・サチコは見た
・サチコは見た
たまに『オタク入ってる人って働けないんじゃないか』ってとてつもない偏見を持っている人がいるけど、そんなことはない。というか女のオタクのほうが良く働く。
これは俺が女だからそう言い張っていることであって、根拠は無い。
ただ少なくとも北先輩は、欲しい画材ソフトやツール欲しさによくバイトしてる。
だいたい三万から六万辺りの、一般的な高校生の金銭感覚から逸脱したものを買いたがっては、そのために働いてコツコツお金を貯めるのだ。
冒険者ギルドもとい愛同研総合部の、部費獲得手段である依頼も積極的に受けている。とはいえ他の人の原稿を手伝う身内回しや、他の委員会や部活の印刷物の、代理製作だったりするのだが。
ちなみに俺の場合はというと、運動部のマネージャーたちが嫌がるスポーツ飲料の準備や、部室の掃除やユニフォームの洗濯などだ。
舐めてるのかってくらい報酬が安いのと、別に名門でも何でもないうちの学校だと、部室が汗よりイカ臭いってこともあって、最近は教員の依頼に絞ってやるようにしている。
そのほうが自分の努力は目に留まり易いし、値段も仕事内容もちゃんとしているからだ。具体的には校長室にある金魚の水槽の掃除とか、学校の花壇の手入れ、肥料の買出し、校内清掃の手伝いなどだ。
他に割りのいい仕事は、部員の足りない部活に入部することだ。吹奏楽部の場合、楽器の掃除を依頼された際に、掃除前にそれを他の男子、或いは女子に一時的に引き渡す(ギルティ行為)ことで更に稼げる。
学校からの貸し出しで、不特定多数が口付けるっつーのに、そのタイミングなら平気って感性が理解できないけど、要は三秒ルールの類だろうと、納得しておくことにする。
そしてそんな小遣い稼ぎをやってみると、アルバイトのほうが遥かに真っ当な感じがする。取り分けここ『東雲』はいい。忙しい時間帯があると言ってもそこはやはり喫茶店。牛丼屋みたいな回転率をしてないのだ。
人が蛆蝿の如くブンブンと出入りして来ない。注文が沢山来ても席が埋まればそれまで。後は買って帰る人だけだ。
ありきたりな紙のカップにアレコレ注ぎ、プラスチックの蓋をする。たまに水筒を渡して来る人もいるから、それは中をゆすいでマスターに渡す。で、煮沸消毒をしてもらって、新しいのと取り替えるのだ。
この水筒は所謂業務用の珈琲という奴で、中に二リットルほど入る。それを幾らかの金子と引き換えにお渡しして、お客さんは飲み終わったら店に返しに来る。お気に召したらまた注文を頂いて、翌日またお渡しするという寸法である。
社会人たちがお求めになるので、たぶんこの店で一番稼いでいる珈琲水筒だが、それだけに早朝と夜にも客が来るので忙しいのだそうな。
反面この水筒の返却のために、部署内で当番制の早期退社を導入したなんて会社もあるらしく、地域に影ながら貢献しているので、仮にもっと稼げるようになっても、止めるに止められないんだとか。
『東雲』の開業時間は朝の九時から夜の十時まで。水筒関連だけは一時間前後する。だからこそ、土日フルで出られる俺が採用されたんだな。
ああ、そうそう。ちなみにこのアルバイト、県の教育委員会の相談窓口に電話したら、平日でもできるようになった。
学校側が許可しているけど、部活に入らないといけないという校則によって、実質的に放課後のバイトはできまいという、仕組みというか狙いだったらしく、個々人の家庭の事情に配慮した結果、それが覆るのが嫌だっただけみたい。
それってつまり、働かないと日々に不安が残るような生徒は、排除したいという意思表示であり、そういう取り組みをしていたということである。死ね。何が土日だけだ。
おっといかん、仕事に戻ろう。
まあそんな訳で、他業種に比べればまだ余裕のある昼が一段落したのは、二時を回ってようやく店内に残ったお客が、年寄りしかいなくなってからだった。
「お疲れ、もう休憩入っていいよ!」
「うっす。ありがとうございます」
マスターからのお達しを受けて、俺はレジを離れた。代わりにマスターがレジに入る。
注文を受けカウンターキッチンでドリンク類を用意する。そう、カウンターキッチン。思い出したぞ。二つもあって変だなと思い、記憶の彼方に封印し、名前が思い出せなくなっていたが、思い出したぞ。カウンターキッチンだ。
……記憶力拡張に名前を入れたほうが良かったかも。
ともかく、俺は休憩のために二つのキッチンの間にある小テーブルへと移動し、そこにある椅子へと腰掛けた。二人の人間が向かい合って相席できる程度のものだ。
「お疲れ様、臼居さん」
「お疲れっす、先輩」
海さんは珈琲二つと、パンを幾つか乗せたトレーを持ってやって来た。俺の前の席に腰掛けると、自分の分の珈琲を飲みながら「どうぞ」ともう片方を差し出してくれる。
「ありがとうございます」
「なんかごめんね、うちのこと、手伝わせちゃって」
海さんは少しばつが悪そうな、恥ずかしそうな表情でそう言った。彼女にとっては自分の家のことか。そういえばそうなるのか。
「本当は私たちだけで回し切れたらよかったんだけど、高校入ってからはそうもいかなくなっちゃって……」
「え、今まではどうしてたんです」
「学校を遅刻や早退したりして手伝ってた」
中学はそれで退学になったりしないからな。
「また色々と危なっかしい真似しましたね」
「でもそのおかげで、バイトを雇えるくらいの貯えは稼げたと思うの。私がいなかったらもう少し儲かってなかったよ」
仮に海さんが手伝ってなかったら、それはそれで続いてたんじゃないかな。
「それに私の調理師免許のためにお父さん、店の開業時間をこんなに延ばしちゃって」
「ああ、調理業務従事で六時間の週四」
「あら詳しいのね」
どうも、と言ってロールパンを一つ掴んで頬張る。海さんは自分で作ったサンドイッチをもそもそと食べている。珈琲を一口啜る。アイスだ。
「バイトでも、そういう役に立ちそうなのないかって思ったんだけど、放課後じゃ時間足りませんでした」
「ま、普通そうよね」
調理師は専門学校に行く以外にも資格を取る方法がある。課された実務経験を積んで試験を受けること。つまりだ、マスターは娘さんの調理師試験の、受験資格のために夜中まで開店時間を長くしたと。
「流石に今までのペース維持と、私の時間のことまでは両立が厳しくて」
「むしろよくこんな無茶が通りましたね」
「うちは子ども110番の店っていうこともあってね。子どももいるし、十時までっていうのが、お巡りさんたちにも都合が良かったみたい」
色んな思惑が絡んで生まれた、灰色の隙間を有効活用した訳だ。十時まで働いても外出はしてないし、彼女のやってることは家の手伝いだし。
単純に家の手伝いか、アルバイト扱いかでまた細かい話は違ってくるのだが、うちの学校はバイト許可してるし、そこまで問題にはなるまい。元の歴史ならまだしもだ。
「ん、ってことはこれって先輩の?」
「そ、私が作りました。母さんのパンほど売れないけどね」
「そっすね。俺も餡子入りクロワッサンのが良かったっす」
率直に言うと先輩は苦笑した。でも悪い気はしてないみたいだ。いい子だな。海さんのお母さんは、隣の厨房で惣菜以外のパンも作っている。人の善いおばちゃんで、世間一般のダークサイドしか残ってないオバはんたちと異なり、ライトサイドに身を置いている。
余談だけどダークサイドは固有名詞ではない場合『醜い部分』と訳されたりする。
「ありがと。私もそのうち作れるようになるから、それまで待ってね」
「長い話っすね」
そこで会話が一旦途切れると、二人は食事を済ませて各々の休憩時間を過ごした。俺はポケットに入れっぱなしだった文庫本を開き、先輩は携帯電話を弄り始めた。
別に何か話さないといけないという、拷問を受けている訳ではない。気が向いたら喋る、気が有ればそれに乗る。その程度の距離感。店内は静かで、聞こえてくるのはマスターのラジカセから流れる、古い洋楽の音だけだ。
「臼居さんって不思議ね」
不意に彼女はそんなことを呟いた。その口調に年下の親戚に語りかけるような、奇妙な遠さを感じた。
「そっすか?」
「うん、変わってる。動物的っていうかな、女の子らしくないっていうか」
「そっすか」
携帯電話の画面を見ながら言う彼女を見ずに、俺は手元の文面を読んだ。図書館は良い。ただで本が読める。動画形式に短く編集されたものを見て、興味があれば図書館で探し、取り寄せる。驚くほどにローコスト。
「なんていうか、毒がないよね」
「そんなこと無いっすよ」
「そうかな、女子に当たり前の意地悪さみたいなの、ないと思うんだけど」
そんなものが当たり前に有るものだろうか。あるな。有る。それっぽい暮らしをしてこなかったせいだとするなら、俺の育ちも強ち捨てたものじゃないかな。
「生活に余裕がないから、そんなことしてる暇が無いってだけじゃないっすかね」
でも、異世界のことに触れる訳にもいかないから、適当に流すことにする。
「そうなの?」
「そっすよ」
ふーん、と気のない相槌を打つと、海さんは席を立った。まだ三十分ほどしか経過していないから、たぶんトイレだろう。俺も後で行っておかないとな。
そんなことを考えながら、今度はサンドイッチを掴む。炒めた玉ねぎと千切りキャベツに、トマトとパプリカという野菜のみのサンドイッチ。不味くはないが、歯ごたえもあるしソースも良いけど、野菜のみっていうのは寂しいな。
でもこっちの歴史だと野菜が安いのよ。
良い世界だな。
そんなふうにして、借りた本に食べかす零しながら時間を潰していると、チーンと不吉な音がした。見れば、海さんが座っていたほうに、携帯電話が置かれている。着信ということだろう。
別に不思議は無い。他の友だちからのメールだろう。そう思って画面を覗き込む。急げ。こういうのって数秒で消えるんだから。
――12:00 いつもの場所
消える直前に読めたのは、それしか表示されてなかったからだ。呼び出し。十中八九良くないことが待っている。日本の呼び出しってそういうもの。
俺はそれを見なかったふうを装い、珈琲を一口啜った。文庫の字が頭に入って来ない。とても気になる。とても嫌な予感がする。
一先ずは自分の表情を誤魔化すために、トレーのパンを更に頬張っておこう。
「あ、臼居さん、私の分まで!」
「あ、すいまふぇん」
戻って来た海さんは、俺を批難しながらも自分の携帯電話を手に取った。
「もう、心配して損した」
「え、何で」
「何でって、もういいよ」
危ねえ。海さんの中で俺は『携帯電話を覗き見るよりご飯を優先する動物』みたいな位置に収まっているらしく、それが功を奏した。今はもう疑われてない。
だけど俺は見た。文庫本を読むフリをして、携帯電話を手にした海さんを。
そこには、表示されているでメッセージに、表情を凍らせた彼女の顔があった。
指坂は微かに震えている。
――また面倒事だよ、それもかなり現実的な奴。
俺の頭の中で、この状況を俯瞰しているもう一人の俺が、うんざりしたように、そう告げた。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




