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ミーツ・ブラジャー

(7)


「まったく! もう、信じられない!」

「だから、まだ洗面所にいるなんて思ってなかったんだよ。美枝の声が聞こえたから、メグに伝えて貰おうと思って声は掛けたけど…」

「出てくる前に確認ぐらいしなさい。無防備過ぎるわよ。まったく!」

朝食が済んで管理室に向かう途中も、美枝はまだシャワールームのことを怒っていた。

実際のところ、シャワールームに満ちていた湯気で大事なところは見えなかったのだが、慌てて目を逸らした美枝には、湯気の白さと肌の色が一瞬の残像に混ざり合って、却って強烈にスッポンポンの印象として残っている。ただでさえ、真理と出会ってからは妄想の暴走が頻発しているのに、そんな姿まで頭の中に焼き付いては、自分を抑えている自信がなかった。それで真理に当たり散らしてついでに妄想を発散させようとしているらしい。

「見られた方が怒られるのも、何となく納得がいかないんだけど…」

「見せつけられたの、私は! そりゃあ、見たいと思ってたりもするけど、TPOって言うのがあるでしょう? きちんと手順を踏んで、お互いの合意もあって、それなりの雰囲気も出来て、ああ、とても綺麗よ、真理。美枝も、脱ぎなよ。だめ、部屋が明るすぎるわ、電気を消して…なんて。ハア、ハア」

「美枝―、みんなこっちを見てるよー」

朝食時間で、食堂の廊下にも何人もの寮生が歩いている。美枝の喘ぎ声を聞いて、すれ違いざまに振り返ったり、廊下の隅で指差しながらクスクスと笑い合う姿も見られた。

「あ、あんたの所為だからね!」

恵の言葉で我に返った美枝は、顔を赤くしながら真理を睨む。

「妄想の責任までは取れないよ」

「あんな綺麗なものを心の準備もなく見せつけられて、妄想しない方がおかしいって言うの。その責任は取って貰うからね」

そう言いながら、美枝は真理の腕に自分の腕を絡めた。

「じゃあ、このまま管理室まで行きましょう」

と、にっこり笑う。

――完全に開き直ったようだ。


時計の針は七時二十分。

シャワー&洗顔・歯磨きに着替えまで済ませ、ようやく起きたモーティに朝食を与えてクーと対面させ、そのクーを飼育棟に預けてから自分たちの朝食を終えて、何とか管理室に辿り着いたのがこの時間だった。美枝の妄想に少しばかり手を焼いたとは言え、かなり急いだので遅くなったとは思えない。

それでも、管理室の受付の前には、長蛇とまでは言えないが、この時間にしてはかなりの行列が出来ていた。

「君たちは、揃いも揃って、何でこんな時間に戻ってくるんだ!」

受付の奥から、自棄になったような朱鷺の罵声が響いてくる。

「急ごう。何か、大変な事態が起こってるみたいだ」

真理は、しっかり固められた美枝の腕を振りほどいて、管理室の扉を開けた。

「おはようございます」

「おお、真理か。良いところに来た」

真理の挨拶に、間髪を入れずに返事が戻って来る。

「君たち、少し待ってろ!」

朱鷺は受付に並んでいた寮生たちに引導を渡し、大急ぎで事務室から出てきた。

「真理、飯だ。食堂にあたしの食いかけの飯があるんだ。頼む、飯を持ってきてくれ」

「はあ?」

「玲奈がいるはずだから聞いてくれ。食い終わったら持ってきてくれることになってるんだが、何しろあいつは食うのが遅い。飯が来る前に餓死しそうだ。とにかく、頼むよ」

必死の形相で真理に手を合わせる。

理由は分からないが、朝食の途中で管理室に来て、寮生の受付をしていることは分かった。朝練でかなりお腹を空かせているのだろう、朝食が届いても受付が終わらなければ食べられないはずだが、そこは頭でなく胃が訴えているようだ。

「行って来ます」

真理はそう答えると、踵を返して急ぎ食堂に戻っていった。

「真理ー、メグも手伝うー」

「メグちゃんはこっちを手伝って! 美枝さんもね!」

恵が真理の後を追いかけようとすると、事務室から薫子の悲痛な叫びが聞こえた。受付に行列が出来ている上に、朱鷺が職場放棄をしたのだから、薫子への負担が急増したのだ。

「はーい」

「分かりました」

恵と美枝は、同時に返事をして事務室に入った。

朱鷺もお腹をさすりながら戻っていく。

受付のカウンターは二つ。その前に寮生が二列に並んでいるのだが、朱鷺が席を外したためか明らかに薫子の前の列が長い。薫子は、事務室に入って来る三人に目を向ける暇さえなく、差し出される書類を仕分けし、名簿にチェックを入れ、ネームプレートと部屋番号のメモを揃えて渡すという作業を黙々とこなしていた。

流石に悪いと思ったのか、朱鷺も自分の席に戻って受付を再開する。

「会長、酷いですよ。さっきからここに並んでるのに、全く進まないんだから…」

「こんな時間に来る奴が悪いんだ。あたしはガソリン満タンでないと仕事が出来ない」

「これ食べます? 田舎の薄皮まんじゅう」

「おお、食うぞ! くれ! それで一人分受付してやる」

「何処の外車ですか。燃費悪すぎ!」

朱鷺の前の列は乱れて、寮生と掛け合い漫才が始まっている。それを見た後ろの方の寮生は、受付を諦めて漫才に参加するか、首を振りながら薫子の列に並び直した。

朱鷺が戻ったことで更に列が長くなった薫子は、こめかみに青筋を浮かべ、目尻をピクつかせて朱鷺を睨んだが、ここで口を挟んでも作業が進まないのは分かっているし、自分の仕事にも影響が出るのを恐れて、諦めたように溜息をついて書類に手を伸ばした。

早朝と言っていいような時間に受付が混むのも理由がある。

都心のターミナル駅から一時間足らずと言っても、カメリア学園の最寄り駅は赤字路線らしい単線の支線だ。普通に来れば、本線との接続駅で三十分に一本という折り返し運転の電車に乗り換える必要があった。接続駅の支線用プラットホームは少し離れていて、急勾配の跨線橋を上り下りしなければならず、その上待ち時間も長い。

朝夕の通勤時間と遊園地の閉開園時間には直通電車が運行しているので、荷物の多い寮生たちは、乗り換えを避けてその電車を利用するというわけだ。

また、管理室で受付をするのは新入生だけではない。

春休みで家に戻っていた寮生も、新学期に合わせて大挙して戻ってくる。主に寮の夕食のために入寮者を正確に把握しなければならないので、受付で入寮届けを提出して名簿にチェックを入れる必要があるのだ。

この時間は、昨日の受付時間に間に合わず都内で一泊した遠方からの生徒や、わざわざ混みそうもない時間を狙って帰寮した寮生で、却って混み合うという喜劇が起きていた。

もっとも今日は春休みの最終日。明日からの新学期に備えて身の回りの物の買い物をしたり、部屋の整理をしたりなどとすることも多いので、早い時間から受付が混むのも当然と言えるだろうが。

一方、真理の方は、

「あっ、玲奈先輩。会長の朝食はこれですか?」

食堂に戻って玲奈を捜し当てたところだった。

食堂は簡単なバイキング形式で、各自トレーを持って順番に惣菜や主食を載せていく。選べる品目は少ないが、和洋の違い程度の献立は用意されていた。

テーブルは、下級生が遠慮しないようにという配慮から学年別に分けられている。いずれシスター関係や部活の都合などで一緒くたになるのは目に見えているが、暫くの間は守られるはずだ。

その三年生のテーブルに、ゆるゆると箸を動かしている玲奈の姿があった。

隣にはきちんと盛りつけられたトレーと、あちこち崩されて無惨な姿になったトレーが置かれている。口にはいるだけ詰め込んで嫌々管理室に向かったと思われるので、当然、朱鷺のトレーは汚い方だろうと当たりを付けて玲奈に尋ねた。

「…先輩、えへっ」

玲奈は箸を止め、はにかんだように顔を赤らめて真理を見上げる。妙に嬉しそうな顔が童顔をより幼く見せていた。

「あの、会長に頼まれて朝食を取りに来たんですが、これ、持ってって良いですか?」

「あ、うん。会長は、それ。薫子は、こっち」

予想通りの答えに頷いて、真理は朱鷺のトレーを手に取った。

「ついでだから、薫子先輩のトレーも持っていきますね」

「危ない。無理しなくていいよ」

「大丈夫です。慣れてますから…」

玲奈に止められたが、真理は断りを入れて、空いた手で薫子のトレーを取り上げる。

不安そうな玲奈の瞳に送られて、真理は両手にトレーを持って席を立った

食堂の中はまだ帰寮していない寮生が多いのでさほど混んではいなかったが、久しぶりの対面で席を動くものもあり、それなりにゴチャゴチャしている。何でもないような顔で身をかわしながらサッサと歩いていく仕草は、本人の申告通り慣れているようだ。

(ふん、確かに、ただ者じゃなさそうね)

真理の姿を見送っている者がもう一人、食堂の隅で朝食を取っている監事の桐だった。

玲奈とのやり取りを、興味を持って聞いていたのだが、ついでにトレーを両手に立ち去る後ろ姿を目で追っていた。

真理の進路を妨害するように、何人かの寮生が他の席に移動する。或いはお代わりのためにトレーを持って席を立つ者もいた。それを慌てて避けるわけでなく、前もって分かっていたかのように身をかわしていく動作は、一見何でもないようだが、注意深く見ていれば慣れていると一言で片付けられるようなものではない。

(朱鷺の目も、まんざら節穴じゃないと言うわけね)

桐に幾らかの感想を残して、真理の姿は直ぐに食堂から消えていった。


「ただいまー、戻りましたー」

あまり短くなっていない行列を見なかったことにして、真理は管理室の扉の外から声を掛けた。受付の窓から首を伸ばしてその姿を見た朱鷺は、「待ってろ」の一言を寮生たちに残して首を引っ込め、忽ち駆け寄って来て扉を開く。

「ご苦労だったな。有り難う!」

真理からトレーを受け取って、いそいそと応接室のテーブルに運んだ。

「まだ駄目です!」

それを察した薫子から叱咤が飛ぶ。

目の前のトレーと事務室を交互に見て、「はあー」と盛大な溜息をつく朱鷺に、

「…会長、僕が受付をやります」

と、真理は呆れて声を掛けた。

「そうか? じゃあ、受付のカウンターに入寮届けが置いてあるから、寮生に記入させて名簿にチェックを入れてくれ。それから、今までの分もチェックが済んでいないから、それも名簿に付けておいてくれよ。頼むぞ」

「…今まで、何をやってたんですか?」

「帰寮組と雑談だ。あいつらは入寮届けも書かずに土産話ばかりしたがるから、付き合ってやったんだよ」

「会長! あなたが届けを書かせようとしないから雑談になったんです。こっちの迷惑も考えて下さい!」

真理に対する朱鷺の言い訳に、薫子が突っ込みを入れた。突っ込みと言うより、カミナリと言った方が正しい。

「…悪かった。真理を手伝いにやるから、適当に教えてやってくれ」

「まったく! 新入生に押しつけるなんて、会長の自覚が足りません!」

「そう言うなよ。食ったら直ぐに仕事に戻るから、今は見逃してくれ。…それから、真理。あたしのことは…」

「分かりました、お姉さま! 薫子先輩、教えて下さい」

シスターの襟章を受け取った時から分かっていたことではあったが、あまりのいい加減さと理不尽さに目眩を覚える。真理は目頭を押さえながら朱鷺との会話を打ち切ると、薫子に声を掛けて事務室に入っていった。

事務室では、美枝と恵も、忙しそうに立ち働いている。薫子の指示に従って、棚からネームプレートと部屋番号のメモを取り出して揃え、書類に番号のスタンプを押し、名簿にチェックを入れるという作業を分担でこなしていた。その甲斐あってか、薫子の前の行列も少しは短くなっていた。

「済みません。お待たせしました」

真理は席に着くと、頭を下げてから受付を開始した。

「あら? あなた、見ない顔だけど新入生?」

「はい。宜しくお願いします」

朱鷺との雑談が尾を引いているらしく、関係ないことを話しかける寮生に軽く微笑みを向けてから、真理は手元の書類に目を通した。入寮届けが三通。しかも、朱鷺の話ではチェックが済んでいないらしい。あれだけ時間を掛けてこの結果では、薫子が怒るのもよく分かる。見ればカウンターの上には、お土産の菓子の袋が散乱していた。

「はあ…」

と一つ溜息をついて、袋を掻き集めてゴミ箱に放り込む。それから手元にあった名簿を開き、三通の用紙に書かれた名前を確認してチェックを入れた。ものの一分も掛からない。こんな事にその十倍以上の時間を費やした朱鷺の事務能力に、今更ながら呆れ果てた。

「では、この用紙に記入をお願いします。宜しければ、次の方も記入しておいていただければ助かります」

そう言いながら、用紙を手渡していく。

実際、新入生と違って在校生の入寮手続きは簡単だった。用紙に名前と学年、部屋番号を記入してもらって、後は名簿にチェックして学年毎に用紙を綴るだけ。先に記入しておいてもらえれば、真理の手間はさほど掛からない。

「君、名前は?」

「はい。高遠真理です」

「その襟章、会長のでしょう? 無理矢理義妹にされたのね。可哀想に…」

「え、ええ、まあ、でも助けてもらってますから」

失礼にならない程度に返答しながら、作業をこなしていく。元々朱鷺の方は帰寮者ばかりだったので、テキパキと片付いていった。

「あなたに換わって貰って良かったわ。去年は夕食が人数分に足りなくて、後から食堂に来た人は散々だったんだから。会長がチェックを忘れたのが原因だったのよ」

「そ、そうですか…。ちゃんと印を付けたから大丈夫ですよ」

そう言って、チェックした名簿を相手に見せることも数回あった。去年、何人が涙を呑んだのか知らないが、あのいい加減さは筋金入りらしい。

新入生の入寮手続きも、薫子に教えてもらいながら美枝と恵の手伝いで無事にこなし、気がつけば受付の前から行列が消えていた。時計を見れば七時四五分。真理が受付の席に着いてから十五分ほどしか経っていない。普通にやればもう少し早く終わったはずで、つまり朱鷺が最大の障害だったのだ。予算消化のために、無駄に造られたダムのような存在とも言えるだろう。

「ふう、ご苦労さま。みんな休んで良いわ。後は私だけで大丈夫だから」

最後の一人にネームカードを手渡して、薫子は事務室にいる全員に声を掛けた。互いに協力して無駄なく仕事を進めたので、薫子の声も明るい。

次の直通電車までは間があるようで、その間は乗り継ぎで来る者か、自動車で送ってもらう幸せ者くらいだから、誰かが受付にいれば充分な様子だった。

「僕がここに残りますから、先輩は朝食を済ませて下さい」

要領を覚えたから、少人数の入寮者なら一人でも受付が出来そうだ。そう思ったので、真理は薫子に朝食を取るように勧めた。お腹が減っているのは、ガツガツと音を立ててトレーを平らげている朱鷺だけではないだろう。

「あら、でも、それじゃあ悪いわ。真理さんたちは、まだ新入生なんだから…」

そこに、

「ただいま。いっぱい食べてきた」

と、玲奈が顔を見せた。

「玲奈、良いところに来たわ。私が食べている間、受付をお願い出来る?」

「うん」

「ちょっと、待ったー!」

薫子が上級生らしい気配りを見せ、玲奈もそれに頷いたところに、朱鷺の横やりが入る。

「あたしにお茶を入れてくれ。玲奈の旨いお茶が飲みたい」

「お茶なら私が入れます。玲奈は受付をお願い!」

応接室のソファーで悠然と朝食を平らげた朱鷺を睨みつけて玲奈に指示を出す薫子と、忽ちふくれっ面になった朱鷺の視線が空中で火花を散らす。

「あのー、お茶を入れる時間くらいなら、僕だけで充分です」

「わ、私も、真理を手伝います」

「メグも出来るよー」

新入生組は、とばっちりを恐れて消火作業に勤しむことにした。


玲奈が、全員にお茶を入れてから受付を交代するという大人の行動を見せたので、ツンツンしかけた雰囲気も丸く収まった。その後も、電車の時間に合わせて受付が混む度に、五人は交代しながら仕事を進めていく。朱鷺はもめ事処理の単独班としてソファーに待機していたが、当然、誰からもお呼びが掛からない。

順番での交代で、いつしか受付には真理と美枝、事務サポートが恵という新入生だけのチームが出来ていた。

「あのー、新入生の……ですが」

「はい、……さん。入寮の書類を提出して下さい」

「よ、宜しくお願いします…」

新入生が受付に来て声を掛ける。真理はいつもの通り少しキツい目つきで応答した。

視線を向けられてドギマギしながら書類を差しだし、頭を下げる新入生。受け取った書類を幾つかに仕分けして、同時に恵に名前と受験番号を告げる。恵は名簿にチェックを入れて、番号順に並んだ棚から該当する名前のプレートと部屋番号のメモを取りだし、真理に渡す。その番号を受け取った書類にスタンプし、きちんとクリップしてから新入生に向き直った。

「はい、これが、あなたのネームプレートと部屋番号です。プレートは、部屋に入ったら直ぐに扉に貼って下さい。三人部屋ですから、使用するベッドは三人で話し合って決めて下さいね」

真理は、プレートと番号を差し出しながら簡単な説明を付け加える。自分が初めて部屋に入った時に感じたことを、そのまま伝えるだけだったが。

「有り難うございます。あの、それで部屋は…」

新入生はそれを嬉しそうに受け取っていく。ちょっとした心配りが、初めての寮生活の内心ドキドキの心を解すのだろう。

「部屋は、二階の右端から三番目です。突き当たりの中央階段を上がって右に行くか、廊下を右に折れて奥の階段を上れば直ぐですよ」

真理が丁寧に教えるので、それを聞いていた殆どの新入生が次々に自分の部屋の場所を尋ねる。目つきが鋭くて一見男子のようだが、親切な言葉と最後に見せる微笑みに、何度も振り返りながら部屋に向かう生徒もかなりいた。

無論、美枝も真理に負けじと頑張っているし、恵も二人のフォローをしっかりこなしている。それでも、美枝よりも真理の前に並ぶ新入生の方が明らかに多かった。

「あたしより、上手」

「…会長も見習って下さい」

応接室で眺めている最上級生たちの口から、そんな感想が漏れていた。


「お疲れさまでーす」

「あれ? 三人揃ってソファーに腰掛けて、受付はどうなってるんですか?」

昼近く、二年生の役員たちが管理質にやってきた。

「見てみろよ。あたしの出る幕は無いさ」

事務室を覗くと、新入生三人組が頑張っている。

「へえー、慣れたものですね。今日はこのまま任せちゃいましょうよ」

「駄目だ! 絶対に――駄目!」

「何で、ですか? 会長なら、間違いなく賛成してくれると思ったのに…」

「終わったら真理と買い物に行くんだ。初めてのお買い物だぞ。邪魔するな!」

「何を買いに行くんです?」

「お揃いの靴下かハンカチ?」

「いや、会長のことだから、お揃いの下着かも…」

珍しく顔を赤らめている朱鷺に、二年生軍団の追及が入った。

「うるさーい! あたしの勝手だろ。とにかく君たち、早く換わってやれ。真理はこの町が初めてだから、買い物だけじゃなくて色々案内してやるんだ」

「メグちゃんもだわ。ついでに義妹に何かプレゼントしなくっちゃね」

「美枝さんにも、プレゼント。あたしの、義妹だから。えへっ」

「き、君たちも行くのか?」

同時に手を挙げた二人に、朱鷺は愕然として目を向けた。

真理との買い物に、美枝と恵が付いてくるのは仕方ない。割り込んだのは自分の方だ。だが新入生たちと出かければ、もれなくこの二人も付いてくることを失念していた。

初めてのブラを、あーでもない、こーでもない、と選んでやって、ついでにお揃いを買おうと考えていたのだが、二人に見つかれば何を言われるか分からない。少なくとも、嬉し恥ずかしの買い物は断念しなければならないだろう。

「勿論!」

二人に断言されて、朱鷺の肩がガックリと落ちた。


駅近くの某衣料スーパー。

年輩の女性と子供の服が豊富な店で、安いのが魅力だ。寮の近くで、ある程度の衣料品が揃うのはこの店しかない。女子校の、しかも寮生活の生徒にとって異性を意識する機会は殆どないので、色・柄・デザインよりも安いことが有難い。寮生はお得意さまだった。

店に入って直ぐに、朱鷺と美枝は思い思いにブラを抱えて真理の前にやってきた。

互いに相手の手を払い退け、我先に自分の持ってきたブラを真理の胸に当てる。その度に、真理は首を横に振った。

「あの、宜しければサイズをお計りしましょうか?」

見かねた店員が口を挟む。

真理は、二人の持ってくるブラが気に染まないので首を振っていたのだが、プロの目からすれば、そもそも二人の選ぶもののサイズが合っていなかったらしい。

「真理、初めてなんだから、しっかり計ってもらった方が良いぞ」

「そうね。何だったら私が計ってあげても…」

二人は口々に賛意を漏らしながら、サイズの数字を聞き逃すまいと真理に寄ってきた。

鷹のような視線が注がれる中、店員がメジャーを胸に当て、

「78のAカップですね」

と、個人情報を意識して真理の耳に囁いた。

「78のAだ!」

「おー! 78のAね!」

この場合、針の落ちる音でさえ聞き逃すような二人ではない。店員の囁きは、二つの拡声器によって店中に轟き渡った。

忽ち、下着売り場からそのサイズのブラジャーが消え、互いに唸り声を上げて牽制しながら、抱えきれないほどのブラを持った二人が真理の前にやってくる。

右に朱鷺、左に美枝。二人は交互に真理の身体を自分に向けて、持ってきたブラを当てる。朱鷺の持ってきた方は布地が少なく色鮮やかで、美枝の方は、色彩は穏やかだがフリル飾りが多い。多分、お揃いにした時の好みの問題なのだろう。

しかし、その何れにも、真理は良い顔をしなかった。

初めてのブラ。しかも自分が望んだことではない。だから、あれこれ持ってこられても、気が進まないのは当然だ。それが本人の好みではなく、二人の嗜好によって押しつけられるのだから尚更だ。

「美枝さん。真理さんは初めてブラを付けるんだから、柔らかいスポーツブラの方が良いんじゃない? 体型も、あまりブラジャーが必要と思えないわよ」

暫く真理の様子を眺めていた薫子が、美枝にアドバイスをする。

傍目で見ていると、特に朱鷺の持ってくる紐のようなブラに抵抗を感じている様子が分かるので、シャツのような柔らかさと弾力のあるものの方を受け入れるだろう思ったのだ。

「そうですね!」

美枝にとっては盲点だった。自分の好みを優先していたために、スポーツブラというジャンルがあることさえ失念していた。朱鷺も同様だったらしく、店の片隅に置かれているそのタイプのブラは手つかずの状態だ。お揃いでそれを付けるのには抵抗があるが、この際、朱鷺に勝つことが重要だった。

「ま、真理。これはどう?」

「…うん。これなら、付けてみても良いかな…」

自信はあったが、朱鷺の前なので、さり気なく真理の胸に当てる。

薫子のアドバイス通り、その生地に触れた真理は、ようやく首を縦に振った。

「美枝―! それは、何処に…」

朱鷺は美枝の持ってきたブラを見て、自分の過失を悟った。同時に、その知恵が美枝のものでないことも看過した。

「薫子だな! 薫子! スポーツブラは何処だ? あたしにも教えろ!」

殆ど雄叫びと言って良いような声を店内に轟かせながら、薫子めがけて一目散にすっ飛んでいく。

「真理。これも、これもよ」

美枝は、その姿を勝ち誇った目で眺めながら、総ざらいしてきたスポーツブラを次々に真理に渡した。

「う、うん。こんなには要らないけど、買うことにするよ」

「真理には、とっても似合うと思うわ。どれが一番気に入ったの?」

「うーん、これかな?」

「じゃあ、それを私とお揃いにしても良いかしら?」

「み、美枝! あ、あたしと同じことを、あたしよりも先に…」

売り場から真理サイズのスポーツブラが消えていることに気付いた朱鷺は、慌てて真理の元に取って返した。そこで交わされていた会話を耳にして、ギリギリと歯噛みする。

「あら、会長。私と真理の買い物は終わりましたよ」

トドメの一言に、ガックリと肩を落として拉がれた。

「…真理。ものは相談だが、そのブラの中で二番目に気に入ったのを教えてくれないか?」


十分後、店を出る真理の手には、三つの黒い買い物袋が提げられていた。

無論、一つは自分で買ったスポーツブラとその他の衣類で、他の二つは美枝と朱鷺のプレゼントであることは言うまでもない。プレゼント内容は、勝ち誇った美枝の顔と、恨みがましく薫子を見つめている朱鷺の顔で分かるだろう。

美枝と恵の手にも、玲奈と薫子からのプレゼントが提げられ、上級生三人の手には、お返しの靴下がぶら下がっていた。

問題は、もう二度とこの店で買い物が出来ないことを店員の顔色が教えてくれたことだ。

(嬉し)抜きの、初めての恥ずかしい買い物だった。


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