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出戻りサチコのやり過ごし  作者: 泉とも
二年生開始編
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・そういう人々 後編

・そういう人々 後編


 ――上手くいかない、上手くいかない、上手くいかない。上手くいかない。

  

 少女が生まれてこの方、ずっと思って続けていることである。同じ人種でない。生まれの国でもない。


 言葉も親とはちぐはぐで、周りの人たちとも違い過ぎる。

 

 何も無いときは勉強と夢を奨励する。普段は家のことを優先する。自分の言うことには耳を貸さず、褒めることもない、応援もしない。


 生きることに追い立てられて、何がしたいか分からない、中途半端な人々。

 

 自分のことから目を背けることに必死になる人々。くだらない人ばかりで、くだらないくせに足を引っ張り邪魔ばかりしてくる。

 

 少女、アガタにとって、この世は動物の檻であり、その中に閉じ込められた人間が自分である。


 現在までに、概ねそのような人生観を、形成するに至っていた。

 

 学校に上がって、何時の頃からか、家では手伝うことが当然となっていた。彼女はそれが嫌で嫌で堪らなかった。


 部活動に入れるようになってからは親の、特に母親の反対を押し切って、始めた絵の練習が、何より好きだった。

 

 誰の賞賛を受けたことも無いが、家にいない時間を確かに感じられた。何かの付属品のような自分を、自覚せずに済んだ。

 

 趣味に没入している間は、他のことを切り離すことができた。そうしてアガタは生きてきた。しかしその生き方は、日に日に反動を大きくしていった。

 

 成長するに連れ体、に付きまとうようになった不調が苛立ちを募らせ、人生に子どもの居場所を作らない両親を、疎ましく思うようになり、程度の低い無神経な餓鬼共を、同じ人間と見做さなくなっていった。

 

 自分の容姿に自信があった。自分は人間だから。

 自分の成績に自信があった。自分は人間だから。

 自分の趣味に自信があった。自分は人間だから。

 

 流暢な言葉と表面上の穏やかな態度は、人生に追われる人々に追われる中で、彼女が身に付けた処世術であった。


 自分のせいにしない生き方だった。歪さは反目の現れだったのだ。

 

 自分は悪くないのに。


 そう思うことが何度もあった。彼女は中途半端な姿勢が何より嫌いであった。往々にしてそこには、相手自身を甘やかす、ステイタスとしての良心が見え隠れしていたからだ。

 

 関わり合えば相手が得をし自分が損をする。『家の手伝いをする異国に住む外国人』という人生は、さながら遺伝子の如く、アガタの身の振りを決めた。

 

 誰のという訳でもないが、最早決めつけに近い価値観が、心中を塗り潰そうとしていたそのとき、転機が訪れた。


 それはアガタが八つ当たりを兼ねた、グラフィティの練習をした日のことだった。

 

 まるで通りがかりの犬猫が、何となくその場を気に入るような光景だった。人間というより大人しい大型動物のようなソレは、自分の絵を褒めた。


 写真に撮った。彼女が絵を見る『人』を認識したのはそれが初めてだった。

 

 煩わしい生活が続く中で、趣味の時間が、質が上向いたような気分になった。人間相手に安心したのは、久しぶりで善い気分だった。それなのに。

 

 こうして余計なことをして、こうして余計なことをしてしまった。


 裏切られたとは思わなかったが、自分への被害を看過できなかった。怒りの矛先を向けても、自分に非は無く、逆にそれをぶつけられることに、淡い期待にも似た想いがあった。

 

 しかし相手に庇われ、自分もまた無性に気分が悪くなった。アガタは己を責められているように感じた。意識が責任と取り違え、遺伝子が責任を拒む。

 

 だからだろうか。自分は悪くないという思いから、余計なことをしたのか、相手を責めたいから言いつけを無視して飛び出したのか。


 一つ言えることは、自分の家にまとわりつく不安の種が、前々から目障りだったということである。

 

 心情は複雑に絡み合うものの、その結果は『ストレスに耐え兼ねて、別のストレスの原因を排除しようとした』というものであった。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」


 勇んだつもりでスプレー缶を振り回した。何故こんなものを握り締めて出てきてしまったのか、アガタにも分からなかった。


 頭のどこか、自分を冷ややかに見つめるもう一人の自分が、他にもっとマシなのがあっただろう、もっと準備をしてからにすれば良かっただろうと、次々非難してくる。


 声のする方から目を背けるように、塗料を噴霧し続けると、髪を引っ張られる痛みに加え、顔を強打する痛みが走り、続いて猛烈な速度で頭を穿ろうとする痛みが連続して襲ってきた。


 どれだけストレスを感じようと、一向に耐性の付かない者はいる。そういう手合いは得てして、衝動的とか発作的と形容される有様で、感情と行動を爆発させてしまう。


 命の危機に瀕して、感情と情報に脳の全てを埋め尽くされ、少女は為す術も無かった。


 されるがままの状態から、少しして眼球と鼻腔を刺すような刺激、肺から下を汚染するような臭いを、至近距離から顔にぶち撒けられて、畜生じみた悲鳴を上げた。

 

 アガタは盛大に吐いた。そうしないと呼吸ができなかったからだ。自分が車内に押し込められたことさえ、分からないほどの苦痛だった。


 朦朧とする意識の中で、直前に聞こえた自分のものとは異なる苦悶の声に、彼女はまた、少しだけ罪悪感を抱いた。


 ――上手くいかない、上手くいかない、上手くいかない。上手くいかない。


 そう思いながら、アガタの意識は暗闇の中へと沈んで行った。

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