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星々の消えゆく世界  作者: 山吹 残夏
10/22

9話 死守唄

少女は歩き続きていた。


真夏の炎天下の真昼間に汗を一滴もくことなく、突き進む。


少女の漆黒の装いは周囲からの視線を奪い取る。


少女にとっては好都合だった。


そして、人々の多く行き交う場所を目指して歩き行く。


そう、私はただ歌っているだけなんだ。


「歌を聴いて……。」


周囲を行き交う人々には少女のか細くひ弱な小さい声が届く事は無かった。


唄は恐怖を生み出す。


もがき苦しみ、生に対して足掻き掴みこぼさんとする。


誰にも聴いて貰えない、見ても貰えない。


「あぁ、私と同じなんだ…。」


『恐』怖と同じなんだ。



------------------------------------------------------------



北春きたはる 小雪こゆきは人々の行き交う広場にいた。


その広場はビルの建ち並ぶ都会であり、駅の近くということもあり、よく待ち合わせ場所に使われ自分と同じような人々が数多くいる。


この広場で稲葉いなば 双熾そうしと待ち合わせをしている訳だが、周りには想い人と待ち合わせしデートに来ている男女を見ると、つい自分まで頬を赤らめてしまいそうになるが、今は大丈夫と自分を戒める。


私は1人でこの広場にいる訳ではないのだ。


もし1人なら、少しの心寂しさを感じているだろうが、北春の右手は暖かい温もりを包み込んであげている。


「稲葉遅いね。」


北春の隣で手を繋ぎ、見上げて問い掛けくる金髪ロングの幼女、朝霧あさぎり しおりは不安げだった。


「大丈夫だよ、栞ちゃん。


それに遅れた分こき使ってやればいいんだよ!あんな奴。」


強気な言葉で朝霧を励まし、姉御肌を絶やさぬようにしている。


実際の所、朝霧自身はとてつもなく不安な状況で必死に堪えているのだと思う。


今は朝霧の能力『負傷ふしょう』を制御出来るようになっていると不条ふじょう あきらは言っていたが、周りは人々の行き交う中である。


もしも、『負傷』が発動すれば被害は免れないだろう事が北春でも優に想像出来た。


それに朝霧の1番の心の支えである筈の不条がこの場にいない。


朝霧の成長の為にも今後の為にも積み重ねなければいけない経験の1つだ。


親離れならぬ不条離れ。


今日は不条不在の元、北春と朝霧で都会の街中にショッピングに来ている。


そして、途中で稲葉と合流することになっている。


実際に何が起こるか分からないからだ。


それに的場井はとばい こうの事件以降、稲葉のことを頼りにしてしまっている自分がいる。


それにしても、


「遅い。」


つい、口から漏れ出た言葉は朝霧には聞こえていないようだったが、聞こえても良かったと思う。


確か、朝から急遽事件が発生が発生して、途中からの合流に予定が変更している。


それに昨日の夜から事件続きで忙しい筈だ。


そこで、稲葉が遅刻している理由について考えてみる事にした。


例えば、事件で何か問題が発生していて、今はそれどころではなく、一報さえ出来ない危機迫った状況なのかも知れない。


でも、もしも眠いからそこら辺で仮眠してたのが熟睡してて、合流する待ち合わせ時間にガッツリ遅刻してしまっているなんて、しょうもない理由だったならば私は朝霧と私の苦労も込めて稲葉を張り倒しているだろう。


そんなどうでも良い事を考えていた所為で余計に疲れた気分に北春はなっていた。


ピロリロ♪と突如として、北春のスマートフォンが音を立てて鳴り始めた。


北春がスマホを開き内容を確認してみると、


【少し遅れます。朝霧にごめんねって言っておいて。】


とメッセージが届いていた。


似非えせデート以降、一様だが連絡先を交換したが、稲葉の方は既に北春の連絡先を入手していたことが少し気になったが、それは今は置いておいて。


「何で私には謝罪が無いの⁉︎」


つい北春は口に出してしまい、隣にいる朝霧が突然の事に驚いている。


ここまで来ると最早、つい口に出たではなく、癖で口に出たの方が正しいかもしれない。


「驚かせてごめんね、栞ちゃん。


でも、これ見てよ!」


と、北春は自分のスマホを朝霧に見せ、稲葉が遅刻する事を伝える。


「稲葉は忙しいし、しょうがないんじゃないかな?」


どうやら朝霧は稲葉の肩を持つらしい。


しかも、このメールには何故遅れるか理由が示されていない。


こうなったらとことんまで追求してやろうと思った時、北春の耳にとても清らかで心地の良い歌声が響き渡った。


どうやら朝霧の耳にも歌声が届いているらしく、


「綺麗な声だね。」


「そうだね、栞ちゃん。」


つい、暑さに脳がやられて幻聴が聴こえるようになったのかと思うくらい綺麗な声だった。


どうやら広場でストリートパフォーマンスが始まったらしい。


その歌声の主は場違いの漆黒で模様もない着物姿の少女で、強い日差しが射しているのに肌はとても艶やかで白く、髪や瞳も漆黒で着物姿と良く似合っていた。


見ている人、聴いている人が癒されてもおかしくない程の容姿と歌声だった。


しかし、それは直ぐに一変した。


突如として、心地良い癒しが嘘かの様に吐き気を催すような気持ち悪さと苦しさが込み上げてきた。


フラフラと足元が定まらず立っている事さえままならず、北春や朝霧を含めた周囲の人々が次々と膝を着き、崩れ始め出した。


そして、今自分に起きている現象は直ぐに死に直結するものだと感じた。


北春は最初、周囲に起こっている現象が隣にいる朝霧の能力『負傷』だと思った。


不条の話でも人を殺した事さえある強力な能力である。


そして、稲葉や不条は今でも『負傷』の存在を危惧していた。


しかし、瞬間に自分の考えが愚かで誤っていると気付いた。


元の張本人である朝霧自身が苦しんでいたのだ。


一瞬でも朝霧の事を疑ってしまった自分の考えが悔やまれる。


ごめんね、栞ちゃん、と心の中でしか言えなかった。


既に喋る事さえも出来ない程、差し迫っていた。


しかし、北春にはもう何もできる事は残されていなかった。


立つ事も動く事も喋る事も出来ず、ただ地面に転がっている事しかできていない。


だが、これでこの現象の元凶は既にはっきりと明確に北春を含めた周囲の人々がわかっている事だった。


あの歌声、とても清らかな歌声が今も広場を包みこむ様にただ1人立って歌っている。


唄っている。


最早、着物姿の少女の能力としか考えられなかった。


しかし、その能力は非常にも強力で、徐々に北春の意識が遠のいて行く。


しかし、北春の意識が途切れる刹那、まるで意識が途切れる音が実際になったのではと錯覚させてしまう音が


パーーン‼︎


と、北春の耳に響き渡っていた。


北春の虚ろな意識の中で目に入ったのは着物姿の少女ともう1人。


どこか大人びた冷静さと鋭い観察力、そして謎の余裕がある少年。


的場井 功の時も北春を救ってくれた頼りの存在が北春達を守るように立っていた。


「稲葉遅いよ…。」


北春は安心したような表情を見せ意識を失った。


既に、稲葉と出会って1ヶ月も経たぬうちに北春は2度も意識を失っている。


2度ある事は3度あると言うが実際その通りであり、北春は再び意識を失う事になる。


しかし、3度目は稲葉の手によって……。



------------------------------------------------------------



稲葉は空に向けて『音響銃おんきょうじゅう』を発砲した。


広場には稲葉と着物姿の少女以外立っているもの者はおらず、みな倒れて気を失っている。


流石に吐血して死に絶えている者はいなかった。


広場の近くでも人の多くが体調不良を訴えるか逃げ出していて、いつも賑やかでうるさいはずの広場はとても静まり返っていた。


稲葉が発砲した『音響銃』は『セプター局』特製の拳銃でボディには当然ながら『セプター局』と彫ってあった。


『音響銃』は運動会や陸上競技等で使われるスターターピストルのようなフォルムをしている。


そして、名前通りの消音器サイレンサーとは真反対の音を拡大し響かせる為の拳銃で実弾は使用しない。


稲葉が北春達の待合わせ時間に遅刻した理由として、この『音響銃』を入手する為、一時『セプター局本部』まで戻っていたからだ。


着物姿の少女は『音響銃』の発砲音と同時に歌う事を止めている。


稲葉は『音響銃』をホルダーにしまい、別のホルダーから普段使っている『セプター局』特製の拳銃を無駄ない動作で取り出し、着物姿の少女に照準を合わせた。


そして、『音響銃』の為にしていた耳栓を外した。


「耳栓をお外しになられてもよろしいのですか?」


着物姿の少女は稲葉に話し掛けた。


「問題無いよ。


拳銃で照準を合わせている限り、お前は歌えないだろう。」


そして、稲葉は再び拳銃を構え直した。


「それにしても、何故貴方様は私を止める事が出来たのでございましょうか?


見るからに貴方様は私の事を知りえている様に見えますものでして、お教え願いませんか?」


稲葉は拳銃の照準を合わせたまま、


「大した理由は無いよ。


強いて言うならば、奇跡的な偶然かな。


まず、少しだけ歌声を聞いて体調不良。


そして、一例として耳を引きちぎってしまった被害者はそれほど長く歌声を聴いて死に至ったと仮定する。


その2つの事件は同じ能力だとして段階的にのの影響が及ぼされるのだとしたら、歌声を他の音で妨害して、結果的少ししか歌声を聴いてない様に出来れば能力による影響も少ないと考えたんだ。


だから、お前に備えて『音響銃』を用意したんだが、まさか昨日の今日でばったり出くわす羽目になるとは流石に思っていなかったよ。」


「左様でございましたか。


ですが、貴方様は私の能力も犯行もご理解しておられるご様子でございますね。」


「当然だ、お前の所為で眠れていないからな。


あと、貴方様だと何だか気持ち悪いから稲葉とか双熾とかで呼んで欲しいけどな。


因みにお前の名前は何ていうんだ?」


「おや、貴方様でもそこまでは把握出来てないご様子でございますね。」


着物姿の少女は稲葉の事を訂正せずに貴方様と呼び続けていた。


「いや、残念ながら。


でも、検討なら付いているぞ。


そうだな、お前の名前は三橋みはし おそれか?


それともきょうか?」


「渋々ながらきょうでよろしゅうございますよ。」


そう三橋みはし きょうは名乗った。


そして、お互いが死に隣り合わせな状態で更に話し合いが続いた。


「にしても、自分の娘に恐と名付けるとは三橋 浩治こうじもぶっ飛んでいるよな?」


「参考程度にございますが、貴方様はどこで私の名前を存じ得たのでございますか?」


「『三橋家』の家系図にちゃんと『恐』って書いていあったんだよ。


だけど、端に書いてあってまさか娘の名前だとは思わなかったけどな。」


「まさか、お父様が私の名前を残しておられたのは驚愕にございますね。


では、 お答えくださったお礼にお教え致しましょう。


私の名前が『恐』と言うのは、自身の能力が関係してございます。


貴方様は先程、直に目の当たりになられたでございましょう。


私の能力は『死守唄しもりうた』。


私の歌、その一言一言には死へといざなう呪いを聴いた者に掛ける忌まわしき能力でございます。


お分かりいただけたでございましょうか?


と、既に予測なされていた事にございましょうが。」


「あぁ、ありがとう。


十分に参考になったよ。」


これで稲葉の中の考えはほぼ全てまとまった。


まず、『三橋家』の屋敷で発生した事件の犯人は三橋恐でほぼ確定。


外部からの侵入形跡や荒らされた形跡が無いのは恐が内部の人間な為で、都心へ出る為の交通費程度は金銭を入手したかも知れないが屋敷内の詳細を知り得ていた為。


犯行手段は『死守唄』により『三橋家』の家族会議にまとめて呪い殺されたと言った所。


昨晩の街中で発生した体調不良程度の気持ち悪さは予行練習くらいなものだから唄う時間が少なく被害が小さい。


そして、この広場は本番で周囲で倒れている人々が死ぬまで唄っていただろう。


しかし、稲葉に1つ分からない事があった。


何故、『三橋家』で皆殺しにしておきながら、いちいち予行練習の様なものをするのだろうか?


例えば、『三橋家』の時は気が動転していて記憶がない為、『死守唄』が正常に発動するか分からなかったからだろうか?


それとも、恨みの無い人間を殺す事に抵抗があったのだろうか?


根本問題、『三橋家』以外の人間を殺す理由があるのだろうか?


「未だ分からない事があるんだ。


お前がこの広場で行ったテロ行動の犯行動機が何なのか分からない。


『三橋家』の人間を殺す動機は幾らでも見つかるが、こればかりは分からないんだ。」


恐はふふっと上品に口元を手で押さえながら、


「貴方様であられましても、分からない事がございますのですね。


そうですね、最後でございますし、『セプター局員』が到着するまでもう少しございましょうからお話しして差し上げましょう。」


恐がまるで逃げる算段が付いている様な話しぶりをするので、稲葉は拳銃を構えながらより警戒を高めた。


「まず、私が『三橋家』の人間を皆殺しにしたのは、ただ単に処分と言う形で私が殺されそうなった為、殺られる前殺害したまでにございます。


そして、貴方様が私の存在を掴むのに苦労なされたのは戸籍が存在していないから、出生も存在してない者として今まで囲いに囚われ続けてきました。


それは私の産声を聞いて体調不良を引き起こす者が続出し、死人さえも出る始末にございます。


その為、『三橋家』の人間は忌まわしき恐怖をもたらす子として、出生届が出されぬまま『三橋家』の汚点として今まで生きてまいりました。


これが私の能力『死守唄』がもたらした悲劇にございます。」


稲葉は恐の話によって浮上した新たな真実に眉をひそめていた。


実際問題、出生と供に能力が発現する例は珍しいがありえない話ではない。


本来の問題は産声の時点で『死守唄』が発動していたと言う事。


乳児の時点で唄う事が出来る訳がなく、制御も当然出来ない。


ならばこう考える事が正しいと言えるだろか?


あくまでも唄う事が『死守唄』の発動条件ではなく、『死守唄』をより短時間で強力にする動作。


では『死守唄』の発動条件は喋る事、更に言えば声を発する事。


それならば、唄う事が出来ない乳児でも無意識に『死守唄』を発動させ人を殺す事が可能になってくる。


そこで稲葉は閃いてしまったのだ、自分の愚行に。


恐は『死守唄』の説明の際に唄う事ではなく、一言一言と言っていた。


更に、稲葉が耳栓を外した際に恐は危惧する様な発言をしていた。


まずい!と稲葉は恐に向けていた拳銃の引き金を引いたが、動く事はなかった。


拳銃が動かなかったのではなく、稲葉の指が動かなかった。


「どうやら、貴方様でも驚いておられるのですね。


『死守唄』は体の先端から影響をもたらすので、まだ喋る事は出来るかと思いますよ。


歌う場合の『死守唄』は体の先端からなどと考えて感じていられない程に進行が速いですが、喋っているとジワジワと浸透していく認識の為、やはりお時間を有するという事にございます。


ご理解いただけましたか?稲葉 双熾。」


どうやら、恐は稲葉に拳銃を向けられて、どうしようもなく喋っていたのでは無く、完全におとしいれる為に喋っていたのだ。


それに稲葉が気持ち悪い感じていた貴方様という呼び方も、慣れてないから気持ち悪いのでは無く、『死守唄』の影響で発生した前兆の現れだった言える。


今となっては既に遅いのだが……。


しかし、稲葉にはまだ解消されていない事がある。


稲葉が思うにはそれが最後の鍵であり、切り札になるのではないかと考えていた。


恐がうまい具合にかわした質問。


「俺はまだ、お前の犯行動機を聞いていないぞ。」


恐の顔が少し曇った様に思えた。


「先程、言ったではございませんか‼︎


まさか、お忘れになられたのでございますか?」


「忘れてなんかいないよ。


ただ、『三橋家』の事件の犯行動機は聞いたが、この広場でそして街中で行った犯行動機は未だ聞けていないと思ってな。


どうせ殺すなら教えてくれても良いだろう?」


稲葉はニヤりと恐を挑発する様に問い掛ける。


一方の恐は一時の間、沈黙を保っていたものの観念した様に口を開いた。


「貴方様には全てお見通しなのでございましょうか?


私はこの『死守唄』がある為、歌う事はおろか、喋る事はさえも当然『三橋家』では禁じられておりました。


『三橋家』の屋敷で起こした事件は今に思えば私の復讐にございましょうか?


日々煙たがれ追いやられてきましたものでございます。


ですが、実際は復讐よりも正当防衛の方が根本的な理由なのでございます。


過剰防衛になってしまいはしましたが。


昨夜、『三橋家』の屋敷には当主を含めた一族が勢揃いしておられた事は貴方様もご存知の事でございましょう。


一族勢揃いの家族会議が催されておられまして、その議題は私の処分にございます。


もちろん結果は満場一致で私の処分にございます。


その事を知っていた私は殺られる前に殺ったまでにございます。


そして、自由の身となった私は私の歌を他の人々にも聴いてもらいたいという欲が生まれたのでございます。


ですから、人々が多く多く集まる場所へ足を進めたまでにございます。


ご理解いただけましたか?」


一通りの恐の説明を聞いても稲葉納得するどころか、


「違うな‼︎」


と、直ぐに切り返した。


「貴方様には経験の無い事ですので、少々難しゅうございましたか?」


「お前の説明じゃあ、まだ矛盾が残るんだよ。


何故『三橋家』の屋敷を出て最初の事件で唄を聞いた人を殺さなかったんだ?


実際理由は幾つか思い付く。


例えば、連発して使うと『死守唄』の威力が弱まるとか。


間隔を空けないと本気がだせないとか。


同じ様な事件が連発すると直ぐに足が付くとか。


しかし、どれも違うんだろう?


お前は能力『死守唄』の制御が出来ず、歌えば必ず発動してしまう。


だが、歌を聞いて欲しい。


例えば、思う存分に歌を歌って最後まで誰かに聴いていて貰い感想を言って欲しいとかな。


最後の質問だ。


お前は『死守唄』(唄)を歌だと信じているか?」


稲葉の問いに恐は少し嬉しそうに微笑していた。


「本当に何でもお見通しなのでございますね。


全て稲葉双熾のおっしゃる通り唄を、いえ『死守唄(』(歌)を聴いていて欲しい。


それだけにございます。」


「確かに特異な環境下で普通にできる事さえままならないからこその欲求と言った所だな。


ならば、お前の望みを俺が叶えてやろう。


お前の全力の歌を俺が聴いていてやろう。


どうせ歌うなら一石二鳥だろ?


俺が聴いていられなかったら死ぬだけでお前には損は無いぞ。


それに体中に麻痺が回って来て喋る事も厳しくなりそうだからな。」


ふふっと、恐は微笑んだ。


そして、稲葉に近づき拳銃を構えた状態で固まっている両手に恐の両手を添えゆっくりと下に下ろした。


「稲葉 双熾は面白いお方でございます。


それに不器用ですが、ずっと私の事をお前と呼んで恐と言う名前を避けておいででございますね。


ですが、動けないとしても拳銃を向けられたままでは気分上、全力を出せないものですので申し訳ございません。


それでは、全力で歌を歌わせいただきます。」


恐はゆっくりと息を吸い口を広げた。


恐から放たれた歌声は空気を震わせ広場全体に響き渡った。


恐の歌声は美しく清らかに透き通っており、この歌声が死へといざなう呪いの唄とは思えなかった。


恐はこれまでに無い程胸が高まり満足していた。


恐の前には自分の歌を聴かせたのではなく、聴いてくれているのだ。


もう恐の中には恐怖は無かった。


そして、恐は歌を思う存分に歌いきった。


恐の目の前で動けないでいる稲葉は倒れる事なく立っていた。


「歌、上手いじゃないか。」


稲葉の褒め言葉は誰でも言える様なとても簡素で少ない言葉だった。


しかし、その褒め言葉は誰でも言える訳ではなく、恐が待ちに待ちびた言葉だった。


そして、恐にはそれだけで十分過ぎる程だった。


目の前は『死守唄』を聴いてるにも関わらず、死なないでいてくれた。


最後まで聴いていてくれた。


感想を言ってくれた。


気付くと恐は泣いていた。


自分の胸の奥に仕舞い込み忘れ去ろうとしていた小さな夢。


とてつもなく高い壁を乗り越えて多くの人々を巻き込まなくてはならない夢。


その夢が今叶ったのだ。


ボロボロと溢れ出す涙は達成感よりも今までに報われた気持ちで一杯だった。


「ご静聴ありがとうございました。」


恐はゆっくりと頭を下げた。


その後、現場に駆け付けた警察と『セプター局』が恐の身柄を拘束、確保した。



------------------------------------------------------------



「んん……。」


北春は虚ろにまぶたを持ち上げる。


ぼやけた視界に映るのは白い天井。


どうやら横になっている様だ。


そして、何となく知っている部屋だと思った。


「起きたかな?」


とてつも軽いノリで『医療室いりょうしつ』のベッドの横の椅子に座っていた稲葉が喋りかけてきた。


これでは的場井の時と立場が完全に逆転である。


「起きたよ。」


北春は少しふて腐れる様に答え、寝ていたベッドから起き上がった。


「そんなに機嫌を損ねないでくれ、全員気を失っただけで軽症なんだから。」


稲葉の苦し紛れに言い訳で北春は自分の症状を知り得る事ができた。


そして、朝霧を含めた全員が無事である事に北春は胸をなでおろした。


「事件解決したんだね。」


「あぁ、広場での被害者は軽症で病院に運ばれたよ。


小雪や朝霧は『セプター局本部』で、今頃朝霧の隣には検査を終えた不条が固唾かたずを飲んで見守っている頃だろうよ。」


ここまで来ると狂気の沙汰かな?と冗談ぽく稲葉は言ったが、栞ちゃんがいなくなったら不条は大丈夫だろうか?と北春も思った。


「それにしてもどうして稲葉はピンピンしているんですか?」


不意な疑問が北春の思考を駆け巡った。


「簡単だよ、耳栓してたからね。


因みに情報で実際に彼女の歌を最後まで聴いたんだよ。」


「え?


私達が気絶した後ですか?


何で平気なんですか?」


北春は理解出来てないという様子だった。


唄の症状が出て死を直感しているから当然の感覚である。


「彼女の能力『死守唄』は段階的に作用が出るから直接聴けば気を失い死に達する。」


稲葉は敢えて『死守唄』の説明をオブラートに包んで説明する。


『三橋家』の事件の事は一切持ち出さない様に気を付けながら。


「だから、途中に音を挟んで広場の被害者を守ったんだ。


しかし、彼女の歌を最後聴いた時は最初から歌声を聴こえない様にしてたんだ。


つまり耳栓だね。」


「バレなかったんですか?」


「そうだね、バレなかったよ。


だって耳栓って言っても水だから。」


「み、水ですか?」


北春は訳が分からなかった。


「そうだよ。


俺の能力『異質いしつ』は『火』、『水』、『雷』を微小だけど操れるから、それで水を耳の穴に発生させて耳栓してたから死なないで済んだんだ。」


すごいなと北春は思った。


自分には何も出来ないでいるのに、稲葉は発想力で解決してしまう。


おそらく、これまでもそうして解決してきたのだろうと少し尊敬してしまう。


同じ高校2年生とは思えなかった。


「だけど、少し騙した様で心苦しいけどね。


歌を聴くと言って耳栓をしていた訳だから。」


と、稲葉は反省を述べていたが北春の耳には届いていなかった。


「さてと、俺はここでひとまず帰るけど一晩は菊田きくた ひな実務長じつむちょう』が安静にだって。


伝えたからな、安静にしてろよ。


聞いてるか?」


稲葉は北春の視界に入り込む様に覗き込んだ。


そして、急に覗き込まれた北春は驚き、


「ひゃいっ‼︎」


と、あわれもない声をあげていた。


稲葉は心配だと言わんばかりに溜息を吐いていた。


「それじゃあ、小雪おやすみ。」


稲葉はそれを最後に『医療室』の扉を開けて出て行った。


独り残された北春は想いふけっていた。


稲葉は普段と事件では態度や雰囲気が変わる。


それが普通の心の持ち様だろうが何か違う様な違和感を感じていた。


しかし、北春にそれが何か分からなかった。


そして、ハッ!と自分が稲葉の事ばかり考えている事に気付き、頬が赤く染まる。


いけないいけないと、頭を横に振る。


それにしても、事件を聞いてみてやはり幸運だと思う。


稲葉は『死守唄』が段階的に作用すると言っていたから、気を失って倒れている私達の耳に歌声が届いていたら死んでいたなと。


多分、稲葉が唄を最後まで聴いた時は小さい声で歌ったんだろうなと、気軽に考えた。


北春は再びベッドに横になり疲れを癒す様に眠りに着いた。



















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