・番外編 発想は同レベル
今回長いです。
・番外編 発想は同レベル
※このお話は斎視点でお送りします。
午後七時二十分、北家に帰宅。明かりの灯った我が家の中では、おかあさんが晩御飯の支度をしてくれている。
とはいえ帰ってきたばかりなのは、まだ廊下に置かれたままの、買い物袋を見れば分かる。
「ただいまー」
「あ、おかえりなさい」
どこにでもいそうなおばちゃん(痩せてるほう)が、そう言ってくれる。この人は私のおかあさん。肩まで伸びた髪を、ヘアゴムで一本にまとめている。
原色のままの『いかにも中年です』という、上着とスカート。白と桃色。たまに灰色。
私の趣味や好みとは無縁の人だが悪い人ではない。
「何か手伝おうか」
「いいわよこれくらい、斎に頼むことじゃないから」
むう、断られてしまった。昔からこうなんだよな。家の中のことは全部できるし、私のほうが手際もいいけど、気が引けるのか何なのか、皆私に手伝ってくれとは言わなくなった。
まあその分、私の時間は減らないから、文句は言わないけどね。
「ん、じゃあ部屋に行ってるから、ご飯できたら呼んでね」
鞄を持ってマイルームへと帰還する。食事は一階のリビングで、家族揃って食べる。栄と私の部屋は階段上がって二階。うん、古典的な間取りだな。
※『相業納身』という掛け軸が、ネームプレート変わりに貼りつけられたドアを開け、中に入る。
私の部屋、私室、ラボ、要塞、ゴミ箱とも言える空間で、私物が所狭しと並んでいる。
※『相業納身』:人間は自然な状態では、身の丈にあった振る舞いを身に付けて、あるべき場所に納まるという意味であり、転じて安易にブラックだの何だのと言われる仕事を、改善したりそこに勤める人間を、解放するように仕向けたりしてはいけない、という戒めである。以前サチコが斎から四字熟語大喜利を振られた際に閃いた言葉。サチコは自分の所業は自分に帰るという価値観を好むが、これを因果応報という。
「ただいマイルームっと」
クローゼットの中は本棚へと改造されている。箪笥の外にも棚が二つと、工具箱が幾つか。机の上にはパソコン、引き出しにはお絵かきセット(隠語)。
うむ、我ながらリッチである。
我が家は近代建築の二階建て、屋上ベランダ付きの白い清潔感がある、結構いいお家である。
材木や壁材の規格が決まって、同じような壁の薄い箱みたいな家しか、建てられなくなる前の時代の建物なので、ちょいと分厚く豪華。
「部室もいいけど我が家もいいわ」
自分で言うのもなんだけど住みよい。
一応庭と車庫まで付いている。それなのにローンが高すぎて、将来返済が破綻する気配がないのは、偏に元気で家を留守にしてくれるパパと、おかあさんの共働きと、計画性の無い前の持ち主のおかげである。
訳有り物件の我が家。
借金の抵当に競売にかけられていたこの家を、パパが競り落としたのだが、都合の悪い所に目を瞑れば、都合がいいという場所はあるものだ。
「さ、片付けるもんは片付けてと」
実はサチコの家も、お婆さんの遺言で売れなくなっているけど、売れないってだけで借金の抵当にはできるし、競売にもかけられるんだよね。
住宅街から少し離れた、みそっかすみたいな場所にある、古くてボロい平屋に訳有りの女子が住んでる。
生きた事故物件だから、誰も手を出さないんだろうけど、サチコはこのことを知ってるんだろうか。あいつんち家庭の事情が、複雑過ぎるんだよな。
「今日も皆、それなりに楽しんでたらいいんだけど」
母親は離婚済みで父親は親権喪失してるけど、祖母の孫には変わりがなくて、その祖母の生前から住んでるサチコの家の相続は、父親がしてるという。
家を売ると当然サチコは家を追い出されるが、サチコは父母から見てもう他人だ。
競売にかけられて買い手が決まると、追い出されてホームレスになるという、法の抜け穴から零れて死ぬ未来が常に隣にある。
サチコの性格から行って、誰かの家に転がり込むこともあるまい。
止そう。ふとした思考の連鎖から、面倒なことに繋がってしまった。制服を脱ぎ散らかして、パジャマに着替えてしまおう。
夕飯もまだだけど、この姿が一番落ち着く。
とはいえ何もしないというのも良くないな。うむ。
「ここは一つ、自分と相手を安心させられることを、してみようか」
引き出しから志望校の過去問を取り出し、軽く勉強しておこう。これを見せてやれば、多少なりとも皆の不安は鎮まろうというもの。
「でもなあ、こんなことしてる場合じゃないと思うんだよな」
問題文を呼んで、ノートに答えを書いていく。この単調な作業を夕飯までやるのか。退屈だなあ。
「私が愛同研の人間でいられる時間はもう僅かだし、人に合わせるよう、最近は心がけているけど、なんていうか違う気がするんだよねえ」
何故かそれの評判も芳しくないし、むしろ嫌がられてる節さえある。こんなこと言うのも悪いけど、私は結構デキがいい。
家事だって出来るし、洗濯物やゴミの分別も付けられれば、予約録画で深夜帯以外のテレビのチャンネルだって明け渡す。
趣味について身内から偏見でものを言われて、人間の分際で三度の説明を試みた。
勿論、見られてはいけないものは、家庭用金庫にきちんと仕舞ってあるからバレてもいない。家族が知るのは全年齢向けまでだ。
それに私は彼らの、世間でも一般的な悪癖に口を出したこともない。テストの成績も体育以外は優良だ。浪費癖もない。
にも関わらず、どうもこの家の中で浮いている。
「持て余してるんだろうなあ」
言うべきことも特になく、趣味も合わない。あるとするならお金の使い道くらいだけど、それだけだ。
尊重すれば摩擦は生まれず、摩擦が生まれそうな所は接点がない。
気に入らないのに波風を立てられない。立てる理由もない。これが私という女子の家である。
一人小波状態で、タブルバインドをキメてる家族を幾ら気にしても、非生産的なので趣味に打ち込むようになったのは、何時の頃からか。
「歴史の穴埋め問題って、難易度が人物のマイナーなエピソードに頼るから、歴女には意味のない記述なんだよね、私は違うけど」
うーん、やはり勉強のための勉強はつまらんな。
ぶっちゃけ遊んでいたいね。
「こんなことよりも、部活の今後を考えておいたほうがいいや」
鞄から部活用のノートを出して日誌を付ける。日誌かいうか日記だけど。
皆は気付いてないけど、私は愛同研の創立時から、毎日欠かさずこの日誌を付けているのだ。各会の活動内容や、進捗度合いなどが一年と数か月分ある。
これをまとめるのが私の日課である。とはいえこれはあくまでも、個人的なことなので、愛同研自体にも何か、引き継ぎできるようなものを拵えておきたい。
「衣装部は新部長就任。原料や生地に熱中する裏方の気質っと」
不思議なもので、皆を観察するのは楽しい。特定の誰がって訳じゃないけど何故か心が潤う感じがする。
馬鹿をやりつつも、好きなことを頑張っている様を見るのが楽しい。
流石に六月ともなると、新入生も篩いにかけられた頃で、早々に脱落する者と、沼に浸かる適正のある者とに分かれたようだ。どの会も退部者が出ている。
趣味の世界は適者生存、合わない者はその時点で、生きていけない。強弱に甘えることは許されない。
心に原風景のある者だけがそこに存在を許される。
「我ながら名文だな。こういうふうにまとめて、最後に総括出すってのも楽しいね。上手くいってる内だけだろうけど」
料理部新部長就任。部員のアレルギーと、好き嫌いの周知徹底を促す。こいつはあの大仏の後輩で、天然パーマの奴だな。好き嫌いの姿勢については、反目し合っていたけど、こいつも無類の料理好きだ。
旧三年生が卒業し二年生、つまり私と同期の現三年生が部長になった所が殆どだな。前部長の気風を告ぐ所もあれば、部長の性格が反転した部もある。
普通に一人で勉強するより、どんどん知識が入ってくるし、各会に顔を出し一喜一憂しては、それとなくテコ入れする。
これが楽しい。中には辞めちゃう人もいるけどさ、そこはまあ、その人の都合だからね。
――いつきー、ごはーん!
「あれ、なんか今日は早いな。いつもならもっと後になるし、栄が意味もなく突っかかってくるのに」
私には栄という妹がいる。私に対してコンプレックスがある。それだけの妹が。
小学校の中学年頃から、妙に突っかかってくるようになったけど、あれこれ言ってくる際に否定せずに、前向きで建設的な回答ばかりしていたら、見る見る内に仲が険悪になってしまった。
煽りとか一切入れてないんだけどね。以降は重箱の隅を突くようになったから、下手に出てやり過ごすようになった。
一応頼みごとをすれば、いい気になって手を貸してくれるから、便利っちゃあ便利だけど、正直サチコのほうが使い勝手はいいし、性格もいい。
サチコが妹だったらなー。頭脳系の私にパワー系の妹で、対比も素晴らしかったと思うんだよなあ。
世の中上手く行かないもんだよ。
ーーただいま。
そんな栄の声がして、ふと廊下に顔を出すと、当人が階段を上がって来る所だった。
「あれ、おかえり栄。今帰ったの」
「……そう」
妙だな。いつもなら私に悪態の一つも吐くのに。
「出来上がった順に食べてって。伸びちゃうから」
「ん。今行くー!」
我が家ではだいたい二週に一度は、インスタントのラーメンが出る。
麺が伸びるから出来た先から食べてということで、食べ終わった順に、解散という形になる。
私は階段を降りて、リビングに向かい、食卓に着席した。湯気の上る丼が一つ置かれている。
「頂きます」
「ねえ斎」
「んん?」
丼から麺を掬って啜っていると、階段から降りて来た栄に声をかけられた。
今日のは醤油味か。できれば塩のが良かったなあ。
「ちゃんと勉強してるの」
「しへふ」
栄がむっとしたのが分かる。食いながらの返答が、むかついたんだろうけど、私は食べるのが遅いから、一度頬張ったものを飲み込むまで、時間が掛かる。
どの道苛立たれることに変わりはない。
「……食べる手を止めてから答えなさいよ」
「……してる」
「他に変なことしてないでしょうね」
またこの話題か。懲りないな。
「私は勉強以外には創作活動しかしてないし、それを変なことと思うのは栄の勝手で、栄の世間体を気にして止めると私が損だ。その上で敢えて聞き返すけど、なんだって?」
怒りに任せてこっちを睨むんだけど、栄は私との睨み合いで勝てた試しがない。後ろめたさがあるから、必ず先に目を逸らす。
「勉強してるなら、いい」
おかしいな。これで食い付いてこないなんて。栄は何かを企める人間じゃないけど、今まで毎日のようにぎゃんぎゃん喚いてきたのに。
栄の様子がおかしい。
何か企んでいるんだろうか。
「今日は突っかかってこないの」
「斎、余計なことしないの」
「え、何それ。また私が悪いみたいに言って」
おかあさんは栄の丼を置いて、台所に引っ込んだ。あの人は本当に。
その後私たちは、無言のまま夕飯を終えて、無言のまま部屋に引き上げた。
私は引き続き勉強と、日誌の続きに取り掛かることにした。しかし変だな。
人間が普段からやってる行動を、急に止められるものだろうか。
……サチコ辺りを頼ってみたほうが、いいかも知れないな。この期に及んで不祥事ってのも困るし。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




