・ないしょのきろく
今回長いです。
・ないしょのきろく
※このお話はミトラス視点でお送りします。
僕はミトラス。今は猫である。結構快適な暮らしを省スペースで送ることが可能な、この姿が気に入っている。
僕は現在サチウスにくっついて旅行に来ている。
旅行と言っても酷いキワモノツアーで、皆を守るために、あれこれと気を回さなくちゃ、いけなくなってしまった。
この世界、というかこの国の幽霊って特殊だ。魔物として見た場合の力はそこそこだけど、影響力がとても強い。
凶悪な病原菌というか、高濃度の放射線というか、感染とか被ばくと言っていい速さで、生きている相手の精神をボロボロに蝕む。
これをやっつけるのは簡単なんだけど、見たり聞いたりした人間は大変なことになってしまう。
流石の僕でも見聞きしただけで、被害が及ぶ手合いから、複数の人間を本気出さないで守るのは難しい。
さっきの奴なんかモロにそれで、サチウスたちが思い付きで明かりを消してくれていたから、警告の時間が稼げたし、アレを見ないで済んだんだ。
明かりを付けたまま、もしも姿を見てしまっていたらと思うと、危ないところだった。
人間の幽霊って、人間に危害を加えることに特化し過ぎなんだよね。
「もう明かりを点けて良いぞ」
「なになに! 何が出たの!」
「分からん、分からなくて助かった」
サチウスは友人たちにそう言うと、自分のライトの明かりを、元行き止まりの奥へと向けた。狭く小さい階段が、一番先に見える。
通路の片側、四つ又とは反対側の壁にドアがある。骨の一本、或いは生きたまま塗り込められた被害者でもいるかと思ったけど、そんなこともなく。
「今そっち行くよ!」
この旅の発起人にして、元凶とも言える北さんが、慌てて戻ってくる。
小洒落た可愛らしい服装が汗と埃でべたべたになっているけど、気にしてないみたいだ。
「サチコ、あんた大丈夫なの」
「なんかヒリヒリする」
「わ、真っ赤じゃない! 痛くないの!」
接近時の影響か、肌が少し腫れあがっていたサチウスを、南さんと海さんが気遣って寄り添ってくれる。
いい人たちだ。正直この人たちが、嫌な人間だったら放っておいただろうな。助けて良かった。
「たぶん触ってねえから大丈夫だとは思う」
「鈴の音がしてたけど、他に何か特徴とかあった」
「汗ばんだ傷口みたいに臭かった」
彼女たちはしばらく喋るばかりで、その場を動こうとはしなかった。緊張と恐怖を和らげるのに、時間が必要なんだろうな。僕もちょっと緊張した。
実は恥ずかしながら、僕も幽霊、ゴーストのことにはそんなに詳しくない。
知識としては一応、無念を抱えた死人の魂が成仏できず、彷徨ったり負の感情から化けて出たりするのは知ってるんだけど、具体的にどういう目に遭い、どんな気持ちで死んでいくのかまでは、知らないんだ。
こういう所で人生、いや魔生経験の浅さが出てしまうなあ。でもこういう実地での体験を経て、一人前に近付いていくんだから、前向きに考えよう。
「何それ死臭ってこと」
「いや、婆ちゃんの死体とか野垂れ死にしてるホームレスのときとは違う」
「前者はともかくとして、後者の匂いなんて何で知ってんのよ……」
サチウスは口にしないけど、僕の世界でもごろつきたちが粛清された場所に、いたこともあるから、血と死体の匂いに関しては、結構経験値があると思う。
「さっきのが前の歴史の幽霊なのかな」
「ああ、この地下が日赤に貸し出されてたっていう」
海さんと北さんが言っているのは、歴史改変前のこの場所の怪談のことだ。
死にかけの人を霊安室に放り込んで殺したら、鈴の音がするようになったんだそうな。
今はと言えば、地元の有力な一族が税金横領のために行き倒れの人を、なんやかんやしていた場所というふうに事情が変わっている。
どちらにしろ、ろくなものじゃないなあ。
「歴史が変わっても浮かばれなかったんだね」
「いや、それなら浮かばれないなりに、この世界に合わせた出方をするだろ」
「言われてみれば、あれじゃ前の世界そのままよね」
なるほど確かに不思議だ。歴史が変わっても助からず幽霊になる人がいたとしてもだ、その人がそっくりそのまま、同じ幽霊になるのはおかしい。
変わってしまった歴史背景に合わせて変わるはず。
分かり易く言うと、改変前の歴史だと日本人だったら日本人の幽霊で、改変後アメリカ人になったらアメリカ人の幽霊になるはずの所が、何故か改変後も日本人の幽霊のままということ。
時間の流れがおかしいな。いったいどういう経緯があればそうなるんだろう。
「もしかしたら、魂は別人なのかもしれないな」
「どういうことサチコさん」
「死んで化けて出てる奴は、歴史が変わって自分の過去に変化があったとしても、その影響を受けられないというか、時間を戻れないというか、その理由がな」
「ははーん、幽霊になることが輪廻転生みたいな別人として発生することを意味するなら、前世の自分はもう他人だから、歴史が変わっても今の幽霊の自分には関係ない。或いは同姓同名の、別人になってしまったとか。いや、戻ってもどの道転生は免れないっていうほうが正しいのかな」
「生前が別人になるって、それじゃあこの世界の幽霊の生前には誰の魂が入ってるっていうのよ!」
「まあそういうことだよな」
例えるなら『A』という人の霊がここにいるのに、『A』という人は『B』として生きている。
そして『A』の霊は『B』の霊にはなっていない。
「そういう仕組みなのか偶然なのか、別の魂が補充されて、席を取られたみたいになってんのか」
「そのせいで幽霊はずっとそのままなのね」
幽霊になったから生前に別の魂が入るのか、別の魂が生前に入るから、死後幽霊になるのか。歴史改変がゴーストに与える影響か、これも研究課題に盛り込んでいいかも。
よし、休憩もそろそろいいかな。
「なうー」
「ん、どうしたのみーちゃん」
僕は一声鳴いてから通路の先へ向かうと、海さんが後を付いてきてくれる。
「こういう状況で、小動物が勝手に動き出すのって、フラグだよね」
「やめてよ、私追わないわよ。白骨とか見つけたら嫌だし」
「構わんけど俺もみーちゃんもいなくて大丈夫か」
『うっ』
そして渋々といった様子で三人も付いてくる。でもどうしよう。フラグなんて言われても、別に特別な何かを感じ取った訳じゃ、ないんだけど。
「開けるぞ」
サチウスがそう言ってドアを開ける。ここまでに見た部屋よりもずっと狭く小さい。
床もコンクリートが剥き出しで、あるのは投げ出された数冊の書類や本だけ。
「物置かしら」
「もしかしたら支配人室って奴だったりしてな」
サチウスがおもむろに床の本を拾い上げる。いや、台帳かな。横長の青いプラスチックの表紙に、びっしりと頁が綴じられている。
背表紙には『労働者名簿』と書いてある。
「ここの名簿だな」
「いやはや結構な分厚さ」
「何だってこんな物と場所を隠してたのかしら」
彼女たちはその名簿を床に置き、中を検め始めた。頁の表面には名前と略歴と雇用年月日、その他保険番号やら、家族構成やらと書く所が沢山。
でもこの書式は使えるな。後で真似しよ。
そして裏面には名前、お給金の額の変動と、異動の記載。最後に備考と簡素だ。今時の履歴書は資格欄があるけど昔は備考に書いてたんだね。
「特に変わった点は無さそうだけど」
「バツが入れてあるわ。一部の人」
南さんの言葉に海さんが答えた。彼女は『ほら見て』と言って、台帳を数頁捲っては、該当する箇所を指差して見せた。
そこの備考欄には赤いインクで小さく×印が付けてあった。
「どういうこと」
「共通点はね、略歴が元漁師ってことと、お給料が随分高くなってること。それと家族がいないこと。ほら、ね」
台帳の頁を捲り、×印の頁を見れば海さんの言うとおりになっている。よく見てるなあ。
「本当だ。でも年代が後になるとパッタリ出て来なくなるけど」
「該当する人間がいなくなったからじゃないかしら」
「言われてみれば、そうね」
南さんが困惑するけど、僕もそう。
こういう陰謀みたいなことには、馴染みがないからどうもピンとこない。客商売をしている者の嗅覚が、察知させるものがあったんだろうか。
「昭和の真ん中頃の人たちだけど、全員退職年月日に記載がないのよ。他の人には書いてあるのに」
「元漁師、身寄りのない高給取りで、退職年月日に記載が無い」
「ねえ北さん、ここの旅館の歴史で、従業員に関する特記って何かないかしら」
「え、ああちょっと待って。確かそれっぽいのはメモに書いといたはず」
海さんに言われて、北さんが荷物を引っくり返す。この人はたぶん全体像が見えてるんだと思う。基本的に穏やかな空気をまとっているのに、今はそれが取り払われている。
「あー、嵐で船を失くした漁師や、夫を亡くしたご家族の方々を、従業員として受け容れてってあるわね。船幽霊のセンで、脅かそうと思ってたんだけど、生憎誰も死んでないって、あれ」
北さんがきょとんとした顔をして、口を半開きにするのと同時に、僕たちは何となく事を察した。
「そういうことか」
「そういうことね」
「そう。それがこれなのよ」
海さんが頷く。この旅館がその昔、天災に見舞われて船を失くし、暮らしが立ち行かなくなった身寄りの無い地元漁師を、労働力として抱え込んだ。
そして、実際にどうしたかは知らないけど、彼らはその後お給料を沢山貰うようになり、でも最後がどうなったか分からなくて。
「一応中身を控えておこう」
北さんは他の二人にも頼むと、携帯電話のカメラ機能で名簿の中身を撮影し始めた。サチウスは携帯電話を持ってないから、台帳以外の書類を拾って読むことにしたみたい。
それはライトの光を拒む、艶の落ちた、黒くて硬いビニール表紙の一冊だった。
「宿帳って書いてあるな」
サチウスは拾い上げた宿帳の扉を開いた。中の紙は黄ばんでいて、傷みもあった。
中には何時誰がどの部屋に泊まったかということが規則正しく書いてある。
「なあ、これの中にも行き倒れや、行方不明の名前も入ってんのかな」
「仮に有ったとして、行旅死亡人の死亡時期と照らし合わせて、前後がおかしかったら」
「そりゃおかしいことになるわね」
それからしばらくの間、四人は隠されていた書類と睨めっこをしていた。
その途中でサチウスが、貼り付いて開かなくなってしまったページを見つけた。
「ページ飛ばしたかと思ったら、ここだけくっついて開かないな」
「血で封印とかだったら開けちゃだめよ」
「そんなんじゃないが、ホラーを意識し過ぎだぞ南」
そうこうしながら折り曲げたり叩いたり押し込んだりして、老朽化した接着面を更に弱らせた後、海さんが持っていた裁縫セットの針に、サチウスの髪の毛を通し、少しだけ開いた頁の隙間に入れて、反対側へと誘導して出すことに成功。
ここに来て海さんの女子力が爆発している。これは呼び方を東さんに戻さなくては、いけないかも知れないな。
「よし、そのまま持っててよー」
サチウスが宿帳を押さえると、北さんが髪の前後を持って、上へと鋸を引くように持ち上げる。
すると貼り付いていた頁が、ぺりぺりと乾いた音を立てて剥がれていく。
「よしできた!」
「これは」
「旧館の見取り図だな」
「今更感あるわね」
閉ざされたページから転げ出たのは、幾重にも折り畳まれたこの館の見取り図だった。ここまで虱潰しに探検してきたし、元々旅館発行の物も持っているのでありがたみは薄い。
「これじゃなあ、有って助かる瞬間はもう越えちゃったね」
「いいえ、北さん良く見て、何か書いてあるわ」
海さん、いや東さんが指摘すると、僕たちは頭を寄せて食い入るように地図を見た。
旧館の見取り図の上には、小さく丸で印を付けられた場所があったが、余白には黒インクで引っ掻くような『オフダ』の文字が。
「なんか色々フラグ立ってないけど、ラストっぽいとこ行けるようになったね」
北さんがそんなことを言うけれど、しばらくは誰も返事をすることはなかった。
この状況で作業音と会話が減ると、それだけで辺りが少し暗くなったような気がする。
「でも、なんていうか、こういうの出されちゃうと、ちょっとね」
「正直なとこ、『本当ですよ』っていうのを出されると困るわ」
ここまで散々人を護衛に使って来て、彼女たちは何を言ってるんだろう。まさかまだ気のせいで済むかもとか思ってたんだろうか。
「でもこれがきっと最後の探索ポイントだろうね!」
「あと一息かあ」
一方で、北さんとサチウスのやる気はまだまだ萎えていないみたい。昔のサチウスだったら、南さんたちの側でうんざりしてたんだろうな。
水着は見られなかったけど、彼女の成長を間近で実感できたし、この旅行に来て良かったなあ。
今度は僕も、ほどほどに危ない旅行計画でも立ててみようかな。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




