・辿る先は
今回長めです。
・辿る先は
――あの子もう寝た?
――ああ、寝たよ。
――そうよかった。とっくに晩御飯食べたのに、まだ起きてるなんて。
――心配してたみたいだよ。それで、また前の子のとこに行ってたの。
――ええ、取り付く島もなかったけど。
――そうだと思うよ。ま、お疲れ様。
――困ったわね、このままじゃ本当に、あなたの実家に行かなくちゃ、いけなくなる。
――なに、そんなに僕の親が嫌なの。
――そうじゃなくって、折角あなたが買った新築の家なのに、手放すなんて。
――いや、あくまで貸家にするだけだよ。相手も見つかってるし。言ったじゃないか。
――同じです。新築の貸家なんて、滅茶苦茶に喜んで汚すに決まってる。
――まあ、僕もそう思わないでもないけど、仕方ないじゃないか。あの子はもう卒園なんだから。
――小学校に上がったら、今までみたいに保育園に、遅くまで預けられないからね。
――習い事をさせようにも、この辺にはそんな気の利いたのないし。
――早く学校から帰って来たら、時間が余っちゃうし、一人でいさせる訳にもいかないしね。だからって、義理父さんたちに預かってもらうのは。
――でも丁度いいだろ。僕も単身赴任先がそっちだし、君もついてくれば丸く収まるよ。
――せめてあの子がすんなりと、家に来てくれたら良かったのに。
――それはどうして。
――だって、あの子がいてくれたら、○○の相手をさせたり、この家の番をさせたり出来そうじゃない。
――高校生だろ。○○を迎えに行けないよ。
――でも私たちが帰るまでの相手もできるし、それなら義理父さんたちだって、休めるでしょう。
――家の番の場合は。
――どの道あんな家で、猫と一人暮らしするくらいなら、こっちに住んだほうがいいに決まってるじゃない。
――ああ、そう。
――どうかしたの?
――いいやなんでもない。
――罪悪感が無い訳じゃないのよ。だからこうして誘ってあげてるんだし。
――やっぱり自分の子どもだもんね。
――ええ何それ、私の子どもは今は○○よ。あなたと○○が、私の家族なの。
――……そう上手い話はないか。
チャイムも無しに、良く手入れされた庭から、お邪魔しました。
周りに物音がしないから良く聞こえる。のではなく、暖房で篭った空気を換気するために、少し開けた窓のおかげで、中の音が外に漏れたようだ。
間取りは分からないけど、この庭からリビングに近付いて、物影に座り込む。そうして筒抜けになって聞こえた会話が、これ。
まあ、そんなことだろうとは思ったよ。
なんてこたない。旦那の単身赴任に合わせて、引越しすんだ。そんで、義理の両親に娘を預けっ放しにするのも嫌だし、新品の自宅から離れるのも嫌だ。
『だったら』と旦那の家庭との緩衝材に、或いはハウスキーパーに、俺が欲しかったんだ。
隣のミトラスを見ると、人間の姿が解けて、髪の色と猫耳が、戻ってしまっている。
彼はこれの少し前の会話を聞いているはずだ。それが何かは知らないけど、それも加えて、余計に落ち込んでるみたいだ。
「なんかごめんな」
「いや、僕のほうこそ、人のことをよく知りもしないで、ごめんなさい」
「今までお互いに、自分のことはあんまり、細かく教え合ったりはしなかったからな。俺がやったら俺が謝ってただろうし、どっちが悪いって訳じゃないよ」
そのほうが二人とも良いだろうと踏んで、今日までやってきた。
でも俺のほうの詳細が分かって、要するに俺の生い立ちが、情報から現実になって、目の前に現れてしまった。
想像以上に気分が悪くなったんだろうな。
「気が済んでないとは思うけど、これは変わらん。帰ろう」
「うん」
歴史が変わったのに、どうやら俺のことは、何も変わってないらしい。せめて事態が好転してて、俺の中に俺の知らない、幸せな俺の人生の記憶が、生えて来て欲しかった。だがそんなことも無かったから、予想は出来てたけどな。
二人でとぼとぼと夜道を歩いて、もう殆ど出ないバスを待つことなく、ミトラスの転移魔法で、自宅に帰還した。情緒も何もない。
勝手知ったる祖母の家に帰り、玄関の鍵を開けて、中に入る。二人で帰ったから、中には誰もいない。
俺もミトラスも待っていない、から家の中は真っ暗で、暖房も点いてないから寒い。屋内だというのに、随分冷え込むな。
晩飯も食い終わってるから、風呂に入って寝る以外に何もすることがない。何かする気も今は起きない。招かれざる客の一番嫌なのは、暮らしの時間が崩されることだ。
手を洗ってうがいをして、部屋の暖房をタイマーで入れて、少しだけ空いた時間を持て余す。
部屋に戻ろうか、椅子に座ってテーブルに頬杖をつく。隣に座るミトラスは、とてもがっかりしていた。
「大丈夫じゃないな」
「え、いやそんなことは……あるかも」
「話しな。俺のことなんだろ」
「え、でも」
「どんなに不味いガムでも、そのうちに味がしなくなる。俺はもう平気だよ」
それがとどめになったのか。観念したように、彼はぼつぽつと話し始めた。
「ねえサチウス。僕が君を、僕の世界に召還したときの条件って、覚えてる」
「覚えてる。問題の解決が出来て、魔物に優しくしてくれる人だっけ。今考えると凄いご都合だよな」
「言わないでください、結果としてそれは間違ってなかったけど、やっぱり恥ずかしいんだから」
茶化して笑うと、ミトラスは頬を赤くして、顔を逸らした。でもそれも溜め息一つで、元通りになってしまう。
「あの頃君に聞いた君のこと。それから何度か知った君のこと。大変な目に遭ったんだなって、思ってたけど、こういうのだとは思わなかった。僕は、僕が注文を付けた人が、どういう人間なのか、何も考えてなかったんだなって、甘く見てたんだなって」
両手を組み合わせて、じっと俯く少年。
「戦争の血生臭さとか、欲望のままに振舞う者たちとか、争いでの命のやりとりに比べれば、そこまで酷くはないだろうとか、僕も父親が魔王で、ろくでもなかったから、不幸自慢っていうのかな、大したことはないだろうとか、別の問題なのに下に見てた」
声は枯れたように疲れている。
「別のことなのに、だよ。それなりの時間を、一緒にいたのに。君に甘えて、君の人生について、考えたことは全然なかった。だから君のお母さんと、君のやり取りと関係を見て、おかしいと思って、それで、今日あの人が言ってたことを、聞いて」
そこでミトラスは言い淀んだ。
「何て言ってた」
「あの人が帰ったとき、子どもがいた。帰りを待っていた。僕は猫になって、近くまで行った。何処に行ってたのかを聞かれたらあの人は、急に仕事の話があったって、誤魔化した」
俺のことはずっと伏せられたままらしい。
「お仕事って何のって聞かれて、あの人はその、前に辞めたお手伝いさんに、会いに行ったって。また働いてもらえないかって。そんな誤魔化し方があるか。そんな言い方が」
ミトラスの顔色は白かった。思い出しながら、青くなったり赤くなったりしたが、そこに落ち着いた。
「どうして正直に言わないんだって、もうじきサチウスが来るんだって、そう思った」
そこで会話が終わって、ささやかな家族の団欒とでも、言うべき時間があったそうだ。彼はそれを見ていたんだな。だから迎えに来るのが、遅くなったんだ。
「サチウスは良い人だと思う。だから苦労をしてても、良い人生を送ってるんじゃないかって、どこかに目を逸らしていたかった、のかも」
ミトラスが俺を召還した条件は、自分たちにとって都合の良い者だった訳だが、俺からしても、異世界に召還されたほうが、それこそ都合が良かった。
それがどういう意味を持つのか、それがたまたま俺だったって、だけなんだけど。
「ごめんな。こんな人生送ってて」
「君が悪いことなんか一つもないよ!」
声を荒げたミトラスは、直後にばつが悪そうに小さく謝った。
「この世界に魔物はいない。ここにはディーも、バスキーも、ウィルトも、パンドラもいない。お前もいなかった。エルフもドワーフも魔法もない。いるのは人間だけだ、人間しかいない」
怪物は幻想で、怪物を倒す人間も、勿論幻想だ。敵なんか何処を見たって人間しかいない。俺の周りには、いつも人間しかいなかった。
「だからな、俺はお前に、あの世界に浚われたことを、心から感謝してるよ」
「君は人間が嫌いだから、魔物を好きになったんだね」
「否定はしないよ。嫌か」
彼は首を横に振った。良かった。ここでやっぱり人間は、人間を好きになるべきだ、なんて言われたら、困るし怒るよ。
「ミトラス。お前には悪いけど、お前が気にしてる俺のこと、俺はもう気にしてないんだ」
「どうして」
電灯の下に浮かぶ彼の表情は、罪悪感や不安で一杯になっている。こんなことで、自分がしたことを忘れないで欲しい。
「可愛そうなサチコはな、三年前に終わってるんだ。お前と皆が終わらせてくれたんだ。知ってるだろ」
三年間、今一つファンタジーさに欠ける問題に追われながら、馬鹿なことも真面目なことやった日々。
今みたいなことを、思い出すことは殆どなかった。日常と呼んで差し支えのない毎日と、俺のことを気にしないけど、気にかけてくれる友だちができた。
こっちの世界に戻っても、何とか暮らせてるのだって、誰のおかげだと思ってるんだよ。
「自信持てよ。俺のこと、幸せにしてるって、思ってるんだろ」
「サチウス」
「お前の期待には沿えないけど、俺はこれで幸せなんだ。許してくれよ」
緑色の髪を撫でる。でも今回は彼も譲らなかった。
初めて俺の手を外して、金色の瞳を向けてくる。どんな夜でも照らせそうな両目が、敵意のように強く輝いている。
「君は、君は自分の家族とやり直したいとか、取り戻したいとは思わないの」
静かに、しかし力強い響きは、俺を試すようであり、挑みかかるようでもあった。今はっきりと分かる。俺とミトラスの生き方の違いが。
彼が見つけた、俺の中の気に入らない場所。受け容れ難い価値観。
「寝よう。今日は考えすぎる」
「サチウス」
溜め息を吐いて席を立つと、彼が呼び止めてくるが、俺はそれを無視した。これ以上は、お互いに話さないのが身の為だ。
分かってる。彼の子どもの心は、無い物ねだりをしている。彼の価値観は、よく最善を求める。その結果が寛容さに行き着くとしたら、俺はそうでないだけの話。
それを言葉にしたくなかった。
俺にとって終わった話でも、彼にとっては今のことだ。余裕を失くしたミトラスを、これ以上追い詰めたくなかった。それで嫌われてもいい。だから、今日言える言葉は、もうこれしかなかった。
「おやすみ。ミトラス、また明日」
超能力に頼って心を読むなり、自分の心をそのまま伝えるなりすれば、良かったのかも知れない。
部屋の明かりを消してから、そのことに気付いたが、俺は寝ることにした。体温が伝わる前の、布団の冷たさが、今夜は少しだけ心地好かった。
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文章と行間を修正しました。