・しかしオネショタだったら
今回とても長いです。
休憩を挟みつつお読みください。
・しかしオネショタだったら
翌日。米神高等学校の放課後、漫研部室。
珍しく部員が勢揃いし、室内は大変狭苦しくなっている。俺はと言えば書記として駆り出され、議事録を録らされている。
夏休み明けの久しぶりの依頼というものが、よもや漫研の集会の補佐になるとは、思いもしなかった。
部室最前列の教壇には、漫研部長が不健康な顔色を晒して立っている。
黒板の左上には『今日のお題』という文字と『寝取り』という文字が書かれている。
俺は心を無にして、借りたノートパソコンのメモ帳を開くと、耳に入って来た言葉をそのまま淡々と打ち込む。
「寝取りというものは強姦モノの派生形である。強姦モノの歴史は古く、有名所では奈良の性的破戒僧こと道鏡が、なんやかんやしたエピソードがある。一方で現代では東京都知事の執筆した小説を、ロシアの大統領が好きだと言ったことで、物議を醸したことが挙げられる」
学校では濡れ場は描かないが、それ以外は描くのがこいつらだ。入りと締めは描くってことだな。
熱心に語る漫研部長の痩せた顔は、まるで石膏のように白く、反対に目はクマで真っ黒だ。パンダが寄生系の攻撃を受けたら、こんな感じだろうな。
「強姦モノでは読者の充足を得る為に、被害者の女性が性的快感を得るという展開がある。これは一方的でより純粋な強姦だと、その後の展開も陰鬱、殺伐としたものにしかなれないため、全体で見るとエロではなくバイオレンスモノになってしまうのを、避けるためである。殺人での片付けなんかあろうものなら、だいたいの読者はそこまで付いていけない!」
チョークを握った手で黒板をだん、だんと力強く叩く漫研部長。
「それでも気にしない層はいるがそんなものを数えてはいけない! 現にウケが悪いから、さっきも言った通り被害者の性的快楽による消極的な肯定という要素が加わったのである。泥沼の背徳でも本人が良さそうなら、という読者の引け目を、いいかここ大事だぞ!キャラの良心とかではなく、読者の引け目を緩和するという狙いでコレはあるの! だって考えても見て。誰が得するのこの展開! エロ目的なら作中別にそれ自体は要らないよ! 強姦してるほうは別になくてもいいんだから! かといって被害者女性の為でもない上に、嗜虐心の満足を中心にするならそもそもエロを描いてやるなよで済んでしまう!」
頷く者あり、首を傾げる者あり。正直うるさいって思う。窓に鴉でも突っ込んでこねえかな。
「読者が安心して読める似非加害エロ! これが寝取りへ、そして次へと繋がっていくんだけど、その前にもう一つ重要なジャンルがある」
漫研部長はそう言って黒板に四角い箱を二つ書き、その中の一つに『強姦』と書き、もう一つの箱には『痴漢』と入れた。
「今じゃ痴漢は犯罪だけど」
昔から犯罪です。
「昔はセクハラだった」
日本ではな。日本でも犯罪だけど。
「この強姦ほど急でも過激でもなく、その後も絶命に至り難いという痴漢の構成は、安全な背徳感を生み出すことに大いに貢献した。それでいて嫌がらせのような脅迫、追い込みの仕掛けはマンネリ化するほど継続性に優れていた。そしてここが大事なんだけど、強姦と同じように被害者女性の快楽堕ちがある。大まかな括りで言えば背徳系のジャンルは、これがあって成り立っているとも言えるので、当然と言えば当然だけど強姦とは意味合いが異なる。こっちの快楽堕ちは盛り上げるためにある。なんでってそれは動きが地味だからだよ。そのままだと強姦と路線がだだ被りしてしまうし、しかも痴漢は読者が最初からある程度安心している! となると山場が必要で、然るにこの快楽堕ちというオチが要求されるんだね」
なんだか腹が減ってきたなあ。
これ中断して購買行っちゃだめかなあ。
「背徳というのはこういうので性的な快感を得てはいけないという、道徳に反してそれを得てしまうというのが根幹にある。だから快楽堕ちは無くてはならないけど、各小ジャンルによって意味合いは異なる。そしてこの二つの要素を組み合わせたものが」
漫研部長が黒板を裏拳で軽く叩く。その上には忌まわしいお題の文字が。
「『寝取り』という訳なんだ」
漫研部長はチョークで箱と箱を線で繋ぎ、その線の真ん中から右にまた線を伸ばす。三つ目の箱を付けて中には『寝取り』が入った。
「寝取りは痴漢と強姦のハイブリッド。開発ツリーに並ぶべくして並んだもの。ここに来て寝取りは新たなストーリー性を獲得。襲う側が味気ない主人公だったけど、ここで価値が逆転する。狙われたウケが主人公となる。一般カプで言う彼女が主人公。元彼でもなくやって来るほうでもなく」
漫研部長が黒板に「嬲」の文字を書き、女の部分を大きく丸で囲む。
「寝取りの最大の特徴は言うまでも無く彼女、もしくは彼氏が奪われること、離れていくことだけど、必ず前段階に兆候がある。魔が差す心の隙間がある」
黒板に点が数列並びトピックが書かれていく。
今日は選ぶ仕事を間違えたな。
「それは大まかに分けて二つ。無知シチュかセックスレス!」
部員の何名かの頬とか耳が赤くなる。
「無知シチュは性的な経験が乏しい状態で強姦、痴漢のプロセスから、性的快感を得たことでドはまりしていくパターン。一方セックスレスは性的な営みに飢えていて、最初から性欲を持て余しているパターン」
机に置かれた参考資料(見つかると大変)を手に取りパラパラと捲る。
なるほど確かに追い込みを掛けられて、なし崩し的に回数をこなすうちに、泥沼に陥るか、或いは初めから支障を来たしていた性生活が、回復する場合が多いように見える。
「寝取りのストーリーは主に前半と後半で、ウケの異なる二種類の濡れ場を描くための流れである。そして更なる安心感を読者に与えるための仕組みでもある。それは被害者が状況に抗えず流されることで、流された本人に非がある、性的倒錯によって被害者らしさが薄まることで、気兼ねが無くなるというものである」
さ、最低の発想だ。犯罪に加担させれば同情されないだろうみたいな考え方してやがる。
まあ現に日本人って相手が完全な被害者じゃないと嬉々として叩くしな。
「で、ここからの結末には大きく分けて、各二種類の計四パターンを紹介する」
黒板の別のスペースに大枠を取り、そこに『寝取り』と入れてそこからまた二つの箱。中に『無知』と『レス』の文字。二つの箱から二本ずつ線が伸びてトピックへ。
「先ず無知シチュ型の末路だけど」
結末じゃなかったのかよ。
「王道としてウケが寝取られて元の相棒と離れ性的なことにどっぷり浸かって……というものと、そういうこともあったけど、と元鞘になる場合。後者は難易度が非常に高い。端的に言えば寝取り失敗エンドという訳だ。社会的にも道徳的にも失敗したほうがいいことは忘れてはだめだぞ」
そうか、これ間男とか間女が失敗してる訳だから、そこそこ救いがあるように見えるのか。
「寝取りにかかったほうの、事故や報復による退場、あるいはそこまで大事にする気は無いと、ウケを手放す場合などに、事情がウケの相手に知られていない。気持ちが離れている訳ではないなどの、条件が揃っている場合に成立する可能性がある。ここはまだ確立されていない分野だから、私も断言はできない」
そうなると単純にウケが性的なことに目覚めるだけだな。
「ではレス型はどうか。基本的に据え膳を相方が拒むという所から話は始まる。レス型の特徴は夜のことを除けば二人の関係は概ね良好ということである。そしてそれ故に燃えない夜に悶々として、寝取り役に漬け込まれるというのが常道」
どうでもいいけどこいつ身内に対してだけハキハキ喋るな。喋りながら単語が整っていく。
「営みだけ抜群という寝取り役により急速にリフレッシュしていくウケ。私はこれを寝取リフレと呼んでいます」
どうでもいい。
「この寝取リフレですっきりするどころか、更に延焼するのがレス型の特徴で、相方の物足りなさ、つれなさが却って割り切りを自分に促してしまう。あくまでも営みがいいだけだから、と。まあ本人がこれだけと思っても、それだけで終わるかというと、そんな訳はないんだけど、ともあれレス型は無知に比べてウケの相棒への思いが強く描かれることが多いよ。で、末路なんだけど」
もう末路で固定なのか。文句は無いが。
「先ず前述と同じく寝取られて快楽堕ちするエンディングなので割愛。愛も割れるね。ほんと」
「うるさいよ。上手い事言ったつもりか」
「ごほん。で次が、これも元鞘パターンなんだけど、無知と違ってやや特殊。元の鞘に納まる形なんだけど寝取り役が、何らかのサービスみたいにウケが使ってみたという一時的なものだったり、或いは生活はそのままで関係を継続したり、二重生活っていうか、まあリフレッシュの手段を手に入れただけに終わるというものだね」
寝取り役という穴か竿を手に入れただけだな。結果論で言えば相方を好きなまま、不満の残る性生活は、寝取り役を使って事なきを得る訳だ。
貞操のことを言えば、悪いには違いないが、欲求と生活とを鑑みれば、一人勝ちしているとも言える。
「これが読者の安心感を更にぐぐっと獲得する。何せ冒頭で好き合っているカップルなのに、相手が営みを拒否している。ウケが寝取られても『お前が相手しなかったせいだろ』という、大義名分が付いて回るし、ウケが関係を継続したとしても、最初に相方には期待が出来ないことはもう分かってるんだ。現実問題としてウケの欲求不満は解決してるし、秘密が増えたりウケが快楽堕ちをしたりしても、結論から言えば誰も傷付いてないということには違いないとなり、肯定以上に否定がし難い状態に落ち着くんだね。勿論、寝取り役が肉体関係以上のものを望まず、余計な行動を起こさないという条件付きではあるけど」
こいつって月一でこんなことをこんな長尺で喋ってるんだな。こいつ自身がもう、立派なネタだと思うんだが。
「そもそも論だけど、お互いが円満な性生活を送っていれば、その相性が良ければ付け入られる隙が無く、魔が差す理由も無い。このジャンルが発生しないの。だからレス型の寝取りは欲求不満のチン負けの一言で済んでしまう。言い替えるなら、相手のを自分好みの<ピー!>にできるのなら成立しなくなってしまうんだね。或いはハーレムのように、相手も寝取り役も両方欲しいって展開もあるだろうけど、そうなるとまたジャンル変わっちゃうから、ここでは扱わない」
第一にもっと回数こなしてお互いに手を着け合っていれば寝取り役の出番ないしな。
「これらの変遷から分かることは、ハードなエロは軟化していき、時代はソフトな背徳を求めている。取り返しのつく過ちを楽しみたいと思っているということである。後ろ暗いことに安心感を望んでいるんだ」
最低だな。
正直ここに職員が踏み込んで来れないかって思うんだけど、そうなると俺も巻き添えを食うことになってしまう。世の中上手く行かないね。
「では今日最後の講義として、もう一歩突っ込んでみよう。寝取りの次、ここまではウケが主人公となり快楽を受け入れることで、被害者として存在感を薄め、読者の罪悪感を薄めるという流れだけど、この安心感とは何かを考えたとき、寝取りから更なるジャンルが派生した」
黒板に書かれた寝取りの箱から線が伸びて以下略。新しい箱の中には『寝取らせ』の文字が。
「背徳のエロにおける安心感、それは無責任! でも現実の無責任は誰だって、胸が悪くなるようなことばかり。ではその無責任を無責任と感じさせず、読者に受け入れされるにはどうすればいいか。それは互いが合意の上で、別の誰かと関係を持つということ!」
言ってる意味が分からん。
「性癖で、他人としている所を見たい、見られたい。そういう変態性欲、性癖。これが背徳成分。次にお互い合意しているから、それこそ彼ら自身に用意された寝取り役までも、合意しているから『大丈夫』という幻覚。何も大丈夫じゃない! 無責任なことを誰がどれほど合意したって、無責任は無責任です! でも当人たちはそれでいいと思ってるし合意の上で事に及んでいるという安心感。性癖って言えば何でも許されるような乱暴な使い方、私は好きじゃありません。しかもその性癖の盾を使って、日の光を遮り浮上してきたジャンルがある。それがハード路線の軟化を促したという事情があるんだけど、それは来月の集会で、また取り上げるものとします」
そこまで言って漫研部長は、黒板の右下に『次回:猟奇的自慰』と書くと、分厚い眼鏡をくいっと持ち上げた。
「ここまでで何か質問ありますか」
「はい」
「む、書記のサチコさん、なんでしょうか」
俺は漫研部長の喋った内容を書き留めてから、手を上げた。折角だからこの変態集団に、ちょっと知恵を貸してもらおう。
「寝取らせは現在『彼氏が彼女を別の男に』というのが主流ですが、逆に『彼女が彼氏を別の女に』という路線を、見たことがありません。この場合どのような違いや問題があるとお考えですか」
浮気を公認し、積極的に促すような行為だと、俺は思うんだが。
「それは、下手をすると寝取らせとかそんな次元じゃなくて、遠回しに別れましょうという、兆候なのではないでしょうか。別の女性は手打ちか、あるいは引き継ぎ先とでも言いましょうか」
「あ、そっかあ」
そしてこの日の集会は解散となった。眩しかった夕日は沈み、紫色の空はもうじき黒くなるだろう。
言われて見ればそうだよなあ。
知恵を借りるも何も、それが寝取らせとして成立するシチュエーションが何だよ。
どっちにしろ別れる可能性があることは変わらないけど、女のほうが男を渡したら、その文脈は性癖よりも破局が優先されるだろう。
知恵を借りるどころか真っ当に駄目だった。これはいよいよもって俺たち自身で、どうにかしないといけないってことなのかも知れない。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




