・ようやく再スタート
・ようやく再スタート
天井の電灯以外に明かりのない夜。自宅にて事の推移をミトラスに報告した。場所は自宅のリビング。椅子に座り、机を挟んで向かい合う。食事は既に済ませた。
特に仕事もない彼は、元の異世界に帰ったときのために色々と勉強しているようだ。元々のこの世界の住人ではないので、変わっていようがいまいが関係ないのは強みである。
「随分乱暴な話だね。歴史を変えた人が、時空なんたらよりも過去の人だったら完全に誘拐だし、違法とも言えないじゃない。それどころか、その歴史の保全とやらの皺寄せというか、自浄作用みたいなのが働いた結果、こうなってるとは考えないのかな」
ミトラスは呆れたような様子で批難した。歴史の自浄作用か。考えたこともなかった。
南のいた未来が、改変されたものでない保証はない訳だし、そう考えると、むしろその歴史が作られてしまったから、今回みたいなことが起きた、と考えられなくもない。
確証の得られようはずもない話だが、改変された歴史を直そうとしても、また別のどこかで歴史改変が起きそう。
真っ直ぐ伸びた枝を、曲げたり伸ばしたりしようとする。パイの取り合いとかカンダタの蜘蛛の糸みたいな、そういう不毛なイメージ。
「まあそんなことよりも、これを見て」
そう言って彼が取り出したのは数冊の本。俺と彼が異世界に居た頃、住んでいた街に他所の世界の知識を取り込むために、取り寄せたものだ。
外来生物の脅威やアレルギー、農作物に関して書かれたものが多い。その中の赤い一冊の受験用問題集。彼はそれを指差していた。
「世界史だな。これがどうかしたのか」
「これはこの世界に来てから入手したものではありません。ここを見てください」
久しぶりにミトラスの丁寧語を聞いたな。ウィルトの口調が移ったのと、仕事で使ってたのと性分のこともあってか、彼はタメ口だったり丁寧語だったりする。個人的には丁寧語のほうが好き。
※ウィルト
前シリーズのキャラ。初登場は『魔物が祭りを開くには』から。元魔王軍四天王の一人。属性過多の父親エルフ。技術的な問題はだいたい彼が何とかしてくれる。ミトラスの先生でもあった。美少年。
それはさて置き、彼は後ろ側の頁を一度捲ると、とある部分を指差した。奥付の発行のところ。三年後の一月、時間の感覚がおかしいけど最近の奴だな。
「これがどうかしたのか」
「思い出してみて下さい。サチウスが群魔にいた頃は、元の世界の時間は、止まっていなかったでしょう。あなたがいなくても、どうってことなく時間が進んでいたはずです」
内心傷付く言い方だけど確かにその通りだ。俺は異世界に行って、そこでは他の世界から、人や物をお取り寄せできる召還術というものがあった。
そして、俺がいなくなったこの世界は何事も無く進んでいた。俺たちはその三年後から戻って来た訳だ。
「この中身は当然ながら歴史が改変される前のものです。つまり、本来の歴史で見ればその時点までは何事もなかったはずなのです」
俺がいなくても進んでいた時間のほうで、歴史が改変されていたなら、この赤本の中身もその時点で影響を受けていてはず。それがないということは。
「少なくとも三年以降は未来の存在が、過去に来ていたという訳だな」
「そ。つまり事件の犯人が元の時代に戻るとしても、これからってこと」
「なんだズレてるじゃないか。南も大概お騒がせだな」
三年もというべきか。たった三年のズレというべきか。ともあれこれで心配の種が一つ減った。
「でもこれで卒業まで、心置きなく普通に暮らして大丈夫ってことだな」
椅子の背もたれによりかかり、体を反らす。この地域にいる可能性って言っても、それはもっと先の話だ。南と先輩に教えてやるべきだろうか。
異世界に触れないで教えられるだろうか。そうだ、先輩の漫画を引き合いに出して、俺たちの記憶と同じように改変の影響を受けてない物がないか、それはどういう場合に起こるかを聞いて、もしも可能そうならこの赤本のことを出そう。
ただ、その場合俺が三年後から時間が戻ってきてるってことにも繋がりかねないから、たぶん伏せておくことになりそうだな。全部隠しながら教えるなんて無理っぽいし。
「ええ。でも折角なのでサチウスには、卒業までに出来る限り、強くなってもらおうかと思います」
「え、なんで?」
「ゆくゆくは身も心も魔物になって欲しいなって思ってるからです。嫌なら止めますけど」
すごい正直かつ真っ直ぐな願望を告げられたな。いやまあ、人間であることには別に未練は無いけどさ。人種的にもそのほうがいいのは分かるし。
「卒業までの三年間で、あなたを出来る限り強力な魔物に生まれ変わらせるというのが、僕の個人的な目標です」
「お前のかい」
俺の場合は卒業することだけが、唯一にして最低限の目標だったから、そういうことは考えもしなかった。
もしや四天王の皆がアレとかコレをくれたのも、こいつが付いてきてくれたのも、それが狙いだったからなんだろうか。
「ちなみに俺が嫌だって言ったら止めて、そのときはどうするの」
「そのときはスッパリ諦めて勉学に励むよ」
それはそれで何か嫌だな。でもそうだな。どの道人間でいてもいいことはないし、やってみるか。仮に魔物に変わっても、異世界で辛く当たられるなんてことはないだろう。
「これは時間と違って後戻りできないから、よく考えてね」
「いや、やってみるよ。面白そうだしな」
賛同の意を表すとミトラスは驚きながらも大いに喜んだ。それにしても。
異世界では三年間人間で通した俺が、人間の世界に帰って来て人間を辞めるか。人生って分からないなあ。でも、正直向こうでずっと『その展開無いんですか』って思ってはいたから、これはこれでまんざらでもない。
「少し不安だけどさ」
やたらと目まぐるしい入学と、初週を終えた俺たちは、ここに来てようやく、新しい日々を始められることになった。
学校に行って、バイトをして、そして徐々に人間を辞める。そんな大小様々な目標を定めつつ、新生活の第一歩を踏み出したのだった。
「長く忙しない序章だったな」
「何言ってるのサチコ」
こっちでもたぶん面倒事はあるだろう。でも、何とかならないことはないはずだ。先輩も南もいるし、ミトラスもいる、それに何より。
――この状況が俺たちとは、全くと言っていいほど関係ないんだから。
<了>
この章はこれで終了です。
ここまで読んで下さった方々、本当にありがとうございました。
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文章と行間を修正しました。




