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出戻りサチコのやり過ごし  作者: 泉とも
バイトヘル20XX編
22/518

・カラオケボックスにて 2

・カラオケボックスにて 2


 放課後に集まってかれこれ二時間。そろそろ六時。このまま行くと終わりは七時。トイレ休憩が終わり、海さんと先輩が家に連絡を入れ、代わりのぶどうジュースが届いて、やっと再開となる。


「それで、まだ何かあるのよね?」

「あるのよねじゃないだろこのチンピラが」


 席順はいつの間にか俺と南が向き合う形となっており、他の二人は横に退いていた。一向に誰も歌わない個室。まるで卓ゲーマーが借りているかのようだ。いや、ネタで歌う人もいるらしいけど。


「海さんのことは何時知ったの」

「あなたと北を見張ってて。あなたがバイトを決めたとき」

「え、呼び捨て。ていうか見張ってたの……?」


 北先輩の問いには批難の色が含まれていた。つまり尾行とか内偵とかをされていたって訳だ。嫌だなあ。ミトラスとの情事とか覗かれてたら。


「当然でしょ。なんで手がかりが見つかったのに、またゼロから調査を始めなきゃいけないのよ。あなたたちを中心に調査をしたほうが、いいに決まってるじゃない。こっちは一人しかいないんだし」


 それはそうだがやられるほうは堪ったものではない。プライベートも何も無いってことなんだから。


 いつでも、何処にでもいるものだ。無関係な者を追い、私生活を暴きたがる狂人が。


「で、お店に入って、この子を張り込んで学校突き止めて、そこでまた学校に忍び込んで、体育の時間に教室入って、荷物から携帯抜き出して、メールアドレス控えて、このときにこの子がいじめられてるのが分かったから、接触するならそのとき便乗することにして、動きを待ってたって訳」


 得意げに語る南に、周りの反応はそれぞれだ。俺はジュースを飲み、先輩は「一応はスパイっぽいことしてるんだねえ」とネタ帳に書き留め、海さんは顔色を悪くして俯いた。


「それが昨日だったんと。おまけに金まで盗ろうとして」


「そ。でも勘違いしないで。金蔓にしようとかじゃなくて、用が済んだらあの二人諸共記憶を消して、私がいじめを解決してあげたってことにして、そのお礼としてもらう予定でいたのよ。ま、友だち料みたいなものね」


 調査協力のお礼としてそれぐらい無料でしてやれよ。何にせよ、海さんに付いていったのは正解だったんだな。


「臼居さんが来たからそれも御破算だけど。こんな熱苦しい人だとは思わなかったわよ。やっぱり夜に出歩くのはダメね。危険が大きすぎる。危うく石をぶつけられる所だったし、眠いし、折角初めて夜遅くに外出したのに」


 ……ん?


「夜の外出が初めて?」

「そうよ。危ないし」

「俺たちの尾行は?」


「放課後七時までね、学校を休んで家宅捜査なんかもしない。不法侵入になるし」


「変なとこで法律を気にするなあ」

「未来にもある法律なら守るわ」


「友だちを装って家に入れてって言わないの?」

「それ友だちじゃないって言ってるよね。あ、そうだ。後で手口教えて」


 ザル。圧倒的におざなり。人の言葉を鵜呑みにするのは良くないが、こいつの自分本位を俺は疑いたくない。端的に言うと、実は人としていい奴だとか、実は切れ者でしたとか。それと北先輩はそんなこと知りたがるんじゃありません。


「だって、仕事を頑張っても私の得にならないもの。職場にちょっといい顔できても、それだけだし。あんまり過去に係わり合ってもいけないし。必要最低限の仕事で回せるなら、それ以上しちゃいけないの。そんなことをしたら、際限なくサービスを要求されるわ。私は嫌」


 きっぱり言うなあ。まあ黒を黒で塗りつぶしたような職場環境だから、真面目にやるだけ損だと言われると、否定は出来ない。スパイって変に特権を与えられたり、忠誠心を植え付けられたりしないと、仕事しないのかな。


「ちょっといい格好をしようとしたら、あなたが出しゃばるし、慣れない努力はしないほうが良いって思い知ったわ。少なくとも寝る時間を削るようなのはダメね」


「しない努力に慣れるってことはないだろ。何言ってんだ」

「マジレスは止そうよ臼居さん」


 何にせよ。こいつの勤労意識が確立されていたことで、俺たちの夜のプライベートは守られたということだ。結果的には良かったが納得いかねえ。


「これで全部かしら。そろそろ喋り疲れて来たんだけど」

「あ、あの!」


 海さんが声を上げると、南がげっそりした様子でそちらを見る。海さんは麦茶をぐいと飲んでから、用件を切り出した。


「あの、ピカッてするの、アレを貸してください!」

「ピカッてするの? ああ、インスタント洗脳機のことね」


「ひでえ名前だ」

「分かり易いけどさ」


 南が鞄から取り出したのは例のケミカルライト。警棒よりはやや短いそれの持ち手の裏側、そこには小さなボタンが付いていた。


「これかあ、今描いちゃうからちょっと見せてね」

「壊さないでよ」


 南からそれを受け取ると、今度は先輩が鞄からスケッチブックを取り出して模写を始める。相手が俺だったら絶対に渡さなかっただろうことを考えると、彼女の警戒されなさが少しだけ羨ましい。


「あの、これさえあれば、私、またいじめに遭っても大丈夫だと思うんです」

「それはそうでしょう」


 とりあえずこの光物を光らせておけば、それでチンピラは無力化できるからな。


「ていうかあの二人だけじゃないの?」


「ああいう手合いがたった二人の訳ないだろう。呼び出して来たのは二人だけど、学校内にはもっといるってことだぞ」


 こいつは本当に学校に行ってたんだろうか。そんなことは学校というものが始まって以来、ずっと続く常識なのに。


「お願いします! 使ったらすぐ返しますから!」

「いいわよ。お金取るけど。一回千円ね」


 南の言葉に大急ぎで財布を開ける海さん。迷いがない。


「そんなあっさり貸していいのか」


「教科書に載るような人間でも出来事でもないからね。私も自分のお金が増えるなら助かるし。あ、そうそう、当たり前だけど自分はその光見ちゃだめよ。はいコンタクト」


 そう言ってポケットからコンタクトレンズのケースを取り出す。色んなものを持ってるなあ。


「サングラスじゃないんだ」と北先輩。

「古臭いもの。こっちのが自然よ」

「そりゃそうだ」


 海さんはインスタント洗脳機ことライトと、自分を保護するためのコンタクトを受け取ると、その使用法と注意を南から受けた。


 同じ相手に何度も使わない。短時間に何度も使わない。コンタクトは消毒役に浸けた後、必ず水で流してから使わないと大変なことになるので、もしうっかりそんなことになったら、急いで水で目を洗って眼科に行くことなど。


「ありがとう南さん。これで安心して学校に行けるよ」

「もしもまた同じようなことがあったら言ってね。その時はまた貸すから。有料で」


「これで話は済んだかな」

「ん。じゃあ解散しよっか。お疲れ様でした」

『お疲れさまでした』



 そんなやりとりが済んで、一先ずこの一件は幕を下ろそうとしていた。時計を見れば七時過ぎ。結局俺たちは一曲も歌わないまま、カラオケボックスを後にした。


 ちゃんと割り勘で支払いを済ませて外に出ると、律儀にも待っていてくれた白黒の猫が、足元に擦り寄って来た。


「お待たせ。ごめんな」

「その子臼居さんの猫なんだ。いいなあ、あ、オスだ」


 抱きかかえられたミトラスを見て先輩が寄ってくる。おもむろに後ろ足を引っ張って玉を確認する。恥ずかしいのか顔を背けるのが可愛い。後でからかってやろう。


「ええ、うちの居候です」

「首輪ないけど、野良なの。よく懐いてるなあ。名前は」

「拾ったときに『ミトラス』って箱には書いてありました」

「ああ、捨て猫かあ。よろしくミーちゃん」


 ミトラスは不服そうな顔をしてフン、と鼻を鳴らした。それを見て苦笑すると、北先輩は手を振って去っていった。


「よかったなミーちゃん」

「やめて」


 肩の辺りから聞こえるその声には、強い抵抗があった。流石に恥ずかしいらしい。ミトラスの背中を撫でながら、俺はさっきまでの小会議のことを振り返った。


 俺たちの現状は前よりもうちょっと詳しく分かったし、残るは海さんの学校での経過だ。これが終わればいよいよ無事に学校生活を送れるというものだ。それもきっと大丈夫だろう。何せやることはライト点けるだけなんだから。


「今日の晩飯何がいい?」

「お魚食べたい」

「猫か。今猫だけど。前も猫だったけど」


 そんなことを言いながら、俺たちは一度家に帰ってから買出しに出かけた。辺りはもうすっかり暗くなっており、夕飯も遅くなってしまったが、それでも悪い気はしなかった。


 少なくとも、煩わしい身の回りの問題が幾らか片付いたのだから。そんなことを考えながら、節目のような今日という日を終える。


 これからはきっとそれなりに、平和な学生生活が送れるはずだ。ささやかな期待に胸に抱いて、俺は風呂を済ませて布団に潜った。平和。なんて素敵な響きなんだ。



 ――このときはまだ、そうなるものと信じていたんだけどなあ。

誤字脱字を修正しました。

文章と行間を修正しました。

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