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出戻りサチコのやり過ごし  作者: 泉とも
怒りの日編
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・ある染色体yの人物

今回長いです。

・ある染色体yの人物


 自転車の灯りを点けず、家の近くまで来た。


 高齢化で人が少なく、家から歩いてすぐのゴミ捨て場。通りを挟んで向こうの道に、陰湿極まる町内会の、年寄たちが住んでいる。


 恐らく十年以内に、住民が一人もいなくなるであろうこの地域に、不似合いな人間がいる。


 俺だ。ただ一人平均年齢を、大きく引き下げる存在の女子高生。しかし今はそれと別に、一人の男が祖母の家の前を、うろついていた。


 中肉中背で、服は背広だが皺だらけだ。特徴的なのは、里芋のような細長い形の頭部。


 他人と比べて小さい頭蓋骨は、明らかに中の脳が、人より小さいことを示している。


 俺にとってはおとぎ話に現れる、邪悪な老人のように、異常で危険な不愉快極まる人物。


 本物を最後に見たのは、五年くらい前だろうか。目を合わせてものを言うとキレるから、家が同じだった頃も、顔をなるべく合わせないようにしていたから、その辺曖昧だ。


 街灯の貧相な光の下で、数年ぶりだというのに、一発で分かったのは、異世界で偽物と戦ったからか。


 いや、たぶんそれがなくても分かっただろうな。胸の内がざわめく。動悸が激しくなる。冷や汗が出る。そしてそれ以上に。


「今日は外食にしよう」


 そう言ってミトラスをカゴに乗せたまま、来た道を引き返した。頭を冷やさないといけない。怒っている。殴る準備が出来ている。


 昔とは違う。俺は今一人だ、手を出されれば、殴り返せてしまう。きっとやり過ぎる。やり過ぎなんてことはないけど、思うさまやったらいけない。


「サチウス、大丈夫」


「大丈夫じゃない。時間を空けよう。家の鍵は変えたんだ。奴は家に入れない」


 裏口の鍵も締めてる。合鍵もない。ミトラスは魔法で鍵開けができるから必要ない。


 だからアレが窓を壊すか、ピッキングでもしない限りは大丈夫だ。この辺は近くにコンビニもない。


 冬の夜を長時間やり過ごせる場所が、無いから寒さに凍えるしかない。


 それにしたって、冬休みも目前に迫った年納めに、なんだってこんな厄介事が、立て続けに来るんだ。噂をすれば影が差すとは言うがな。


「できることならな、お前にだけはアレを見られたくなかった。あの人にしても、俺の前に現れることなんて、まず無いと思ってたのに」


 自分の外付けの負債なんか、誰だって見せたくない。自分が遺伝子の被害者だっていう証拠を、誰だって見せたくない。


 それが自分の味方なら、友だちなら、相棒なら、尚更。先月の一件で免疫が付いたのが、不幸中の幸いか。先輩の言葉で心構えが、一応は出来ていたこともある。


 おかげで取り乱さずに、アレから離れることができた。食ってかからずに済んだ。口も利きたくないが、許してもおけない。アレの声を聞いたら、俺はきっと怒る。もっと怒る。


「何処かで飯食って時間を潰そう」

「何処かって」

「駅前は駄目だ。鉢合う可能性が高い」


 嫌なもので人は人ごみの中に、自分の見知った顔を見つけるものだ。寒さにやられて帰る途中のアレが、同じ店に入ってきたら終わりだ。


 白い吐息を吐き散らしながら自転車を漕ぐ。何処か放課後の、夜六時以降に開いてて暖が取れて、それでいて地元の人間以外は、あまり入らないような場所。


 ――ある。


「ミトラス」

「なに」


「もしも猫の入店が禁止だったら、その時は人間に化けてくれ」


 それだけ言うと、俺は出来る限り急いで、心当たりの場所へと急いだ。



 ――『東雲』



 夜七時を回って、まだ開店しているバイト先に、客としてやって来た。


 季節が季節なので、普段は開け放してあるドアも、今は閉じられている。店内の明かりは外に漏れ出ており、中に入ればいつもの小麦と珈琲の香りがする。


「いらっしゃいませ、ああサチコくん。お客かい? それとも海かな?」


「あ、すいませんマスター。ちょっと野暮用で客です。それとあの、猫いいっすか。入口までなんで」


 褐色の若々しい店長は、俺と足元のミトラスを見ると、少し考える様な素振りをしてから、二カッと白い歯を見せて笑った。


「本当はダメだけどね、いいよ」

「ありがとうございます!」


 お礼を言うとミトラスも鳴く。僅かに残った客の視線がこちらに集まる。気まずい。取りあえず夕飯を済ませてしまおう。このところトラブル続きで、ちゃんとした晩飯食ってないなあ。


 猫には食べさせちゃいけない物が、沢山あるからその辺、気を付けないと。


 まあ食わせても平気だけど、今は人の目があるからって意味だけど。


「これください。それと水とチャイティー」

「君は本当に珈琲飲まないねえ」

「すんません」

「いやいいけどね」


 マスターに苦笑されながらも、惣菜パンと餡子入りクロワッサンを幾つか購入。


 席に着くとトレーの上に、クロワッサンを千切って、水を加えたものを膝上に座る猫にやる。こうして見ると完全に猫だな。


 ゆっくり時間をかけて一つを食べさせてから、俺は自分の惣菜パンを、とっとと口に放り込む。奥さんと海さんが作った、あまり売れてないけど美味いパンが美味い。


「っあつ」


 チャイティーの独特の香りと、頬が引き攣るほどの甘さが今はありがたい。しかし所詮は間に合わせの小食。


 一人と一匹が食事を平らげてから時計を見る、と三十分経つか経たないか。まだ帰るには早すぎる。どうしたものか。


 こういうときに携帯電話があると、時間を潰せるんだろうな。生憎今は文庫本が一冊。それももう読み終えてしまった。


 そして八時。十時まで開店してるが、今から客が来ることは滅多にない。つまり実質的な、店じまいの時間だ。


 マスターたちの家族の時間でもある。高校生活が終わりに近付き、団欒を大事にしている海さんの、お邪魔をするのは俺も嫌だ。


 引き上げるしかないか。


「もう帰るのかい」

「ええ、ご馳走様でした。ミトラス、礼を言いな」


 猫が一鳴きして、マスターに頭を下げて店を出る。何か言いたげだったが、聞かないことにした。普段はあまり喋らないが、家族仲が良いのは知ってる。


 一人娘を持つ他人の親に、甘える訳にはいかない。俺の親じゃないんだ。


「終電まであと三時間はあるな」


 恐らく家に帰っても、まだアレがいるだろう。あの人のように、家に上がるつもりだ。冗談じゃない。いっそもう死んでて、化けて出たなら遠慮なく止めを刺せるのに。


 生きてる人間を殺したら殺人になってしまう。


「どうするの」


 再び自転車のカゴに乗り込んだミトラスが声を出す。


「なるべく他の人を巻き込みたくない」


 いっそ海さんか南に、インスタント洗脳機(ピカっと光って記憶を消して別の記憶をでっちあげる機械)を借りておけばよかった。


 先輩の家に転がり込むのもな、そこまで緊急性はない。交番に行けば間違いなく、家まで送られてしまう。あいつらは人を匿うということは絶対にしない。


「一応確認だ。ミトラス、家の様子って分かるか」

「分かるよ」


 そう言うと彼は空を見つめた。俺には何も見えないが、ミトラスには見えているのだろう。十秒ほどそうしていると「まだいる」と答えた。


 腐れアル中が粘りやがって。頭が回らないから、諦めることさえ時間がかかる。


「おトイレとか大丈夫なのかな」

「近所の公園に公衆便所あるから平気だろ」


「でもさあ、あの家って確か、あの人の家でもあったんでしょ」


 なんでトイレの話題から家の話になるのか。家のトイレ目当てで、張り込んでいるとでもいうのか。


「家の敷地内に入って、用を済ませちゃうんじゃないかな」


「そのときはその辺の土ごとアレの腹の中にテレポートさせる」


 年の瀬に東京くんだりからやって来たってことは、絶対に何かあったんだ。


 あの人の場合は、俺を駒として扱いたがった。だがアレにとって俺にはそんな用途がない。なら別の理由だ。婆ちゃんの介護と葬式は、俺がしたからその線はない。


 有るとするなら、金か、家。

 仕事を首にでもなったか。


 そもそもなんで自宅があるのに、小田原までやって来たかを考えれば、他に理由は無い。アレに限って言えば。


 最悪借金から逃げてきた可能性もある。だとしたら俺がすることは一つだ。


 出来る限り接触を避け、借金取りらしき人間がいれば引渡し、死んだら相続を放棄する。


 でもその場合この家も、抵当に入れられてしまうだろうな。婆ちゃんはあの家を、向こう五年間売るなと遺言を残してくれた。


 だからアレが生きてるうちは、どうにもできないはず。ジレンマだ。


「どうするの」


「アレは酒飲みだ。性根が腐ったままなら、今頃は酒切れで死ぬほどイラついてる。その上で小心者だ。外で飲んで酔っ払うことはできない。この辺には泊まれるところもないし、駅まで行かないと酒は手に入らない」


 酒を手にすれば、飲むために帰りたがるだろう。アレからすれば、その後の消息が分からない俺には、死んでてもらったほうが好都合だろう。


 しかし自分がそれを見つけるのは嫌だから、絶対に踏み込んで来ない。そういう人間だ。


「待つ。帰る家があるなら、九時には帰り始めるだろう。自分にだけは死ぬほど甘い奴だから、これ以上自分の時間を減らされることには、我慢ならないからな」


「それおかしくない。自分から来てるのに、被害に遭ってるみたいに聞こえる」


「実際そういう考え方をする奴なんだよ」


 思い出せば首筋の辺りが熱を持つ。


「とにかく待とう。あいつは必ず帰る」

「なんでそう言い切れるの」


「知ってるからだ。アルコール依存の異常酩酊持ちで、すぐにどうでもいいとか無理とか言いだして、自分よりも弱い奴の帰りを待って、八つ当たりをする生ごみ。それがアレなんだ」


 ミトラスが俺の顔を、信じられないという顔で見ている。俺も自分の表情の変化を抑えられない。冷たい風がどれだけ吹いても、熱が下がらない。


 それでも俺たちは街を、うろついて時間を潰した。


 結局は自分で言った通り、九時にもう一度ミトラスに、家のことを視てもらったところ、アレは綺麗さっぱりいなくなっていた。


 月も星もない夜を、家へと急いだ。何も変化は無かった。そのことに無性にほっとした。


 この後のことを考えたくなかったが、考えない訳にはいかない。俺の人生で現実ということを思えば、やはり遭遇は避けられないだろう。


 そのとき、俺がどうするか。

 俺を見てミトラスが何を思うか。


 そのときの心構えを、今からしておかなくてはならなくなった。

誤字脱字を修正しました。

文章と行間を修正しました。

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