・カラオケボックスにて 2
・カラオケボックスにて 2
放課後に集まってかれこれ二時間。そろそろ六時。このまま行くと終わりは七時。トイレ休憩が終わり、海さんと先輩が家に連絡を入れ、代わりのぶどうジュースが届いて、やっと再開となる。
「それで、まだ何かあるのよね?」
「あるのよねじゃないだろこのチンピラが」
席順はいつの間にか俺と南が向き合う形となっており、他の二人は横に退いていた。一向に誰も歌わない個室。まるで卓ゲーマーが借りているかのようだ。いや、ネタで歌う人もいるらしいけど。
「海さんのことは何時知ったの」
「あなたと北を見張ってて。あなたがバイトを決めたとき」
「え、呼び捨て。ていうか見張ってたの……?」
北先輩の問いには批難の色が含まれていた。つまり尾行とか内偵とかをされていたって訳だ。嫌だなあ。ミトラスとの情事とか覗かれてたら。
「当然でしょ。なんで手がかりが見つかったのに、またゼロから調査を始めなきゃいけないのよ。あなたたちを中心に調査をしたほうが、いいに決まってるじゃない。こっちは一人しかいないんだし」
それはそうだがやられるほうは堪ったものではない。プライベートも何も無いってことなんだから。
いつでも、何処にでもいるものだ。無関係な者を追い、私生活を暴きたがる狂人が。
「で、お店に入って、この子を張り込んで学校突き止めて、そこでまた学校に忍び込んで、体育の時間に教室入って、荷物から携帯抜き出して、メールアドレス控えて、このときにこの子がいじめられてるのが分かったから、接触するならそのとき便乗することにして、動きを待ってたって訳」
得意げに語る南に、周りの反応はそれぞれだ。俺はジュースを飲み、先輩は「一応はスパイっぽいことしてるんだねえ」とネタ帳に書き留め、海さんは顔色を悪くして俯いた。
「それが昨日だったんと。おまけに金まで盗ろうとして」
「そ。でも勘違いしないで。金蔓にしようとかじゃなくて、用が済んだらあの二人諸共記憶を消して、私がいじめを解決してあげたってことにして、そのお礼としてもらう予定でいたのよ。ま、友だち料みたいなものね」
調査協力のお礼としてそれぐらい無料でしてやれよ。何にせよ、海さんに付いていったのは正解だったんだな。
「臼居さんが来たからそれも御破算だけど。こんな熱苦しい人だとは思わなかったわよ。やっぱり夜に出歩くのはダメね。危険が大きすぎる。危うく石をぶつけられる所だったし、眠いし、折角初めて夜遅くに外出したのに」
……ん?
「夜の外出が初めて?」
「そうよ。危ないし」
「俺たちの尾行は?」
「放課後七時までね、学校を休んで家宅捜査なんかもしない。不法侵入になるし」
「変なとこで法律を気にするなあ」
「未来にもある法律なら守るわ」
「友だちを装って家に入れてって言わないの?」
「それ友だちじゃないって言ってるよね。あ、そうだ。後で手口教えて」
ザル。圧倒的におざなり。人の言葉を鵜呑みにするのは良くないが、こいつの自分本位を俺は疑いたくない。端的に言うと、実は人としていい奴だとか、実は切れ者でしたとか。それと北先輩はそんなこと知りたがるんじゃありません。
「だって、仕事を頑張っても私の得にならないもの。職場にちょっといい顔できても、それだけだし。あんまり過去に係わり合ってもいけないし。必要最低限の仕事で回せるなら、それ以上しちゃいけないの。そんなことをしたら、際限なくサービスを要求されるわ。私は嫌」
きっぱり言うなあ。まあ黒を黒で塗りつぶしたような職場環境だから、真面目にやるだけ損だと言われると、否定は出来ない。スパイって変に特権を与えられたり、忠誠心を植え付けられたりしないと、仕事しないのかな。
「ちょっといい格好をしようとしたら、あなたが出しゃばるし、慣れない努力はしないほうが良いって思い知ったわ。少なくとも寝る時間を削るようなのはダメね」
「しない努力に慣れるってことはないだろ。何言ってんだ」
「マジレスは止そうよ臼居さん」
何にせよ。こいつの勤労意識が確立されていたことで、俺たちの夜のプライベートは守られたということだ。結果的には良かったが納得いかねえ。
「これで全部かしら。そろそろ喋り疲れて来たんだけど」
「あ、あの!」
海さんが声を上げると、南がげっそりした様子でそちらを見る。海さんは麦茶をぐいと飲んでから、用件を切り出した。
「あの、ピカッてするの、アレを貸してください!」
「ピカッてするの? ああ、インスタント洗脳機のことね」
「ひでえ名前だ」
「分かり易いけどさ」
南が鞄から取り出したのは例のケミカルライト。警棒よりはやや短いそれの持ち手の裏側、そこには小さなボタンが付いていた。
「これかあ、今描いちゃうからちょっと見せてね」
「壊さないでよ」
南からそれを受け取ると、今度は先輩が鞄からスケッチブックを取り出して模写を始める。相手が俺だったら絶対に渡さなかっただろうことを考えると、彼女の警戒されなさが少しだけ羨ましい。
「あの、これさえあれば、私、またいじめに遭っても大丈夫だと思うんです」
「それはそうでしょう」
とりあえずこの光物を光らせておけば、それでチンピラは無力化できるからな。
「ていうかあの二人だけじゃないの?」
「ああいう手合いがたった二人の訳ないだろう。呼び出して来たのは二人だけど、学校内にはもっといるってことだぞ」
こいつは本当に学校に行ってたんだろうか。そんなことは学校というものが始まって以来、ずっと続く常識なのに。
「お願いします! 使ったらすぐ返しますから!」
「いいわよ。お金取るけど。一回千円ね」
南の言葉に大急ぎで財布を開ける海さん。迷いがない。
「そんなあっさり貸していいのか」
「教科書に載るような人間でも出来事でもないからね。私も自分のお金が増えるなら助かるし。あ、そうそう、当たり前だけど自分はその光見ちゃだめよ。はいコンタクト」
そう言ってポケットからコンタクトレンズのケースを取り出す。色んなものを持ってるなあ。
「サングラスじゃないんだ」と北先輩。
「古臭いもの。こっちのが自然よ」
「そりゃそうだ」
海さんはインスタント洗脳機ことライトと、自分を保護するためのコンタクトを受け取ると、その使用法と注意を南から受けた。
同じ相手に何度も使わない。短時間に何度も使わない。コンタクトは消毒役に浸けた後、必ず水で流してから使わないと大変なことになるので、もしうっかりそんなことになったら、急いで水で目を洗って眼科に行くことなど。
「ありがとう南さん。これで安心して学校に行けるよ」
「もしもまた同じようなことがあったら言ってね。その時はまた貸すから。有料で」
「これで話は済んだかな」
「ん。じゃあ解散しよっか。お疲れ様でした」
『お疲れさまでした』
そんなやりとりが済んで、一先ずこの一件は幕を下ろそうとしていた。時計を見れば七時過ぎ。結局俺たちは一曲も歌わないまま、カラオケボックスを後にした。
ちゃんと割り勘で支払いを済ませて外に出ると、律儀にも待っていてくれた白黒の猫が、足元に擦り寄って来た。
「お待たせ。ごめんな」
「その子臼居さんの猫なんだ。いいなあ、あ、オスだ」
抱きかかえられたミトラスを見て先輩が寄ってくる。おもむろに後ろ足を引っ張って玉を確認する。恥ずかしいのか顔を背けるのが可愛い。後でからかってやろう。
「ええ、うちの居候です」
「首輪ないけど、野良なの。よく懐いてるなあ。名前は」
「拾ったときに『ミトラス』って箱には書いてありました」
「ああ、捨て猫かあ。よろしくミーちゃん」
ミトラスは不服そうな顔をしてフン、と鼻を鳴らした。それを見て苦笑すると、北先輩は手を振って去っていった。
「よかったなミーちゃん」
「やめて」
肩の辺りから聞こえるその声には、強い抵抗があった。流石に恥ずかしいらしい。ミトラスの背中を撫でながら、俺はさっきまでの小会議のことを振り返った。
俺たちの現状は前よりもうちょっと詳しく分かったし、残るは海さんの学校での経過だ。これが終わればいよいよ無事に学校生活を送れるというものだ。それもきっと大丈夫だろう。何せやることはライト点けるだけなんだから。
「今日の晩飯何がいい?」
「お魚食べたい」
「猫か。今猫だけど。前も猫だったけど」
そんなことを言いながら、俺たちは一度家に帰ってから買出しに出かけた。辺りはもうすっかり暗くなっており、夕飯も遅くなってしまったが、それでも悪い気はしなかった。
少なくとも、煩わしい身の回りの問題が幾らか片付いたのだから。そんなことを考えながら、節目のような今日という日を終える。
これからはきっとそれなりに、平和な学生生活が送れるはずだ。ささやかな期待に胸に抱いて、俺は風呂を済ませて布団に潜った。平和。なんて素敵な響きなんだ。
――このときはまだ、そうなるものと信じていたんだけどなあ。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




