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出戻りサチコのやり過ごし  作者: 泉とも
天狗の仕業編
232/518

・The convenient times 前編

・The convenient times 前編

 

 

 都心は東の環状線こと山手線。

 今日もぐるぐる回っている。


 一周するのに結構な時間が掛かるが今日は祝日だ。シフトも入ってないし、時間を気にせずに乗っていられる。

 

 隣には人間形態に化けたミトラス。半袖半ズボン。サラサラの髪は黒く染まっており、俺の隣で手持ち無沙汰にしている。

 

 がたんごとんと揺れたり揺れなかったりする車内、俺は件の刀を持って、じっとしている。


 害獣の毛皮で作られた刀子の中には、鞘と鞘から抜かれた刀が入っている。

 

 どうしてこんなふうにしているかというと、刀に魂を吸わせるためである。


 いや、納刀していてもいいんじゃないかとは思うんだけど、違ってたら時間の無駄だし。

 

 それを言うんなら、刀子からも抜けよって話なんだけど、ものには限度ってあるからね。そういう理由で刀は袋の中では抜き放たれている。


 何だか内弁慶の表現みたいで嫌だなあ。

 

「これで本当に効果があるんだろうか」


「うーん、いっそ霊園にでも行くか、でなきゃ自殺の名所巡りでもするか」


 天狗はこの刀に血と魂を吸わせろと言った。


 とはいえ斬りかかれる妖怪なんて、それこそ某森くらいしかないし、辻斬りをする訳にもいかない。


「釣堀の魚を捌いたときはちょっと効果あったけど」

「お金かかっちゃうもんね」

 

 俺がマタギだったら鹿とか猪とかハクビシンとかネズミを切るという選択肢もあったんだけど、仮にそうだとしても、勝手に殺したらいけないし。

 

「一応ここも名所っちゃあ名所なんだよな」

 

 都内の線路は紛うことなき自殺の名所である。文明に追いつかない人間性が生み出した忌土地である。


 効率面で見れば、それはもう凄い勢いで人が死んでいるし殺されている。

 

 俺たちは今、血と無念が塗りたくられた悪意のレールの上にいるのだ。オカルトや怪談話はすっかり創作乙と言われる昨今だが、線路飛び込みの類だけは未だに現役で髙い信用を誇っている。

 

 それくらい死んでるんだから浮かばれない霊魂だっているだろうと、踏んで乗り込んでみたのだが、遠征が無駄になるようなら横浜辺りにでも遊びに行こう。


 帰りが遅くなっても、ミトラスがいるから帰りは一瞬だ。


「飛び込みの無い駅は一つも無いから、効果はあると思うんだけど」


「一番多い所は何処なの」


「そこまでは分からないけど、次の駅は結構多いぞ。何せ俺が中学に上がるまでこっち住んでた頃、三日に一人は飛び込んでたからな」


『やっぱり人間って邪悪だなあ』と、ミトラスは顔を顰めた。分かる。


「しかし効率を重視するなら、横浜線でこっちと往復したほうがいいかもしれん。何せ飛び込みと言えばという有名所が二、三箇所あるからな」


 効率的なレベリングをまさか現実で考える日が来ようとは。放置が楽なのはこっちだけど、実入りが良さそうなのは地方都市直通か。


 ――つぎはー新宿、新宿。


「降りるなよ。危ないから」

「そうなの」


「自殺の名所ってことは、街の人間が全員人殺しって言っても過言じゃないからな」


 よく迷うとかダンジョンとか言われる都市の大規模な駅は、それだけ治安が良くない。


 大都市ですと言わんばかりの町並み、オフィスビルや雑多なテナントが詰め込まれたそうじゃないビル、そして立ち止まることを拒む、地獄のような人込み。


 こんな場所を把握できる人間はそうはいない。駅員だって覚えきれないし案内を間違えるのだ。用も無いなら絶対降りない。幸いトイレもまだ遠い。


「あ、ねえ見て! ほら」

「ん、え!?」


 ミトラスが袖を引っ張って小声で言う。先ほどまで何とも無かった刀が、見れば眩しく発光している。


 デパートやホームセンターの家電コーナーの如く、明る過ぎる災害時用LED照明の如く輝いている。


 悪目立ちしてはいないかと思わず周囲を見回せば、誰も全く気付いている様子もない。俺たちにだけ輝いて見えているみたいだ。


「どうなってんだこれ」

「元気になってるんだ。周りの霊を吸ってるんだよ」


 刀の周囲で光が渦を巻き、少しずつ風が吹いてくるのが分かる。駅からの湿った空気ではない。澄み渡り冷たく乾いた、夏の森を通り過ぎていくような風。


「でもこれ犠牲者の霊を吸ってるんだよな」

「それはそうだけど……」


 人間に追い詰められて死に、晴れることのない無念を抱えた哀れな魂を、丁度いいからって理由で刀の餌にしてるんだな。


 俺って今とてつもなく酷いことをしてるんじゃなかろうか。


 でもまあいいか。


「どっちみち殺処分される犬猫だったり、赤の他人を祟るようになった悪霊だったりに、違いはないんだ。悪いことはしてないんだから気に病むこともないか」


「そうそう。これで切った相手が、吸われた人たちの仇ってこともあるかも知れないし、前向きに行こう。大事な人がいる訳でもないしさ」


「それもそうだな」


 良心の直径なんてものは自分の人間関係に留めておけばいいんだ。でないと際限が無くなってしまう。


 際限が無いってことは、いざってときに嫌いな奴まで庇わないと、いけなくなってしまうってことだ。


 そんな筋合い持ちたくない。


「しかしこれ、後どれくらい吸うんだろうな」

「光が納まるまでじゃないかな」


 それが満腹の合図ってことか。しかしそろそろ出発してしまうんだが、まあ元から一周はする予定だったしいいか。


 数年ぶりの都心だし、俺もゆっくりしたい。


「あんまり食うようなら路線を変えるか」

「今日は車窓の旅ってことだね」


 嬉しそうにするミトラスに、俺も釣られて笑ってしまう。電車から降りないなんて、つまらないと思うんだが、こいつはこいつで得るものがあるらしい。


 こういう所に知性の差を感じてしまうな。

 そうだ、今の内にあのことを話しておかなければ。


「なあミトラス」

「何サチコ」


 名前で呼ぶと十中八九名前で呼び返すの、人が多い所だと止めて欲しい。ちょっと恥ずかしい。そしてこれから話すことへの、罪悪感が募る。


「あのさ、この前、オカルト部の部長に世話になっただろ」

「うん」


「それでさ、今回の件もあの人の伝手を頼ったんだ」

「天狗さんを紹介してもらったね」


「だろ、でさあ、そのう、お礼をな、しなくちゃいけないと思ったんだよ」


「いい考えだね。君の心にも社会常識っていうものが芽生えてくれて、僕は嬉しい」


 ごめんな。そんな教育してる若手の成長に喜ぶ先輩みたいな、肩の荷が軽くなったぞみたいな笑顔を浮かべてくれてるのに、俺の取ってきた案件がこんなので本当にごめんな。


「あ、うん。それでな、お礼をしたいんだけど、何がいいって俺聞いてみたんだ」


「いいね。自分で選ぶよりはベターな選択だと思う」


 上司とか先生みたいな調子で頷きながら聞いてくれるのが心苦しい。


「それでな、その、向こうさんが言うにはな」


「うん、で? 何が欲しいとか、何をして欲しいとか聞いたんでしょ」

「うん」


 あのな。


 向こうが言うにはな。


 いちんち、かしてくれって。


 お前が欲しいって。


「ど、どうしよう」


 ――

 ――――

 ――――――

 

 がたんごとん。がたんごとん。

 

 都心は東の環状線こと山手線。

 今日もぐるぐる回っている。俺の頭も回っている。


 中には何も浮かんで来ないのに、必死に考えてるときの間隔で、真っ白の頭が空転を続けている。

 

 そろそろ三週目。トイレ休憩も挟んだけれど、変化がない。刀はとっくに満足したのか、二週目の真ん中辺りで光らなくなった。


 刀身には波紋が浮かび上がり、生気を取り戻したかのように冴え冴えとしている。

 

 一方俺たちはというと。


『…………』


 気まずい沈黙に支配され切っていた。


 ミトラスは笑顔のまま、表情が全く動かなくなってしまい、前を向いたまま一言も口を利いてくれない。俺も何も言えない。怒ってるんだろうか。


 分からない。でも良い気分はしないだろう。はっきりと断らずに、持ち帰ってきた俺が悪いんだろうか。


 でも正直こういうとき、どういう反応をするのが正解だったのか、本当に全然分からない。即座に嫌とか駄目とか、言ってくれれば俺も助かるんだけど。


 何故かミトラスはずっと黙ったままだった。


 結局この日は夕方近くになって、彼が『帰ろう』と一言だけ呟いて、俺もそうだねと返事をして、帰宅して終わった。


 それで『どうかな』なんて聞ける雰囲気ではない。刀に魂を吸わせるという課題は達成されたが、そんなことはどうでもいい。

 

 今は別の問題が、俺とミトラスの間に浮上しようとしている。どうしたものか。夕飯の際にも必要最小限の会話だけ。


 ちらりと見れば、ミトラスの顔には笑顔が張り付いたままだったが、決して俺と顔を合わせようとはしなかった。

 

 本当に、どうしたものか。

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