・元気が一番
今回長いです。
・元気が一番
さて早くも三時が近づいてきた。見学が三十分でも移動とトイレ休憩を入れると、四十五分である。
一コマに相当する時間を使って、手短な紹介と慌しい移動を繰り返す我々の、次なる行き先は、さてどうしよう。
「ごめんなあ、流石にちょっと短いよな」
「いえ、興味が湧いたら、今度は自分から行きます」
「そう言ってくれると嬉しいよ」
アガタはどんどん血色が良くなっていくが、栄は少しずつ疲れが隠せなくなってきた。拙いな。どんどん気後れしてきている。
ヨイショの前に視野を広げるはずだったが、却って世の中の広さに、打ちのめされつつある。
ここらで箸休めになるようなのを選びたいが、休憩になりそうなのは、軍事部と運動部と園芸部だな。
運動部は体を動かせるから、体力と引き換えに気持ちをリフレッシュできそうだ。
軍事部は二人とも興味が無いから、休み時間に等しいだろう。
園芸部は本命である。
時間の都合で考えると運動部だな。他の二つはまだまだいるだろうけど、運動部の奴らは撤収が早いし、会えるように成り次第、会わないといけない。
「よし、柔道場に行こう」
柔道場は日替わりで、空手部と柔道部が部室兼練習場として使っており、その片隅で運動部が、毎日活動している。
グラウンドを挟んで、体育館とは反対側にある不気味な三階建ての建物の、一階部分にそれはある。
残りの二階は他の部の部室らしいが、誰もその詳細を知らない、汗臭い魔境である。
「運動部って何する所なんですか」
「運動する所、やることは問わない選ばない。やりたい運動をするだけの所」
「高校生にもなって、それでいいんですか」
「いいんだよ、ほら見えてきたぞ」
栄が質問し俺が答えてアガタがむっとする。しかし他に言い様がないのだ。リビドーを持て余したマイノリティが、屯しているとしか。
「体育の選択で剣道選んでるとこっち来ないからな、生徒によっては終始縁がない場所だよ」
「なんか不気味に静かですね」
「体育館みたいに外まで音が響くようには作られてないからな」
程なくして校舎から、靴を履き替え、上履き持参でやって来ました柔道場。入り口を潜ると、ようやく中の野太い声や物音が聞こえてくる。
再び靴を履き替えて入場した我々は、そのまま奥の運動部の元へと向った。
「すんませーん、見学いいですかー」
「はーいって、サチコじゃん」
「今日は後輩の見学ですよ」
運動部部長は短い髪を頭頂部で結んだ、パイナップルの房のような髪型の女子である。
動物が擬人化したような、爛々と光り燃える瞳が特徴的。彼氏持ちで非処女だが、ナニより殴り合いが好きという、どんな時代にも必ず少数はいる、戦闘依存性である。
彼女は他の部員たちと、何やら仮装しながら、芝居稽古のようなものをしていた。
山伏のような恰好に、歌舞伎で使われる紅白の頭、時代劇でもする気なのか。
「今度は何やってんの」
「演劇部から人貸してって言われて練習してるんだ」
「部ごと狩り出されたのか」
本人たちがいいと言うなら、それでもいいんだろうけども。
「うちは体を動かせればなんだっていい連中の集まりだし、これも芸の道と思ってさ」
「そういや曲芸の達者な二人組みの姿が見えないな」
「先輩たちは卒業したよ」
かつてムーンウォークをしながらジャグリングをこなすという二人組みがいたが、そうかあいつら三年生だったのか。
「部活動紹介のときに、わざわざやってきてくれて、芸を披露してくれてね。これが大ウケ。そのおかげで何とかうちも新人を獲得できたんだよ。私じゃこうはいかなかったね」
運動部部長にとっての運動は戦いであり、人を楽しませるってタイプじゃないからな。
「という訳で、今はらしい活動はしてないけど、それでもいいなら見てって頂戴ね」
「よし、じゃあ自由見学開始」
『はーい』
返事をするとアガタと栄は、柔道場の隅っこへと向かった。運動部の活動を見る事にしたようだ。
彼らは台本の読み合わせや、登場から退場までの流れを確認し、実際の劇での動きを練習し始めた、んだけど。
「これの何の劇」
「桃太郎」
「配役はどうなってんの」
「演劇部だと桃太郎側までしか配役できなくて」
犬と猿と雉と桃太郎と爺婆で六人。
六人か。少ない。
「となるとお前ら全員もしかしなくても鬼か」
「お爺さんとお婆さんは先生方にやってもらうから、一応演劇部から二人こっちにつくよ」
「ここにいるのが四人だから、鬼は全部で六人いることになりますね」
「多くない? 鬼多くない? 無理して沢山出すことなくない?」
「高校生にもなって、ただの桃太郎じゃ面白くないからって、演劇部が創作盛り込んでさ」
普通にやっても上手く行かないだろうけど、これはこれで上手く行きそうにないな。そんなこちらの心配を感じ取ったのか、運動部部長は小さく苦笑した。
「ウケなかった時のことは、ちゃんと考えてるよ」
「どうするんだ」
「殺陣と踊りを頑張る」
踊るのか。なんかもう聞いてるだけで色々と苦しいけど、これ以上掘り下げても相手の士気を下げる一方になりそうなので、止めよう。
「うーん、じゃあ今は大したことはしてないってことですか」
「アガタさんのその言い方はちょっと」
不純物が迂闊なものの言い方をしたせいで、運動部部長の苦笑から、距離感の靄が取り払われる。一瞬で間合いが発生する。剣呑だな。
「そう言われると傷付いちゃうなあ」
「だって今はこの部の活動はしてないんでしょう」
「そうだね、でも練習は一生懸命頑張ってるよ」
栄が皮肉めいた愛想笑いを浮かべる。ああ、この新世代のモンチッチが一発殴られる所を見たいが生憎と今は駄目だ。
「すまん、後で言って聞かせておくよ」
「いいっていいって、こういうのはもう勝負だから、実物見てもらうしかないよ」
こっちを見てくれない。怒っている。まずい、この人は俺と違って、熱心に一年中体を鍛えている。
しかも人を殴るのも殴られるのも好きだ。手が出たら栄たちは、絶対大怪我する。
「悪いけどスパーリングなら俺が受けるしかないぞ」
「ん、ああ大丈夫大丈夫、別にそういう意味じゃないから。延清!」
運動部部長が呼ぶと、何時ぞやの子犬っぽい男子が走ってやってくる。前に会ったときよりも、少し背が伸びたようだ。
筋肉もかなり増えている。そうかお前延清っていうのか。
彼は俺たちに会釈してから、自分を呼びつけた人物に向き直る。
「お呼びですか部長!」
「殺陣の練習付き合って」
「ハイ!」
一も二も無く延清君は走って柔道場を出ていくと、三分もしないうちに木刀と、一メートル半を越える物干し用の棒を抱えて戻って来た。
彼が棒を部長に渡すと他の部員たちが壁際に下がっていく。それを見て俺たちも壁際まで批難した。
「どこからやりますか!」
「鬼が島で一度鬼が桃太郎を追い払う所から」
「分かりました。台本お願いしまーす!」
そんな場面あったっけ。ともあれ彼女は他の部員たちが読み上げる台本に合わせ、棒を静かに掲げ、振り回し始めた。鬼役が部長で桃太郎が延清君。
「『さてもさてものますらおぶり。久しく見ぬは何者ぞ、名を名乗れ!』」
恐らくあの棒は金棒的なものなんだろう。鬼の格好が山伏っぽいとこから考えると、本番は錫杖なのかも知れない。
運動部部長が棒を大きくぐるりと回して、二度地面を打つ。左右持ち替えて棒を延清君のほうへ、ズイっと突き出す。当人たちは喋らず動きに徹するようだ。
「『鬼と嘯く賊共が、名を聞いて死ねるとは思いあがるでないぞ』」
言葉をドッジボールのようにしてぶつけ合う鬼と桃太郎。何だこれリアル桃太郎みたいな路線ってことなのか。
ありがちだけど、それつまり役者に魅力丸投げしてない。いかん動きに集中してないと、話が耳に入って来てつらいな。つらいってなんだよ。
「『いよお! えいっえいっえい!』」
「『なんのなんの!』」
両者舞台中央に詰め寄った後、打ってかかった桃太郎を、鬼がひょいと躱して対峙する。客席から見て右側手前が鬼、左側奥が桃太郎。鬼のほうが近い分大きく見える。
桃太郎が続け様に突き、斬上げ、斬下しと繰り出すが鬼はこれを難なく避け、受け止める。
斬下しに至っては、片手持ちの金棒で受け止められた挙句、右の外側へと、ゆっくりと流されていくのである。
「『っさあどうした! どうした! どうした! どうした!』」
鬼は空いた片腕で自分の肩を抱くようにして、そのまま悠然と歩き出す。
片手で刀を押さえられた桃太郎は、一度は追い詰めたはずの端から、今度は逆に押し込まれ、追い詰められていってしまう。
このとき鬼の歩きは乱れなく丁寧で、桃太郎は踏ん張るものの堪えきれないといった様子で、中々二人とも演技力がある。
再び中央に差し掛かったとき、右と左の構図から、体を入れ替えて前と後ろの形となる。
今度は桃太郎が手前に来るが、刀のほうに大分ずれ込んでおり、奥の鬼の顔が客席からはっきりと見えるようになっている。
「ん、これは」
「『さあさお立会い! 鬼の頭の大一番、とくとご覧在れ!』」
鬼が自分を抱いていた左手を前へと突き出し、桃太郎が大外に跳ね除けられると、空いた右手が高々と掲げられる。
「おお、見栄を切りましたね」
「ちょっとかっこいいかも」
アガタが素直に感動する。ちょっと顔がはにかんでいる。京劇とか好きそうだなこいつ。栄も掌を返してくれて一安心だ。
その後も鬼が棒を上下左右にぶん回したり飛んだり跳ねたりして、見事桃太郎を追い払ったところで区切りとなった。
この後童謡にある奇襲に繋がるんだとか。
驚くべきは本人たちの身体能力のおかげか、或いは練習の賜物か、もたつきやそれと分かる失敗が一つもなく、非常に動きが滑らかだったことだ。
歩きや構えの一つ一つも洗練されている。
最後に二人が並んで前に向って一礼をすると、部員一同と俺たちで、拍手をしてから迎え入れる。
「どうだったかな」
『面白かったです』
小学生並みの感想を述べた二人に、運動部部長は満足そうに頷いた。
「体を動かすってことはさ、前向きになるってことだから、その練習を繰り返すことは、生き物として前向きで居続けるってことなの。それってとっても大事なことなんだよ」
ほどよく汗をかいた彼女は、屈託のない笑顔を俺たちに見せてくれた。健康という概念を人生と全身で表現するこの人は、元気が服を着て歩いてるようなものだな。
「本当に運動ならなんでも良さそうだよな」
「喧嘩とえっちと大道芸さえあれば他はいらないよ」
お前は間違いなく、生まれる世界か時代を間違えている。そしてそんなこいつを憧れるような目で見ないで一年生たち。
「もしも元気が無くなったなって思ったら、いつでも来なさい。ここなら好きなように、好きなだけ動いていいから」
『はい!』
うん、明日は無いけど、カリスマはある運動部部長に中てられて、二人は元気良く返事をした。
今までで一番好感触だ。今後この二人で困ったら、ここを頼ろうそうしよう。
「よし、もういいお時間だし次に行こうか」
「あ、そうだサチコ」
「なんすか」
いい雰囲気で柔道場を去ろうとすると、部長に呼びとめられる。振り向くとそこには、乾いた目をした危うい空気を放つ女がいた。
ここまで来てメッキが剥げるのは拙い。俺は二人の視界を背中で遮った。
「そろそろまたシたいんだけど、いいかな」
「うん、いいけど今日は駄目だぞ」
「じゃあまた今度依頼出すよ! じゃあね!」
喜んで手をぶんぶん振ってくる部長に、愛想笑いを振りまいてから、俺は入り口まで戻っていた二人と合流した。
「先輩あの人に気に入られてるんですね」
「組手の相手が俺しかいないからな」
「あーなんか納得」
運動部部長の組手が、どういうものなのかを知らない二人は、勝手に納得しながら上機嫌で歩く。
この人も成長してると考えると、今度は命が危ないやも知れん。
「でもあそこまで開き直られると、いっそ清々しいですね」
「ええ、本当に。なんだか元気が出ました」
アガタと栄は笑っている。まあいいか。知らないならそれでいいんだから。
俺は自分にそう言い聞かせて、次の場所へと向かうことにした。
誤字脱字を修正しました。
文章を行間直しました。




