 そんなつまらないことなんかじゃ。


「ずるいな……」

「だって、僕ずっと、サチウスと一緒がいい……!」


 感情が爆発したミトラスが、しゃくりあげながら、何とか俺の顔を見ようとする。


 泣き止むのを待った。


 彼は涙を拭いて、鼻をかむと、泣き腫らした顔を俺に向ける。怒っている。悲しんでいる。薄汚い俺の『良かれ』が、この子の気持ちを蔑ろにしたんだ。


「ごめん」


 ミトラスは何も言わず、また俯いてしまった。


 どうしてだろうなあ。初めの頃は、ずっと一緒にいられて、それが嬉しくて、それだけでいいって、思っていたのに。


「俺は満足してるんだ。ミトラス、それだけなんだ」

「サチウスは、もう僕と一緒にいたくないの」


「一緒にいたいし、いてくれると嬉しい。安心する。でもそれでいいのかなって」


「いいに決まってる。じゃあなに、僕が誰かに取られちゃってもいいんだ」


 言葉を返せない。俺はどうして、ミトラスが離れてもいいって考えたんだろう。寂しくなるに決まってるけど、寂しいのは慣れてたし。


「俺はお前が好きだよ。でもな……。とにかく一度、蓮乗寺と過ごしてみてよ。たぶんそれで、俺もお前もはっきりすることが、あるはずだから」


 俺はいつか、お前にとって嫌な奴になって、そのときまでお前を束縛したりしないか。


 それが気がかりで。馬鹿だな。ちゃんと考えれば、こうして言葉になるんじゃないか。


 何がはっきりするだ。たった今、口に出したらそうなったじゃないか。下手にやり過ごそうとして。


 ミトラス、俺は。


「俺はたぶん、お前の自由にして欲しいって、思ってるんだと思う。」


 そこまで言って、俺は溜息を吐いた。なんだか歳を取ったような気がする。疲れた。とても疲れた。


 でも、大事なことは言えた気がする。


「僕は」


「僕は、君が思うような、不自由はしてない」


 ミトラスはそう言って席を立った。小さい背中が、随分と遠くに見える。


 彼は自分の部屋の前で立ち止まると、一度だけこちら振り返った。


「僕、あの人と会うよ。おやすみ、サチウス」


 それだけを告げて、部屋へと引き上げた。


 俺はしばらくの間、後悔と罪悪感、自責の念に駆られたが、それらはまるで、底の抜けた穴に注がれるかのように、響いては来なかった。


 それどころか変な開放感さえ覚えて、俺は力の入らない足で自室へと帰った。部屋の明かりは点けずに、ベッドへと倒れ込む。


 ――五年か。数えてみたら、随分と長く。


 ミトラス……。

誤字脱字を修正しました。

文章と行間を修正しました。

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