・番外編 煩悩猫
今回長いです。
・番外編 煩悩猫
※このお話はミトラス視点でお送りします。
僕は猫である。名前はミトラス。みーちゃんと呼ばれている。本性は魔物だけど今は猫なんだ。
普段は図書館で人間に化けて勉強してる。でも最近はよく猫になって、サチウスについて学校に来ることも増えた。
人心の荒廃しきった世界の、若者の動向を三年も観察できるなんて、早々できる経験じゃないしね。今日も今日とてヒューマンウォッチング。
この国の人たちが変わっているとは、サチウスの便だけど、事実その通りで他の国、正確には他の人種と明らかに性向が異なる。
サチウスの人種は大陸版と祖を同じくするものの、外敵との戦いが比較的少なく、小規模だったぶん温厚で勤勉と言われるものになったらしい。でも今はこのざま。
小心だからこそ備わっていた、自分の生存に向き合う勤勉さが失われている。そんなことをしなくても生きていけるからだ。
第一、外はともかく内乱はよくやってたみたいで、戦いらしい戦いもなくなってからは、温厚さは陰湿さを残して失われているし、元々責任感に欠ける所は、大陸と同じだ。
当事者意識に欠けるし、問題から目を背けることに必死。
逆に西欧人は当事者意識が強すぎるみたいだけど、やっぱり責任感はないし好戦的。問題を解決したがるけど、その方向性はこっちの人たちと、さして変わらないみたい。
それまでに培った形質は、危機の克服と同時に不要となり、形骸となっては歳月に、洗い流されていく。文明の風に錆びついた面影が、なんだか悲しいね。
「猫ちゃん、この前はごめんね!」
そんな思いに耽っていると、アガタさんに鷲掴みにされた。彼女は必死に謝るけど、不思議と謝意などは伝わってこない。
「ねー」
この逃がすまいと力のこもった手!
自分のせいであることが、一秒でも続くことを受け入れられない顔!
「もうスプレー使うときは気を付けるから、許して」
人に自分を許すよう強要するなんて。僕もちょっと前まではこんなふうだったのか。サチウスには軽蔑されただろうな。反省。
「まーあ」
体を掴む手を引き剥がすように、寝返りを打って手を離させる。どうしてこんなに余裕が無いんだろう。
うーん、一つのことに打ち込んでいるときは、結構すごいんだけど。
「サチコ先輩、まだ怒ってるんでしょうか」
「はよ続き描けってよ」
北さんと二人で、何かの図面らしきものと睨めっこしているサチウスが、そんなことを言う。
それだと僕が監督役というか、インテリ猫みたいになってしまうんだけど、まあいっか。
僕はサチウスの傍の机から降りて、アガタさんが今描いている物を見た。錦絵というのをモチーフにした奴だ。
鬼という古の大妖怪と、人間の将軍たちの決戦を描いた絵だけど、教科書に載っているこれを、彼女は真似しようというのだ。
美術の絵や聖書の構図を導入した漫画に影響され、自分でもやってみたくなったんだとか、そして現在は長方形のベニヤ板を前に、悪戦苦闘している。
「行き詰ってるから構って欲しかったのに」
彼女は登場人物を、海外のものに変えようと試みているけれど、肝心の鬼の代役となる魔物が、思い浮かばないみたいだった。
無理もない。僕たち魔物はあくまでそういう生き物だけど、妖怪は人間の心から出たモノだって言うし、根本的に違うものだ。
イマジナリーフレンドっていう、後ろ前向きでさえない、魔物化した生霊とでも言おうか。
非常にネガティヴで、この妖怪を生み出せるっていうのが、サチウスたちの種族の、極めて悪質なオリジナリティだ。
人間全般に言えることだけど、本当に同じ生き物とは思えない。例えるなら『同じ種族以外と交配出来る似たような外見の生き物同士が、たまたまその場に居合わせたばかりに、互いを同族だと勘違いしている』ような。
だから生まれた人はどっちの種族でもあって、どっちの種族でもなくて。それが今は人間と呼ばれているのではないかって、たまにそう考えることもある。
「その鬼の代わりが務まるような、華のある化生はそう多くないし、絵の配色も活かしたいなら、更に候補は絞れるだろう、横のモブみたいな四天王も今回はいないし、一騎打ちの形で描ける強みもある」
「じゃあ、たとえば」
サチウスが絵に向き直る。彼女は教養が全然身に付かない割に、経験則はしっかり培われてるし、奇妙な交友関係のおかげで、審美眼は磨かれている。
アガタさんも怒り合ったり、手が出たりすることもあるのに、不思議と仲が険悪にならない。
だからなのか、アガタさんは感想を聞くとき、サチウスによく話を振る。
「牛頭か、虎か、いっそ骸骨に鎧を着させるのも有りだな。背景を原野から波飛沫と日輪に変えれば、劇画調になって、京劇みたいになるな。でも路線は西洋風だったっけか」
サチウスがちょっとだけ、先輩っぽい振る舞いをしている。構図は人間と魔物が左右に分かれて、一対一の形だ。
でも元の絵の鬼は大きいせいか屈んでいて、ちょっと迫力に欠ける。
「ファンさんはキャラクターに悩むわよね」
「人物画の引き出しに乏しいとも言える」
「パース狂いも技の内だよカトちゃん」
愛同研三羽烏が口々に言う。アガタさんはしばらく悩んでいたけど、もう一度描き出すことはなかった。
「うーん、構図は決まってるんだけど」
「人間嫌いだから人間描きたくないんだろ」
「そうなんですよね……」
そして代わりに北さんがゲーム機を引っ張り出してくる。前見た奴と違う気がする。
「同じ人と思うから駄目なんだ。もっと焦点ぼかせ」
「架空の存在として愛するんだよ」
「自分のロボット漫画で、散々市民を蹂躙しておいて良く言うわね」
「え、同じ人間だから、酷い目に遭わせられるんじゃないの」
そうこう話しながら選ばれたのは、亡者の騎士が特に目的も無く世界をうろついて、自分と同じように呪われた者たちの、末路に立ち会ったり、時には引導を渡したりしながら、魂を集めてレベルを上げるゲームだった。
レベル上げの部分はまるでサチウスみたいだ。うちでやるのよりも、絵面が格段にかっこいいけど。
「お前の好きな武器で、物語を進めてやるから、他のキャラの台詞とか参考にしろ」
「でもこれたかがゲームですよね」
「聞いたか部長、西暦が2000を数えて、まだこんなことを言う奴がおる」
「よせよせこれは人間の性じゃ。滅びるまで言い続けよう」
北さんとサチウスが、途中で何度か交代しながら、非常に速やかにゲームを進めて行く。敢えてキャラの身長を最大限高くしていることで、それよりも大きい悪魔の存在が際立つ。
「でも、騎士と悪魔かあ」
アガタさんは画面を見つめながら、何やら考え込むようになる。
「将軍と鬼の代わりにはなるだろ」
「色合いとサイズで考えると、鬼役は山羊頭がいいと思う。他はデカすぎる」
鮮やかな腕前に、容赦なく敵の魂が奪われていく。このゲームだと基本的に皆不死で、死んでも復活してまた魂を奪われていくのだという。
主人公も同じで、死ぬと特定の場所から復活する。
こういうのをリスポーンというらしい。ある手順を踏んで居ないと、どれだけ先に進んでも、大分前の地点から復活となるから、大変なんだって。
僕はちらりサチウスを見た。彼女の場合は死んだら死そのものが、かなり前に戻されてしまうみたい。
僕の呪いで死なないから、世界とか時間とやらに、連れ去られる心配はないけどね。
「レベル上げるけど何上げます」
「技量でいいでしょ」
サチウスから聞いた魂とのやり取りは、大きな収穫でもあったけど、衝撃も受けた。
魂が自分たちが生きていたときのことを、覚えているということ。
もしかしてこれが、歴史改変でも記憶が残る、本当の意味なんじゃないだろうか。
以前に南さんが言ったような、周りからの影響が少ないということ、その主体というか主語が、魂に当たるのではないだろうか。
歴史改変でも変わり無く、その肉体に宿ったままの魂は、前の歴史との変更点がほとんどなかったから、当事者として意識は、前のままでいられたんじゃないだろうか。
肉体としての生命と、そこに宿るはずの魂、それらの不一致は記憶の不一致にも繋がるってことだろう。
魂と肉体の記憶や歴史が、一致を見なければ、記憶が混濁しそうだ。自然な成り立ちのように思っていた事柄は、実はとても危うい均衡の上に、成立していんだなあ。
マックス君のこともそうだ。僕たちがこの世界に来たタイミングは、何も見計らった訳じゃない。
というよりも、歴史改変が基本的に上手く行かないのなら、改変前の歴史に着地しているほうが、自然だと思う。
その場合、元の歴史のまま、マックス君の転生前が助からずら終わったはずだ。
改変された歴史はそれが無効化されると消えるけど、言い換えればその瞬間までは、存在しているのかもしれない。最後にやっぱり駄目だったという、瞬間までは。
今は改変自体は成功し、やはりその後の世界も存在しているということなんだ。これが改変時における、世界の現実ということなんだろう。
そしてそこに僕たちが来た。別の考え方だと、歴史改変でサチウスの人生が大きく変わっていたら、この世界に彼女はいなかったことになって、その場合は予定通り、マックスこと石塚君は死んでいただろう。
或いはサチウスが、この世界に戻ろうとは考えなくなっていたかも知れず、やはり彼の歴史改変は、第三者の手による確定が行われず、元通りになってしまっていただろう。
そうすると、彼の生存という結末自体は三年前の三年後、いや四年前の二年後から決まっていたということなんだろうか。
やっぱり随分と危ういバランスの上に、今回の件は成り立っていたのかもしれない。
本来なら魂たちが見通していたはずのものが、思わぬ形で外に弾んで、大きく狂って戻ってきた。
奇跡は高くついたのか、それとも運命が安売りされたのか。そんな言葉が頭を過ぎる。
それとサチウスは、肝心なことを聞き忘れている。異世界に生まれる人間の中には、いきなり青年として発生する者たちがいる、それについてだ。
また今回のような大規模な歴史改変で、同じ人間でありながら、別の魂が入った場合などのも、知っておきたかった。
転生者の異能が備わるメカニズムもだ。
ここはやはりサチウスを説得し、てもう一度変身してもらったほうが、いいかもしれない。ダメ元で。
「ねー」
「なんだ」
「あ、ごめんねほったらかしで」
手と口を止めずに遊んでいるのか、後輩の世話をしているのか分からない彼女たちが、こちらを向く。
声が元に戻らないよう気を付けてと。
「ねー」
「こやつ人間みたいな鳴き声するなー」
女性陣に遠慮なく体中を揉み解されながら、僕はサチウスを見た。
ちょっと信じがたいけど、僕がこの人をこの世界から呼び出したことで、色々な流れが変わったみたい。
流石に歴史まで変えることになるなんて、思ってもみなかったけど。サチウスに付いて来なければ、こんなことは絶対に、知らなかったはずだ。
歴史改変の方法も確立できれば、いったいどれほどのことが可能になるだろう。
この大きな力の発見が、この三年間の二番目に大きな収穫なのは間違いない。
アニミズマ―装備を犠牲にした甲斐があったというものだ。でもまさか本当に神聖な力があったとは。
「あーお前悪い顔してんなー」
「え、そうなの」
「にゃーう」
サチウスが僕を独り占めするように、抱っこしてくれる。僕は体を動かして、抱かれ心地が良いように体勢を整えた。うん、適度な弾力と良い匂い。
「おーよしよしよしよし」
サチウスがアゴをかいてくれる。この三年間の一番の収穫は何かと問われれば、勿論こうやって彼女と、いちゃいちゃする時間である。
ここに歴史改変の力が加われば、過去に誰かの邪魔が入ろうが、未来で僕が彼女との仲が、悪化するような失態を演じても、怖いものなしだ。
何が何でも解明しておきたい。そうなれば僕とサチウスの将来は、安泰だと言っていいだろう。
「むあーうー!」
「おーよしよしよしよし」
はっはっはっはっは。
「おーよしよしよしよし」
「むなー!」
はっはっはっはっは。
「おーよしよしよしよし」
「けふん、みゃ!」
ごめんもうやめて。
「前肢で嫌がられたわね」
「ん。じゃあそろそろ帰るか」
おっと、サチウスたちが部活動を解散して、帰るみたいだ。僕もサチウスの後を追って、駐輪場へ行って自転車のかごに乗り込む。
夕方に風がひげに気持ちいい。
まあ僕とサチウスに限っては、滅多なことはないと思うけど。だって僕とサチウスだし。
たぶん、きっと、いや絶対大丈夫だと思う。今でさえ好調なんだし、この日々が続く限りは、変える必要なんかない。僕がこの歴史改変を頼ることは、この先ずっと無いだろう。
でも知っておくのに越したことはないし。
「所でミトラス、お前心の声駄々漏れだったぞ」
「え、それはどこから」
「『ここに歴史改変の力が加われば』の辺りから」
あれ、おかしいな。普段は下心丸出しでも、聞こえないはずなのに。流石に猫として、気を抜きすぎたかも知れない。
「歴史改変したって、俺が俺のままなら、お前の失敗も覚えてるってことじゃ、ないのか」
「あ」
「覚えてると言えば廻しの件、覚えてるよな」
「はい」
あ、この流れはまずい。早く説得のために話を切り出さないと!
「それと……」
「はい」
「あと……」
「はい、はい」
その後僕は家に帰るまでの間、今回貯めたツケとでも言うべきものを、並べられ清算する羽目になった。
また、二度とサチコにコスチュームを着せないことを約束させられてしまった。なんていうことだ。
ああ、早速この歴史を改変したい気持ちに駆られてしまう。サチコをもっと着せ替えしたかったのに。
いったいどこで間違ってしまったんだろうなあ。
「そうだ、せめて女の子の衣装だったら!」
「駄目です」
駄目か。
僕はこうして、歴史改変への糸口を失ってしまったのでした。
<了>
この章はこれにて終了となります。
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文章と行間を修正しました。




