16話 再び
日常とはあくまでも一時的な日々の流れに過ぎない事を重々承知している。
楽しくもあり大変でもあり変化の日々であっても、その日常が変わる筈がないと信じて疑うことがなかった。
その日常のためならば、何者にも縋り付き、手放すまいと足掻き続けるだろう。
いや、現に哀れで虚しくも終わりなく足掻き続けている。
そんな悪足掻きは一時的な応急処置でしかなく、根本的な解決には遠く及ばない。
だから、諦めたんだ。
解決に至らない事はもう分かりきってしまっている。
醜くも無様に自身を蔑む事さえ忘れて、歪んだ日常に身を投じる。
分岐点は存在さえしない。
何故なら、どのようにその分岐点に戻れば良いのか分からないからだ。
いや、少し言葉を改めよう。
どのように進めば良いのか分からない。
しかし、後悔はない。
後悔はほんのひと時の気の迷いでしかないのだから……。
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「どれにしようかな♪」
北春 小雪は鼻歌混じりに自動販売機の前で指を指す。
「天の神様の・い・う・と・お・り♪」
楽しげに歌いながら自動販売機の飲み物を順々にリズム良く指していく。
そして、1番最後に指したのは8月の半ばであるにも関わらず、場違いなホットのお汁粉だった。
内心では失敗したなーと思いつつも、飲みたい飲み物が特に決められなかった私は自身で取り決めたルールに従って飲み物を選択した訳だが、流石にコレはないなとルールを破ろうか破るまいか決めあぐねていた。
別段、ルールを破ったとしても、誰からも咎められる事はなく、ましてや他者がルールの存在さえ知り得ている訳がない。
いやでも、そもそも選択しておきながら止めるのならば、最初から普通に選べば良い訳で……。
一向に進展のない膠着状態が続く北春の思考回路は自動販売機の前でフリーズするという迷惑行為に他ならなかった。
既に自動販売機にお金は投入してある。
あとはお汁粉の購入ボタンを押すのみ‼︎
しかし、北春の指はボタンの前でプルプルと震えているだけで、前に進もうとはしなかった。
「おや、北春ちゃんもお汁粉飲むの?」
「ひゃっッ‼︎」
突然、真後ろから話しかけられた北春は驚いて、少し恥ずかしい声を上げてしまった。
そして、慌てて振り返るとそこには菊田 雛『実務長』の姿があった。
「偶然だね、私も丁度お汁粉が飲みたかったんだよ。
それにしても、買わないの?」
自動販売機の前でフリーズしていた北春には当然の質問をされた北春だったが、
「あっ、まだ決めてないので、お先に、……どうぞ!」
と、北春はどさくさにに紛れて返金のレバーに手をかけて、投入したお金を手元に戻す。
そして、サササッと菊田に自動販売機の道を素早く譲った。
「悪いね〜。」
菊田は悠々とした様子で自動販売機にお金を投入し、北春とは対照的に迷いなく、お汁粉の購入ボタンを押した。
どうやら、本当に菊田『実務長』はお汁粉が飲みたかった様だ。
そして、ガコンとお汁粉が出てきたと同時に、自動販売機に内蔵されたデジタルのルーレットが回し始める。
ピッ、ピッ、ピッ、と無機質な音を立てながら次第に速度を緩め、丁度当たりのところのランプが光った。
その瞬間、歓迎風な音楽と共に自動販売機が派手過ぎるくらいにランプが次々と光り始めた。
「おっ!当たりにもう一本だ。
結構珍しいんだよな。」
菊田はそう呟きながら、再び迷いない動きで、お汁粉の購入ボタンを押した。
そして、両手に一本ずつお汁粉を握る菊田は片一方のお汁粉を北春の前に差し出した。
「北春ちゃん、お汁粉飲みたかったんでしょ?」
菊田は平然とまるで善い行いをしたかの如く、晴れ晴れとした笑顔だった。
北春にはこの状況で、実はお汁粉が飲みたくなかったです‼︎と言い出す事は到底叶わず、苦笑いを浮かべつつ差し出したお汁粉を受け取る羽目になった。
「ありがとう、ございます……。」
お金は使わなかったものの、気を使う羽目になった。
すると、菊田は思い出した様に、
「それじゃあさ、北春ちゃんに私からのお願いを頼まれてくれるかな?」
「はい?」
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北春は季節外れも甚だしいお汁粉を飲み終え、空き缶をゴミ箱に捨てた。
正直、このまま冬までの半年間、飲まずに取っておけば良かったと少しばかり公開している。
そして、『セプター局舎本部』の廊下を目的地に向かって歩みを進める。
菊田『実務長』の頼み事とは稲葉 双熾を呼んできて貰いたいとの事だった。
しかし、稲葉を呼び出すだけなら、『セプター局舎本部』のアナウンスを使うなり、個人の携帯に連絡を入れれば済む話に思える。
世の中は有り得ない事の連続である。
例えば、たまたま私の『宿泊室』の冷蔵庫の飲み物のストックが切れていて、近くの自動販売機で何を飲みか迷っていたら、菊田『実務長』とばったり出会すくらいである。
そのため、稲葉の呼び出しも例外なく、『セプター局舎本部』のアナウンスは本日メンテナンス中であり、稲葉は現在、『武道場』でトレーニング中だから連絡が付かないらしい。
そこで白羽の矢が立ったのが、私だった。
しかし、菊田『実務長』の思い付きの頼まれ事ならば、さして急用でもなく、稲葉にメッセージを残しておけば、いずれ連絡が付く。
だが、既に過ぎた事を振り返しても何が変わる訳でもない。
それに、私は『セプター局舎本部』に来てから約1ヶ月経った今でも『武道場』を訪れた事がなかったのだ。
理由は単に用事がない、ただそれだけだった。
だから、未だ見ぬ未開の地に好奇心が少し掻き立てられた。
すると、北春が歩く長い廊下の先に濃い焦げ茶色の古風な大扉が現れた。
そして、その大扉をゆっくりスライドさせた。
扉と扉の隙間が徐々に広がるに連れて、バチッ、バチッ、と何がぶつかり合う衝撃音が聞こえ始める。
その音にリズム感は無いものの、断続的に鳴り響いていた。
そして、北春が『武道場』に顔を覗かせて、ようやく音の正体が判明した。
北春の眼目に広がったのは板張り床、高所に取り付けられた窓、そして古めかしい雰囲気を放つ空間、いかにも古風な造りではあるものの、体育館と言われればそれでも納得できる場所だった。
そして、『武道場』の中央では木刀を持ち、見事な攻防戦を繰り広げている稲葉と諸葉 燈火の姿があった。
北春からすれば、稲葉はいつも拳銃を使用している為、剣術が出来るなんて想像も付かなかった。
一方の諸葉は日々、日本刀『四季』を携帯しているだけあって優に想像が付いた。
そんな2人の攻防戦に少しばかり見とれていると、
「もうじき、決着が着くぞ。
だから、入っておいでよ。」
と、『武道場』の壁に背をつけていた仁科 絢兎に声を掛けられた。
バレてたんだ〜、などと思いながら『武道場』に入り、大扉をゆっくり閉めた。
そして、2人の決着はというと、……
稲葉は木刀を両手で握り、素早い振りと突きを駆使して、次から次へと攻撃を繰り出し諸葉の反撃をさせまいとジリジリと木刀を打ち付け合いながら畳み掛けた
。
一方の諸葉は木刀を右手で握り、滑らか且つ無駄のない動きで、稲葉の猛攻を難なく捌いていく。
普通に見れば、猛攻する稲葉が優勢で、防ぎながらも後退する諸葉が劣勢に見える。
しかし、稲葉は息が荒くなっており動作の1つ1つのキレがなく雑になっている事が素人目の北春にも見て取れた。
だが、それは稲葉自身が1番よく分かっている事だった。
徐々に後退していた諸葉の踵が『武道場』の壁に当たり、ほんの一瞬だけ意識が後方に逸れた。
稲葉はその隙を見逃さず、勢い良く一歩を踏み出し木刀を諸葉に向かって突き出した。
しかし、諸葉まるで分かっていたかの如く、体を捻る様にして木刀を脇腹スレスレで躱してみせる。
稲葉の木刀は虚しくも空を切り、『武道場』の壁へと激突した。
当然ながら、壁に激突した反動が稲葉の体に伝わり、木刀を握る手が緩んでしまう。
諸葉がその隙を見逃す筈もなく、躱した体勢のまま木刀を稲葉の手の甲に勢いよく当てる。
稲葉の木刀はそのまま稲葉の手を離れ、北春の足元まで飛んできた。
そして、諸葉は木刀を吹き飛ばした流れで、稲葉の首元に木刀を突き付けた。
木刀を突き付けられた稲葉は身動きを止め、『武道場』一体が静寂に包まれた。
「参った。」
稲葉は観念した様子で模擬戦の敗北宣言をした。
見事な攻防戦を繰り広げてはいたが、やはり日本刀を携帯しているだけあって、諸葉に軍配が上がったと言える。
「痛タタ……。」
稲葉は少しぼやき気味に赤く腫れ上がった右手の甲を優しく摩っていた。
「稲葉の向上心は素晴らしいけど、まだまだだね〜〜。」
諸葉は優越感に浸りながらも、その実力は確かなものだった。
「少しは絢兎にも見習って欲しいものだな。」
突然、諸葉の話の矛先が仁科に向いたため、壁に預けていた背中をビクつかせる。
「俺の能力は戦闘向きじゃないのは知ってるだろう?」
苦し紛れの言い訳に逃げる仁科だったが、
「向上心に能力は関係ないぞ。」
と、稲葉が加勢する。
返答に困り果て、切羽詰った仁科は強引に話の話題を切り替える。
「そう言えば、北春が来てるぞ。」
「え、あっ、はい⁉︎」
ついつい、動揺してしまう癖は今まで生きてきた17年間で一度も治る兆しが見えた事がないので、ここはチャームポイントとして置いておこう。
「小雪、『武道場』に来るなんて珍しいな。
何か用かい?」
そう言えば!と、先程まで模擬戦に見惚れていたため、完全に本来の目的を忘れていた。
「菊田『実務長』に稲葉を呼んで来て欲しいと頼まれまして……。」
北春の言葉を聞いた稲葉の顔が少し曇った。
そして、溜息を吐いて了承した。
稲葉の顔つきを見るにまるで嫌がっている様にしか見えなかった。
「また、面倒事を押し付けられるか。」
稲葉はぼやきながら、更に深い溜息を吐いた。
「まぁまぁ、ついでにその怪我も治して貰えるからいいじゃない。」
諸葉が稲葉の肩を軽く叩く。
「それが嫌なんだよ、余計に付け込まれる。」
稲葉はトホホと肩を縮めた。
そして、稲葉は重い足を引きずる様に『武道場』を後にした。
残された北春は用を済ませたため、これからどうしようかと思っていると、
「ゴメンね、稲葉に勝っちゃって。」
と、諸葉が話し掛けてきた。
「いえいえ、気にしないで下さい。
それに、良い薬になりますよ。」
「そうだね、その為の模擬戦だからさ。
それにしても、『魔女』の襲撃に遭って大変だったでしょ?」
諸葉は思い出した様に問い掛けられた。
「それはもう大変だったと思います。
でも、最終的には稲葉がなんとかしてくれました。」
「さっすがぁ!稲葉だね〜。
それに対して、うちの絢兎は。」
突然、蔑む目線を送られた仁科は
「俺だって、活躍してるぞ。」
と、先程同様にまるで言い訳の様な宣言をする。
「2人は『魔女』に遭遇した際はどうしたんですか?」
北春は少し仁科を変える意味合いで話題を切り替えた。
「俺達も『セプター隊』に入りたての頃に遭遇したよ。
そして、問答無用で襲われたから俺の能力『幻覚』で姿を晦ませたんだ。」
仁科が悠々と話す中、諸葉の鋭い言葉が突き刺さる。
「でも、『魔女』に右眼が黄色になる瞬間を見られてたから直ぐに看破されちゃったよね??」
「……、そうだっけ?」
少しの沈黙が優雅に悠々と話していた仁科の顔を曇らせた。
「だから、私の能力『圧力』で空を飛んで逃げたよね。
『魔女』も空を飛べたのは驚きだったけど、炎を放出する推進力よりギリギリ早くて助かったんだよ。
そう言えば、男のくせに私に抱えられてたのは誰だったかなぁ。」
「……。」
諸葉の能力ではない圧力にどんどん仁科が縮こまり惨めに見えてくる。
言い訳どころか返す言葉も見つからない仁科はただ呆然とするしか残された道はなかった。
女は強しとは言うもののこの状況はまさしくそうであり、蚊帳の外の北春から見ても仁科が可哀想に見えて仕方がなかった。
もし、ここにまだ稲葉が残っていれば少しは助け舟を出せたかも知れないが、これ以上悪化する場合、仁科のみならず私まで気まずくなる事が容易く想像出来た。
北春は一歩、一歩、ゆっくり後退りをして静かに『武道場』を後にした。
そして、やる事もないし、稲葉は行ってしまったので、自身の『宿泊室』に戻って昨晩のお笑い番組の録画でも見る事に決めた。
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「遅いよ、稲葉君。」
菊田は椅子に座り脚を組みながら、分かりやすいくらいにやれやれとしたジェスチャーをした。
「菊田『実務長』こそ、『実務長室』に呼び出しておいて酷い扱いですよ。」
現在、『実務長室』で稲葉と菊田は他との接触を遮った密談中である。
「それで、要件はどれですか?
谷上 氷弥の件ですか?
橘姉妹のストーカーの件ですか?
舞虎浜 姫子の件ですか?」
稲葉は淡々と事務的に選択肢を迷いなく選出した。
「ストーカーは警察の方だから関係ないけど、他の2つの後処理はとても大変だったよ。」
よくよく聞いた事のあるフレーズだと稲葉は思った。
そして、この菊田のペースのまま、また面倒事を押し付けられるいつもの流れを逆らえられないんだろうなと思考を巡らせていた。
「でもね、今回はそれらの件じゃないんだよ。」
おや?と稲葉が少し首を傾げると、
「谷上 円ちゃんの件なんだ。
これは別に責めてる訳じやなくて確認なんだけど、稲葉君が関係しているよね?」
稲葉は少しの沈黙を保ち、自分の考えを決めてから口を開いた。
「はい、その通りです。
でも、どうして今頃なんですか?
『皆無石蓄積症』の完治発表はメディアに取り上げられてから、少し時間が空いてますよね?」
鋭いね〜、と菊田は褒めているのかバカにしているのか分からない表情で指摘した。
「それはね、谷上 円ちゃんが入院していた『桜丘総合病院』の『院長』榊原 忍にお呼ばれされたんだよ。
しかも、お食事とかじゃない正式なやつね。
だから、私も立場上無視する訳にもいかないし、榊原の秘書に狩矢 直って言う私の後輩がいるんだよー。
しかも、狩矢はぼちぼち頭が切れるから厄介なんだよ。
もしかしたら、気付いているかも知れないし……。
……と、まぁそういう背景があるんだよ、ご理解?稲葉君。」
菊田は少し真剣な表情になり、組んでいた脚を組み直した。
「そういう訳だから、もしもの時は稲葉君よろしくね。」
「自分の所為で迷惑を掛けていますし、これまでの付き合いもありますから、これからも宜しくお願いします。」
稲葉の真面目な言葉を先程の少し真剣な表情が嘘のようにアハハハハと笑い飛ばした。
「いつも迷惑を掛けられっぱなしだよ。」
「それはお互い様です。」
「そうだねぇ。」
菊田は肩の力を抜く様にフゥーーと椅子の背もたれに体を預けた。
「話は変わるんだけどさ、これから作戦会議をする事になったから。」
突然、何の前触れもない話の変換にんん?と追いつけないでいると、
「あれ?聞こえてない?作戦会議だよ。
『セプター隊』が全員集合する正式な会議だよ??」
「突然ですね。」
「そうでもないよー、『流星教』の件だからね。
詳しい話してはこの後でね。」
「え?今から行うんですか?」
つい反射的に聞き返していた。
「そうだよ、一体何を聞いていたんだか。」
そんなことは一言も発していなかったと、内心で思いつつも、話を止める事になる為敢えて何も言わないでおいた。
「ご存知の通り、舞虎浜ちゃんは作戦会議には来ないから、さっきの全員には少し語弊があるけれど、これから御影君が来れそうなんだって。」
御影 涼は『御影財閥』の御曹司の多忙さ故に殆ど『セプター隊』には参加出来ていない。
なので、任務よりも他の事が優先される唯一の事例と言えるだろう。
そんな御影でも『セプター隊』の全体に関わる内容の場合は極力参加している。
「それに他の『セプター隊』のメンバーも『セプター局舎本部』にいるからタイミングもバッチリで私も救かるよ。
そんな訳で『セプター隊』のメンバーにメッセージを送っておいたから、稲葉君は北春ちゃんを呼んで来てね。」
「どうして唐突にそうなるんですか?
一緒にメッセージを送っておいて下さいよ。」
菊田は再びやれやれと、あからさまにジェスチャーをした。
「稲葉君は寂しいなぁ〜〜。
さっきも北春ちゃんに呼びに来て貰って嬉しかったでしょ?
そういう思いやりが稲葉君には足りてないんだよ。」
携帯やアナウンスなど連絡手段はあるものの、どうして小雪が呼びに来たのか少し不思議には思っていたが、そういう事だったのかと今頃になって納得した。
「えっと、作戦会議は『会議室』で行うから。
あと、北春ちゃんは多分自身の『宿泊室』にいると思うよ。
さぁ、行った行った!」
先程まで椅子の背もたれにもたれ掛かっていた筈の菊田が勢いよく立ち上がり稲葉の背を押して、半ば強制的に『実務長室』を追い出された。
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菊田の要らぬ気遣いもさる事ながら、実際は満更でもない自分が確かにいた。
しかし、1つの懸念材料があるとするならば、それは先程の模擬戦で敗北を飾った事だろう。
実質、諸葉との剣術の模擬戦で勝利を収めた事はなく、その為のトレーニングといえる。
そんな俺を見て、小雪はどう思っているだろうか?
やっぱりカッコ悪いかな。
敗北はいつもの事ながら、北春が観戦していただけ、中々に引きずっていた。
そんな稲葉にとっては柄にもなく、青春じみた考えが頭をよぎった。
そして、稲葉は北春の『宿泊室』の前までやって来た。
インターホンを鳴らすと、ピーンポーンと音が鳴り響いた。
しかし、インターホンを鳴らしてから少しばかり無音の時間が続いた。
一瞬、反応がない事に戸惑いを覚え、再びインターホンを鳴らそうとした瞬間、
「はーーい。」
と、北春の返事が聞こえ、ドアから北春が顔を出した。
北春の顔は涙目だった。
「泣いている、のか?」
稲葉の指摘に北春は何を言っているのか分からないといった表情をしていたものの、直ぐに気付いた様子で、
「あぁ、ついついお笑い番組で笑い過ぎちゃって、も☆笑いが止まらない程面白○んだよ。
そ$より、なんの用ですか?」
と、涙目を擦りながら対応した。
しかし、笑っていた余韻が残るのか、えへへと笑っていた。
「急で悪いんだが、今から『セプター隊』の作戦会議を行う事になったから、小雪を呼びに来たんだよ。」
稲葉は何気なく淡々と伝える。
「えぇ%ー、それ€ら早く伝え*欲しかっ&なー。
#笑い番組の録画見始@ちゃっ÷じゃん。」
少し無邪気に笑う北春は怒ってみせる。
「録画なら良いだろ、それに菊田『実務長』の所為だから俺は悪くない。」
弁明するものの、北春の想いは収まらない。
「それ×しても、稲>はいつ〒い〆も私を○れ回して、そ・たら¥件に?き込ま♪るし、 +☆に大&なんだか|→!
私の#<=分か^た事:る?」
「ご、ごめん、申し訳ないと思っているよ。」
稲葉はいつもの以上の迫力の菊田に謝る事しか出来なかった。
「▽当¢の▲≫ゞね!」
何だろうか?怒りながら笑う北春に対応しているものの、何とも言えない違和感を感じていた。
んん?
視界にはザザッとラグが走る。
ラグに伴い、ノイズが発生する。
北春が何を言っているか分かるのに何を言っているのか分からない。
声が濁りどんどんあやふやで曖昧になり始める。
「・℃<$➖▽」
北春に呼ばれている。
しかし、視界に広がるラグは全てを覆い尽くし、ノイズ以外は聞こえない程に大音量で響き渡った。
何とも言えない、何がおかしいのか分からない。
なのに、拭いきれない違和感が頭をよぎるのだ。
ラグとノイズに覆い尽くされ、まるでテレビの砂嵐の様になった。
「➕\~♡□×$:」
「あぁ、そうだな。」
一通りの怒りが収まったのか、北春は最後に満面の笑みを浮かべた。
……俺が感じている違和感は心細さだろうか?
何かがどうにかなってしまいそうという曖昧な違和感にどうして心細いと思ったのだろう?
何が心細いのだろう…………。
稲葉はそう思った気がする。
それを最後にまるでテレビがプツンと切れる様に途切れた……。
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稲葉は北春の『宿泊室』の前までやって来た。
インターホンを鳴らすと、ピーンポーンと音が鳴り響いた。
しかし、インターホンを鳴らしてから無音の時間が続いた。
一反応がない事に戸惑いを覚え、再びインターホンを鳴らした。
虚しくも静寂だけが流れ過ぎた。
一瞬、北春は留守なのだろうと思い、その場を立ち去ろうとした瞬間、ゆっくりとドアが開いた。
「小雪、いるのか?」
ドアが開いたのだから北春がいると、稲葉は分かっていたから必要のない問い掛けだったと言える。
しかし、胸騒ぎがして仕方がなかった。
稲葉はゆっくりドアに手を掛け、慎重に反対側を覗き込むと、そのには当然北春がいた。
しかし、北春はドアに寄り掛かかる様にしていてまるで重心が定まらず、顔を俯き手は震え、今にも崩れてしまいそうな程、華奢で弱々しく見えた。
「ダ……メ、双熾…………。」
小さ過ぎて途切れてしまう程にか弱い声が稲葉の耳に届く事はなかった。
そして、ゆっくりと北春が顔を上げた。
北春は泣いていた。
両眼から涙の筋を刻み、また一筋、また一筋と、雫が頬を伝って溢れ落ちる。
北春は稲葉と目を合わせてもなお、何も理解できてない様子でボーッと停滞していた。
「泣いている、のか?」
稲葉の指摘に北春は何を言っているのか分からないといった表情をしていた。
数秒のタイムラグを挟んだ後に、
「え……っ?」
と、短い声を漏らして目元を手の甲で擦る。
そして、手の甲に付いた雫を見て、ようやく自分が泣いている事を認識した様だった。
北春は慌てて両眼を擦りながら作り笑顔を見せる。
「どうして泣いてたりしてたんでしょうか?」
そう自問自答する北春の目は赤く充血しており、相当号泣したであろう事が窺えた。
稲葉は気を回し、特に詮索しようとはしなかった。
「急で悪いんだが、今から『セプター隊』の作戦会議を行う事になったから、小雪を呼びに来たんだ。」
「準備して来るから、ちょっと待ってて……。」
北春はそう言い残して、『宿泊室』に消えていった。
その後、再び姿を現した北春はいつもと変わらない、何の変哲もない普通の少女の戻っていた。
そして、稲葉は違和感を感じる事はなかった。