たぬきがお相伴
何もかもが嫌になった。
元々それほど多くを手の中に抱えていたわけではないのだが、僅かに残った物ですら煩わしくなった。
仕事で失敗した、というか失敗したことにされた。
自分に落ち度がない事は周知の事実だったが、かばったり助けたりしてもらえるほど周りから必要とされていなかった。
そもそも、あの会社に入ったことが失敗だった。
元から自分という存在をギリギリの状態で繫ぎとめていたので、今回の事で完全にぷっつり切れてしまった。
死のうと思った。
もう疲れてしまった。
やらなきゃいけない仕事を残したまま眠気に勝てず寝てしまう。
それくらい軽い気持ちで、この人生にピリオドを打とうと思った。
とにかく他人に迷惑をかけるのが嫌だったので、人の多い場所は避けようと思った。
ちょうど紅葉のシーズンもあるし、山の奥深くで野垂れ死でもしようと思った。
そうして獣の餌となり、やがて土に還るだろう。
そうすれば少しは何かの役に立てると思った。
前に処方してもらった睡眠薬ひと瓶と酒を買い込んで山に向かった。
酒はあまり呑む方ではなかったが、せっかく末期の味なんだしと、奮発して日本酒の良いヤツを3本ほど買った。
紅葉シーズンは人が多いから平日の空いてそうな時を狙った。
途中まで車で行き、その後は徒歩で山中の奥深くへ入り込んで行った。
日本酒3本はさすがにかなり重たかったが、それ以外に特に荷物もなかったし、せっかく良い酒なんだからと諦めずに運んでいった。
ようやく落ち着いた場所を見つけ俺は地面に座り込んだ。
周りに人気も無く、静かで落ち葉が鳴るのと俺自身が発する音だけが周りに響いていた。
紅く染まった山々がとても綺麗で、心が穏やかになっていった。
少しくらい酔っていた方が楽に逝けるだろうということで、睡眠薬をのむ前に俺は一升瓶の蓋を開けた。
値段にふさわしい芳醇な香りが辺り一面に広がった。
生まれてこの方こういった事に興味なんてなかったが、人が贅沢とはきっとこういう事を言うのだろうと思った。
プラカップに二杯ほどやっつけた辺りで視界がぼおっとしてきて体温が著しく高くなってきた。
酔ってきたのがわかった。
そろそろ睡眠薬を飲もうとした時だった。
「おい。随分良い臭いがするじゃねえか。」
突然そんな風に声をかけられた。
酔っていたせいかいきなりの事にひどく驚いた。
考えてみれば何も悪い事などしていない。
いや、少なくとも『まだ』していないのだ。
とにかく取り乱してしまい一升瓶を倒してしまった。
「ああ!もったいねえ!」
と声がして素早い何かが駆け寄ってきた。
一瞬でなんだかわからなかった。
しかし、自分の体躯と同じくらいの大きさの一升瓶をすんでのところで受け止めたそれに俺は目を見張る事になる。
一匹のたぬきが、そこに踏ん張っていた。
「あぶねえあぶねえ。土に呑ませるにはこいつは良い臭いすぎる。」
と、そのたぬきは言った。
たぬきのくせに随分面白いことを言う奴だなと、そのまま付き合ってみることにした。
「君、酒をやるのかい?」
「君、だなんて呼び方はよしてくれ。気取ってるじゃないか。お前とかアンタで良い。」
そう言うのである。
「じゃあアンタさ。酒が好きなのかい?」
「そうさな、まあ好きというか、かなりやる方ではあるな。」
なんだか照れているようだったがわからない。
なにせたぬきなので表情がわからない。
「時にお前さん、ソイツを全部一人でやるつもりかい?」
と俺のバッグを指した。
まだ二本ほど一升瓶があった。
「いや、多分無理だ。勢いで買ってきたんで。そもそも酒はあんまりやらないんだ。」
そういうとたぬきはなんだか妙にぷるぷると身体を揺すっていた。
多分、笑っているのかもしれないが解らない。
なにせ相手はたぬきなんで。
「じゃあ、俺が手伝ってやる。お相伴にあずかるよ。」
そういうとたぬきは目ざとく見付けていたのか、袋に入っていたプラカップを取ってついでくれという仕草をした。
たぬきに酌をするのも妙な気分だったが、どうせこれから死ぬんだしもうどうにでもなれと思った。
たぬきは一杯目の酒を注いでいる時しきりに
「もっと、もっとだよ、そんなんじゃいくら飲んでも終わりゃしねえ。」
と欲張った。
ヒトの酒なのに随分なやつだった。
ぐいぐいと実に美味そうに飲み干してからたぬきは二杯目を所望した。
「ところでお前さん、肴はなんぞ持ってきてないのかい?」
という。
まあ死ぬつもりだったしまさか睡眠薬というわけにもいかないだろう。
「あいにく手ぶらなんだ。」
と素直に伝えると特に落胆する風でもなく
「おし、じゃあちょっと待ってな。」
とどこかに行ってしまった。
だんだんに日が傾いてきて少し冷えてきているようだったが俺も随分と酔っているのか解らなくなっていた。
「おーい。これだこれだ。」
と何かを抱えて戻ってきた。
口にくわえてたら食べる気も萎えていたのだが幸い手に抱えていたのでホッとした。
たぬきが持ってきたのは椎茸と銀杏だった。
「お前さん、なんか火をつける道具を持ってんだろ?こいつらを焼いて肴にしようじゃないか。」
と言うのである。
たぬきに火を起こせとと言われるのもおかしな気がしたが、暖かくなれるのはいいだろうと持ってきていたライターで焚き火をやった。
枝に刺した椎茸と銀杏がパチパチと音をたてて焼かれていくのはとても幻想的で見ていてウットリとしてしまうほどだった。
火を眺めながらたぬきと色々な話をした。
まるで、旅先であった人間と話すような具合でとても浅い内容の世間話だった。
なぜかたぬきは、こちらの懐に深く入り込んではこなかった。
何か一つ、壁を隔てているようででもそれがとても話しやすく楽だった。
「焼けたぞ。ほれ食いな。」
と言われてほおばった椎茸は肉厚で旨みがじゅわじゅわと口に広がって感動的な味わいだった。
銀杏もほくほくと甘くてまるでさつま芋のようだった。
「美味い!美味い!」
と連呼する俺を尻目にたぬきっはただ
「そうかいそうかい。」
と眺めているだけだった。
共通して不思議だったのは塩をつけなくても十分に美味かったことだ。
酔っていたからかもしれないがそれは解らない。
腹がいっぱいになり火がとても暖かくて俺はついウトウトと眠ってしまった。
意識が途切れる瞬間にもしかするとこのまま死ぬかもと思ったがまあそれも良いと思って眠りについた。
しばらくして、ハッと目がさめると俺はまだ生きてあの場所にいた。
どうして凍死しなかったのかと思ったがすぐに謎は解けた。
落ち葉が何枚も身体に重なってかかっており毛布のように俺を包んでいた。
あまりに不自然なかたちだったからおそらくたぬきの仕業だろう。
ちなみに一升瓶は三本全て空になっていた。
俺はその後すぐに山を降りた。
もう死のうとは思わなかった。
今でも、あの時の銀杏と椎茸の味が忘れらずにいる。
たぬきには感謝している。
了
最後の話になります。最後までおつきあいいただきましてありがとうございました。