・動きようはあるのか
今回長めです。
・動きようはあるのか
海さんには危険そうだということを告げて、先に家へ帰した。ここで何事かあったら、俺はあの人のご家族に会わせる顔が無い。
同行者を海さんからアガタへと変えて、一度『日鬼楼』から離れた。彼女は疲れているようだったので、今は自転車の後ろに乗っている。
つまり運転手は俺。
アガタの自転車には前にカゴ、後ろに座席が付いている、年季の入った大き目のママチャリである。
きっと昔はチャイルドシートが付いていて、小さい頃の彼女が、座っていたことだろう。
今も座ってるけど。
「あの一見普通そうな女と、冴えない男は何だ」
「常連客です。近くの会社の人みたいで」
背中越しに質疑応答をする我々。俺の場合髪の毛が車輪に巻き込まれると、真面目に死ねるので、現在は服の中に仕舞ってある。
腰まであって邪魔だから、髪を切ろう切ろうと思っているのだが、その度に色々な人々から止めろと言われて、短くできないでいる。
話を戻そう。
「ただ長く居座るだけの、迷惑な客って訳じゃ無さそうだな」
「はい。男の人はお昼の定職だけで、お店が終わるまでいます」
迷惑な客だろそれ。
「女は」
「チャーハンを頼んでは、食べないで下げさせます。それで追加でまたチャーハンを」
「椎茸ほじくり出してか」
「はい。お金は払うんですけど」
「完全に病気だな」
こんなことを言うのは嫌だが、じっとしていなくて良かった。こんなことを大人しく話し合っていたら、秒で気が滅入る。
気晴らしに自転車に乗って、うろつくという選択をして正解だった。
「営業妨害じゃないのかこれ。相手の会社や警察に、連絡しなかったのか」
「会社知らないから、警察に相談しました。でも」
アガタの声が小さくなる。
ここは神奈川県だからな。
黒船来航時は横浜村から、ずっとお上と外国人が居座る大都市だ。治安の良さは国内平均を、ばっちり下回っている。
「お店にはそういう客を追い出す文章は無いし、お金は払っているし、それにこういう人たちは下手に取り締まると、直ぐに戻ってきて逆恨みして、もっと酷いことをするから、我慢したほうがいいって」
沿岸部が外気に触れっ放しの、傷口みたいなものとはいえ、これは酷い。
警察のほうから、取り締まるのを止めておけとは何事だ。組織に金玉が付いてない証拠だな、敗北主義者共めらめ。
だから神奈川では親が警官というだけで、子どもがいじめられるんだ。
「うちが外国人って思われてるからでしょうか」
「ここの警察は年中こんなもんだよ。まともに機能してるのは、ネズミ捕りくらいのもんさ」
「それは流石に言いすぎなんじゃ」
「しかも賄賂が利かないのに不祥事は起こすっていう中途半端さ」
「微妙に世界基準じゃないんですね」
金さえ出せば真面目に仕事をしてくれる訳ではないのが、非常に悪質だと言わざるを得ない。
「景色は良いのになあ」
「何だかすいません」
片方には工場と会社が並び、白と灰色の建造物の影が伸びる。もう片方には道路とまばらな地面、民家に干してある洗濯物や、草木が風にそよぐ。
ああ、こんなときで無ければ、散歩にはもって来いだったろうな。
「話を戻そう。それで、さっきの男女なんだが、こいつらに関係ってあるのか」
「勘違いしてるふうに、思われるの嫌だったし、言いがかりだったけど、その、ストーカーを疑う方向で、身元を検めてもらったんです。そうしたら」
この世界でもストーカーの名前はストーカーのままなのか。困っちゃうな日本人。
「女の人がそうだって、男の人の」
……
…………
………………
……あ~! そっちか~!
「そっちのほうだったかあ!」
市街地なのか工場の敷地なのか、判別しにくい中を抜けて、近くのお寺に通じる横断歩道に差し掛かり、一時停車する。
今日に限って走っているのが、トラックばかりで緊張する。
「先ずは当事者同士で話し合ってと、そこで切られてしまって」
「客とはいえ経歴や身元なんか分からない、不審な相手に話し合えって、頭沸いてんじゃねえのか」
身元を明かさないって点は、警察も犯罪者も一緒だからな。一種の身贔屓なのかも知れん。
「あ、いえ、身元は分かってるんです」
「そうなの」
「はい。お巡りさんが名刺を強請って、それの確認をした後は、返さないでこっちに」
不祥事だよなこれ。思いっきり警察仲介で個人情報が漏洩している。
まあ興信所の情報は引き渡せても、向こうからは一切教えてくれなかったりするし、そこはいいけども。
「それであの二人が近くの会社員だって知ったのか」
「はい」
アガタが頷く。寺には駐車場はあっても、駐輪場がないので、自転車を境内の前で停める。寺務所傍の自販機で、適当に飲み物を購入した。
「ふう、で」
一服してしばし沈黙する。
寺の中の静けさは居心地が良くて、昼を終えて差し込む、夕日以前の陽光と、遠くなった街の音が、安全であるかのような気にさせる。
「一応会社のほうにも電話してみたのですが」
「また思い切ったな」
アガタは苦笑した。笑うと却って疲労の色がはっきりとする。知り合って間もないからか、流石に気の毒に思えてくる。
これで南みたいに性格が最悪だっていうなら、気にせず撤収するんだけど。
「どうも知ってるみたいなんですけど、どうしていいか分からないみたいで」
「まさか何も言わずに放置してるのか」
「そうみたいです。お昼頃なら、一緒にお店に食べに来てくれるようには、なったんですけど」
「二人を連れて引き上げてはくれないのか」
彼女は頷いた。参ったな、手詰まりだぞこれは。
会社だって自社の社員同士が、ストーカーと被害者なんてことにまで、指導はできない。だって仕事と関係ないし、プライベートなことだし。
もっと言うなら刺激したら、誰かが殺されてしまう危険が、十分に有り得るのである。
基本的にDVやストーカーの解決策なんて、当事者の全員死亡くらいしかないからな。
警察に言って匿ってもらうのも限度があるし、相手も追いかけるのを、止めないのが基本だからだ。
日鬼楼には気の毒だが、刃傷沙汰の折には現場とならないように、祈るくらいしかできそうにない。何か手は無いものか。
「追い出そうにも関わらなけりゃ、出て行ってはくれるんだよな」
「そうなんですけど、料理を作ってるお父さんもがっかりするんですよね」
「分かる。食べ物を粗末にすることは、金を払っても許される行為じゃないからな」
下げた椎茸を除いただけの手付かずチャーハンは、勿体無いので後で温めて食べるらしい。
連日来るから、連日チャーハンということになる。少なくとも平日の彼女の弁当は、これのせいでチャーハンになるらしい。
「そうだアガタ、その名刺ってまだ持ってるのか」
「え、はい。これです」
そう言って彼女は、財布の中から二枚の紙切れを、取り出した。
「万一通報することもあるかも知れん。これを写させてもらっていいかな」
「そういうことでしたらどうぞ。で、いいのかな」
「相手が不審者だって分かってんだから、一応持っておいたほうがいいだろう」
本当はいかんのだろうが、もしも警察のご厄介になるような事態が発生した場合、そのとき一から説明するよりも『ストーカー案件で相談していた誰々が』と出したほうが、早そうではある。
「じゃあ早速行くか」
俺たちは立ち上がって寺務所を出ると、少しの間街をうろついて、コンビニを探した。
この辺りの地理に詳しいのか、アガタのナビゲートにより、無事たどり着くことができた。そこでコピー機を使い、彼女の持っている名刺をコピーする。
まあ他にもすることがあって必要なんだけど。
「サイズが合わないから余白が大分出てしまった」
「しかもぺらぺらですね。心許ないです」
帰ったら切り取った余白を重ねて張って、メンコみたいにしておこう。このままでは財布に入れておいても、破れてしまいそうだ。
「せめて店を変えてもらえりゃいいんだがな」
「そんなことしたら他の店に迷惑ですよ」
「お前んちよりはいいよ。まあ、知ってる人の店でも駄目だけど」
途中でバイト先が頭に浮かび、次にさっきの二人が店に来てしまう光景に塗り換わった所で、考え直す。
こういうとき、まとめて地獄に落ちてくれるのが理想的な、酷い奴の一人もいてくれればいいのに。全く上手くいかない世の中である。
「すまんな、流石にちょっと役に立てそうにないわ」
「こればっかりは、どうしようもありませんからね」
店を出ると俺はアガタに自転車を返した。サドルに跨る姿は普通の学生そのものだ。
「でもありがとうございます。心配してくれて」
「成果出して言われたかったな。じゃ、また学校で」
「はい、また明日」
気を遣ってそう言ってくれる彼女に、軽く手を振ると向こうも笑って、ペダルを漕ぎ出した。長く艶やかな髪の毛が、風を受けてふわりとたなびく。
彼女の背中が街角に消えるのを見届けてから、俺は改めて名刺に目を通した。女のほうの名前には見覚えがなかったがしかし、男のほう苗字にはあった。山本と書いてある。
脳裏に蘇るのは異世界の街こと、神無側市群魔区において、異世界転生者たちに書類を配った日のこと。
あのとき回収した書類には、彼らの転生後と転生前の名前が記入されていた。
山本の転生後の名前は確かサイアスで、下の名前が他の転生者と被っていたせいで、もう一人サイアスがいたはずだ。
異能は目が合ってだけで、異性を惚れさせ撫でると洗脳状態に持っていけるという、脳から男性器が生えてるようなやつだった。
あいつの死因は女に刺されてってことだったけど。待てよ。刺殺?
何だっけ。確か今年にも、そんな物騒な話題が、上がったことが有ったような無かったような。いいや、帰ってからゆっくり思い出そう。
「俺も今日は帰るか」
先ずはこのことを周知するのが先決だ。
そう決めて家に帰るべき一歩を踏み出す。
踏み出して、また立ち止まる。見慣れたいつもの街を過ぎれば、素知らぬ顔、聳える工場の影。
「ていうか、ここって今どの辺なんだ……」
知らない場所にあるコンビニの前で、俺はしばらく途方に暮れるしかなかった。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




