・ショトカ開通
今回長めです。
・ショトカ開通
「で、こいつはどうすんの。壊すの」
「そこなんだよなあ」
俺たちはトイレと一通りの探索を済ませた後、ダクト前まで戻ってきた。正確にはそこから少し進んで、階段が埋め立てられているとしか考えられない、例の不自然な壁の前まで。
「私たちってさ、何気にここまで、悪いことはしてないんだよ」
声のトーンを平坦にして先輩は言った。
ならば今どうして、手に持っているビデオカメラの電源を落としているのか。暗がりに点灯していた液晶画面が、風景と同化する。
「旅館プロデュースの廃館内の立ち入り禁止と書かれていない場所に、足を踏み入れているだけで」
「ソファーは」
「ネジ外して退かしただけ。後で直す。壊してない」
なるほど。そう考えるとこの壁を壊すのは、明らかな器物損壊である。
この期に及んで尻込みをしよってからに。土壇場を逃れると途端にこれだよ。
「だけど壊すのはさあ、壊すってことじゃん」
「まあ、他に言い方はないよね」
「頭悪い人だと『何もしてないのに壊れた』とか言えるんだけど」
三人がそれぞれ、顔を合わせないようにして呟く。不可抗力を装って壊したとしても、現代科学の捜査力を用いられた場合、俺たちの両手は即座に後ろに回ることになるだろう。
不完全燃焼だが三人の腰が引けている以上手は出せないな。こういうのって一蓮托生だし、俺がその気になって壁を壊したら、三人を『みちずれ』にしなくてはいかん。
いや、壊せるとは限らないよ? 幾ら今の俺でも、流石にそんな囚われの主人公を助けに来る、脳筋系男キャラみたいなこと出来るわけ……。
「そういえば」
「え、な、なんだよ試さないよ」
「サチコステイ」
海さんの言葉に思わず動揺してしまう。
あと南、お前人のことを犬みたいに言うな。
「南さんの言ってた床下からどんどんしてた人、いなかったね」
「いやそりゃ、だって、なあ」
「遺体もないしそもそも怪現象だし」
「いたら困るのよ!」
海さんは困ったように頬を掻く。ニアミスしているだけなのか、それとも別の理由があるのか。待てよ。
「ていうかさ、それなら上の階で蓋を開けた時点で、出て来てるもんじゃないのか」
「言われてみればそうね。いっちゃん、途中でそれっぽいのに遭わなかったの」
「偽みーちゃんが本物のみーちゃんに、追い払われたくらいかなあ」
足元のミトラスをライトで照らすと、本人は自慢げに一声鳴いた。
お前そんな活躍してたの。屈んで撫でると普通の猫みたいに、頭と体を足に擦り付けてくる。かわいい。
「あー、じゃあソレだったんじゃないかしら」
「偉いわよみーちゃん!」
「なーう」
皆からベタベタ触られて、ミトラスは満足そうだ。こいつ猫の状態で活躍すると褒められるの、すっかり味を占めたな。
「なるほど、初めから危険は取り払われてたんだね。そういうことなら、安心して上に戻れる」
「結局壊さないんですか」
「惜しいけど、自然に壊れてくれないとね」
先輩はそう言って肩を竦めた。
この人でも安全を取ることがあるんだな。
ともあれ俺たちは荷物をまとめて、上に戻ることにした。勘違いしてはいけない。俺たちは何も犯罪捜査に来たんじゃない。旅行に来たんだ。
龕灯も回収して荷物をまとめ、先ずは先輩を抱え上げて天井のダクトに戻し、次に荷物を渡す。同じ要領で海さんと南と続く。
そして俺の番になって、ミトラスを俺の肩に乗せた辺りで。
――どん、という音がした。
全員の動きが止まって、それでいて縫い止められたかのように動けない。
少しして、また上からどん、どんという音がする。
「どうやら他にもいたのかな」
「どっちかというとご本人だろ」
先輩の声に返すとまた音がする。段々と音が大きくなっている。叩くか殴るかの力が、大きくなっているということなんだろう。
「じゃあみーちゃんが追い払ったのは」
「人違いじゃないかな」
海さんと南が言うとまた音がする。人を呼びつけるかのようで、非常にイライラしてくる。
こういう自分の立場に甘えた精神病者みたいなことされるとぶん殴りたくなってくるな。
「これあんまりやられて、上の階が崩れてきたりしないよね」
「ちょっと待って、ならしばらく待ってみましょう。このまま続ければ何処かの床が抜けたり、壁が壊れたりするかも知れないわ」
そう言えばこれって踏む音じゃないんだよな。
面を叩き付ける広い感じの音じゃないんだ。
幽霊だって成仏と遠い内は、足もあるんだから踏めないってことは、ないと思うんだけど。何にせよ好機ではある。
「名案だな、よし、そうと決まれば明かりを消そう。勢い付くかもしれない」
危険な提案だと思ったが、三人ともこっちが何かを言う前に、明かりを消してしまった。ある程度の人数で一塊になっていると、恐怖心は薄れるものらしい。
「え、本当にやるのかよ」
「目の付け所は良いと思う」
肩に乗っているミトラスは楽しそうだ。こういうときの心境をなんていうんだろう。
渋々じゃなくて、もうどうなっても知らねえぞって気持ち。
明かりを消した瞬間、答えが閃いた。これ破れかぶれっていうじゃね。
「ほら来た!」
そんなことを考えていると南が小さく声を上げた。叩く音は増々大きく、頻度も増えていく。次第に振動がこちらに伝わるようになり、軽度の地震が起きてるような気になる。
それだけではない。
「ねえ、もしかして下からも音がしてない」
「してる。壁のほうからもいつの間にか」
「今録音してるんだけどバッチリ音入ってるよ」
二名の緊張した声に対して一名だけ嬉しそうだな。きっとあのコケシは大きい目をひん剥いて笑顔を浮かべているのだろう。そっちのが怖い。
「中々壊れないな」
どれくらいそうしていただろう。五分ほども騒音に耐えたが何かが壊れるような音が混じることもなく、進展もないので段々と場から緊張が薄れていく。
「あくまでラップ音の類で物理的には無力なのかな」
「怪談話の展開に、廃館の中にかかってきた電話に怒鳴ったら、邸中の電話が一斉に鳴るっていうのがあったわ。こっちも大声で怒鳴ったら、力が増したりしないかしら」
「元気になってこっちに来た幽霊にみなみんを差し出しても意味がなかったそれこそ意味が無いよ」
などどお喋りも出来るようになってしまい、俺たちはただ結果が出るまで待つしか無かった。
時間も今は何時頃なんだろう。
「先輩、今何時か分かります」
「えっとねー。そろそろ七時」
こんなことをかれこれ二時間近くもやってたのか。体を強化してなかったら、今頃疲労で音を上げていただろう。
「しかし何時までこうしてればいいのやら」
「サチコ」
恐怖が薄れ、欠伸を噛み殺した矢先に、ミトラスが小声で、鋭く呼びかけてきた。首を傾けて耳を貸す。急速に意識が引き戻される。
「いったい何が」
「目を瞑って黙るよう皆に言って。急いで!」
真っ暗闇の中、ライトも点けず何も見えないのに。
だが長い付き合いから、俺はそれ以上考えなかった。
「おい! 全員目を瞑れ! 喋るな! 何か来る!」
「え、サチコ、何かって」
「急げ!」
俺自身もよく分かってない。分かってはないけど、目を瞑ってすぐ分かることになった。
外の雷と床や壁を叩く音は断続的だったが、その隙間を縫って、場違いなものが響いて来たからだ。
鈴の音だった。
ちりーん、ちりーんと音がする度に、叩く音が消えていく。通路の奥から、ちりーん、ちりーんと、音がやってくる。
ゆっくり、ゆっくりと……。
真っ直ぐこっちにやってくる。
詰所の辺りに差し掛かり、こちらへと歩いて来るのが分かった。肩からミトラスが降りるのを感じた。
恐らく変身を解いたと思ったのは、空気を伝って、彼の呼吸が聞こえるからだろう。
この怪談ツアーで降霊術を使えば、内情とか一発で分かりそうであるにも関わらず、俺が使わなかった理由は幾つかある。
一つ、もしも魔法的な力がバレたら、バレてもこの面子なら大して問題なさそうだけど、何となく嫌だったから。
そしてもう一つがこれ。
たぶん霊とは十中八九敵対するし、相手が手に負えなかったらやばいからだ。
呼ばなくて良かったという安堵が、呼んでないのに鉢合わせた不安に、塗り替えられた矢先、誰かに手を握られる。
触り慣れた小さな手。それが冷たく、じっとりと汗ばんでいる。俺はその手を両手で握ると、彼の力が強くなるのを感じた。
直後、世界が後ろから削ぎ取られていくような圧迫感を覚えた。狭い。とても狭くなっていく。
息苦しく、生暖かい。ざらざらとした空気。
見てはいけない何かが、傍に立った。彼の手を握っていないほうから、まとわりつくように。
臭い。磯に乾いた汗混じりの血を、混ぜ込んだような酸を含んだ腐臭。
全身が干上がっていく感覚。足元から失われていく現実感、いる。
目を明ければ、絶対こいつが見える、分かる。それだけは避けなくてはならない。
無意識のうちに、俺の足は動きだした。何か確信があるかのように、ほんの少し先へと。すぐにミトラスが手を引いてくれる。
大丈夫だ、二人でいるから、大丈夫だ。
俺は埋め立てられた壁に体を触れさせると、空いているほうの手を付いた。そして、片側に立っていた誰かも壁に触れた。
いや、傍の何かが薄れていくのを感じる。中に入っていったんだ。
ごとりと中で物が動く音がして、ちりーん、と鈴の音がした。
すると爆ぜるような衝撃が、壁の中から伝わった。隙間なく、豪雨のように。音が途切れないくらい、中から叩き始めた。
死してなお引き継がれた恐怖が。
生前に色濃く刻まれた畏れが。
この場から逃げたいという願いが。
悲しいほどに無意味な動きを再現する。
無音の悲鳴と絶叫が、壁の中から伝わってくる。
この地下に閉じ込められていた誰かが、どうやら上に登って行っているらしいことが分かる。
伝わり方が中からなのが、上からのものへと変わったからだろう。
「にゃあ」
しばらくして猫の鳴き声がした。危機が去ったことが分かると、誰からともなく明かりを点け始めた。
いつの間にか、繋いでいた手はなくなっいた。俺は言葉も出せず、ただ息をするばかりだった。
限り無く無に近い安心を感じると、全身から汗が一気に噴き出す。
何とか息を整えてから恐る恐る目の前を照らすと、さっきまで有った壁が無く、代わりに隠されていた通路の先と、そして上へと続く階段が姿を現していた。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




