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ミーツ・シスター

(3)


夕食の準備の都合上、寮の受付時間は早めに設定されている。真冬の頃より日は延びているが、それでもかなり傾いて、周囲の雑木林をオレンジ色に染めていた。部屋に射し込んでいる夕日にも、直ぐに薄紫のカーテンが下りて灯りが必要になるだろう。

もうすぐ今日の受付は締め切りになる。そんな時間を見計らって、三人は管理室に移動した。勿論、会長直々のお招きを受けていたからだ。

受付の前に人影がなかったので、安心して扉を叩く。

「入って良いぞ、真理」

ノックに応えて、朱鷺の返事が聞こえた。

さっきまでは確かに君が付いていたのに、既に呼び捨てに代わっている。しかもノックだけで誰が来たのか分かったらしい。少し首を傾げつつ、扉を開いた。

「失礼します」

代表で挨拶をした形になった真理に続いて、美枝と恵も頭を下げてから扉を潜る。

「待っていた。こっちにおいで」

管理室は寮の自室と同じくらいの広さだった。しかし事務上の都合からか半分に区切られ、目の前の応接室と受付のある事務室に分かれている。区切りの壁には扉はなく、書類の棚が見えていた。応接室には六人掛けのソファーセットが置かれ、奥のソファーの真ん中に朱鷺が腰を下ろしていた。

「遅かったな。受付が終わるまで待っていてくれたのか?」

そう言いながら、手招きで目の前に三人を座らせた。

「ええ、邪魔にならないように時間を合わせたつもりです」

「そうか、気を遣わせたな。こっちはあの後ヒマで、すっかりお茶っ腹になったよ」

どうやら、かなり暇を持て余して三人を待っていたらしい。ノックして直ぐに真理の名前を呼んだのも、暇人の願望がなせる技だったようだ。

「そんなことを言ってるのは、会長だけです。私の方は受付事務が忙しくて、さっきまで目が回りそうでした」

事務室から顔を覗かせた薫子が、朱鷺に恨みがましい目を向けて話しに加わった。

「事務の方は全く手伝おうとしないで、お茶ばかり飲んでるからお腹が膨れるんです」

「あたしの仕事はもめ事処理だぞ。事務に手を出したら怒るじゃないか」

「怒るのは、いい加減な事務処理をするからです。きちんと手伝ってくれれば、皆、感謝しますよ」

「いい加減な処理をしたつもりはないぞ。処理が上手く出来ないと、正確に言ってくれ」

「ちゃんと説明を聞かないから悪いんですよ。手順通りに処理すれば、誰にだって…」

呆気にとられて二人の会話を聞いていた三人の前に、すっとお茶が差し出される。

「…お茶です」

応接室の隅に給仕場があったのだが、朱鷺たちの方に気を取られて今まで誰も気付いていなかった。お茶を持ってきた少女も影が薄いというか、二人に比べて存在が希薄な感じなので余計に目に入らなかったのだろう。

少し驚かされたが、お茶を入れてくれたことだけでなく、二人の不毛な会話に終止符を打ってくれた行動に感謝して全員が頭を下げた。

「それで、薫子。君の仕事は終わったのか?」

「ええ、お陰様で。つい今し方、今日の分だけは、終わりました」

かなり棘のある言い方だが、薫子の柔らかい表情と態度から悪意は感じられない。要するに、いつもこんな感じで付き合っている、普段の形と言うことか。

二人のオーラの波動を見ると、薫子はほぼ真円に近い球状紋で、朱鷺はかなり珍しい放射線状の形をしている。四方八方に棘が出ていると言えそうだが、さほど刺々しさは感じられない。色の方は、意外なことに薫子が僅かに赤、朱鷺は少し青色を帯びていた。

つまり、本来の性格は薫子が外交型の人格者タイプで、朱鷺は敵を作ることを厭わない策謀家タイプだが、両人とも自分を抑えることが出来そうな波動と言うところか。

対照的だが、それだからこそ互いに補完しあっているのだろう。

「…玲奈がお茶を入れてくれたから一服しよう」

「まだお腹に入るんですか?」

呆れ顔を向けながら、それでも言葉に従って朱鷺の隣に腰を下ろす薫子。手には事務室から持ってきた数枚の書類を持っている。

「ああ、玲奈のお茶は旨いぞ。みんなも手を付けてくれ。それから玲奈、君も一休みしてこっちにおいで」

薫子にお座なりの言葉を返して、朱鷺は三人にお茶を勧めながら玲奈を呼んだ。

ついでに薫子から紹介されたのは、同じ三年生・情報科の宮本玲奈。サーバントはトイプードルのバンチャ。生徒会の会計をしていると言うが、お茶汲みが本職のように見える。小柄で口数が少なく、黙って朱鷺の指示に従っているところなど、最上級生という感じは受けない。並んで腰を下ろしている三人を見れば、本日の業務は終了、お疲れさまという様子だった。

朱鷺は一口お茶を啜り、皆それぞれお茶に口を付けるのを確認してから、おもむろに口を開いた。

「夕食まであまり時間がないから、あたしの用件を済ませておこう」

壁を背に朱鷺たち三人が並んでいる。それに対峙する形で真理たち三人がソファーに腰掛けているところは、面接か、或いは尋問でも始まるのかという切り出しだ。

当然、先程のことがあるから事情聴取だろうと、真理たちはお茶をテーブルに置き、自然と身構えるようにソファーの上で姿勢を正す。

「いや、改まる必要はないよ。あたしの用件は簡単だ。真理に生徒会の役員になって貰いたいと言うお願いだけだ。…どうだ? 引き受けてくれるか?」

唐突、と言えばあまりに唐突過ぎて、何を言われたのかよく分からない。真理は目を見開いて朱鷺の顔を呆然と見つめた。

「そういう顔も、なかなか良いな。うん、年相応だ」

朱鷺は大真面目な顔で真理を見つめ返している。その割に、いささか言葉がおかしい。

朱鷺の顔は全体に大作りで、目も鼻も口も大きい。髪は長いが、キツく後ろで結わえているので顔の輪郭がはっきりと分かる。一言で言えば男顔。

その顔でまともに見つめられると、誰でも照れくさくなるのが当然だ。

「な、何を、言ってるんですか」

真理は顔を赤らめて朱鷺の言葉に反応した。

「照れるなよ。良い顔をしていると褒めているのだ」

「会長、それでは真理さんも返事が出来ませんよ」

尚も真面目くさって真理の顔を評論する朱鷺に、薫子が呆れたように声を掛けた。

その言葉で、真理も最初に言われた生徒会という言葉に意識が戻る。これ以上朱鷺のオモチャにされたくもなかったので、返事ではなく質問を返した。

「あの、まだ入寮したばかりで、何も分からないんですが…。生徒会の役員というのは何をするんですか?」

「ああ、済まない。少し急ぎすぎたようだな。説明するから、先ず話を聞いてくれ」

朱鷺はお茶を少し含んでから、目の前の三人を見渡した。

その様子を見て、長い話しになるのかと、三人もお茶に手を伸ばす。

「生徒会は、各学年三人ずつの九人で構成されている。学園の生徒数は三〇〇人足らずだから、それだけを見れば妥当な人数と言えるだろう。しかし、生徒会の自治は寮にも及んでいるのだ。寮監として、三〇〇人を二十四時間、役員で面倒見なければならないのだよ。それで九人は少ないと思わないかい? 特にこの時期は、我々新三年生と新二年生の六人しかいない。さっきのようにトラブルがあれば仲裁に行かなければならないし、その間、受付はストップだ。猫の手も借りたいというのが実情なのだ」

朱鷺は声を上げて、真っ直ぐに真理を指差した。

ついでにその手をテーブルに伸ばして、一気にお茶を飲み干す。

「真理。君は、あたしの手を煩わせることなくトラブルを収めた。正直なところ、自分を犠牲にするような解決の仕方は褒められたものじゃないんだが、自己犠牲を厭わない心構えは指導的立場のものに必要な資質だ。召喚騒ぎも、どう処理したのかまでは見なかったが、上手く止めたようだな。臨機応変な手際の良さもある。それに、友人からの信頼もありそうだな」

そこで少し話を切って、真理の隣に座っている二人に目を向ける。

慌てて頷く二人を満足そうに眺めてから、更に言葉を続けた。

「そう言うわけで、あたしの見たところ、真理、君は適任なのだ。是非、役員になって貰いたい。どうだ?」

あまりに押しつけがましいというか、あからさまに押しつけようとしているところが、いっそ清々しいくらいの言い方だ。この説明?は朱鷺の愚痴のようなもので、真理が尋ねた役員の仕事という答えには、全くなっていない。

どうだ?と言われても、ただ唖然として返答出来なかった。

「会長。そんな言い方じゃ、役員になってくれる人なんていませんよ」

見かねて薫子が口を挟む。

「そうか?」

「当たり前です。生徒会役員とは、生徒が明るく楽しい学園生活を送るために、学校活動と寮生活の両面から指導・サポートしていく責任のある仕事、くらいの建前が、どうして言えないんですか。人を動かすのに必要なのは意義を教え、責任を与えることです。何でもぶっちゃけて言えば良いというものではありません」

どちらが会長か分からないフォローだった。それでも微妙に朱鷺の言葉を本音と認めているのは、二人が同じ穴のむじなということだろう。

「お茶、入れます?」

「おお、玲奈。有難い。お腹はガポガポだが、すっかり喉が渇いた。頼む」

玲奈が立ち上がって給仕場に向かう。どうやら三人のいつもの役割が見えてきた。

「ねえ、メグちゃん。どう思う? あなたは真理さんが役員に適任だと思わない?」

突然、薫子は恵に意見を求めた。

「え? あ、あたしは、真理なら…」

「美枝君。君はどうだ?」

朱鷺も、薫子の真似をして美枝に振る。

「は、はい。私も、真理が役員になったら、協力します」

その言葉を聞いて、朱鷺の顔に笑みが浮かんだ。

「そう言うことだ、真理。君には協力者がいるじゃないか。それに役員の仕事は大変かも知れないが、それなりに意義もある。君なら、一年生をまとめていけると思うぞ。 いや、まとめるなどと考えなくても良い。一年生の学園生活をサポートするという気持ちで、手伝ってくれないか?」

その笑みを真理に向けて、今度は丁寧に話しかける。

「手伝いくらいなら良いですけど…」

「あまり難しく考える必要はないよ。一年生は補佐的な役割だし、仕事は少なくないがやりながら覚えていけば良い。あたしが責任を持って教えるから、心配はいらない」

朱鷺の責任を持ってと言う言葉は、先程のやり取りを見れば不安があったが、生徒会長からここまで言われて断るのも難しい。

真理は、考えると言うより諦めがつくまでの時間を置き、溜息混じりの声で答えた。

「…何処まで出来るか分かりませんが、僕で宜しければやってみます」

「有り難う。では早速だが、これを受け取ってくれ」

それに対して朱鷺は上機嫌だ。笑顔を大きくして一つ頭を下げると、テーブル越しに真理に小さなものを手渡した。

「これは?」

「襟章だよ。必ず制服の襟に付けること、それが決まりだ」

見れば、朱鷺の襟にも全く同じ襟章が付けられている。幹事の薫子と会計の玲奈の襟にあるものと少し形が違うが、役職で異なっているのだろうか。何れにしても、ここにいる全員が身に着けているので役員章か何かだろうと、深く考えずに受け取ることにした。

「分かりました。入学式から付けて良いんですか?」

「いや、今日からだ。部屋に戻ったら制服に付ける、忘れないようにな」

念を押すところを見ると、大事なものなのだろう。身分証の代わりになるものなのか。そう考えて注意深くポケットの中にしまう。

その真理の様子を見て、朱鷺は満足そうに頷いた。

「これで、あたしと真理は義姉妹だな。宜しく頼むよ」

「はあ?」

役員になることは承知したが、義姉妹と言われる意味が分からない。役員会には、そういう呼び方の習慣でもあるのだろうか。宜しくと言われても返事のしようがなかった。

「真理。その襟章は姉妹章と言われるもので義姉妹の印なのだ。つまり、シスター=イン・ロー。この場合のローは生徒会則だが、学園の規則で定められた正式な義姉妹の証だ。あたしが真理に渡し、真理が受け取ったことで、二人は義姉妹の契りを結んだわけだよ」

――話が違う。

不承不承ながらも承知したのだから、今更、役員になることに文句を言うつもりはないが、義姉妹になるということは別の話だ。

「こ、これ、役員の襟章じゃ、なかったんですか?」

慌ててポケットを探り襟章を取り出した真理を、朱鷺は片手で制して言葉を続ける。

「別に、それは役員だけのものじゃない。三年生は全員が自分の姉妹章を持ってるよ。まだ入寮したてで知らなかっただろうが、学園がミッションスクールだった頃から伝わっている、由緒のあるものだ。当時はキリスト教が異端視されていた時代でね、因習や世間からの白眼視で信仰が揺らぐ者が多かったらしい。それで上級生が下級生を導くために、シスターの契りを結んだのが始まりだ。下級生の弱い信仰心をキリスト教につなぎ止めるためには、司祭の講話や懺悔よりも姉として上級生が話を聞いて励ます方が、個人的に対処しやすかったのだろうね」

「…宗教の話としてなら、分かる気もしますけど」

思いがけず時代がかった話に、真理は戸惑った。

香母さんの家の書庫にシスターのことを書いた小説があった気がするが、確か、その時代背景は昭和初期。自分からすれば想像も出来ない昔のことだ。理解しようにも現実味がない。僅かな知識に照らし合わせても、キリスト教弾圧の歴史くらいしか思い浮かばなかった。

「異端視されるのは宗教だけじゃないさ。召喚能力も、だよ。今でこそレスキューや警察、自衛隊にまでミストレスがいるが、世間であまり能力が認知されていない頃には、それこそいじめの対象になっていたんだ。自分たちと違う者を認めないという狭い了見だな。それで、ミストレスたちの多くが、この学園に逃げてきた。受け入れてくれる方が、ここにおられたからね。しかし、当時は親兄弟でも無理解で、この学園に入っていることを恥じたり、転校させようとする者までいたらしい。中には個人的に悩みを抱えてノイローゼになる者まで出た。それで、嘗てのシスター制度を復活させて、互いに助け合おうとしたわけさ」

「何だか、大時代的な話ですね」

朱鷺の話は、自分の身近なことに置き換わった。

確かに、真理自身ミストレスであるがために、いじめに近い、或いはいじめそのものを経験したこともある。だが、それを宗教弾圧と同列に説明されても、時代錯誤の感は否めなかった。

「迫害の歴史みたいに大袈裟に考えれば大昔のことのように感じるかも知れないが、実際は近頃でも良く聞く話なのだよ。宗教上の理由のこともあり、難民が迫害されたりすることもある。日本でも被災者が避難地で白眼を向けられたりすることがあっただろう? 学校でのいじめなど、社会問題になるほどさ。周囲に理解して貰うことが大事なのは分かるが、取り敢えず自ら身を守るためには、同じ境遇の者同士で協力し合うしかないじゃないか。…幸い、この学園にはミストレスを守ってくれる人がいて、昔からの自衛のための制度があった。今では必要性の薄い制度かも知れないが、それを守って次代に伝えていくのも大事な役目だし、あたしたちの義務だと思う」

聞いてみれば、少しは納得出来た。

特に寮生活を伴う学園の中では、誰か身近に頼れる者がいれば、いじめなどという陰湿な行為から互いを守ることが出来る。そう考えれば、シスター=イン・ローを持つことの意義は、今もあるのかも知れない。この最小単位の自衛の手段を、伝統として残していくのも大切なことだろう。

――だが、それとこれは別だ。

シスターという制度については理解出来たが、役員になることと、朱鷺と義姉妹になることがリンクしているのは、明らかに別の話だった。

「お話は、よく分かりました。でも、どうして僕が会長と義姉妹になるんですか? これは、互いに話し合って決めるべきことだと…」

朱鷺の言葉に一度は頷いたものの、騙し討ちのように襟章を渡されたことには納得出来ない。手にしていた襟章をテーブルの上に置いて抗議した。

「真理。役員会には不文律があるんだ」

朱鷺は真理の言葉を遮って、もう一度口を開いた。長台詞を続けた後なので、明らかに疲れた顔をしていたが、まだ、声には遮るだけの張りがある。

「寮監として生徒の寮生活まで役員が関与しているのだから、覚えるべき仕事は多い。最上級生にとって自分の後釜の育成は大事な仕事なのだ。そのために、最上級生は新役員と義姉妹の契りを結んで丁寧に指導すると決まっているんだよ」

「き、決まってるって、そんな簡単に…」

「あたしが責任を持って教えると言ったはずだが。不服か?」

「いえ、そう言うわけでは…」

正直言えば不服ではあった。朱鷺のことを良く知っているわけではないが、先程からのやり取りの中で、義妹になれば理不尽に扱われそうな予感も覚えている。

しかし、役員になることを承諾した上、面と向かって不服かと問われれば、ハイと答えるわけにはいかない。責任を持って教えるという言葉も、確かに聞いた気がする。姉としてという前提は抜けていたが。

「それなら黙って受け取ってくれ。それも新役員の務めだぞ」

「…分かりました」

言葉では、どうやっても勝てないだろう。朱鷺に目を付けられた時点で、真理の負けは確定していた。ここまでの長い話し合いは、それを確認するためのセレモニーに過ぎなかったらしい。

最後に抵抗を諦めて頭を下げる真理を、口を挟むことさえ出来なかった美枝は、目尻に涙を浮かべて同情の眼差しで見つめていた。恵の方は、ただただ呆気にとられた顔で、項垂れる真理と満足そうな様子の朱鷺を見比べている。薫子は微笑みを浮かべたまま黙って頷き、玲奈は無表情で、

「お茶、入れ直します」

と、席を立った。

「あたしの用事はこれで終わりだが、薫子はどうする?」

予想外に時間を使い過ぎたらしく、朱鷺は薫子を気遣うように目を向ける。

「私の用事は簡単ですから…」

薫子は朱鷺に軽く会釈して、

「もう少しだけ、時間を下さいね」

と、目の前の三人に笑顔を見せ、

「じゃあ、メグちゃん。これ、さっさと終わらせましょう」

と言いながら、事務室から持ってきた寮室変更の書類を、恵の前に並べた。

「ここと、ここに、名前を書いて」

書類の記入場所を指差しながら、テキパキと作業を進めさせていく。

「今度は、ここにスタンプを押してね。新しい部屋番号だから、忘れちゃ駄目よ」

と、恵にスタンプを渡して書類の上に押させた。恵もハイ、ハイと元気良く返事をしながら、薫子の指示通りに書類を仕上げていった。

「じゃあ、これが最後ね」

そう言って、恵に小さなものを渡した。恵も事務の続きと思って簡単に受け取り、それを書類の上にかざしたところで、はたと動きが止まる。

「ふえっ、これ?」

「ふふっ、私の姉妹章よ。メグちゃん、とても良い子だから、義妹にしてあげるわ。勿論、役員も引き受けてくれるわね」

その場で凍り付いたように動きを止めたままの恵に、薫子は優しげな笑顔を向けた。

恵は言葉も返せず、口をアワアワと動かしている。

「お茶、入れました」

そこに玲奈がお茶を運んできて、一人一人の前に湯飲みを置いていく。

何故か、最後に美枝の前にトンと湯飲みを置いて、

「美枝さん。さっき、協力すると言いました」

と、無表情のまま、断定とも確認ともつかない言葉を口にした。

「え、ええ、言いましたけど…」

先程、真理に対して協力すると言ったことは覚えていたので、美枝は口ごもりながらも肯定せざるを得なかった。

「じゃあ、これ」

美枝の返事に対して、玲奈から姉妹章が差し出される。

「協力するなら、役員になった方がいいです。…あたしの、義妹。えへっ」

初めて玲奈の表情が崩れた。小柄な身体に童顔。どちらが義姉か分からないような容姿に似つかわしい、可愛い笑顔だ。

オーラの色はほぼ無色、川の流れのような直線に近い波状紋。内面を見せないゴーイング・マイウエイな性格と言えようか。

管理室の中では、義姉たちと義妹たちが応接用の低いテーブルを挟み、無言でお茶を啜りあっていた。片側は満足した表情で旨そうに喉の渇きを潤している集団で、反対側には精も根も尽き果てて脱力した集団が機械的にお茶を口に運んでいる。

「薫子は上手くやると思っていたが、玲奈の方は少し心配だったよ。何にしても新入生入寮初日の夕食前に役員が決まったんだから、万々歳だな」

本日十何杯目かのお茶を飲み干して、朱鷺が全員の顔を見渡しながら総括らしき感想を口にする。決まったも何も、殆ど詐欺に近いやり方だったが、被害者の会の面々には、もう抗議をする気力もない。

「…では、失礼して宜しいですか?」

「もう少しだけ、待ってくれ」

力無く首を振りながら声を掛けてソファーから腰を浮かした真理を、朱鷺は手を上げて制した。そのまま顔を薫子に向けて指示を出す。

「二年生の奴らを、ミーティングルームに集めてくれ。夕食後にな。新役員を紹介したい。あっ、それから、監事の桐も忘れるなよ。あいつを除け者にすると、後がうるさいからな…」

薫子が頷くのを見て、真理たちの方に向き直る。

「君たちも、夕食後に時間を空けて置いてくれよ。簡単な顔合わせだけだから、私服のままで良いぞ」

「会長。ミーティングルームって何処ですか?」

入寮したばかりの真理には施設の場所が分からない。気が進まないのは確かだったが、初顔合わせに出席しないわけにもいかないので場所を確認する。

「この事務室と同じ一階の奥の部屋だが…、そうだな、君たちは自分の部屋で待っててくれ。あたしたちの部屋は三階だから、下りていくついでに迎えに行ってやる」

朱鷺は口頭で説明し始めたが、面倒になったのか、自分で迎えに行くと言いだした。その目が悪戯を見つけた時のように輝いている。

「…分かりました。お待ちしています」

不吉を感じたものの、迎えを断るわけにも行かない。躊躇いがちに頭を下げた。

そんな分かりやすい義妹の不安表明の態度を無視して、朱鷺は、たった今、真理から会長と呼ばれたことに拘った。

「それからな、真理。役員は全員あたしのことを会長と呼ぶのだが、君はあたしの義妹だ。お姉さまと呼んでくれないか?」

「な、何で…」

「真理、返事は?」

「…分かりました。…………」

「聞こえなかったぞ?」

「………、お姉さま」

「宜しい。何時でも、何処でも、誰の前でも、どんな場合でも、そう呼びなさい」

理不尽な扱いを受けるという予感が正しかったことを本人から完璧に証明されて、真理は見るからにガックリと肩を落とした。


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