・健康はレベルアップから
今回長めです。
・健康はレベルアップから
窓の外には暗雲が垂れ込め、しとしとと雨が降っている。現在梅雨真っ盛り。歴史が改変されたこの世界では、六月にもちゃんと祝日がある。
あるけど天気とは何の関係もない。すり減った靴底から、水が染みてくるので、外出する気も起きない。
だから家でじっとしているうちに、何事も無く夜だ。
もう夕飯も食べ終わって、風呂も入り歯も磨いて、学校の準備も終わらせてしまった。テレビもつまらないと来ている。
となればやることは、ダラダラしながらレベルを上げるくらいである。
「ねえサチコ、そんなとこで横になってると、掃除の邪魔なんだけど」
「別に散らかってる訳でもないだろ」
昔ながらのうるさい掃除機を操りながら、ミトラスが嫌っそーに言ってくる。家電の扱いを完全に習熟した彼は、最早俺より主婦してる。でも夜にそんなことするんじゃない。
「ほら起きて起きて、ないすばでーが台無しだよ」
「そんなてけとーな言い方されてもなー」
掃除機で背中を小突かれる。
ちゃんとスイッチを切ってから、やったことに免じて勘弁してやろう。
前はおふざけでやって、俺の髪の毛が吸い込まれて大騒ぎになった。あの時のミトラスの弱り果てた泣き顔は、被害者の俺が気の毒になるほどだった。
ならもうやるなよとは思うけど、くだらない失敗に限って繰り返すのが、日常というものである。まあ今回は学習してた訳だけど。
「うーん、ちゃんと体は成長してるし髪も長いしいいと思うけど」
「自分のことながら結構変わったよな」
異世界に行っていた頃の俺の身長が、160台の半ばから後半だったのが、今や180台の後半。髪も背中辺りまでだったのが、腰まで伸びた。
未だに眼鏡はかけてるけど、視力も回復している。短足も是正された。そばかすは、そういえばそばかす消してないな。マイナスを意味する赤パネルとして、出たこともない。
マイナス扱いするかどうか、確かに微妙な線だけど、個人的には消したかった。
それと体は比べようもなく頑丈になったが、体重もがっつり増した。当然といえば当然だけど、女子高校生的でない数値になっているので、体重計に乗る時はいつも憂鬱だ。
あと顔つきも少し変わったような。身体年齢が二歳分進んで、体付きも変わったけど、ミトラスと会った頃の人相の悪さは鳴りを潜めている。
角が立つ類の仏頂面も、改善された生活と人間関係により、刺々しい雰囲気が取れて、全体的に幸せ太りの如き、ぼんやりとした感じになっている。
完全にウドの大木じゃねーか。
「止め止め、レベルあげよーぜ」
「え、どうしたのいきなり」
「いいから」
昔の俺より格段に良くなっているとはいえ、客観的に見ると、そこまででもない。以前卒業した衣装部の部長から『体はまだしも、顔のほうは整形しても、良くなる構造をしてない』と言われてしまったからな。
止めよう。俺はテレビの電源を入れて、リモコンを手に取った。入力切替でビデオの次にある『サチコ』を選択。画面上部にタブが有り、分野にちなんだパネルが中央に並ぶ。
「肉体は今回決めてあるんだ」
「自発的なのはいいことだよ」
『背筋強化』:背面の筋力が強化されます。老後の腹筋に負けて背が曲がることを避けられます。
1,000点払って取得。ん。
『取得した『脂肪』の余剰分を寄せて消費することで、更に強化できます。強化しますか。※この強化は本来の強化限界とは別になります』
「なんだこれは。画面に選択肢で『はい』と『いいえ』が出たぞ」
「体の限界を超えた強化ができるってことだろうけど、これは初めて」
体を保護するためにある脂肪の余り。はっきり余りと言われる。それを使えば、パネルの取得限界を超えて体を強化できる。
「『脂肪』も複数回取得できるけど、これ自体は何回取れるんだろう」
「それだってこの強化に費やせばまた取れるようになるんじゃないかな」
「ちょっと調べてみるか、ミトラスあっち向いてて」
「えー」
不満の声を漏らす猫耳少年だったがちゃんと向こうを向いてくれる。ファンタジックな緑髪の生えた後頭部は草原のようである。
で、先ず脂肪だが、肉体の成長点とフリーの成長点6,000を注ぎ込み再取得。パネルが暗転。三回取れることが判明。一瞬窒息するんじゃないかってくらい服がきつくなったのでキャンセル。
そして背筋を3,000点払って限界まで取得。同じくパネルの取得上限に至る。キャンセル。
今度は背筋取得時に、先ほどの問いに『はい』と答える。
次にもう一度脂肪を取得してまた背筋を取得、脂肪の成長点が一回2,000点なので合計5,000点、そしてまた同じ質問に答えると。
「また背筋のパネルが取れるな」
脂肪消費での肉体強化は、本来のパネルの取得数に含まれないんだな。成長点が足りないから、これが何セットできるのか、そこまでは調べられなかった。
だが最低でも、脂肪が三回取得できるから、三回肉体の限界を超えて、強化ができるということだ。
「これは体のどこを鍛えるか悩むな、取り敢えず今回は背筋を限界まで取ろう」
「そういえば何で背筋なの」
「実は巨大化したときに、腹筋と重力で、体が前方にすごい引っ張られる感じがしてな、これは危ないなと思って、取ったほうがいいと思ってたんだよ」
「転倒防止な訳だね、そんなことあるんだなあ」
「巨大化してみないと分からないことだな、もうこっち向いていいぞ」
そうこう言いながら、次に知能のタブへ移る。
学帽と眼鏡のマークが、脳筋路線へ入った今の俺には眩しい。
「次、知能はこれを取ります」
『空間認識』:その場に存在する何かの数、色、音、動き等を把握する力を向上させます。心で空気が読めない人でも、これがあれば肌で空気が読めるようになります。
「慇懃無礼な説明だなあ!」
「設定したのはお前だからな」
ミトラスが悔しそうな表情で、唇をわなわなさせている。このレベルアップについては何度か尋ねたが、その度に『あまり細かい関与はしていない』という、恐ろしい弱音を吐くばかり。
なので俺としてもこの態度は困った限りである。
「で、魔法はこれ、『仙術』」
「前に変な使い方ばかりして、一度封印し奴だね」
「ほとぼりもさめたということでひとつ」
『仙術』:創作と変化に特化にした術です。現象を起こすのではなく、効果を現実に落とし込むという特徴があります。
「どういうことだろ」
「説明が難しいけど、例えば回復魔法があるでしょ。あれは魔法を唱えると、傷が治るという作用が働く。一方で傷薬を仙術で作るとね、その傷薬で怪我の手当てをすれば、怪我が治るんだ」
「概ね同じことじゃないか」
最近気付いたけど、色々な魔法系の不思議パワーにも、体系というものがある。考え方が把握できてないと、到底使いこなせない。
知れば知るほど、勉強しなくてはいけなくなる。俺には無理だ。
「そうだね、でもその傷を治せるものを、使ってるからこそ治るというもので、合わないものを使ったら当然治らない。仙術で作られた薬は『傷が治る』という力が、そのまま形になってるんだ」
「相手側の状態は関係無いんだな」
精神属性無効の相手に、効果が及ぶようになるような感じか。
「そうだね、効果を相手に押し付けることができる。威力よりは影響力を売りにしてると言えるね。他の例だと病気が治る仙術は、その病気が治る処方なんじゃなくて『病気が治る』という効果を、相手に押し付けたからってことなんだ」
「『俺が治るって言ったからには絶対治る』ってことか。なんかすげえ上から来るな」
「そういう民族性なんでしょ」
術の系統から発明した人の民族のことまで、言及しちゃっていいんだろうか。背景として関係無くは無いんだろうけども。
「上から下へのゴリ押しがやり易い術だね。好き嫌いがはっきり分かれると思う」
「うん、お役所的というかなんというか」
そうか、攻撃が相手を追いかけて、必ず当たって倒すという形が投石だったり、相手が失神するのが顔から発せられる光や息でもいいのは、効果が先に決まってて、形はそこまで重要じゃなかったからなんだな。
攻撃面だと暗器みたいな運用だな。
古典に出てくるマジックアイテムなんかも、効果を付与したんじゃなくて、効果そのものが武器や防具の形になっているってことなんだろうか。仙丹とか金丹を作るくらいに、留めておいたほうがいいな。
「段々と手に負えなくなっていく感じがするな」
「魔法も練習すればちょっとした特権的な力だしね、大勢の上流階級が、挙って研鑽に励んだこともある。暴力として見る分には、科学とそう大差ないよ」
「そこに焦点当てちゃうと、魔法も悪い力に思えてしまうな」
「人間は悪いんだから人間が使ったら何でも悪いよ」
ミトラスが屈託なく笑う。
信じているとか知っているとかではなく『世の中そういうものだ』くらい当たり前のていで言ってくる。
悪くない人もたまにいるってだけだから、俺もそこは否定せんけど。
「あー、うんまあ、なんだ、じゃ最後に特技だな。今度こそ料理取るぞ」
「あ、はい」
『料理』:段階に応じて、料理に関する気配りができるようになっていきます。
「アバウト」
「具体性に欠けるね」
気配りができるようになるって、それ俺の気が利かない部分が、直っていくということだけど、なんだか複雑。
嬉しいようなそうでないような。取得。そしてまた上がる体力面。
「あれかな、具材の大きさ揃えて切るとか、芯の部分は細かくしたり取り除いたりとかかな」
「ちゃんとアスパラの皮を剥くとか、アサリの砂吐きみたいな下拵えをするとか」
なんか考えるとうるせえって言いたくなる内容だ。
しかしこれは掘り下げると、俺への不満がミトラスから泉の如く湧き出る恐れがある。切り上げたほうがいい。
「さ、レベルアップも済んだしこの後どうする」
「することないしもう晩御飯食べちゃったし、もう寝るだけだよ」
時計を見ればまだ十一時。外は雨。少し窓を開けると、湿った夜気のいい匂いが入ってくるが、それだけだ。特にゲームがしたいって気分でもないし。
「え、まさか本当に今日これで終わりか」
「そうだよ」
既に俺に背を向けているミトラスが、素っ気ない返答をして部屋に戻った。
恙ないのはいいことだけど、それにしたって何もなさ過ぎるだろ。
「おやすみサチコ」
「あ、うん、お休みミトラス」
平和なのはいいことだけど、休みの日はちょっと刺激が欲しい。そんなふうに思った一日でした。
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