・昔語り
今回長いです。
・昔語り
ここは小田原市内の某霊園。今日の天気は、晴れ間が覗く曇り空。時折差し込む陽射しは白く柔らかい。
町の郊外に位置し、なだらかな丘のようになっていて、ここの背後には何処ぞの山が続いている。
墓は段々畑のような、階層状になっていて、全部で三段。本当はもう一段作れたそうだが、四段目ということもあって、それは避けたらしい。
振り替えれば来場者用の駐車場と事務所がある。周りには林と草原が広がり、ちらほらと畑が見える。
耕してる人を見たことがないけど。
前は電車からタクシーで近くまで来て、帰りはバスと電車と徒歩だったけど、今は魔法で一飛びと、かなり経済的になった。
俺たちは事務所の人に声をかけてから、桶とブラシと雑巾を借りると、近くの水道で水を汲んで、階段を上がった。
「ここに来るのも夏以来ですね」
「そうだな」
隣でミトラスが丁寧な口調で言う。異世界で共同墓地に、何度も行ってたからか、墓石の掃除は手慣れたもの。二人掛かりということもあって、すぐ済んだ。
値が張るがそれでも並よりやや下と言うんだから、墓は高い。今じゃ御影石の研磨や、再生産業なんてものがあるくらいだ。
死ぬための石が足りないってんだから世も末だ。家に置けない、置きたくない散骨は、決められた場所以外では禁止だし。
いざというとき、如何に置き場のない『死』を追いやるか。どうでもいいかそんな話。
「一人しか入らないのに贅沢なもんだろ」
他の墓には家系の墓という記述があり、墓碑には故人の名前が列挙される。でもうちの家の墓はこれだけで、中に入っているのも一人だけ。
恐らく俺の家の人間は、もう誰もここには眠らないだろう。
「ミトラス。花」
「ん」
買ってきた花を花立に入れて、古いものを捨てる。最後に線香の束に火を点けて、線香置きに焼べる。
後は何を祈るでもないけど、黙祷して南無南無する。終わり。
「だいたい三十分か」
後片付けと事務所への挨拶を含めれば、もう少しかかる。お供え物は水と新聞紙。経済誌は高いから止めた。第一読まないし。
「ごめんな、付き合ってもらって」
「大したことではないからね」
そうだな。何気にこいつって異世界にいたときは、マメに共同墓地に、墓参りに行ってたみたいだし、実際大したことないんだろうな。
俺ももうこの作業に、気持ちがどうこうなったりしない。こっちの世界だと、まだ一年しか経ってないってのにな。
「思えば君から初めて聞いた家族の話って、お婆さんのことだったね」
「そうだったっけ。何時話したかな」
「ほら、制服がダサくて安っぽいローブから、和服に変わったときだよ」
ああ、ミトラスが散り散りになった魔物たちに、助けを求めた日のことだな。
ユグドラさんと初めて会って、なんちゃって和服を作って、あれからもう三年になるのか。
「あんまり大切そうに話すから、本当に大事な人だったんだなって思ったよ」
「家系の例に漏れず、ろくな人間じゃなかったけどね」
冷たい風に混じって緑の匂いがする。ここはいつもそうだ。年中季節を問わず、冷たい風が吹く。
「親を別れさせて、母親に置いていかれた俺のことを児相※が連絡して、引き取らせた」
※児童相談所のこと。
「初めて会ったときはさ、嫌そうな顔してた。アレに似た顔してて、一発で血筋だなって分かったよ」
「お婆さんはなんて」
「覚えてない。俺以外の人とは口を利いたけど、俺とは殆ど喋りたがらなかった」
なるべく顔を合わせないように、目を合わせないようにって態度だったな。
孫とかもう他人のペットみたいなものだからな。それを不祥事から、家族として紐付されて、同棲させられるんだから、嫌じゃない理由がない。
「最初の一年は殆ど会話がなかったな。何か荷物を引き取ってくれるでなし、取り敢えず金だけ渡して入用な物を買えってそれだけ。一緒にごはんを食べるなんてこともなかった」
息子と嫁のほうは金ではなく、現物でゲーム機を与えて、後は放置だったな。後で売ることを考えてたのかも知れない。
金は少しで、パソコンと携帯電話の類は渡されなかった。
セキュリティって何だと聞けば、保身であるということで。
「保険と証券が好きな老人で、新聞と経済誌ばかり読んでたよ。テレビで見るのが国会中継と海外ニュース。他は興味が無いどころか、見下してるっていう拗らせた人間で、端的に言うなら結婚して、子ども作っちゃいけない類の人種」
ミトラスが苦笑する。祖母は典型的な、古くて悪い仕事第一人間だった。
どういう仕事をしていたのか知らないが、時代と国柄が合わずに、冷遇されたらしいのは、たまに零す愚痴で分かった。資産面だけ見れば、下流老人の枠には入らないようだった。
「ろくに育てなかったというよりは、間違った育て方して、反発したのが息子だったんだろうな」
かと言って正しい育て方が、アレと祖母の間にあったのかと問われれば、きっと無かったと思う。
「中学に上がったら進路を聞かれてな。当時の俺は自分が高校に通うなんて、思ってもみなかった。だから逆に、俺は高校に通うのかどうかを聞いたんだ。やりたいことや、なりたい仕事はないのかって聞かれたら、俺は仕事をするのかって聞いたんだ」
行く宛ての無い思い出。先があるとは考えもしなかった頃の話。あのちっぽけな家で、お互いに酷く窮屈な毎日を送っていた。
異世界の三年に比べて劣る日々。ただ。
「試されてるとでも思ったのか、婆ちゃんは怒ってなあ。俺からしたら言いがかりも良いとこだったよ。要は追い出したいから、俺に八つ当たりをしたいから、何か訳の分からないこと言い出したんだ、くらいにしか思わなかったけど」
「目に浮かぶようだなあ」
「お恥ずかしい」
再び苦笑するミトラスにそう返してから、墓石を見る。死後のことを考えて、当人が用意しておいたこの墓に、入っているのは一人だけ。
お参りするのは俺とミトラスの二人だけ。異世界やこっちでも幽霊はいたけど、この人の霊はどこにもいない。
「あんまりしつこく叱られるもんだからさ、俺も流石に言い返したんだよ」
「なんて」
「お前が息子なんか生まなかったら、こんなことにはならなかったんだ。俺は遺伝子の被害者なんだ。責任とれよって」
隣でミトラスが引いたのが分かる。DNAレベルで否定されると、大概の人は傷つく。その先にいる人を差し置いて。
「そしたらさあ、そんなに嫌なら死んじまえば良かったろって。とても七十過ぎた人間の知性とは、思えないだろ」
「それでどうしたの」
「仕方がないから家を出た。時季が梅雨から夏にかけてだったから、ばい菌と脱水と熱中症で、本当に死にかけた。気が付けば病院のベッドの上だったけど、病院のベッドって優しい感触してるのな」
病院は家とは違って良い匂いがした。でも長居はしたくなかったな。何せやたらとゾワゾワっとするのだ。
寒気がして、強い向かい風を押し付けられるような感じが、病院中からするのだ。たぶん今行ったら、幽霊が沢山見えるに違いない。
「それでさ、婆ちゃんが医者とかお巡りさんみたいなのに、謝ってたんだ。不思議なもんでさあ、俺そのとき初めて思いっきり怒ったんだよ」
「それは想像できないなあ」
「お前に敵意をぶつけることなんか、今じゃ殆どないだろ」
空を見上げると、雲の流れが早いことが分かる。もしかして一雨来るのか。
「俺を殺したかったのに、警察と医者には謝るのか。次は裁判官か、俺に顔向けもできず謝れもしないのに、ふざけるんじゃないこの甘ったれた汚い年寄りって」
今でも一言一句間違えずに言える。腹の底から叫んだのは、あのときが生まれて初めてだと思う。
「だってそうだろ。責任取らないってことは、死んでくれってことだし。けどここからがまた妙でさ、婆ちゃんが急に優しくなったんだ」
「君の気持ちが届いたんだね」
「いや、世間の目や自分の良心の呵責に、耐え兼ねたんだ。罪悪感に押しつぶされるような形で、あの人は丸くなった」
またミトラスが引いた。
客観的に見れば、息子が児童虐待で親権を喪失した挙句、嫁に逃げられ残された廃棄物を押し付けられて、うんざりしていたことだろう。
無理解からきつく当たったら死なれかけて、周りの目がある所で恨みを吐き出され、伏せておきたいことを全部バラされた。
だから年寄りの弱った心が、耐えられなかったというだけのことである。
ヒステリーを起こされる危険もあったけど、居直れなかった婆ちゃんは、本を読んだり医者に相談して『やり直そうとしている自分』を手に入れるのに躍起になった。
「そんな形でも待遇が良くなるならいいかって、半ば諦めもあった。人間の性根ってどれだけストレスに晒されても、矯正はできないんだな。腐ったそれを守るために、精神病になることさえある。ふざけた甘えだよ」
あの時の真っ赤になって、無言で俺を睨んで震えていた、小汚い老人の顔を、俺はこの先一生忘れないだろう。
ともあれ婆ちゃんはその場で謝って、身の振り方を変えた。心から悪いと思って、性格も治って欲しかったが、贅沢は言わなかった。曲がりなりにも、俺が初めて掴んだ勝利だったから。
「サチウスは、お婆さんを許してないの」
「許してないね。心からの謝罪と償いのない加害者を、俺が許すことは絶対にない。それでも俺がこの人を大切にするようになったのは、この人が俺の被害者だと、言えなくもなかったからだよ」
ミトラスが険しい表情で俺を見る。許さないことを許せない。そんな顔。
「お互い様なんだよ。お前さえいなければってのは、あの人にとってもそうだ。突然孫なんか抱えたから、暮らしにも余裕がなくなったみたいだった。着る物もどんどんくたびれていって、流石に悪いと思ったから、俺はあの人の誕生日に、なけなしの貯金を叩いて、カーディガンを買ったんだ」
母親が持ってた義理母親の個人情報。いつか挨拶をして、贈り物をして、そんなことをしてみたいと、思っていたのかもしれない、そういう無念があったかもと、仇を討つように施しをした。
「初めて喜んでくれてなあ」
半ばまで燃えた線香の匂いが、体に纏わり立ち上る煙が、墓石との間を隔てようとする。そんなことをしなくても、もう手なんか伸ばさないのに。
「ん、話し込んじまったな。帰ろう」
両手を合わせて、もう一度黙祷を捧げてから、俺は桶を持って来た道を戻る。後ろをミトラスが付いてくる。彼は釈然としない様子だった。
「なんか俺ばっかり話して悪いな。俺もいつかお前の話を、聞いてやれたらいいんだけど」
「いや、いいんだ。切り出したのは僕だからさ、ただちょっと」
「がっかりしたろ」
「うん……」
正直な反応だ。少しだけ悲しい。でも本当のことだ。ミトラスに比べれば、そこまで苦労はしてないはずだ。
けど自分の女が、知れば知れるほど冴えないっていうのが、辛いのかもしれない。けどそれはどうしようもない。する気も無い。
「そんなふうに思ってるのに、どうして君はお婆さんを、その」
「大事そうにしてるか」
「そう」
ミトラスの疑問はもっともだ。どうして俺が婆ちゃんを大事にしてるのか。それは既に恨んではいないからなんだけど、その辺のことを教えるのは、また今度にしておこう。
もっとも彼の反応を見ると、そのときは来ない可能性もあるが。
「次の墓参りのときにでも教えるわ」
「間を置かれると却って訪ね難いよ」
そうだろうな。もしかしたらこの世界にいる間に、ミトラスが俺に愛想を尽かすかも。
そうなったら俺はどうするだろう。
「やっぱり俺たちは、お互いのことを知らないほうが、良いのかもな」
何となく、そんな言葉が口を突いて出る。しかし。
「そんなことはありません」
きっぱりと言い切った声。
振り向けば、金色の瞳がこちらを見上げていた。何があっても平気だと、訴えかけるこの目と気持ちに、俺はどれだけ応えられるだろう。
この世界に生きるほど、二人の平和が遠ざかっていくような気がする。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




