・カラオケボックスにて 1
・カラオケボックスにて 1
「で、何から話そうかしら」
注文したソーダを一口してから、南は周囲を見回して言った。ここは俺たちの学校の最寄り駅から、やや離れた位置にあるカラオケボックスである。料金は割り勘。
日付が変わってから床に就いた俺と海さんは、放課後店で落ち合う約束をした。俺が携帯電話を持っていないので、海さんがバイトの連絡網から、自宅に電話をくれたのだ。
そこから俺は学校の部活で、北先輩にことのあらましを伝え、南を拾ってから東雲で合流。
そして他の人に聞かれないよう、ここに移動したという訳だ。海さんが考えてくれなかったら、俺たちはそのまま彼女の店で、話していたかもしれない。俺たちには普通の経験地が、圧倒的に足りない。
ミトラスには店の前で待ってもらっている。
「最初に海さんに俺たちと同じことを説明してくれ」
「分かったわ」
で、約三十分経過。
「へ~、そんなことになっていたのね」
「あんまり驚かないんですね」
「うん、家族の思い出とかは、変わってなかったから、そんなに気にならなかったかな」
本当に気にしたふうもなく、海さんは持参したドリンク(中身は麦茶)を飲む。この辺は俺たちも同じだ。世の中の大きな歴史は変わっていても、個人の人生といった小さなものまでは、その影響を受けないんだろうか。
「次は?」
「前も聞いたけど、俺たちの記憶がそのままなのはどうしてなんだ」
「ああ、それね。ちゃんと聞いてきたわよ」
室内はマイクを握る者も無く、淡々と話が進んでいく。
「職場に問い合わせたら、歴史が変わるときに、自分が誰にも観測されていない場合に、そういうことが起こるらしいのよ。臼居さんの言った『周りの時間から逸れる』って表現は当たってた訳ね」
南は面白くなさそうな表情で髪をかき上げ、足を組みかえる。この中で背を低いほうから並べると先輩、海さん、南、俺の順だが、それを踏まえた上で足の長さを、短い順に並べると先輩、俺と海さん、南の順だ。こいつ足長いし綺麗なんだよな。
「図で表すとそうね、この教科書が歴史だとしましょう」
そういって南は自分の鞄から、日本史と世界史の教科書を取り出してテーブルに置くと、世界史のほうを開いて、その上に小銭を三枚乗せた。
「で、歴史の改変と言っても、こうではないの」
小銭を日本史に乗せ替えるが、それは違うと言って世界史に戻した。
「異世界転生みたいなことは、起きてないってことだね」
「そういうことね」
北先輩の言に頷く南。海さんは首を傾げた。
「異世界転生ってなに?」
「映画とかアニメでたまに『生まれ変わったら○○だった』とか『気が付いたら変な世界に来ちゃった』っていうのがあるでしょ。あれです。この場合は俺たちが、違う歴史の世界に来ちゃった訳ではないってことです」
「なるほど」
説明を終えると納得してくれたのか、それとも分かってないけど興味も無いのか、彼女は持参したお菓子を食べ始めた。放っておくとこの人は飲み食いしかしない気がする。
「続けるわね、じゃあこの世界はどういう変化を遂げたかというと、こういうことよ」
手入れのされた白い指先が、頁にシワを作る。
「同じ頁ってことは、あくまでも私たちのいるこの世界が、変化しているってことだね。シワだけじゃなく、乱丁もありそうだけど」
「落丁はないのかしら?」
「それだとこの世界が無くなってるんじゃないっすかね」
海さんは「そっか」と呟いてメニューを物色している。うん、興味ないね。
「そうね。似た世界にあなたたちが、やって来てしまった訳ではないと分かったのは、家族や周辺人物の記憶、出来事に変化がなかったということ」
「え? そうなの?」
俺が聞くと、二人は頷いた。逆に頭に疑問符を浮かべてこちらを見返してくる。うちは家庭が崩壊してるからそういうの分かんないんだよ。あ、でもそうか。うちも崩壊しっ放しだったわ。
「端的に表現すると、その場合はもしもの世界な訳だから、明らかな違いがあるのよ。ううん、違いが発生したとき、その影響を共有すると言ったほうがいいかしら。つまり、歴史が改変された状況下で、その歴史の影響を受けた他の人物たちと共に過ごせば、少なくとも家庭のイベントみたいな思い出も共に変わっているはずなの。そしてそれは、自分で観測できるようなものでもないの」
話してるうちに熱っぽくなっている南とは裏腹に、俺たちは説明の分かり難さに困惑するばかりである。
「ええとだ。つまり、俺たちは『世界史の記憶』を持っている。でも今この世界は『日本史』の状態だ。その日本史状態では、家族の記憶もまた日本史状態になっている以上、家族で過ごした思い出もまた、日本史でのものになっているはず。俺たちが『日本史』に来た訳じゃないと言えるのは、俺たちは世界史の上に残っているからってことか?」
机上の教科書を使って訳を試みると「そう!」と南は手を打って俺を嬉しそうに指差す。
頁の下りがあったから俺も頁で説明すべきだったが、何となくこのほうが分かりやすい気がして、置き換えてみたら結果的には成功だった。
「でもそれってつまり、私たちが歴史とは関係ないって部分だよね。根拠になるの?」
「世界史でも日本史でも、ウチはすること変わんねえなってことだもんね」
「そうね。しかしだからこそ、あなたたちの記憶は保たれたのよ」
「現実の動きというやつだな」
南は満足げに頷くと、一冊のノートを鞄から取り出して、白紙の頁を一枚破いて見せた。それをクシャクシャにしてから伸ばす。皺だらけになった頁には起伏と筋が一杯だ。
「歴史が変わるってこういうイメージなの」
「あ、俺のジュース」
茶色は、まだ手付かずだった俺のブドウジュースが入ったグラスを傾けて、白紙の頁に垂らしていく。
ジュースのかかった場所は、皺の有無や起伏の程度で歪な広がり方をしていく。端まで染まる頃になっても、浸かりの浅い場所や、点々とした空白が残っている。
「変化があっても、それは結局人から人へと伝播していくから、繋がりの薄い土地では、歴史改変の影響も薄くなるのよ。貧乏人には二十世紀も二十一世紀も関係ないみたいにね。変化していくってことは、元になるものがあるってことだから、この場合は元の歴史。その中でこの頁の白い点みたいに浮いていたのがあなたたちってこと」
「本当に取り残されたんだ。時間難民ってとこかな」
「特に困ってないからいいっすけど」
しかしそうか。もしもの世界じゃないってことは、うちはそのままなんだ。今更だけど少しがっかりだな。
「でもさあ、それだと私たちみたいなのってまだまだいるんじゃない」
「そこなのよ。頭が痛い問題なの」
茶色が室内に備え付けのティッシュで、テーブルを拭きながら愚痴る。お前俺のジュース代絶対払わせるからな。
「皆キレイに一律で変わったりなんかしないから、世界中探せばいくらだって見つかるし、時代を追う毎にその数は増えていくわ」
人口増加に伴いぼっちの割合も増えると、俺たちみたいなケースもまた増えると。
「幾ら増えても歴史はおろか、人間関係も空疎な点だろ。ネットがあるにしても、集まって何ができる訳でもないんじゃないか」
「海さんは違うでしょ臼居さん」
「そうだった海さんは違った。ごめんなさない海さん」
「え? ああ、うん」
この場にいる全員が『友人関係に乏しい人友達』という訳ではないもんな。海さんは家の手伝いで、一人でいる時間があるだけだ。好きで一人でいる訳じゃない。咳払いが一つ入って南が続ける。
「いいかしら。それでね、それが私のいた時代まで続くとなると変わってくるの。タイムマシン的な物を手に入れて、過去に遡ろうとするかも知れない」
「いいことじゃん」
北先輩の呟きに、俺と海さんが同意する。今度は茶色が疑問符を浮かべる番だった。
「それってつまり、歴史を正しに動き出すってことでしょ。自浄作用ってことじゃない」
「あれ? そうなのかしら」
「いや、そうだろ。自分たちのいる歴史が、改竄されていることに気付いた誰かが、冒険に出かける訳だ。このまま放置すると、遠い未来で」
「私たちはそのままでいいんだね。て言ってもできることなんか、何も無さそうだけど」
ここで俺たちが気付いたところで、変わらないことがある。それこそ運命という奴だろう。なら放っておいたほうがいい。余計なことはしないに越したことはないのだ。
「ええと、あれ、それだと、私っていったい……?」
「端から犯人探しの必要は無かったってことだろ。報告書にはそう書くんだな」
「ええ……」
そもそもこの時代区分で言うと、俺たちが三年の一月までは、平和が確認出来ているから、この時点にこいつがいることには意味が無い。
「まだ戻ってないことから歴史の修整がされてないのか、それとも時間差があるのか」
「放っときゃその内直るだろ」
「良かったあ。緊張して損した!」
海さんはさっきからお菓子食べるか、お茶飲むくらいしかしてないでしょ。俺たちもお喋りしてただけなんだけど。
「一応聞くけど、他にどんな問題があると思ってたんだ」
「そりゃあ『自分たちも好きなように歴史を変えよう!』って考える輩が出るはずだって」
それは別に記憶の維持は関係ないような気がする。いや、待てよ。もしかして。
「それ君んとこのアメリカじゃないの?」
「え」
俺も思っていたことを北先輩は、あまりにも無造作に言い放った。
「だから、君の時空アメリカが歴史の管理なんてのをしたことが、私たちみたいなのに漏洩して、南さんが思ったようなのが、今回の事件を引き起こしたんじゃないかな。でなきゃその輩が時空アメリカで、この歴史改変は実は改変じゃなくて、修整の可能性もあるんじゃないの」
「正しい歴史は何処にも無いのね」
しれっと酷なことを海さんが言い放つ。人類の値打ちがまた一つ減った瞬間であった。
「さ、という訳でこれでおしまいと。次の質問いくぞ」
「え、まだ何かあったっけ……」
すっかり疲れた様子の茶色が、呆然と聞き返してくる。どこまで面の皮が厚いんだ。
「あるだろ。一番大事なことが」
「え、なんだっけ」
俺は海さんを見ると、彼女少し困ったように微笑んでから、頷いた。
「取り合えず、次行く前にトイレ休憩挟むか。それと俺のジュース使ったんだから、料金はお前が持てよ」
「分かったわよ。がめついわね」
悪態をつきながら南は了承した。俺は代わりのぶどうジュースを頼んで、小休止を入れることにした。
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