・土塊に根差す徒花
今回長いです。
・土塊に根差す徒花
――神奈川県小田原市で今日未明、バイクとトラックの正面衝突事故がありました。
テレビにはさっきまで俺たちがいた、ご近所が映し出されていた。そこにはトラックと、俺の背中に猛スピードで突っ込んで来たバイクがあった。
バイクは横倒しになっていて、運転手はトラックのほうが無傷、バイクのほうが軽傷と報じられた。
――運転手への事情聴取によると、トラックに怪物が張り付いていた。助けなければと思ったと証言しており、トラックに向って行ったことを認めているそうです。
「誰が怪物だ誰が。鎧がばっくり割れるほど、速度を出しよってからに」
そう。あの夜俺はバイクに襲われ気を失ったのだ。ミトラスが魔法で俺の姿を隠し、しばらくはその場で安静にさせていたそうで、目を覚ました今は、自宅に連れ帰ってもらった。
リビングの床にミトラスの布団を敷いて寝そべり、激痛が走る背中に薬草魔法のカルスを山ほど使って、じっとしている。湿布の要領でじわじわ効く。
「3メートルはまだ人間の範疇だろが、全く」
最初は動けないほど痛くって、すわ入院かとも思ったが、身体強化によって無理矢理体の代謝を上げて、治療をしたので今は大分良くなった。
身体強化をした際は、痛みが倍増してまた気を失いかけたけど。
――またトラックのほうもブレーキが深刻な故障状態にあり、あわや大事故に繋がっていた可能性があるとされ、警察からはトラックの運転手が重度の疲労状態にあり、ドライブレコーダーには誰もいないにも関わらず誰かと必死に会話をしている様子が録音されており、両者とも何か幻覚を見ていたのではないかとのことです。警察は過労、違法薬物双方の線で、調査を進めるとの方針です。
俺の正体は隠してくれたようだが、これはこれで二人が不憫だな。
轢かれた俺が庇うのもおかしな話だが、バイク側は曲がりなりにも助けに入った訳だし、状況的には良く行動を起こしたと言えなくもない。
あそこにいたということは、看板を除けて来たってことだけど、相手のためとは言え、迷惑行為には違いないし非も俺にある。
何だか申し訳ないが何にせよ、この期に及んでは、死者数が出なくて良かったってことで締め括ろう。
「とはいえ、我ながら良く死ななかったものだよ」
――またトラックの正面には、多数の手形が残っていることもあり、現場には第三者がいた可能性が高いとして、こちらもの捜査も平行して進めるそうです。
魔法の貸し出しをする前に、触れていたときに付いた手形と、八尺時の手形。大小の手形がめり込んだ、トラックの前面が大写しになる。
「これ完全に都市伝説だよな」
「いんじゃないの。そんなことより体、大丈夫」
ミトラスの声が頭上に降ってくる。見上げると首がちょっと痛い。ムチウチみたいになってるかも。
「片付け終わったのか」
「うん、お札も回収した。それともうあの鎧と兜は、使えないね」
ミトラスはそういうと、がっくりと肩を落とした。アニミズマーセットの頭と胴体は、トラックとバイクに挟まれたとき、俺を守ってその役目を終えた。
彼は俺を連れて帰宅した後、飛散した破片や装備の処分などの、事後処理をしていたのである。
ちょっとヒーローと裏方っぽい。
「しかし人間やれば出来るものだな」
「アレくらいは、鍛え抜いた男性でもできるよ。まだまだ鍛錬が足りないね」
俺は鍛え抜いた成人男性よりも、強くなるつもりは無いよ。何を言ってるんだよ、俺は自分の人生にバトル展開なんて求めてないよ。
「勘弁してくれ。これ以上体を逞しくしたくないよ」
「それは、僕もそうだけど……」
頭のすぐ近くに正座していたミトラスが横を向く。人間の体は鍛えたらおっぱいも筋肉になってしまう。そこまで都合よくはできていないのだ。
滅茶苦茶怪力なのに柔らかそうな体がフィクションじゃないのは、お前とお前の師匠くらいのもんだよ。
「ん、この分なら、何とか登校できそうだな」
「こんなときくらい休んだら」
「休んだら皆勤賞は取れないぞ。登校してから早引けすればいんだ」
こういう柔軟な休み方を、考え付くようになった辺りは、俺も賢くなっていると実感する。でもどうしてミトラスは渋い顔をするんだろう。
「そういう実態を伴わずに、要件を満たそうとするの止めない」
「止めない。こういうのも一つの働き方だ。いやなら改正しろ」
保健室登校だって皆勤賞は取れる。そういう世の中を俺は奨励したい。
「これくらい緩くて、いい加減でも生きていけるっていうのは、大事なことじゃないの」
少なくとも深夜にトラックを運転して、死にかかるような頑張りを、期待されるようなライフスタイルは真っ平である。
生きるために生きるというのは、畜生の道なのだ。
「君ってなんだかんだ学校好きだよね」
「そうでもないが、今日は行きたい場所があるんだ。だから登校しなきゃ、いけないってだけだよ」
間が空くと行き難くなるし、話辛くもなるだろう。そうなる前に、会っておきたい奴がいて、確かめておきたいことがあった。
ーー
ーーーー
ーーーーーー
「オーラーイオーラーイ」
「だからツッタッテチャジャマダッツッテンダロウガヨ―い!」
連休明けの学校に登校し、昼前の体育の時間を保健室に繋げ、そこから脱走した俺は、そのまま旧校舎へと訪れていた。
平日昼間も絶賛勤労中のドカチンと、前より少しだけすっきりした旧校舎の瓦礫を尻目に、俺は敷地の片隅に花を置いた。
「よう」
「なんだまた来たのか。今度は随分直ぐだな、学校はどうした」
「抜け出した」
目の前には幽霊の爺さんがいた。足は無い。
俺は予め買っておいた線香と、ライターを鞄から取り出すと、一本に火を点けて爺さんの足元に置いた。誰かが咎めに来る気配はない。
「ありがとさん。でも煙草はないのかい」
「今は学生じゃ買えない世の中なんだよ」
「なんじゃつまらん」
爺さんはそう言いながらも少し嬉しそうだ。俺たちは少しの間工事の音を聞きながら、何も言わない時間を過ごした。
寄りかかった錆びたフェンスが、時折軋んだ音を立てる。
「今日近所で事故があってさ」
「おー、そら大変だ」
「ここのトラックだったんだよ。幸い大事故って程ではなかったけど」
爺さんはそれを聞いて、工事現場を見た。何度か頷いて、小さくうつむいた。
「とうとうやったかあ、不思議はないが」
「働かせ過ぎなんだな。ただそれでちょっと気になってさ」
「なんだ心配して来てくれたのか」
「そんなとこだよ」
工事の音に混じって笑い声が聞こえる。空は青い。風もあまり吹いていない。どんな音も届くような気がする。何事も無い日だ。
「なあ」
「なんだ」
俺は爺さんに聞いてみることにした。
「死んだら化けて出られるのは分かったけど、成仏したらどうなるんだ」
「さあなあ、成仏したことねえからなあ」
もう一本、線香に火を点けて置く。
「地獄に落ちるか天国に登るか、でなきゃ生まれ変わるか」
「天国以外は生まれ変わるんだっけ」
「地獄は刑務所みたいなもんだからな。責め苦が済んだら追い出されるらしい」
娑婆苦の満ち満ちたどっかによ。と、爺さんは疲れた様に言った。
「そういう進路の選択くらい、させてくれても良さそうなのにな」
「そうだな、生まれが選べねえなら、せめて死んだ後くらいは、任せてくれてもいいよな」
鼻をすする音がする。そよ風が煙を煽る。線香の甘い匂いがこっちに向ってくる。
それは俺を通り過ぎて、波の様に引いて行く。
「もしも選べたら、生まれ変われたら何になりたい。俺は犬とか鳥がいいと思うんだけど」
「水族館のアザラシなんかもいいな」
俺の取り繕った話に、爺さんは付き合ってくれて、あれはどうだ、これも捨て難い、そんなふうに色々と並べ立てた。
「ただ、やっぱり、また人間になりたいねえ」
そう締めくくった。その言葉に自分の心臓が、冷たくなるのが分かった。
「なんでまた」
「こんな人生だったからよ、こんな人生を俺の最後にしたくないって、だけだな」
爺さんの言葉に、今朝のことが、あの何者かの言葉が脳裏に蘇る。
今ならあの意味が、なんとなく分かる。
「もう少しマシな、満足の行く人生になりたいよ」
「懲りねえな」
そう言うと、爺さんは照れたように頭をかいた。
何故か嬉しそうだった。
「俺はさ、今でこそ幸せだけど、義務教育を終えるまで全然そんなことなくて、親も親で結局駄目のまんまだった。上げ底とか水増しの反対を何て言うのか知らないけど、やっぱりその点で人より幸せが一段劣るんだよ。最初から一歩下がってるし天井も低い。いじめは減って、友だちもできたけど、そこを考えれば無性に寂しくなるし、悲しくなる」
南や先輩たちと過ごしてる時間も、ミトラスと過ごしてる時間も、異世界もこの世界も同じ時間で、決して嘘じゃない。幸せだ。幸せなだけなんだ。
「どうしたって埋められない溝とか、悪い意味で変わらないものがあるって気付いてな。そこで、もしも俺が死んだらって考えたらさ」
爺さんと目が合う。特に何を言うでもない。俺の話を聞いている。息を一つ吸って、吐き出した。
「俺はもう、人間にはなりたくない」
「……まあ、そういう考えもある」
否定はされなかった。
「他の人間のこととか世の中のこととか、多少の縁はあっても儂には関係がない。接点はあっても繋がりというほどじゃない。だから、出来るものなら自分の人生というものを、優先して生きたかった」
「出来るもんなら」
「そう、出来るものなら……」
こんな人生だったから、人生をやり直したい。
こんな人生だったから、もう人間になりたくない。
俺と爺さんの結論は分かれたけど、唯一つ言えることは、世界なんて大仰なものを持ち出されても、俺たちの人生には、そこまでの繋がりは無いし、手に負えないし、知らないよってことだった。
「難しいな、全部忘れてもう一度ってのは」
「儂には儂の未練があるが、お前さんはその辺もう期待しなくなったか諦めたかで、もういいやって思ってるんじゃないかね、儂は終わってないから終われる。お前さんは終わってるから終われない」
……そうかな。ああ、そうかもなあ。それが理由になっちまってもいいか。
それから二本の線香が、燃え尽きるほどの時間が過ぎた。俺はライターと残りの線香を鞄に仕舞った。
日差しのせいか汗ばんでくる。
「爺さん」
「なんじゃ」
「俺も卒業したら、たぶんここには来なくなると思うから、できればそれまでには、成仏しなよ」
返事も聞かずフェンスから背を離す。少し痛い。
その背中に爺さんの声が掛かった。
「なら次に来るときは、お前さんの卒業証書を持って来てくれ。そしたら成仏するよ」
振り向くと、そこにはもう爺さんの姿は無かった。今度は周りを取り囲む人々もいない。俺にとっては、誰もいない。もうじき昼が終わる。
来た道を引き返しながら、途中でもう一度旧校舎のほうを振り返る。
俺が知ってることは、別にあの爺さんには関係ないことだ。どうでもいいことだろう。
余計なことなんだ。
でもいつか、爺さんもあの白い奴が言ったように、なるんだろうか。
魂とは別に、俺たちは死んだらどうなるのか。
少なくとも、俺は二度とあそこには行きたくない。
湧いて出た疑問と嫌悪感を、頭の中から追い出そうとしながら、帰路に着く。
俺の人生、俺の進路。
そんなものいったいどうしろっていうんだ。周りには答えてくれそうな人もいないし、聞きたくもない。
俺がこれからどこへ行って何をしようというのか。ふと足元の影と、目が合ったような気がして、顔を上げる。自分とは魂なのか、それとも肉体なのか。
俺は俺だ。今は、いや、これから先も、そうとしか言えないけど、それでいいと思ってる。
だけど何故だろう。学校へ戻るまでは気のせいか、街角から全ての音が、遠ざかっていくように感じた。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




