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出戻りサチコのやり過ごし  作者: 泉とも
怒りの日編
108/518

・払拭

・払拭


「ということがあったんだよ」

「通報したら良かったんじゃないかしら」

「父親だって知れたら逆に配送されるだけだよみなみん」


 昼休みの部室。俺は昨日の一件を、二人に相談していた。


 話してもどうにもならないのは、分かっていたけれど、言っておかないといけない。


「家に上げたくない」

「何かあるの」


 弁当を広げて箸を動かしながら、先輩が質問してくる。統合失調症や内弁慶が暴れた訳ではないので、壁や床に穴とかは空いてないが。


「金目の物は何もない。ただアレは人の引き出しを開けて、しかも片付けない。最悪中の物が壊される恐れがある。それっぽいと思ったものも盗むし、何より些細なことで物に当たるんだ」


 南が蔑むような目でこっちを見る。


 こいつの人間の評価って分かり易くて、相手の人柄や能力で最低限の線引きをして、そこに人間関係や実績が足し引きされるのだ。


 このところ俺の評価が、俺のせいでもないのに見る見る下がっているのは、少し悲しい。


「祖母の形見の品を盗まれたり、壊されたりしたら俺は怒る」


「具体的には」


「簪と腕時計と祖父の形見の懐中時計。それとお年玉の祝儀袋」


 簪は異世界でドワーフの少女から貰った物も、一緒に仕舞ってある。


「祝儀袋?」


「戻したんだ。俺がずっと持ってようかと思ったけど、大事にするなら、動かさないほうがいいかなって」


 最後の祝儀袋のときは、自分でお年玉を詰めさせられた。風情も何もなかったが、次の日受け取った祝儀袋には、小さく震える字で一言だけ添えてあった。


 その一回きりだ。そんなことがあったのは。


 もうその一回しかないのだ。


「俺にはアレを殴る理由があって、殴るのを止める理由がない。だから会いたくない」


「ねえ一つ聞いていい」

「何でしょう」


 いつの間にか弁当を食べ終えていた先輩が、こちらを見ていた。話すときは基本的に、視線を合わせない斎が。


 外して一度拭った後の、眼鏡のレンズの向こうには、責めるでも悲しむでもない、黒く大きな瞳がひたと女を見つめていた。


「どうして言ったの」


「それは、もしも俺が退学するようなことになったら、先に謝っとこうって」


 先日退学退部するような事態は、避けろ言ってもらったばかりだから、罪悪感がある。でも正直自信がない。


「いらないよそんなの。馬鹿じゃないの」

「ちょっと、いっちゃん」


 はっきりと切って捨てられた。小揺るぎもせずに、真っ直ぐ向けられた眼差しが、今はどこにも目を逸らすなと、訴えてくる。


「殴っても殴らなくても、きっとあなたは後悔するよ。だったら自分を裏切らないことをしなさい。私達の何かに背いたような気になられても、それは私達の気持ちじゃないから困ります」


「ちょっと斎!」


「私達ががっかりするようなことを、すると思ってるならお門違いです。あなたがそうしたいなら、そうしなさいとしか、私には言えません。それに責任は負えないし、私はそこまであなたの大事な人には、なれません。友達っていっても割と関係ないんです」


 先輩はそこで一度区切ると、静かに息を吸った。


「今はあなたを大切にしなさい」


 突き放されて、叱られた。それはそうだな。俺たちは友だちだけど、それだけだ。


『二人には悪いけど』なんて言うことじゃ、ないんだこれは。ひょっとしたら俺は、心細いから二人を巻き込みたかったのかも知れない。少しだけ視界が滲む。


「しっかりしなさいサチコ! 斎もそういう言い方することないじゃないの。サチコだってほら、え、ちょ、何も泣くこと」


「泣いてない」


 ゆっくりと、何度か深呼吸をする。ああ、俺は気弱になってたんだなあ。


「気にしちゃ駄目だよ」


「あーーー! 始めからそう言えばいいじゃないのよもう!」


 怒りながらも俺を案じる南の声と、気だるげないつも通りの、先輩の声。


 飄々としているようで、俺たちと一緒だと素で接する南。


 逃げ腰でいい加減なのに、今は逃げないでいてくれる斎。


 よくもまあこんな奴らが、俺の友だちになってくれたもんだな。


「悪い。気にし過ぎた。もうあんまり考えすぎない、大丈夫だ」


 そう言って、買っておいたお茶を飲んでから、弁当の残りを平らげる。今は気にしなくて良い。その時になったら、それからを考えよう。


「社交辞令じゃないでしょうね」

「たぶん」


 南が心底苛立たしげに舌打ちした。今度暇なときにでも、差し入れをしよう。


 そういや未来に帰るなら、年賀状出せないな。そんなことを考えていると、午後の授業のチャイムが鳴る。


「たぶんって、ああもうあんたのせいで、ご飯食べ切れなかったじゃない!」


「ごめんってば」


 席を立って後片付けをして、部室を出ようとする。するとチャイムとは別の、お知らせを意味する音が、壁際のスピーカーから流れ出す。


 だいたいが生徒の呼び出しの。


『一年○組。○○祥子さん。至急職員室まで来てください。繰り返します』


「サチコ」


 振り向くと心配そうな南と、笑っている先輩の顔があった。今の二人の心の声を聞いたら、きっと幸せだろうな。


「ん。なんかあったな。行って来る」


 軽く手を振ってから部室を出て、職員室へと急ぐ。不吉な予感はしているけど、逃げようって気にはならない。


 大丈夫だ。もしもアレと、会うようなことがあったら、殴ろう。遠慮なく殴ろう。


 ――職員室。


 やたらと机が敷き詰めてあり、教師一人一人が隣り合う、混沌と悪意の苗床。


 とはいえ大半が授業に出払うので、ここに大勢が詰めるのは、朝と放課後くらいのものだ。何度か呼び出された経験があるので、担任の席は分かっている。


 もっとも、日直の日誌を返すのもここなので、生徒は月一で来ることにはなるのだが。


「失礼します。臼居出頭しました」

「ん、ああ、○○先生。臼居君来ましたよ」


 こちらに気付いた教師の一人が、担任に声をかけた。この人は確か数学の先生だ。


 周りからは校長の腰巾着とか言われているが、生徒とも教師とも一定の距離を置いており、観葉植物や校長室にある熱帯魚の、水槽の手入れが好きという、変わった好人物だ。


 担任でもないのに俺の事情を知って、名字は臼居で呼んでくれる。


 温厚な人柄に加え、オールバックに臙脂色のベストと、服装は結構決まっている。だが職業上履かないといけない安っぽい室内靴が、美観を損ねていて可哀想。


「おお、○○。こっちだ。お前宛てに親御さんから、電話がかかって来てる」


 それに対して担任なのに、俺のことが何一つ引き継ぎされてない男は、配慮の『は』の字もない様子で、俺を呼びつけた。


 今時は携帯電話を持っているのが当然であるが、学校としては建前上、携帯電話の持ち込みは禁止であり、しかし没収もしないという半端な状態にある。


 なので学校側からは、親御さんに携帯にかけろとは言えず、俺のようにそれを本当に持っていない生徒に対しては、取り次ぐより外にないのである。


「どっち」

「は?」

「いや、いい」


 この分だと全部忘れてると見ていいだろうな。しかし親か、アレの親権は喪失していたはずだが。


「もしもし」


 電話の受話器を受け取ると、担任は自分の授業のために、この場を後にした。


 こういうときは付き添っておくものなのだが、代わりにさっきの数学教師、がそれとなく寄って来たので頭を下げる。


『もしもし。祥子さん』


 聞こえてきたのは女性の声だった。先日別れたばかりの人。すっかり関係が決着したものとばかり思っていたが、まだやろうってのか上等だよ。


「その節はどうも」


 昔は全員敵に回すよりはと、できる限りのことをしてやったのに、最期の最後でこれか。つくづくだな。


『あの、この前はごめんなさい』


「それで何の御用ですか。もう授業が始まってるんですがけど」


『あ、そう、そうよね、ごめんなさいあのね』


 何だ。


『二十五日に会えないかしら』

「どうして」


『私たち、その日に引っ越すの。それで、その見送りに来て欲しいの』


 …………………………………………なんだそれ。


「どうして」


『あなたに謝ろうと思って、それにあなたの妹のことも、紹介しておこうと』


 …………………………………………なんだそれ。


『その、本当はそっちに出向くべきなんだけど、あなたも私とは会いたくないでしょ。だから、最低限で済ませようと思って』


「謝りたいならお好きに。俺を付き合わせるな」


 そのまま受話器を置こうとすると、慌てた声が聞こえてきた。どうして切ろうってのが分かるんだろう。俺はもうお前の人生に付き合いたくない。


『待って。一度あなたの家に行ったけどいなかったの。あなたに責められた日のことを、周りの人にも相談してみたし、それでその、確かにひどいことをしたんだと、思う』


 あの日のことを言い触らした挙句に、周りから言われて自分が肯定されなくなって、慌てて保身に走ったのか。なんて奴だ。


『私、私はただ『そんなことないって』私は悪くないって、頑張ってるって言って欲しかっただけで』


 …………。


『それだけで、それしか考えられなくて、ごめんなさい』


 そう仕向けたのは俺か。本当にどこまで行っても、地獄のような家だな。


「何時」

『え』

「何時だ」


『! っ一時! 一時に小田原駅を出て空港まで行くの』


「分かった。でも見送りだけだ。謝らなくていいし、紹介もしなくていい。じゃあね」


 受話器を置く寸前、待ってるという言葉が聞こえたような気がした。何もかもがちぐはぐで、あべこべで、ふざけてる。俺の立場ってなんだよ。


「お疲れさま」


 近くにいた誰かの声が拍子になって、俺はそっちに頭を下げてから、職員室を出た。


 二十五日。あの人に会ったらそのときは、今度こそさよならを言おう。


 そう考えながら廊下を歩くと、もう自分の足音しか聞こえなかった。

誤字脱字を修正しました。

文章と行間を修正しました。

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