・番外編 暫定的に虚とか偽ではない
今回長いです。
・番外編 暫定的に虚とか偽ではない
※このお話はミトラス視点でお送りします。
僕の名前はミトラス。
猫のときの名前はみーちゃん。
魔王の息子で元区長。今は彼女を尾行中。
この二年で人間的に成長し、独り立ちし始めた彼女が嬉しくもあり寂しくもある。
いやむしろかなり寂しい。
最近放ったらかしにしていたから、心に隙間ができたのだろうか、そんな不安からちょっと彼女の様子を観察してみることにした。
ここで慌てて取り繕っても、ボロが増えるだけだ。自分に心当たりのない、だけど事実として存在するやらかしへの対処は、一度その状況の全体像を見て見ることが大事なんだ。
こういうのが良くなかったと、把握してからでなければ、動くべきではない。
焦りに飲まれ、自分の落ち度を認めずに取り組んでも事態は絶対に好転しない。そんな訳で追跡再開。
決して非平日の昼下がりにすることではないとか、目を覚ましてはいけない。
蝉が鳴き始めた今日この頃。大きな影が悠然と古びた街を歩いていく。
木造家屋の数も控え目だけど、鉄筋コンクリートも年数が経っている。年を取った街を。
ーー確かこの辺だったな。
長く伸びた髪の毛は背中を覆い隠していて、重そうだし暑そうだった。一応ゴムっぽいもので縛っているものの、髪が多すぎて殆ど意味を成していない。
本人は髪を切りたがっているけど、周りの反対によりそのままだ。悩ましいんだよなあ。
別の髪型も見て見たいけど、あそこまで長くなった髪を切るのは惜しい。
今の彼女は夏服だ。袖無しの白いシャツの前には『めでてぇW』という文字がプリントされている。
そしてデニム生地の半ズボン。お洒落を意識しているのか赤いベストを付けている。そして普通の茶色い夏用サンダル。
なんだろうなあ。バンダナを巻いたら海賊にしか見えないな。まあ日射病対策なのか、被っているのは麦藁帽子だけど。あれ?
あ、そんなことよりも彼女がお店に入って行く。
――すいませーん。
彼女が入っていったのは『焚書堂』という物騒極まる名前の古本屋だ。僕の友だちが店主の代理を務めている。
気付かれないようにこっそり入店すると、なにやら二人で話し込んでいるようだ。
しばらくすると、彼女はそのまま店を出て行った。この後何処に行くのだろうか。いや、それよりも今はこっちが優先だ。
ていうかバイトが無い日は部活か図書館くらいしか行く所ないからねあの人。
「やあ」
「あ、いらっしゃい、久しぶりだね」
店主の少年は色白長髪線目の美少年である。ガールフレンド有り。
「うん、さっき珍しい人を見かけたから」
「ああ、あの人ね」
彼にとって先客の女性は共通の知人である。
僕にとっては知人どころではないのだけど、それは秘密だ。
「何か話し込んでたけど、厄介事」
「いやそうじゃない。ただ本を売りたいってだけ」
「なんだ。それってどんなの」
何となく予想はしていた。言われて彼が出したのは分厚い一冊の緑色の本。装丁と呼べるほど洒落たものの無い、ありふれた厚紙の表紙に、白と黄緑色があるだけの。
「何これ」
「心の本だよ。千五百円で買った。三千円で売るよ」
「えー」
苦笑しながら軽く批難の声を上げると、彼はくすくすと笑い返した。同性の僕から見ても可愛い。
「これね、この前売ったばっかりなんだ」
「返品ってこと」
「の、ようでもあるし、違うとも言える」
彼はレジ横の僅かに空いたスペースを使って、器用に頬杖を突いた。猫の尻尾のように垂れ下がった髪の毛が揺れる。
「友だちのご家族が気を病んでいたそうで、この本を参考にしようと、したんだそうだよ。取り越し苦労で済んだそうだけどね」
パラパラと頁を捲りながら彼は言う。
「それで要らなくなったの」
「いや、僕がこれを売るのを渋ってね、それを覚えてくれていたみたい。形式上は買い取りだけど『こういうのを手元に置いとくのは良くない気がする』って」
彼は店に訪れた彼女が、友だちのためにご家族を看ようとしたのが、気に入らなかったことを話した。
打ち明ける者からすれば、懺悔に守秘義務は無い。
「僕はね、これから治そうって相手に対して、それを本人のためにするのではないっていうのが、なんだか嫌でさ」
彼は空いている手で、件の参考書を読み進めながら愚痴を零していく。言葉で紙魚ができそう。
「相手のためになることは、相手のためにして欲しいと思ったんだ」
「そういうことだね、結果は良好で文句を付ける所もない。ただ気の持ちようがさ、好きじゃないってだけなんだ」
そう言って彼は嘆息した。意外にセンチメンタルな奴だよ君は。
いや、気持ちと動きを一致させたがるのは、普通の事かも知れないな。
「聞けば姉妹は仲直りしました、めでたしめでたし。で、あの女の人も善意でやってたには違いないけど、同時に失礼だとも思って、なんだか……」
「なあに。詩的な言い方でもして欲しいの」
「そうだね、今は綺麗な言い方を聞きたい気分かな」
綺麗な言い方か。これは頭を使わされるな。そうだなあ。
「要は神話なんだ。人が、家族と一緒に暮らすということがさ。一人一人の人生に、必ず神話になる機会が訪れる。それが家族を持つということ。神話には真実としての神話と、嘘としての寓話がある。今回のことに例えるなら『姉妹が仲直りしました』っていうのが神話で『彼女が友だちを思って助けてくれました』っていうのが寓話」
「それは嘘じゃないよ」
「半分は嘘だよ、思ってあげたのは片方だけでしょ」
彼は小さく頷いた。
「それでね、当然というと悲しいけど、上手くいかないこともある。それはどうしてかな。相応しくなかったとか、相性が合わなかったと言えば、それまでのことだけど、禁忌を忘れたからという言い方もできる」
「禁忌ってなんだい」
「禁忌とは手に負えないこと、またそれを招くこと。災いを呼ぶ全てのこと。だからこそやってはいけないこと。生きていく希望を持つときに、これを知らなければ、それは容易く悪徳と暴力に成り下がる」
「さっきの言い方だと希望が真実で、現実的なのが嘘なのかな。希望は真っ当に生きていこうっていう意思とか、生き方みたいなのでいいのかな」
彼女のような言い方をすると『何が生きていく希望だ単なる暴力だろうが』というふうになる。
真実があっさりとただの暴力や、悪徳という現実になり、希望が嘘になってしまう。
「まあそういう気分で聞いて頂戴」
できればこういう見方をして欲しいけどなあ。
「それでね、禁忌と希望を持たない愛情は、決して愛情の形にはならないんだ。こういうときの人ぞれぞれという言葉は、言い訳の引き出しを、開けたに過ぎないんだよ」
「気持ちが無くなっちゃったってことかい」
「失ってはいないよ。本物ではないからね」
店の外に人が通りかかる様子はない。店の中は少しだけ気温が低いものの、空気はじっとりとしている。彼は閉じていたらしい細い目を、薄らと開けた。
「愛情紛いの気持ちを持ち寄っても、誰かと生きていくことはできないんだよ。好きなつもりの相手さえ、傷付けることを拒まないからね。後は離れるだけ」
僕の実家があっさりと崩壊して、多くの魔物が散り散りになったように、あるいは彼女が自分の肉親を、振り払ったように。
「そうして一度限りの神話に破れたら、後には現実しか残らないんだね。ねえ、去年の夏休みに、肝試しに行ったじゃない。あのね、あのとき幽霊が地面に吸い込まれていくのを見てたとき、地獄に落ちるんだって日が言ったでしょ。ああ、そうなんだなって思った。でもそれなら、天国はどこにあるんだろうね」
彼は話が脱線してきたことを、分かっているみたいだった。取りとめのない話を続けて、気持ちを吐き出したいのだろうか。
「うーん、天国に行くのは自分の神話を続けた人が、人生の終わりを迎えた時に、創り出すものなんじゃないかな。だからこそ、次の誰かが同じように、自分だけの天国を創っていけるって真実を、語り継いでいくというのはどうだろう。そして神話は、人々に明日があるっていう寓話を作っていくんだ」
僕が参考書の頁に指をかけると、彼は頬杖を止めて姿勢を正し、腕を組んだ。
少し考え込んでから、口を開く。
「でもおかしいよ。寓話が嘘なら、この場合は明日って現実も嘘ってことになる」
「誰かと一緒に生きていけたら本当で、駄目だったら嘘ってことに、してしまえばいいよ」
嘘として現実になるか。
真実として神話になるか。
「二人の愛が試されているという訳」
果たしてそこに、相手の居場所はあるかな。
果たしてそこに、二人の愛情はあるかな。
少なくとも僕は彼女と過ごすうち、少しだけ見えてきたことがある。
あの子は愛を秘めている。一度の夜に囁かれただけなんだけど、もっと言って欲しいとも思えるし、あの一度限りでもいいと思える。
「愛って、この話は仲が悪かった姉妹のお話だよ」
「そこで急に戻すんじゃない。それに家族愛ってこともあるだろ」
「ごめんごめん、でもそっか、そういうのもあるか」
僕が口を尖らせると、彼はおどけて見せた。少しは気が晴れたみたいだ。僕としてはもう少しこの甘い空想に耽りたかった。
「まあこのお話は最初からめでたしめでたしってオチがついてるからいいけど」
「ねえ」
彼に声をかけられた。
開かれた眼は真面目な様子で、こちらをじっと見つめている。
「君はそういうけど、結局この姉妹の話は、どこが本当で、どこが嘘なんだい」
「嘘は残ってないよ。有るのは本当のことだけ」
これは例えばの話じゃないからね。
「その人たちが仲直りしたのも本当。さっきの女の人が友だちのためを思って、助けたのも本当」
「妹さんは」
「最初からその人のことを思ってないなら、嘘も本当もないよ」
彼は「あ、そっか」と呟いた。さっきは嘘であるかのように言ったけど、実際は当人のためにやっていないのであれば、相手のためかどうかなんて可能性さえない。
だから残ったのは、本当のことだけだ。
「綺麗な言い方をしたつもりなんだけど」
「意地が悪いよ」
「ごめんごめん」
彼が口を尖らせて、今度は僕がおどける番だった。どうってことはない。ただ納得のいかないことへの不満を、こうして話しているうちに、吐き出しただけ。
そして彼は、不誠実だと感じたことを、この遠回しな会話で消化したみたいだった。
「つまりはさ、助けた相手に意識が向いてないのが、嘘くさいと思ったんでしょ」
「その通りだよ。でも今の話で、見る相手を変えたらいいってことには、気づいたかな」
最初から彼女と姉のほうに焦点を合わせていれば、簡単なんだ。
助けられる妹が、主役みたいに捉えてしまうから、不誠実に見えてしまう。でもそこで見方を止めるのは良くない。
「後ろ向きな結論に至るようならね、その後別の肯定的になれる、都合のいい事実を引き合いに出したほうがいいって、何処かの本に書いてあったよ」
僕は先ほどから頁を繰っていた自分の指を止めて、そこに書かれた一文を指差した。
「参ったな、本当、そうだね」
彼は自分の気付きが、記述されていることに気付いて顔を赤らめた。
被っていたのかそれとも受け売りだったのか。
僕たちはその後、何事もなく雑談を続けた。
「それにしても、よくあんなクサイ台詞を言えたね」
「自分で真面目な話を振っておきながら、茶化すのはよくないと思うな」
「いや、神話のほう」
大袈裟に言って、美化すればいいってものでもないのか、難しいな。
「詩的で綺麗な言い方が聞きたいと言ったじゃない」
「うーん、想像してたのと違ってたからさ」
「それこそ知らないよ」
こんなふうに同性の友だちと話すのは久しぶりだったから、随分と話し込んでしまった。もしかすると、初めてかも知れない。
彼の気持ちも大分落ち着いたみたいだった。
その後お店の売り物について話したり(当然ちゃんと買ったよ)、日との近況を聞いたりしているうち、外の日が落ち始めた。
蝉の鳴き声もいつの間にか、ひぐらしに取って代わられていた。
「じゃあ、そろそろ帰るよ」
「そっか、またね」
「うん、また」
どちらからともなく、僕たちは互いに手を振り合って別れた。
そうか、今日のような日を、過ごせる時間がまだあるんだ。そう思うとなんだか妙に嬉しくなって、それと同時に、無性に家に帰りたくなってきた。
「ただいま!」
「おう、お帰り。夕飯はまだ先だぞ」
家に帰ると彼女が待っていた。ベストとサンダルと帽子を脱いで、シャツと半ズボンだけの姿だ。
台所に立って晩御飯を作ってくれている。
今となっては、すっかり落ち着いたな。
「ねえサチウス」
「なんだミトラス」
何度も見合った顔が振り向いて目が合う。いつもと変わらない彼女だった。
僕たちの暮らしがより善い真実になるのか、或いは単なる現実で済むのかは分からないけれど、この部分さえあれば、十分なようにも感じられる。
「実は今日ね……」
それだけじゃ、ちょっと物足りないときもあるし、もしかしたら本当はもっと、しないといけないことがあるのかも知れない。
でも今は、僕と彼女は一緒にいられている。それで概ね満足だ。
「ううん、なんでもない」
「そっか」
だから、わざわざ難しく考えることは、止そう。
少なくとも、今このときは本当なんだから。
<了>
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