・立ち位置は変わらない
・立ち位置は変わらない
――神奈川県。全国区のテレビで度々紹介されるも原住民と県外の人とでイメージに0と1くらい差がある詐欺都市。
県内に結構な数のヤクザ者が存在しており、日本全土で警察が無力化されているという、嫌な共通認識が持たれている屈辱県でもある。
行政はというと完全なコネ制度で『身内を入れたくなると試験をする』と言われており、それが強ち嘘でもない上に、一部の市町村は共産系でマッカッカという、地獄のような有様である。
地元民の品性も卑しく、いじめと盗難と覗きが横行する、糞が糞を生み直し続ける関東の西日本である。
俺も東京住まいの頃は、洗礼気取りの理不尽や悪徳を、散々に食らわされたものだが、ここはここで酷い。
住む家がここ以外に選択肢がないだけで、都落ちするにしても、もっと違う場所があっただろと、そう
言いたくなるような陰湿さであった。
都心はまだ傲慢さから物理的な暴力、迂闊な行動というものがあったが、ここは徹底している。老いも若きも男も女もいじめが大好きだ。
他に住む場所があったら誰が好き好んでこんな所に住むものか。それくらい嫌な街である。
あるときは、町内会の婆が集まって嫌がらせをして越してきた夫婦をノイローゼに追いやっただの。
あるときは、虐待の相談を警察と児童相談所に持ちかけたたら双方を延々と盥回しにされただの。
あるときは、いじめを通報したら『うちとは別の区ですね』と断られただの。
あるときは、施設育ちの子が里親に貰われたら、施設の職員の顔を忘れて荷物を置き引きしただの。
そういう労働賃金とか、観光名所とか、昔の箱物以外に見るべきところは何も無い、道を歩けば悪い日本人か悪い外国人しかいない街、のはずだったのだが。
どういう訳だか綺麗になっている。主に人間が。
誰も人の家の柵目掛けて痰唾を飛ばさないし、擦れ違い様にとりあえず舌打ちもしてこない。
子どもを放置しておいて、一人でいる子どもに危ないぞと注意した人がいれば、そいつに不審者を見るような、脳みそに蛆が湧いたような目つきを返してくる親もいない。
日本が改善されている。誰が何をどうやったのかは知らないがこれはいい。これなら案外三年間を神経すり減らしながら暮らす心配もなさそうだ。
保護者が付き物の入学式で、俺だけ一人だったけど、つつがなく終えることもできた。とりあえず教室で簡単な自己紹介も済ませて、やっぱり友だちも出来なくて、今後の時間割と大量の教科書を貰って、今日の学校は終わった。
あとはこれからの身の振り方を考えよう。先ずはバイト先を見つけて、それと学校の合間に魔法の練習でもして過ごそう。そうしよう。
おお、早くも今後の予定なんか立てている。我ながら偉いな。向こうの世界で揉まれた成果が出てるような気がする。
この勢いで決められるものはどんどん決めてしまおう。俺がこんなに調子いいのって滅多にないしな。
それにしても重たい。学校によってそれぞれの授業の一回目で教科書を配るのと、入学式の後に全部配るのとで分かれるけど、後者はこれ保護者ありきで考えてるな。鞄に詰め込みきれねえ。ロッカーや置き勉なんかしたら絶対盗まれるしなあ。どうするか。
「それでゴミ袋を貰って残りを入れてきたの? 呆れた」
半日の入学式から帰って事情を説明したら、ミトラスがそんなことを言う。彼は家のことをしながら、こちらの世界のことを勉強している。そうだ、合鍵作って渡しておかないと。やること減らねえなあ。
「こんな初歩的な見落としをしてくる学校が悪い。そんなことよりも、先ずはこの世界の設定を確かめようぜ。教科書を見れば、だいたいどの辺りに手が加えられたかが分かる」
「設定って……でもそうか、サチウスは何故か記憶がそのままだから、歴史書を読めば前の世界との違いが分かるんだ」
ミトラスが感心してしきりに頷いている。自分でも不思議だけど、寝てる間に記憶の書き換えとかは、されなかったんだろうか。
ともあれ世界史と日本史の教科書を、ゴミ袋から取り出して開いてみる。先ずは世界史から。ざっと通して見ると近世辺りまではそのままだな。
どれどれ、うん、中華民国がなくなりそこまで日本の領土だな。周りはそのまま。アメリカがそもそも独立してない。合衆してない。それどころかメキシコ。
イギリスとフランスはドイツに滅ぼされてる。ロシアじゃなくて未だにソ連だけど、頻繁に革命が頻発して戦争どころじゃないみたいだ。
このAARはきっとマルチプレイだったんだな。原爆も落とされてないし、気持ちの悪い外国人もあまり入って来てないみたいだ。日本も随分住み易く改変されているし、ありがたいことだ。
次に日本史。ペリーが暗殺されてること以外にめぼしいものはないな。
「大分変ってるの?」
「ていうかほぼ別物だな。それなのに前の世界に似通ってるのはどういうことなのか」
ここが日本である以上、余所の情報を遮断してあったり、国民が弛緩するよう、大量の誤魔化しがばら撒かれていたりするのかもしれない。何はともあれ、これで一つ分かったことがある。
「歴史の改変をされたのが前の年代ってことは、俺たちからは手の出しようがないってことだ。この世界の時間の移動までは流石にできないだろ?」
そういうとミトラスは少しむっとした表情をしたが、直ぐに溜め息を吐いて、渋々肯定した。
「そりゃね。幾ら僕でも時間旅行なんて芸当はできないよ」
「つまり、俺たちではこの状況を解決しようがないってことだな!」
「何でそんな嬉しそうなの……」
それはそうだろう。無理なものは無理。だから俺たちはこの歴史に便乗していればいい。思考が放棄できるってなんて素晴らしいんだ!
「それに改変元だって国外だし。この時代よりも前に歴史を変えたってことは、少なくとも歴史を変えた相手はこの世界にはいないってことだしな。安心だ」
「どうしてそんなことが言えるの? この時代に立ち寄ってるかも知れないじゃないか」
ミトラスが教科書のページを捲りながら聞いてくる。どうも納得が行ってないようだ。確かに言われてみればそうなんだけど。
「考えてもみろよ。仮にそいつが歴史を変えに過去に行ったとしても、その時代の奴からすれば今の出来事な訳だろ? で、既にもう歴史は変わってる。変わった歴史を更に変えるなんてことはないから、あれ、何か変だな」
自分で言ってて分からなくなってきたぞ。これだからこういう時間関係の考察って嫌なんだよな。しかし俺がそうやって頭を悩ませていると、ミトラスはまたも溜め息を吐いて「いい?」と言ってきた。どうぞ。
「前提として、歴史を変えた相手は、変えられた歴史から見て未来から来ていることになるでしょ。そして、僕たちはその変えられた歴史を認識しているけど、だからといってここでそれが終わっているという保証はないんだよ。この時代から更に先の時代から来た何者かが、まだまだ改変している途中であるかも知れないんだから」
なんかちゃんと説明されてしまった。地頭の差がこんなところで出るなんて。逆にこっちが頷いてしまう。
「でもさ、だからといってその相手がこの時代にいるとも、俺たちの前に出るとも限らない訳だろ。次があるとしたらそれはもっと大きな出来事のある時期、場所だろうし」
「それはまあ、そうかも」
別に俺たちは時の流れを戻すべく、そういうことをしてる人を追ったり、地球外生命体を追跡しに帰って来た訳じゃない。あくまで俺が高校生活を終えて卒業するためだ。
「な、俺たちとは関係ないことは変わらないんだって」
「それも、そうなのかなあ……」
「そういうことにしとこうぜ」
尚も食い下がろうとするミトラスだったが、俺はそれ以上付き合わなかった。本人的には俺のいた世界の元の姿を見られないことが腑に落ちないのだろうが、パッと見では随分住みよくなっている。
戻すなんてとんでもない。第一、俺たちはあくまでも歴史が変わっていることに気付いているだけで、打つ手は何もないのだ。
「サチウス、僕ね、なんだか嫌な予感がするんだ。君がほとんど執着を見せなかった世界が変えられて、そこに帰った来た君の調子が良い。必ず落とし穴があると思うんだ」
魔物の子どもが神妙な面持ちで、こちらの顔を覗き込む。金色の瞳が、しっかりと俺を見つめていた。
「止めろよ。俺もちょっとはそう思ってたけど、流石に洒落にならないから考えないようにしてたのに」
「ごめん、でも頭の片隅にでも留めておいたほうがいいと思う。僕と、君のことだから」
分かる。幸せだった異世界でも厄介事は沢山あった。不幸っていうのは滅多に単独では来ない。彼の予感は「来るぞ」という警告だと思ったほうがいいだろう。
「分かったよ。でも、俺にできることってたぶんないぞ」
「そんなことない。君はいつも僕を支えていた。だから、僕に助けを求められるよ」
遠回しに『自分がなんとかしてやる』って言ってくれてるのか。格好つけてくれる。これはもう今夜も合体するしかない。頬からうなじの辺りに熱が上ってくるのを感じる。
そうだな、俺は一人じゃないから、彼を頼っていいんだ。
言われてやっと、俺はそのことを思い出すことができた。
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