・サチコのアルバイト
・サチコのアルバイト
冷静に考え直して見ると、一粒で成長点が百って少ないな。一日一点、一年で三百六十五点。三十越えてそうなチンピラたちが原材料の白い栄養剤。毎日欠かさず飲んでるが、人一人がたったの百日分。
ミトラス曰く『直接殺したり食べ足りてすると、比べ物にならないくらい成長するよ。余程力に渇望してる人でもないと、両方はやらないけど』だそうな。
それが人間の死体を加工したらこれか。
人間を殺せるだけの心技体が揃うって、結構すごいことだったんだな。兵隊さんが強い訳だよ。まあタダで点数貰えるだけ良しとしよう。
え? なんでそんな物を持ってるかって?
異世界でちょっとした陰謀と粛清劇がありまして、その時の加害者とその手下たちの死体を、ミトラスがもったいないと加工してくれたんだよ。
ホクホク顔だったのが怖かったが、もっと怖いのはその粛清劇を行った人間たちだ。こういうのはどこも変わらんね。
「臼居さん、そろそろお客さん増えてくると思うから、準備しといてね」
「うーっす!」
おっと、そんなことより仕事だ仕事。俺の連休は他の子よりも二日早く終わる。
土日がバイトの日でありフルタイムで出るからだ。店には既にお客の姿がちらほらとある。制服の野暮ったい手作りエプロンを身に付けて、職場を動き回るのが俺の業務だ。
店内は元より店先でも香る珈琲の匂い。店に入れば手狭な屋内を更に埋める商品の棚。違いの分からない豆が種類ごとに保管・陳列されており、木造の店内には他に自家製のパンを並べる棚もある。
トレーにパンをよそってレジに行き、そこで珈琲とか他の飲み物を注文する。パンも温めてもらえるので、淹れたての珈琲とアツアツのパンが食える。
店を出るときに、服から残り香が立ち上ることで、食の色気と刹那的なノスタルジーを醸し出す。
そんな素敵空間の名前は東雲。『喫茶東雲』である。個人営業の最低賃金で賄い付き。残り物のパンは持って帰っていい。家から近い。
「クーラーボックスの準備終わりました。店の掃き掃除も済んでます」
「ありがとう、じゃ、これお願いね」
店長から渡されたのは、自家製の珈琲を詰めた一リットルペットボトル。これを店先に出した水と氷で満たされたクーラーボックスへと沈めていく。
店頭にはガムシロップや、お茶請け的なビスケットなど、雑多な珈琲のお供が並べられている。
これから昼なので昼食に来るお客で忙しくなる。ここは住宅地側にあるので、道路側程には人が来ないのだが、立地の割に固定客が居付いているということは、地域に気に入られているということである。
ちょっと薄暗く、気取らない専門店の装いから漂う生活感が、何とも落ち着くのである。
「今次の奴仕込んでるから、ちょっと待ってね」
「うっす」
店長、つまりマスターが、レジ奥の調理室から声をかけてくる。彼の名前は『東雲』。程よく筋肉の付いた中背の角刈り、やや色黒の中年男性だ。気さくな人で、名前をしののめと間違えても笑って許してくれる。
蔵人でクロードとかは知ってるけど、これは初めて聞いたなあ。アレな感じだけど、字面だけなら縁起は良い。夜明け並にキラキラしてるし、マスターも開き直って店の名前にするくらいだ。正直反応に困る。
「父さん。水筒洗い終わったよ」
「ん、じゃあパン生地用意しといて」
調理室で働いていた、もう一つの人影がやってくる。娘さんの海さんだ。別の高校二年生、つまり年下。実家の喫茶店を手伝う頑張り屋さん。
父親似のやや褐色に加え、男の子みたいに髪を短く刈り込んでいる。身長は平均といったところで、全体的に体は引き締まっている。
彼女を見ていると、何となくパティを思い出してしまう。
※パティ
前シリーズのキャラ。『魔物の翼を治すには』から登場したドワーフの褐色美少女で職人の卵。一度死んで蘇って死にかけてもう一度蘇り直した。サチコが好き。サチコも好き。
「はーい!」
元気の良い返事をして、もっと奥へと引っ込んでいく。この店の構図は整理すると、先ず台形に近い長方形の空間で、入ってすぐの開けた空間を商品で埋めてあり、その先の中央やや手前にレジ。
レジの正面にパンの陳列棚。その地点から奥。台形の残りの部分を縦半分に割った左側。カウンター席と壁沿いのテーブル席が背中合わせに並び、間にまた珈琲関連の商品棚が並んでいる。
一応店に入って後ろを振り返ると、そこにも少人数用のカウンター席がある。今更だけどこれ、専門店じゃなくて雑貨屋っぽいなあ。別にいいけど。
そして残る右半分が、マスターが珈琲やその他のドリンクを用意する場所である。最後に上底の部分が、ここからは見えないバックヤード、というか厨房である。
ここでパン生地の仕込みをするんだそうな。近所のパン屋から仕入れることもあるんだけど、それは内緒。
そんな中で改めて俺のすることは言うと、レジ打ちと注文の受け渡し。そして店の掃除。良心的なのは立ちっ放しじゃなくて、椅子に座っても良いということだ。レジの裏側には少し位置が高めで、座り難いけど休憩用の椅子がある。
腰を痛めて廃業するお店はあまりにも多い。上手く軌道に乗った店も、最後の最後はいつも店主の健康次第だ。そういうことが分かっているのか、こういう配慮は嬉しいものだ。
狭い店内の柱に掛けられた時計を見る。特に飾り気のない普通の丸い時計。店内の景観を唯一損なっている要素で、ネバーランドのワニみたいな存在は、もうじき正午を報せる。
「いらっしゃいませー」
だがそれよりも、幾人かのお客がやってくるほうが先だった。レジ打ちよりも練習した言葉を、滞りなく告げてから、俺は定位置であるレジへと移った。
そんな訳で、俺にとって一日で、一番忙しい時間が始まるのであった。
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文章と行間を修正しました。




