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出戻りサチコのやり過ごし  作者: 泉とも
二年生開始編
165/518

・ぐだぐだ救助譚

・ぐだぐだ救助譚

 

 混ぜるな危険という言葉がある。


 先輩の本命は異なる消化剤を混ぜることで、健康に直ちに悪影響を及ぼすガスを、発生させることだったらしい。


 効果は覿面で、ストーカー女はバッグを下げていた手で、口元を覆い苦しげに咳き込んでいる。

 

 片手では大型の拳銃を構えることも、まだ有るのならの話だが、小型のものに持ち替えることも、ままならない様だ。


 俺と南も直ぐに口元を隠し、息を潜めたから良かったものの、向こうは一溜りもあるまい。

 

「消化剤同士なのに、こんなこと有り得るのか」


「多岐に渡るということが齎す弊害だね。勿論こんな組み合わせは、一般的ではないよ」


「私たちは消化できるから、火を使ってあの女を追い払おうとしただけ、それだけよね」

 

 一瞬このこけしが、中身を入れ替えていたのではと思ったが、もっと単純なやり口だった。


 確かにセットで使うなら、一緒に使っても問題の出ない組み合わせで、揃えるのが当然だろう。

 

 態々ガスの出る組み合わせを、手元に揃えて置くのがなんとも北斎である。


 そして南は早くも白を切り通すために、事情を漂白し始めた。俺の場合は相手を追い払いたい一心から、独断でやったということにしなくては。

 

「今のうちに横を抜けて逃げましょう」

「盾返すよ」

 

 先輩からボロボロになった、革付鍋を受け取って、隊列は再び俺、先輩、南の順になった。


 そろりそろりとベンチから離れるが、銃口を何とかこちらに向けるまでで、向こうも撃ってこない。

 

 ガスだから引火して、爆発するかもって考えてるのだろうか。心を読んで見ようかとも思ったが、見たくも無いものまで見そうな気がして、超能力の使用が躊躇われる。

 

「ねえ、あの人」

「しっ」

 

 南が余計なことを、口走りそうだったので封じる。あの人とは山本のことだが、まだ事の経緯に付いて来れずに、棒立ちしている。


 あいつが取り残されているぞ、ということを言いたかったのだろうが、少なくとも俺と先輩はこの場を離れる方針であり、三人が避難することは三人とも合意している。

 

 この際もうあの男が人質にされようが、何かのついでに殺されようが構わん。


 仏の顔も三度、三回目には怒る。アガタと浚われた女たちの件で、俺の仏心は出尽くした。

 

 元はといえばこいつら個人の問題だったのだ。それを方々に迷惑撒き散らかした結果がこれなんだから、最後の最後で二人だけにしてやっても、ばちは当たるまい。

 

「ガスは絶対吸うなよ。あともう火は駄目だかんね」

「やっぱり爆発するのね」

「可能性はあるよ」

 

 ラジオから離れたことを意識して、聞こえよがしに喋りだす先輩。


 ストーカー女が憎憎しげに俺たちを見ているけど、前みたいに撃ってこない。


 風が止んでとうに煙も消えていたが、臭いはまだまだ残っていたし、ガスはそもそも見えない。

 

 だからだろうか、女は自分に付いた臭いのせいで、発砲の安否が覚束無くなった。


 相手に不利っぽい、確認できない情報を押し付け、行動を制限することなんて、できるものなんだな。


 でもこれ、もしも相手が先輩並みの知識を持ってた場合、通じなかったんだろうけど。

 

「反対側まで回り込めれば、後は上に行くだけだし、そしたら一先ず安全だよ」


「ねえ、サチコあれ」

「だから無視しろって」

「そうじゃなくて、アレ、線路」

 

 女を前にして、円を描くよう距離を取っていた我々だったが、南が何かを指差して注意してくる。線路に何があるというのか。


 俺は盾を前に構えているので、視界がほぼ完全に塞がっている。

 

 そーっと盾の縁から顔を覗かせて見ると、線路から誰かがよじ登っているのが見えた。子どものような女の手、滑らかな長髪、そして、目を真っ赤にした夜叉みたいな顔。

 

「あ! あ!」

 

 一つめの『あ』は思わず叫んでしまったが、二つ目の『あ』も思わず叫んでしまった。

 

 二つ目のほうはミトラスが、盾の外に走っていったことに対してだ。咄嗟に俺の失言へのフォローをしてくれたのだと理解する。


 傍目には悪臭に耐えかねて、逃亡したようにしか見えないはず。

 

 話を戻そう。では俺の失言とは何か。それは一つ目のほうで上げた叫びである。果たして何が俺を叫ばせたのか。

 

 それは、拾った線路の石を握り締め、今まさに女の後頭部へ殴りかかろうとする、アガタの姿であった。

 

 コマ送りのようであった。殺意に歯を食いしばり、大きく振り被った腕は鞭のようにしなり、女の頭を穿たんとする一撃の、鈍い音がこちらまで響いてくる。

 

 俺たち三人共に、喉から悲鳴を上げそうだった。


 女の命を脅かすような攻撃の恐怖、アガタの身を危険にする焦り、さっきまでの俺たちの抵抗が、お遊びに見えるほどの生々しさ。

 

 殴られた拍子に、女が最後の発砲を遂げるが、弾丸は空しく何処かへと飛んでいった。


 大きすぎる反動で体が捻じれ、半回転して後ろに、つまりアガタのほうに向く。

 

 しかしそこまでだった。映画のように銃の反動で振り向いて、標的を倒すなんて芸当は出来る訳も無く、アガタは女の銃を持つ方の手首を、片手で押さえた。


 そしてどうかしている勢いで女の顔を殴り始めた。

 

「っとにもうよおー!」

 

 俺は盾を置いて走ると、急いでアガタと女の間に、体を入れた。弾かれるように南と先輩も、双方の背後に回り込む。


 アガタがここにいる事情は呑み込めないがハッキリしてるのは完全にこいつも逆上していてこのままだと相手を殺しかねないということだ!

 

「待って! カトちゃん待って!」

「こんの、銃を離しなさいよ早く!」

 

 女はチンパンジーもかくやという握力で、銃を離さず南に抵抗した。間の悪いことに南が全身で、銃を持つ手を押さえ込んだことで、アガタの片手がフリーになった。


 先輩の抱き着きも無意味で、前にいる俺をあっさり掻い潜って、女を殴り続ける。

 

「げげくぅいぎうやわあああ!!」


 女が形容しがたい怨嗟の声を上げる。家畜が屠殺されるときのような、悍ましい声。


 自分の優位が失われた屈辱と恐怖、怒りが全身から発せられるような声。耳を塞ぎたい。


「こいつを引き倒せ! 俺が上に被さるから!」

『分かった!』


 俺たちは執拗に殴り掛かるアガタではなく、未だに抵抗を続ける女を、地面に押し倒すことにした。


 南が銃を持つ手を持ち上げて押さえ込み、俺が背中から覆い被さるように倒れ込んで、先輩が両足を引っ張ると、女の体がようやく倒れた。


 これで手も止まるだろう、そう考えてほっとしたのも束の間。

 

「っどけっ!」


 やはりアガタの攻撃が止まなかった! 逆に邪魔が入ったことで、増々ヒートアップしてしまっている。


 顔を見れば小心者が興奮し、頭を空っぽにして手を出してくるのとは違う、時間を置いて戻ってきた理性が殺意へと変換されて、ああこれはもう駄目だ!

 

「止めろ! アガタ止めろ!」

 

 これ幸いとばかりに女の脇腹に、爪先を抉るように突っ込む。というか俺のほうが体の幅があるせいで、先に俺に蹴りが当たる! 痛い!

 

「あ、止せアガタ! それだけは駄目だよ!」

 

 片手で自分の首を守りながら、俺は何とか自分の頭部を女の頭に合わせて、庇い続けた。女が暴れて頭部がズレると、アガタが踏みつけるからだ。


 痛い! 怖い!

 

「お前ももう暴れるな頼むから!」

 

 女も観念しておらず、俺を退かそうと耳に爪を突き立てたり、髪を引っ張られたりする。


 痛い! 怖い! なんなのこれ!


 アガタが今度は前に回り込んで、正面から蹴るようになった。ゆっくりと靴底を当てて、脳を揺さ振るように力を加えてくる。


 腕を添えてそれも防ぐと、また脇腹に逆戻りだ。

 あまりにも暴力の選択が洗練されている。怖い!


「あ! 止めろって! 刀は本当に駄目だってば!」

 

 盾を構えるに当たり、背中に突っ込んでいた妖刀に気付くと、アガタはその柄に手をかけた。この状態では刀が鞘から、ズルっと引き抜かれてしまう。


 その後どうなるか言うまでもないことに、自分の血の気が引いていくのが分かる。

 

 ここまで出番は無かったから忘れていたけど、冷静に考えればこの手のアイテムって、持ち主に破滅を齎すのが相場だから、持ってくるべきではなかったんだな畜生!


「ファンさん、いい子だから先ず病院いきましょ。怪我してるんでしょ、ね」


「これはもう色々駄目かもわからんね」


 南が恐怖からか半泣きで母親みたいなことを言い、半ば諦めの入った先輩の呟きが聞こえた。


 今や拝むような姿勢で、刀を掴む俺の脇腹を蹴る足は止まることなく、アガタの異常な膂力は、柄で釣り上げるかの如く、この体を持ち上げつつあった。


 最早これまでか。

 

「早く助けに来てくれー! このままでは殺されてしまうー!」

 

 ここしかないと、最後の力を振り絞った俺の叫びも空しく、仰々しい防弾装備に身を包んだ、警察のおっさんたちが突入()をしたのは、それからまた十分ほどして、後で見てみたら脇腹が赤を通り越して、紫色になるほど蹴り飛ばされた後のことだった。

 

 ――にゃあ。にゃー、にゃーにゃーにゃー!

 

 結局の所、戻ってきたミトラスが必死に猫撫で声を出し続けてくれたことで、アガタはなんとか、怒りを鎮めてくれたのであった。


 蹴りがすげえ痛かった。

誤字脱字を修正しました。

文章と行間を修正しました。

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