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・nothing among

今回長めです。

・nothing among



「静かだな」

「うん」


 駅までの道すがら、隣を歩くミトラスに話しかける。


 バイトが無い日は、部室でだらだらするのが、放課後の過ごし方だけど、今日は違う。


 待ち合わせの場所へ向かっている。もうすぐ十二月。放課後の時点で、もう夜と言っていい。


 日中の曇は数を増して、今は暗雲の空模様。駅に近付いても、あまり人の姿は無い。天気は悪くイベントもない。


 人口問題でどうしようもなく、寂れつつあるこの街では、買い物客がセールで買い溜めをすると、翌日は姿を見かけなくなるのだ。


「じゃあ、行って来る」

「うん」


 隣には子どもが一人。


 付いてきてくれたミトラスだ。話を聞いていくかと尋ねたが、彼は首を横に振った。約束の場所が見えてくると、小さく手を振って、何処かへと去っていく。


 小田原駅前のパン屋だ。繁盛していて店舗が大きく、中には店で買ったパンや飲み物を、食べる席がある。


 外から見ても、来ているか分からない。まだ来ていないのかも知れない。


 そう思いつつ入店して、トレーにも触れずに、奥のテーブル席の区画に行く。


 店内には何十分と居座り続ける、客の群れが吹き溜まっていた。


 入り口側の席にはいなかったので、一応と思って見回すと、その中に一つだけ、客が一人しかいない席があった。


 あの人だった。


 無難なショルダーバッグに、ほぼ灰色の上下。先に来ているなら、そうと分かる位置に、いて欲しいものだ。


 会う日取りを尋ねて、落ち合う場所を決めさせたのは俺だけど、待ち合わせをしているっていう、自覚を持ってもらいたい。


「こんにちは」

「え、あ、ああこんにちは」


 声をかけると、彼女はようやく俺に気付いた。それほど大事な用でもないのか、それとも大事な人でもないのか。両方だろうな。


「どうぞ、お掛けになってください」


 最後まで親子って感じの会話にはならなかったな。


 今更お互いに、どういう口の利き方をすればいいのか、分からない。いや、他の言い方なんて、なかったんだ。


 他人になってから、一生他人のまま。誰だってそうだろうけど、俺たちには家族のレッテルが、貼られていない。だから、剥がれてさえいない。


 十年は一緒に、暮らしてたはずなのにな。


「いえ、お構いなく。手短に済ませますんで」


 ポケットからメモ紙一枚取り出して、それをテーブルの上に置く。書いてあるのは俺の連絡先。家と、学校と、東雲の三つ。


「私の連絡先です。あなたのと違って、必ず繋がりますよ」


「え、なあに。私の連絡先、ちゃんと繋がったでしょ。だからこうして会えたんだし」


「ええ、今回はね」


 引っ越したら繋がらないんだから、使い捨ての電話番号だろう。お前が俺にした仕打ちだって、忘れてねえからな。


「今までありがとうございました。私はあの家に残ります。さようなら」


「ちょっと待ってそんないきなり。え、どうしてなの祥子さん」


 ああ、初めて名前を呼ばれたな。

 ぞわぞわして苛々する。

 もう呼ばれたくないな。どうしてか。


「ねえどうして」


 どうして厭だと言われるのを、考えてなかったんだろう。自分のことでさえ、ろくに考えていないんだ。あの頃から何も変わっていない。


「どうもこうも、私の家はあそこです」


「でもあんな家に一人暮らしでしょ。それなら一緒にいたほうが、いいじゃない。あなたも年頃だし、一人暮らしがいいんなら、もっといい家に住めるし、部屋の用意もあるのよ」


「せめてお立ちになったらどうです」


 少しだけ苛立った声が出る。不思議だな。終わってる関係なのに、声を聞いてるだけで、際限なく気分が悪くなってくる。


 掛けろと言われて、座らない俺が悪いのか、向こうも言われて、立とうとはしない。


「もう一度いいます。俺は家に残る。その上で聞くぞ。俺に妹がいたこと、何で黙ってた」


 顔色が変わった。


 というよりは存在感が抜け落ちたって感じだ。人間精神的な急所を突かれると、それまでの気分が吹き飛んでしまうものだ。


 妹、妹か。


「なんで知ってるの」

「今年で幾つだ」

「……六つ」


 来年卒園の訳だ。この世界では俺は十六歳のはずだから、時期的にはそういうことだよな。そりゃあ俺を連れていかない訳だ。


「馬鹿なママ。ずっと俺に甘やかされたまま、ほんの少しでも俺を、大切にしてくれれば好かったのによ」


 頬が引き攣っている。奥歯を嚙んでいるのかも。コレもその呼び方を、されたくないんだな。


 奇遇だな。煽りにしたって、俺ももう呼びたくないよ。消去法とはいえ、今日まで『臼居』を名乗り続けたのに。


「あの子を紹介しなかったのは、事情があったからで」


「それは構わないよ。それで。俺が一緒に行かないって分かった上で、俺をその子と引き合わせるとか、引越し先の住所を、教える気があるのか」


 少し沈黙があって、相手は頬を紅潮させて、そのまま席を立った。席を立って、脇を通り過ぎて行った。


 どうして俺をもっと早くに、引き取りに来なかったのか。


 事情というのは何なのか。

 俺の気持ちを考えたことはあるのか。

 俺の気持ちを考えた上で二人目のことを黙ってたのか。

 俺と話し合う気や許しを得る気はなかったってことか。

 一度も様子を見に来なかったのは何故だ。

 勝手な復縁が受け入れられると思った理由はなんだ。

 俺は召使じゃない。


 どれか一つでも感情に任せてぶつけていれば、こんなに食い下がられることも、なかっただろう。


 簡単なやりとりが、一番気持ちを伝えられるのかも知れない。伝えようとしても、アレは逃げただろうけど。


 足早に去っていく背中を見送る。あまりにも何も無い別れだな。未練も執着ない。侘しさも悲しさも無い。


 誰かが何かを押し売りしようとして、失敗しただけ。たったそれだけ。


「じゃあね」


 これで終わりだな。もう終わってたけど。

 二人して一度も歩み寄ることがなかったな。


 気が付けば周りのテーブルから、視線が集まっていた。席にも着かず、険悪な空気を出していたんだから、無理もない。


 俺はさっきまで、一人座っていた所に腰掛けた。溜め息が漏れる。不毛なことをすると疲れる。


 それから一度席を立って、レジまで行く。パン以外にも、店頭で注文するメニューがある。


 トーストと牛乳を頼んで、レジ横にあるピーナツバターの瓶を買う。そして席に戻ると、焼けた分厚い食パンに、今買ったばかりの瓶を開けて、これでもかと塗ったくる。


 今日の自分の夕飯は無しだな。


 そんなことを考えていると、誰かがこちらに歩いてくるのが分かる。ミトラスだった。トレーにアイス珈琲とメロンパンを乗せている。


 もうちょっと取り合わせや時間帯を、いや、今の俺が言えた立場じゃないな。


「ここ、いいですか」

「ああどうぞ」


 トレーを置いて隣り合う。何も言わずにパンを咀嚼する音が聞こえる。


 焼けた小麦の香りと、やや砂っぽいペーストの舌触り、くどい甘さがくせになる。


 ちらりと横を見れば、大人しく黙々ととメロンパンを齧る、ミトラスの姿。たぶん様子を窺ってたんだろうな。


 それから俺たちは、少し早い粗末な夕食を終えた。俺が二枚のトーストを食べ終わるのと、ミトラスがメロンパン一個を食べ終わるのは、ほぼ同時だった。


 口の中がめったりパサパサになったのを、洗い流そうと牛乳に手を伸ばす。


 ねえ、と声がかかった。


「何」

「折角だから、珈琲牛乳しない?」


 悪戯っぽい笑みを浮かべると、彼はレジまで行って、グラスをもう一つ受け取った。


『カフェオレをしたいので』という声が聞こえた。それですんなり行くんだから、得だな少年。ついでに珈琲用のスティックシュガーも、一つ持ってくる。


「どうぞ」

「どうも」


 渡されたグラスに、俺の牛乳を半分入れて、砂糖を半分加えて、かき混ぜる。


 次にミトラスの珈琲を、半分入れてまたかき混ぜる。透明感のある琥珀色が、白の中に飛び込み、それでいて微妙に灰色にならない液体が、出来上がる。


 残りの牛乳と砂糖を、ミトラスのグラスに注いで、同じことを繰り返す。


 二つ出来上がった珈琲牛乳。飲もうとすると、彼が新しいのほうのグラスを持った。


 俺がミトラスのグラスで飲むのかと思ったけど、彼はそれを空になったグラスに戻した。


「君のは君の」


 そう言って彼は、自分の珈琲牛乳を飲み始めた。俺のは俺の、か。


 砂糖が少なかったのか、少し苦味が残ってるけど、不味くはない。


「今頃はもう電車に乗った頃かな」


「ん、ああ、そうだね。……それにしても、後ろで見てたけど、びっくりするほど何もなかったね」


「そうなのか。気付かなかった」


 いたのか。そうか。お前が見えなくなるなんてな。


「あの人たちは何がしたくて、何処に行きたかったんだろう」


「分からん。俺をどうしたかったのか、それさえもう思い出せないんじゃないか。或いは」


 今になって思い出すのが、あの人を躾けようとした日々で、あの頃はまだ、あの人のことを親にしたいと思ってた。


 でもあの二人は、俺をどうしたかったんだろうな。


「何を目指していたんだろう。そこには誰もいないから、お互いが邪魔になったっていうのに、どうして一緒になってしまったんだろうな」


「悲しいの。サチコ」


「俺が悲しいのはな、俺の家族が誰も、俺の家族を愛してなかったってことだよ」


 口にしてみれば、それは余計に虚しい。営みが、唯の現象に過ぎない、そんなこともある。


「やり直しをさせたいと、思ったこともあったけどな」

「それなら」


 ミトラスが言い淀む。


 終わったことだけど、どうして俺が諦めたのか、問い質したいのか。薮蛇だから口を噤んだのか。俺は彼の名前を呼んだ。


「人として大切な何かを、網棚の上に置き去りにしたまま、終点まで来ちまったのが俺たちなんだ。回送は出ないよ、遠くに行ってしまった」


「理由になってないよ」


 何処かに寄ることもなく、景色を一緒に眺めたりもせず、ただただ窮屈な座席に座り続けた。例えるならそんなところか。


「初めからないものは、やり直せないだろ」


 残りの珈琲牛乳を飲み干して、口をハンカチで拭う。ミトラスは何も言い返しては来なかった。そのまま会計を済ませて店を出る。


 今日は家に帰っても夕飯は無しだ。


 冬の夜はいい。透明で静かだ。ふと気付くと、彼がいつもより歩み寄って来ていた。


 手を差し出すと、しっかりと握り締められた。柔らかく、力強く、温かい。


 僕は、という声が聞こえた。


「僕とサチウスは、やり直せるよね」


 見ても顔を背ける。背けたまま、手に力を入れて、再度尋ねてくる。


「そうだね。でも俺はまだ、お前とのことをやり直したくないよ。ミトラス」


 ミトラスとの間に、やり直したいことなんて、起きて欲しくはないけど、そうか。


 俺とお前はやり直せるんだな。思えば確かに、ミトラスとの暮らしがあって、人生の中にミトラスとの時間がある。


 ミトラス

「ミトラス」


「何」


「ありがと」


 俺の人生は、ミトラスから始まったのかも知れない。親も兄弟もないから、分からないけど、たまにそんなようなときがある人。


 手を引っ張られるから、歩みを寄せた。お互いの顔を見ないままだったけど、家に帰るまで、二人とも手を離さなかった。


「俺はお前がいたらちゃんと嬉しいし、幸せなんだ。だからそれを、どうか疑わないでくれ」


 小さな手からは、ずっと温もりが伝わり続けてた。


 ああ、やっぱり、今の俺は幸せだ。ミトラス、お前がいるから、俺は幸せなんだ。それをどうか、忘れないでいて欲しい。


「サチウス」


 彼が俯いたまま答えた。


「それ、僕もだから」


 俯いたままの、人間に化けた耳が、真っ赤に染まっている。


「そっか」

「うん」


 そのまま家に帰って来た。


 明かりを付けて暖房を入れる。ちょっとぎくしゃくしながらも、その後は笑って誤魔化した。


 口の中に、さっき飲み干した珈琲牛乳の甘さと苦味が、まだ残ってる。


『ただいま』


 どうやら、なんとか、今の所は、俺たちは幸せでいるみたいだった。


 ―了―

これにてこの章は終了となります。

ここまで読んで頂いた方々、本当にありがとうございます。嬉しいです。



脱字脱字を修正しました。

文章と行間を修正しました。

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