・The convenient times 後編
今回長いです。
・The convenient times 後編
※このお話はミトラス視点でお送りします。
朝の空気が冷たくなり始めた今日この頃、外では雀の鳴き声がしている。サチコが言うにはもうじき絶滅するらしい。無常だ。
そんな平和の中にも、荒廃の気配が街に漂う。
僕はサチコと二人で、お風呂を前に立っていた。
ちなみに服は着たまま。
ああ、どうしたものか。本当にどうしたものか。
「なあミトラス、言って置いてなんだけど、本当にできるのか、ていうかやるのか」
「え、ああうん。そうだね」
しまった。上の空で生返事をしてしまった。
何をどこまでやったんだっけ。
そうだ、この辺の学校の女子トイレに忍び込んで、血液だけ家の湯船に貯まるようにと、魔法をかけたんだっけ。人を襲わずに血が手に入るなんて、便利な時代にあったなあ。
市内の学校に通う数百人という、若い女性の生理を利用すれば、大量に血を一気に獲得できるし、誰も殺さずに済むという、サチコの発想を聞いて実行に移したんだ。
古典派吸血鬼さながらの方法を、言い出した彼女の教養に感心したのはいいけれど、今は他のことが頭に引っかかって、素直に喜べないし褒められない。
「まあ、一人一人刀目掛けて、股からぶっかけさせる訳にもいかないしな」
「うん、昔の吸血鬼も下の穴から出るのに、どうしてわざわざ首に穴開けるんだって言ってたよ。どっちのほうがいやらしさを感じるかという点で、物別れに終わったらしいけど」
「ああ、合理的じゃないなとは確かに思う、思うが」
「体を傷付けないし、流れで営みに繋げられるしで、最初は首に噛み付く派は劣勢だったんだけど、噛み付かれた相手が眷属と化すようになってから、形勢逆転してね、子どもを生ませずとも吸血鬼を増やせるって利点から、今みたいに首に噛み付くのが、主流になったんだ」
「数の暴力と利便性が、文化を破壊したといえばまだ聞こえはいいが、実際の動きを見て見ると何とも複雑な気持ちだな」
「お高く止まってる個体が多いけど、中身はくだらないよ。性癖に優劣はないのに付加価値で論じるようになって、最後は合理主義に逃げた。自分たちから言い出した、自分たちの性癖の話からね」
複雑というなら、今の僕の気持ちのほうがよっぽど複雑。基本的に否定する要素はないのに、素直に喜べない事柄が、幾つも含まれている。
「取り合えず発動させてみようか」
「あんまり勢いとか量が凄かったら止めような」
サチコは学校への遅刻も厭わずにこの試みをその目で確かめようとしている。当事者意識があるのはいいことだ。
最近、全然気にしてなかったな。この子の成長を。
「では『混濁の汚泥よ、赤き水門を通り汝に流れた血潮を我に捧げよ』」
『召略! 水・血!』
お札に左右対称になるよう血文字で『血』を、その下に閖と書く。文字は意思を表す図形だ。
字が自分のイメージに合致するなら、これほど頼もしい形式はない。
ちなみに今使っているのは、魔法『召略』である。最初に指定したものから、次に指定したものを抜き取る魔法なんだ。いわゆるドレイン系だね。
当然ながら含まれていないものは奪えないし、人間相手なら、名前を知らないと効果は薄い。
安全面を考慮して、そういう調整をしているから、当然といえば当然だけど。
「もしかしてお札使うの気に入ったのか」
「触媒を用いると安定するし、君にも真似し易いからやってるんだよ」
見ても分からないくらい、パッとやってしまってもいいけど、いつもそれじゃ味気ない。
こういう一つ一つを見せていくことが大事なんだ。そう分かっていたのになあ。
「そっか、お、湯船の上に何やら天使の輪っかみたいな円が」
「これでここら一帯の女子トイレから、フレッシュな生血が注がれてくるはずなんだけど」
「まあ一斉にってことはないよな。自宅で出してくる奴もいつだろうし」
「今思ったんだけど、むしろそっちのほうが、多いんじゃないの」
「一人暮らしならまだしも大半が家族と同居してるんだぞ」
「それが」
「気にするから出来るなら、家の外でしてくる奴もいるんだよ」
サチコが言うには運動部に所属する女子は、朝練と称してコンビニや駅のトイレで、生理用品の交換まで済ませる人もいるらしい。
「それに時期だってバラバラだからな。血の染みたナプキンを流す奴だっている。多いか少ないかはともかく絶対効果はある」
そう言うけどうんともすんとも言わない。いや。
「あ、ほら、出てきた出てきた」
「水滴みたいに落ちてきたね」
空に浮かぶ白い輪から、うら若い女性たちの血液が滴り落ちる。たまにチョロチョロという感じで、すぐにまた点々と。湯船に臭い赤が貯まっていく。
「これで取り合えず今日の晩まで様子を見て、その後刀にかけてみよう」
「でも言っちゃなんだけど正直衛生的じゃないよ」
「帰りに消毒薬とゴム手袋買ってくるよ」
彼女はそういうと、踵を返してお風呂場から、出て行った。このペースなら、溢れることは無いだろうと踏んだのかな。遅刻になってしまったけど、学校には向うみたいだ。
「じゃあいってきます」
「うん。いってらっしゃい」
僕も玄関まで行って見送りをすると、彼女は自転車に跨って行ってしまった。
「はあ」
思わず溜息が出てしまう。僕はお風呂場に戻って、血の一滴一滴が落ちる様子をぼんやりと眺めた。どうするべきか。
時間が空いてしまったせいで、僕はあることを考えなくてはいけない。
僕は今、とある女性から求められている。サチコはそうだけど、今回はサチコじゃない。別の人だ。
これが人によっては、自分がモテているという自信に繋がるんだろうけど、僕の場合はそうもいかない。僕にはサチコがいるし、何より相手が良くない。
サチコの知り合い以上友達未満の子、魔物みたいな子が僕を欲しいと言っているんだ。
この子には度々お世話になっているし、お礼をしようというサチコの言葉ももっともだ。
ただ一つ困るのは、その要求が、僕自身だということで。
「ふう」
純粋に興味本位だろう。純粋と言っても好奇心だ。人類で最も邪悪で、狂気に満ちた感性と言える。
僕の生態から好き嫌い、魔法や知識、それこそ性的なものまで、全部求められるだろう。
一日で話せることや、教えられることには、限度がある。それを分かった上で、一日という条件を付けてきた。僕たちが断りにくく言う事を聞き易い条件を。
これがしばらくという曖昧な期間、あるいは全部という強欲を見せていたなら、僕らはきっぱりと断れただろう。
しかし実際に打診されたのは、一日好きにさせろというものだ。
僕たちに断る余地を残している。後々まで尾を引かせるつもりもない。後腐れなく一日こっきり。
心配はない。罠はない。
言外に一日で得られる、知り得る、できる限りのことをさせろ。これが全部。しかしだからこそ、僕とサチコは大いに悩んでいる。
一方が嫌だとか止めてと言えばそれで済む。それが言えない理由は僕たちの性格にある。
僕とサチコに共通する性格、それは。
『あんまり自分を信じてないけど、好きな人はとても信じる』というところだ!
しかもお互いにそれを自覚している!
僕はサチコを。サチコは僕を。
でもだからこそ辛い。
変な言い方だけど、僕もサチコも、自分の落ち度を知っている。その上で好き合っている。
相手がそんな自分を好きだから、きっと大丈夫だろうという部分がある。
自信の無い点を決して肯定的に捉え直すことなく、そう、自分では自分を肯定しないが、相手の肯定は、そのまますっぽりとはめ込んで良しとするんだ。
言わば外注するのだ。自信を。
そんな自信を与え合う、言わば共依存状態が裏目に出ている。
そういう後ろめたさから、お互いに浮気しても良いよという、歪な紳士協定を僕らは結んでいる。
僕だって彼女との暮らしで、前よりも性生活に興味が出て来たし、サチコが疲れてる日は、僕もしようだなんて言い出さない。ならどうして手近な誰かに手を出さないのか。
それは僕らが実際には他の異性に対して、性的なアピールが苦手であることも大きいけど、それ以上に重く圧し掛かる意識がある。それは。
『他の異性を経験したら、そっちのほうが良くなってしまうんじゃないか』というものである。
相手のほうが良くて自分から離れてしまうかも知れない。或いは他の人と契ったことで、相手に幻滅されるかも知れない。
こういう危機感が僕たちの中にはある。
勿論僕はそんなことでサチコに幻滅なんかしない。たまにそういうふうな状況で、乱れるサチコも見てみたいと思うこともある。
でもそれとサチコの心が離れていってしまうことは別の問題だ。それは嫌だ。寂しい。
こればかりは相談してみないといけないけど、相談したとして、現実問題に自分が心変わりしないと断言できるかという不安がある。
仮に相手が自分を嫌っていない状態で、そういう付き合いもいいかもと、思ってしまわないかと、サチコが一番いいと思っていられるかという、欲望への耐性や強度に不安がある。
現在の僕はサチコが一番好きだけど、これからのことは分からない。情けないとは思う。
またサチコの場合は相手と張り合う気が毛頭ない。仮に僕がオカルト部部長へ好感を持ってしまったら、彼女は『まあそうだろうな』と、受け入れてしまうだろう。
するとどうなるか。彼女の心に、彼女にとっての事実として『やはり自分は女性としていまいち』という影がへばりついてしまう。
するとどうなるか。僕を自由にしてやりたいという手離しが待っている。
冗談ではない! 冗談ではないけど……。
「どうすればいいんだろう……」
これを断っても、恐らく気を遣われたとサチコは思うだろう。この問題は既にオカルト部の部長へのお礼というものでは、済まなくなっているのである。
この状況での最善ってなんだ、考えろ。考えるんだミトラス。
オカルト部部長へのお礼を済ます。
サチコの女性としての自尊心を傷つけない。
この二つを両立させられるのか。できたとして僕は体を差し出すべきなのか。誰か教えてくれ。
ディー、先生、パンドラ、市長、バスキー、いやバスキーさんはいいな。バスキーさんだし。
とにかくこの身一つで何ができるか。それを考えてみるしかない。
でも、やっぱり不安になるんだ。サチウスが、たまに僕から離れたがるときがあるのを。
一人になりたいんじゃない。
僕が嫌な訳でもない。それなのに。
僕にはそれが分からない。あの人の、僕の為を想う気持ちが怖くなるときがある。
僕はもしものとき、あの人の優しさを、跳ね除けることができるだろうか。
あ、ちなみにお風呂の血だけどお昼過ぎには出なくなった。でも量は多くて途中から湯船から溢れそうになったので、刀を持って来て、刃先を浸してところ、水際の縁に残すことなく吸い込んで行った。
一応サチコにも見せるべく浴槽に血を残し、帰って来た彼女に再度その光景を見せたところ、非常に難しい顔をしていた。汚いという気持ちと、面白いという気持ちがせめぎ合っているようだった。
よく洗ってから水気を木綿のシャツで拭き取ると、刀身からは艶消しを塗ったような暗さが消え、鈍色は青みがかった銀色へと変じていた。
しかし今度は波紋が消えてしまっている。また魂を食べさせないといけないみたいだ。
僕たちは刀が血を一滴残らず吸い取った後、衛生面を考慮して更に除菌スプレーをシュッシュした。それでこの日は終わり。
特に他に話すこともなかった。
ああ、ぎこちない。いつもの僕たちはこんなのじゃないのに、何だか、元気が出ないな。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




