・影が差す
今回長めです。
・影が差す
「ということがあったんだよ」
「何よ何にも無かったのね」
「だから言ったじゃん大丈夫だって」
放課後の部室。関節痛が残る俺は、母親との事の経緯を、二人に説明した。南が聞いてきたからだ。
しかしながらあの人が、何故今頃になって、俺の前に現れたのか。
その事情が分かっただけで、それ以外は何もなかったのだが。あるとすればミトラスが、彼氏として成長したくらいか。
「でもやっぱり現実は甘くなかったねえ」
二人とも冬服だ。南は羽織っていたコートを、膝の上にかけている。
先輩はもう寒いのかよく分からんレベルで着込み、コケシからマトショーシカに変態している。
「そうね、ごめんなさいサチコ、期待させるようなことを言って」
南が罪悪感からか、気落ちしたように言った。育ちのいい彼女は、根っこの部分はいい子でポジティブだ。励まそうとしたのに、裏目に出たと思ったのだろう。
「いいんだ。最初からこんなことだろうと思ってたから、南が気にすることはないよ。お前の前向きさは、なんか薄っぺらい感じがして、正直俺も気にならなかったし」
「ひどくない?」
むっとして睨んでくる南に苦笑する。南は人よりも頭がいい上に、この世界を傍で眺めて、ちょっかいを出す仕事をしてたせいで、世の中とズレがある。
見下してるとか、舐めてると言い替えてもいい。実際それができる立場だったし、能力もあったみたいだから、無理もないが。
ただそのせいで、自分に関しては物事が、どんどん悪くなっていくということを、想像できないところがある。
それがズレの元だ。悪く言ったが、それが彼女の前向きさや、希望というものに繋がっていくから、短所と断じることもできない。
「いい。人生は希望を持つべきなの。思ったように行かないこともあるけど、それでも希望がないと、人生はやっていけないの。私はあなたもそのほうが良いって思ったから、言っただけなの」
「ごめん。嫌な言い方をした。けどな、お前はお前を基準にして、喋り過ぎなんだよ。お前のほうが正しいことは、俺も分かるけどな、お前の人生訓は、俺には当てはまらないんだよ」
「君らなあなあで話を濁すとかしないよねえ」
先輩が茶化すけど、俺たちはそれを無視して、話に集中した。何故って今は俺たちが、話し合っているから。
「希望がある内は、希望を持つのは正しい。でもな、現実を現実的に見て、そんなものは無いと分かった後に持ったらな、その希望は偽物なんだ。現実逃避なんだよ」
南は俺を睨んだまま、話に耳を傾けている。ありがたいことだ。
部活の外では上手く他人をあしらいつつ、コミュニティの上座に納まっているらしい南だが、真面目なことを真面目な顔でできるのが、こいつの美点だな。
大半の人間は五分もしないうちに、キョロキョロそわそわし出すし、大事な話でも顔がニヤケっぱなしな奴と比べると、人間が大分しっかりしている。
「酒や煙草や課金ガチャ(ギャンブル)と何も変わらん。そんなもの持ったら、身を持ち崩すばっかりだ。無いほうがずっといい」
息抜きで何時でも止められる、というのが一番いいが、その一番が出来ずに最悪まで行くのが、やる人の顛末であり本性だと思う。
「サチコって擬似的な天涯孤独の割りに、破滅的な感性とは、縁遠い考え方するよね」
南の顔が一段険しくなった瞬間に、先輩が横から口を出した。助け舟だ。この人は会話に、緩衝材が必要だと判断すると、こうして出張ることがある。
「俺も中学を卒業したときは、もうどうでもいいかと思ったが、高校通ってみたら運良く、まんざらでもないことになったからな。この部活と皆には、ちゃんと感謝してるよ」
「おお、つまり歴史改変と部活動によって、高校生活に希望が持てた、ということだね」
「そこまでではないけどまあ、楽しいかなあ」
こういうことは素直に言うのが一番だ。一々照れ隠しとか何とかやるのは、無駄に拗れるだけ。
含みのある微妙な関係なんてのに、憧れる人もいるようだが、蓋を開けると公私の区別をしなさいということが、殆どである。
根拠はこの学校内の一部の男性教師と女生徒。
「つまり私たちがサチコの希望だから、サチコは私たちと付き合ってるのね」
「人の好意を拡大解釈するなストーカーかよ。俺はお前のこと嫌いだぞ」
何を渋々納得したような顔して頷いてんだ。緑系の香水付けて来やがって。
森の香りで心が安らぐんだよこの野郎。微妙に香水とバレにくい、自然な匂いを使うとか、芸の細かいことするんじゃないよ。
「でもお互いにまだ、友だちでいてあげてるじゃない」
先輩の言葉は俺と南の関係を端的に表している。
友だちになってくれたという表現が当て嵌まるなら、見方を変えれば友達でいてやってる、と言えるのである。
その関係が崩れてないなら維持される。他の部員とか海さんは、普通の友だちなのになあ。
「関係が終わるほどじゃないからなあ」
「嫌いな人間なら友だちになれないでしょ」
『えっ』
「えっ」
『えっ』
――――――――――――
「ところでサチコ」
「なんすか先輩」
南がトイレに行ったのを機に、先輩が話を変える。彼女の心の声は奇しくも俺と同じ『あいつめんどくせえなあ』である。
「お母さんの件は物別れで終わった訳だけどさ」
「はい」
「もうかたっぽは」
もうかたっぽ。かたっぽ。片方の意。
母親のもう片方は父親。その名詞を避けた辺り、この人は南よりも、気配りができる人だ。こういう機微に対しては、人心を掌握されてもいいと思う。
「さあ、こっちに来る理由はないと思いますが」
「何ていうかさ、先触れのような気がするんだよね」
思えばこの人と二人きりになることって、四月以来だ。あのときは俺があれこれと尋ねたけど、今は先輩が俺に話しかけている。
「私はオカルト部じゃないけどさ、どうも嫌な予感がするんだ。世の中ってのは一番簡単なことから起きるようになってるんだ。サチコの母親がやって来たから、たぶん次がやって来ると思う」
次というのは男のほうだろう。母親のほうが来たから、今度はもう片方も来るだろうと、彼女は言っている。
俺ももしやという気がしていたが、なるべく考えたくなかった。
「それは何故」
「駄目な人の番はね、良い所よりも悪い所のほうが、沢山似ているものだよ。短所が長所より多いとまでは言わないけどね。ただ、悪い所が似てるってことは、良くない考え方や行動が似通うってことなんだ」
ネタ探しで人間観察を頻繁に行う斎の言葉には、既に経験があり、そして十代の感性があった。
互いの臭みに引かれて、二人で相手の鼻を摘む。腐るという意味での、甘やかし合いだ。俺の両親が駄目な人の番呼ばわりされるが、もう少し酷い言い方でも良かったのに。
「どんな理由で来るかまでは分からないけど、用心しといたほうがいいと思う。年末でもう直ぐ冬休みだ。世の中に膿みたいな人が、一斉に噴出する」
眼鏡の奥の両目が、俺を見据えている。言い聞かせる言葉の一つ一つが、ありがたかった。
親身になるっていうのは、きっとこういうことなんだろうな。自分の頬が少しだけ緩むのが分かる。
「私は冬コミの売り子も、頼むつもりでいるんだからね! 何かあったら嫌だよ。いいねサチコ」
「……はい、ありがとうございます。もう入っていいぞ南」
先輩に礼を言ってから、部室の外に戻ってきていた気配に声をかけると『何で分かるの』と、首を傾げながら南が入ってきた。
「お帰り」
「ただいま。それで、どうなった」
「聞いてたくせにー。とにかく退学退部になるようなことには、ならないようにねって注意したとこ」
そんな内容だっただろうか。意訳というより本音じゃないのかそれ。でもまあいいか。
確かに気をつけろって言うなら、身の安全以外には、それくらいしかなさそうだし。南も南で納得するんじゃない失礼な。
「そういえば二人とも冬休みはどうすんの。私は冬コミ以外はいつも通りだけど」
「私は里帰りかしらね。この時代の改変された歴史をまとめたから、それを私の時代に持ち帰って、どこが改変されたかを考察する、研究材料にするわ」
「そういやお前元の時代だと大学生だったな」
「いっそ歴史修正論とでも名付けて、研究課題にしようかしら」
「あらぬ誤解といらぬ人間を招くから、止したほうがいいと思う」
それぞれの過ごし方で冬休みを送る。先輩はいつも通りで南は帰郷。俺は今年が初めての冬休みだ。
何が初めてかっていうと、ミトラスと二人きりで過ごすことが。あいつがいなかったら俺は今年、正真正銘一人で、冬を過ごすとこだったんだなあ。
「俺はすることが何もないから、家でごろごろしてるよ。バイトもないことだしな」
「何かあったら私たちを呼びなさいね。次に警察。なるべく一人で戦っちゃ駄目よ」
「お前は俺の冬休みがどうなると思ってるんだ」
「他の学生とかがお礼参りに来るようなの」
言い返そうと思ったが、上手い言葉が見つからない。というか返す言葉が見つからない。
クラスの女子とその彼氏といった連中も、最近は生理の日でも絡んで来なくなった。四月に比べて殴り殴られの比率が高まるに連れ、手を出さなくなっていったのだ。
持ち物も盗めないし、携帯でのデジタルないじめもできない上に、物理的な暴力でも不利となれば、対象を変えると思う。
のだが、今のところ教室内には、新たな犠牲者が出ていない。
長期の休みに入って、徒党を組んで自宅に押しかけてくるというのは、確かに有り得そうだ。
冬場は放火の犯罪も増えるからな。気を付けないと駄目か。一応ホームセンターで、消火器と斧買って帰るか
「でも今年ももう終わりか、早いなあ」
「たぶん世界中の人が、おんなじこと言ってるだろうね」
違いない。そうして雑談を耽っていると、周りはもう真っ暗だった。部活を終えて解散し、下駄箱で靴を履き替える。
駐輪場には既に人も、自転車も殆ど無かった。
一つ変わった点があるとするなら、俺の自転車カゴに、猫姿のミトラスが収まっていたことだ。今日は家にいるはずなんだけど。
ミトラスは俺に気付くと『にゃあ』と一声鳴いた。
「珍しいな。一緒に帰るか」
そう問いかけるが、ミトラスは体を伸ばすと、ハンドルを握る俺の手に、前足を置いてまた『にゃあ』と鳴いた。さっきより強く、大きな鳴き方だった。
さっきまでの上機嫌が一瞬で覚めていく。今まででこんなことは、一度もなかった。彼が俺に、こんな形で警告を出すなんてことは、初めてだった。
「何かがあったんだな」
猫は答えない。
「家に帰らないほうがいいのか」
心細そうに鳴き声が漏れる。さっきの先輩の言葉が脳裏に蘇る。周りには音を出してくれるものが、ミトラス以外には何もなかった。だからだろうか。
なんだかとても、嫌な予感がした。
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文章と行間を修正しました。




