ミーツ・ガール2
(2)
召喚能力の発現が確認されたのは、200X年のこと。
日本では同年の6月、林間学校に向かう途中の小学5年生のバスが、豪雨による地崩れのために山中のトンネルで孤立し、携帯の電波も届かない状況下で、外部との連絡のために女子生徒が愛犬を召喚したという事件が、最初の記録である。
この事件がセンセーショナルに報道されるや、日本各地で同様の能力を持つ少女が名乗りを上げ、忽ち数十人の召喚能力者が確認されるに至った。
それまで自分に発現した奇妙な能力に戸惑い、或いは奇異な能力として周囲から隠すように説得された少女たちが、その報道を受けて堰を切ったように自分が抱えていた不安を話し始めたからだろう。
この能力の発現が第二次性徴期の少女に限られ、また召喚動物を従者のように操ることが出来ることが知られてから、召喚能力者はミストレス・召喚動物はサーバントと呼ばれるようになった。
日本の最初の実例を挙げるまでもなく、召喚能力は各方面から注目を集めた。
レスキューの現場だけでなく、治安を担当する国防機関や警備・捜査などを行う警察関係、情報収集活動にあたる公安や外事情報部など、列挙に暇がない。
当初、世間の奇異の視線に晒されたまま主に聖カメリア学園に保護されていたミストレスたちは、召喚者としての自立と社会的な要請のため、専門の教育を受ける必要に迫られた。
201X年、カメリア学園は政府の要請と支援の元、召喚者教育専門学校として再出発することになった。
これには召喚能力の社会的な利用と共に、ミストレスとサーバントの管理という側面があることも否めない。 世界に目を向ければ、テロ事件や反政府活動にミストレスの関わりが指摘されることもあり、彼女たちを把握して管理する責任が求められたからだ。
日本の召喚者教育機関の統計では、202X年までに登録されたミストレスは約2000名、現在も年間およそ100人強の少女に能力の発現が見られる。
また、世界召喚者教育連盟(ワールド・ミストレス・エデュケーション・フェローシップ=WMEF)の統計に、正式に登録された人数は約50,000人。年間2500名ほど増加し続けている。しかし、レアメタルよりも稀少と言われるミストレスを機密扱いにしている国家や未統計の国も多く、現実には、それに倍する人数がいると推定される。
こうした状況の中、WMEFに公式に登録された世界の十二の専門学校の内、互いにカリキュラムを公開し協力関係を結ぶ八校が、共通規格の施設を使って定期的に技術交流を続けている。
聖カメリア学園の実習棟、及びサーバント訓練場にある幾つかの競技施設は、その規格に従って造られたもので、専門課程以外の実習は全てその施設で行われている。
* * *
正門から寮に続く小道があったので、二人は迷うことなく目的地に辿り着いた。
だが、クーのような中・大型犬の場合は寮の部屋で飼うことが出来ない。専用の飼育舎に預ける手続きのため、美枝とは後で会う約束をして寮の手前で分かれた。
入り口を入ると直ぐに、受付を兼ねた管理室があった。
入寮のための書類を提出して、換わりに部屋番号と扉に付けるネームプレートを受け取る。全寮制の学園なので新入生を含めて三百人以上の生徒がここで寝起きすることになっていた。基本的に三人部屋で、部屋数が多いため扉にネームプレートを掲示するのは管理上必要なことのようだ。
建物は四階建てで各階に四十室。一階は主に食堂や管理室・大浴場などの共同施設が占めている。二階以上が寮室で、学年毎に階を割り振られているが、卒業した学年の階に新入生が入るので順並びになっているわけではない。
真理が受け取った部屋番号は225号室だった。
二階の中央階段の近く、管理室から真っ直ぐに行った突き当たりの階段を上って右に五番目の部屋が、これから三年間お世話になる住処だ。
部屋に入ると真っ先に目に入ったのが三台のロフトベッド。左の壁に二台、右の壁に一台設置されていて、それぞれ壁から一メートルほど張り出した仕切で区切られている。ベッドの下には机と椅子、本棚と整理箪笥が組み込まれていた。つまり、この仕切られた空間が相部屋での個人の城と言うことだろう。
部屋の右手前には洗面所、トイレ、シャワー室がユニット形態で納められた小部屋があった。洗面所の脇に洗濯機が置かれているのを見て、これからここで生活する実感が真理の心に改めて湧いて来る。
その他、部屋にあるのはIHクッキングヒーター付きの小さな流しと小型冷蔵庫、四人掛けのテーブル。十六インチほどの古いテレビが隅の方にひっそりと置かれていた。
全体としては二十平米ほどの長方形をしている。正面は薄手のカーテンの向こうにアルミサッシのガラス戸が二枚、その先に幅一・五メートルくらいのベランダがあった。ガラス戸の脇に動物用の小さな扉が付けられているのは、ベランダに置くサーバントのトイレの出入りに使っているものらしい。
簡単に部屋を見回してから、真理は自分のベッドを何処にしようかと迷った。
――先に入った人間が優先権を主張すれば、これから三年間、一緒に暮らす者と気まずくなるかも知れない。ここは全員揃ってからジャンケンでもして決めた方が良いだろうね。
そう思いながら、取り敢えずは部屋の真ん中に置かれた大きめのテーブルに荷物を置いて、モーティの餌と水を用意することにした。
デイパックから小皿を二枚取り出して、片方に保存用パックに詰めてきた餌を入れ、もう一方にペットボトルの水を注ぐ。
現金なもので、今まで首に巻き付いたまま居眠りを決め込んでいたモーティは、皿を取りだした辺りから急にモゾモゾと動き始めた。パックを取り出した時には、既にテーブルの上に下りて準備万端で待ち構え、皿に餌を空けると同時に首を突っ込む。ガツガツとドライフードを歯でくわえながら丸飲みにして、アッという間に綺麗に平らげた。暫く名残惜しそうに皿を舐めた後、水の皿に首を移して飲み始める。
――こいつの食い意地が張っているのは、いつものことだ。
そのいつものことが楽しくて、真理は目を細めて眺めている。
そこに、トントンと控えめに扉がノックされた。
同室者かな?と、当然の答えを頭に浮かべながら、
「はい、どうぞ」
椅子から立ち上がり、声を上げてドアに向かって返事をする。
ドアの向こうで、荷物を落としたようなドスンと言う重い音。何か失礼したのかなと思い、ノブに手を掛けて扉を引くと、
「真理! やっぱり真理ね!」
顔中に喜色満面の表情を浮かべた美枝が立っていた。
今の物音は、手にしていたバッグを落とした音だろう。空いた両手を広げて、そのまま真理に抱きついてくる。
「これは、運命なのね! 真理と私は、結ばれるように生まれてきたんだわ」
「お、おい、美枝。つい今し方会ったばかりじゃないか」
大袈裟な再会に表現に戸惑って、真理は思わず美枝の肩を押さえた。
「私は神様を信じる! 願い通りに新居も用意してくれたわ。キリスト様も、お釈迦様も、アラーの神様も、オールカマーよ!」
美枝は肩に置かれた手をガッシリと掴んで、真理の言葉に耳を貸すことなく熱に冒されたように言葉を続ける。
「楽しい新婚生活にしましょうね」
眼鏡の奥の潤んだ瞳で、しっかりと真理を見つめていた。
「…何を言ってるのか、良く分からないんだけど?」
「これよ! これ!」
コートのポケットから取り出した一枚の白いカード。滝川美枝、と楷書の黒い文字が印刷されている。それを真理の目の前に突き出した。
「ネームプレート? それなら僕も持ってる。これから扉に貼ろうと思っていたところだよ」
そう言いながら、真理もネームプレートを取り出した。
「じゃあ、一緒に貼りましょう! 早く、早く!」
美枝は、真理のネームカードをむしるように取り上げて、扉の視線よりやや高いところに貼り付ける。次に、自分のカードにキスをしてから、その直ぐ下に貼り付けた。確認をするように扉から少し離れて見つめていたが、何を思ったのか、ボストンバッグから赤いマジックペンを取りだして二枚のカードをハートで囲む。
これで良し、と言わんばかりに頷いて、にっこりと笑顔を真理に向けた。
「な、何で、こんな事を?」
真理は暫し呆然の状態で美枝のすることを見ていたが、最後に自分に向けられた笑顔で我に返ったらしく、目を丸くして美枝に問いかけた。
「だから、私と真理は同室なの。受付で二人部屋って聞いたから、ここは紛うことなく私たちの愛の巣だわ!」
「…なるほど。美枝が僕の同室者だったというわけだね。じゃあ、これから宜しく」
やっと腑に落ちたという顔で真理は美枝に右手を差し出した。愛の巣だの、新婚生活だのという不可解な言葉は、耳に入らなかったようにスルーした。
それでも美枝は顔を赤くして、その手を押し抱くように胸の辺りで握りしめる。
「こちらこそ不束者ですが、末永く可愛がってください」
眼鏡の奥の瞳は、相変わらず潤んでいた。
同室であることは理解したが、何故、美枝が舞い上がっているのか真理には分からない。ただ、寮の廊下で譫言めいた言葉とともに手を握られている状況を、立ち止まってじっと見ている寮生がいることには気が付いた。
「ともかく部屋に入らない? 何人かだけど、こっちを見てるみたいだから…」
その言葉に促されて、美枝は今まで真理しか入っていなかった視線を周囲に向ける。慌てて顔を背ける生徒が数人。見ていましたと白状するような態度だ。
忽ち顔を蒼白にして立ち竦む美枝。
「あぅ、ご、ごめんなさい!」
真理に視線を戻すと口をパクパクと開閉し、これまでの数倍も赤い顔になって、膝に額をぶつけるほど何度も頭を下げた。
「良いよ、気にしてないから。…荷物はこれだけ?」
そう言って、真理は置いたままのボストンバックを持ち上げ、部屋に入っていく。その後ろを、怖ず怖ずといった様子で、美枝は付いていった。
モーティが餌を食べていたテーブルの脇にバッグを置いて、真理は美枝の方に向き直る。
「それでベッドなんだけど、どれを使う?」
美枝の視線を操るように三台のベッドを順に指差した。
「あ、そ、その、…怒ってない?」
美枝はその指先を追ってベッドの位置を目に入れたようだが、最後に視線が上目遣いになって真理の顔に固定される。
「私、妄想が暴走して…、こういうこと、あまり無いんだけど、でも、たまに……」
「あっ、気にしてたの? 大丈夫だよ。僕は鈍いって、よく言われる」
「そ、それはそれで、微妙というか…」
それでも真理が怒っていないことが理解出来たらしく、安心したように笑顔を向けた。
「真理は、どのベッドを使うつもり?」
「同室者が来たら、話し合って決めようと思っていたんだ」
「…そうねえ、左の窓際のベッドを使ったら? 猫のトイレの出入り口に近いから、モーティにも丁度良いと思うわ」
美枝は部屋を見渡した後、ベランダに続く小扉を見つけて提案した。真理にとっても有難いことなので、直ぐに頷く。
「そうだね。美枝が譲ってくれるなら、そこを使わせて貰うよ」
「うん。じゃあ、私は真理の隣のベッドにするわ」
「え?」
少し意外な選択だった。部屋を広々と使うなら、反対の右側のベッドを選ぶだろうと思っていたからだ。
「だって、ベッドの中でも話したり出来るじゃない。ほら…」
そう言いながら指差したのはベッドの間仕切り。空調の関係からか、ベッドの直ぐ上で切れていた。
「夜、起き出して話しをするのも、何だか、かしこまった感じがするでしょう? 雑談したり、色々と相談に乗って貰ったりするのに、ベッドの中で気楽に出来た方が良いと思うの。ベッドの方が、その、睦言も、雰囲気が出るし…」
言われてみれば、体裁ぶって互いに距離を置くよりも、その方が良いかも知れない。最後の台詞は妄想の名残と聞き流して、真理は美枝の提案に頷いた。
「モーティ、おいで」
食欲を満たし水も飲んで、すっかりテーブルの上でくつろいでたモーティを自分のベッドに呼ぶ。ロフトは見た目よりも高く、天井との間も少し狭い気がしたが、飛び起きて頭をぶつけるほどでもない。壁に背を凭れて足を組み、太股の上でモーティを遊ばせるには不便のない高さだ
暫く顎をくすぐったり耳の後ろを掻いてやったりしていると、美枝が隣のベッドから身を乗り出して覗き込んできた。
「はあ、膝枕。…良いわね、モーティ」
顔を向けると、何故か自分の胸を抱いてハアハアしている美枝と目が合う。
「美枝。モーティも落ち着いたようだから、今の内に荷物を取りに行こうか」
このままでいてはいけないような、背筋に冷たいものを感じて直ぐに声を掛けた。
「え、ええ、そうね。さっさと片付けましょう」
美枝は、やや慌て気味に返事を返す。妄想の暴走は、かなり頻度が高そうだ。
急いでベッドを下り、出しっ放しにしていた皿を洗って机の上に置く。
「じゃあ、お留守番だよ」
真理は、ベッドの上で丸くなっているモーティに声を掛けて部屋を出ようとした。
デイパックで背負ってきたのは一、二日程度の着替えと身のまわりの小物。後はモーティの餌くらいのもので、寮生活に必要な荷物は予め宅配便にして送りつけている。全ての荷物を持ったまま入寮するのは家族などに送ってもらう生徒くらいだから、美枝も同様に宅配便を利用していた。
送った時の伝票控えを手に、指定された荷物の預かり所に急ごうとしたのだが、部屋を出た途端に足止めを受けた。
さっき上がってきた中央階段の手前の部屋の扉が勢いよく開き、女子生徒が一人飛び出してきて脇目も振らずに階段を駆け下りていった。明け放れた扉の中では、ドタンバタンと何かが暴れているような音が聞こえる。
「な、何だろうね?」
真理は美枝と顔を合わせて首を傾げると、部屋の中を覗こうとして扉に近づいた。
「おっと!」
その足下をかすめて小さな影が部屋から飛び出し、真理を回り込んで後ろにいた美枝の足先に隠れるように身を寄せた。
白い柔らかそうな毛足の小型犬。耳が大きく、頭の上で蝶のように広がっているところを見るとパピヨンだろうか。耳だけ黒いのが特徴的だ。
それを追ってもう一つの影が飛び出し、曲がりきれずに廊下の壁に激突した。ドカンと廊下中に響く大きな音を立てたが、その衝撃も意に介さず、先に飛び出てきた犬の姿を追ってキョロキョロと左右を見回している。
こちらは胴長・短足が特徴のウェルシュ・コーギー。小型犬だが、パピヨンに比べると倍ほどの大きさがある。短めの茶色と黒の毛に包まれた身体は、意外に筋肉質だ。
美枝の足下に相手の姿を見つけると、他のものは目に入らない様子で突進してきた。
「ま、真理―!」
悲鳴を上げる美枝を抱き寄せて回避。軽く抱えたつもりだったが、美枝はしっかりと抱きついてきた。
その間にパピヨンは美枝の足下から離れ、真理の後ろに隠れる。
コーギーはまたもや相手を見失い、そのまま廊下を駆け過ぎて前方に一回転して止まった。勢いはものすごいが、細かい動作が苦手のようだ。
その隙に、パピヨンは脱兎の如く廊下を駆けだした。ピョコピョコとお尻を跳ね上げるような足取りが、本物のウサギにも見える。
それを追っていくコーギー。短い足を回転させて廊下を駆ける様は、草原を這うようにウサギを穴から追い出していく猟犬の姿だ。
陶然としている(らしい)美枝を振りほどきながら二頭の行く先を見れば、突き当たりの壁。三百人以上収容の巨大な寮ではあるが、サーバントの追いかけっこには少々狭い。止まりきれなかったパピヨンと壁があることを考えなかったコーギーは、一丸となって壁に突っ込んだ。
ドンという衝撃音と共に、パラパラ降り注ぐ粉のようなもの。
天井の埃か、壁の漆喰の欠片か…。
「…召喚獣よね?」
「そうだね」
「大丈夫かしら?」
「多分。召喚中のサーバントはオーラシールドで守られているから、無事だと思うよ」
「オーラシールド?」
「うん。僕も香母さんから教わっただけだから良くは知らないけど、召喚状態のサーバントの身体はオーラボゾンって言う素粒子に包まれていて、その粒子が衝撃を無効にするらしいよ。それがオーラシールド」
一段落付いたと思った二人は、のんびり語らいながら様子を見ようと廊下を歩き始めたのだが、未だ戦いは終わっていなかった。
ムックリと起きあがり、塵を払うように小刻みに身体を震わせる二頭。互いを視界に捉えると、一足跳び下がってから第二戦のスタートを切った。
相変わらず突撃するコーギーに、今度はパピヨンも応戦する。
二頭は何度も交戦しながら、あっと言う間に真理たちの方に戻ってきた。
「美枝、ここは危険みたいだから僕に付いてきて」
そう言うと、真理はサーバントが飛び出してきた部屋にずかずかと入っていった。
部屋の中は、中央のテーブルが吹っ飛び、ロフトベッドの下の椅子や本棚がなぎ倒されていて、パピヨンとコーギーに荒らされたことが一目で分かる。
奥の両隅に、小柄な少女と中背の痩せた少女が互いに睨み合っていた。
両人とも、やや前屈みの姿勢で立っているが、視線は合っていない。何処か遠くを見るような焦点の合わない瞳を目の中だけで動かしている。彫像を思わせる立ち姿だが、時折ピクリと身体を動かしては元に戻ることを繰り返していた。
「…やっぱりね」
真理は、溜息とともに一言呟くと、両手を大きく広げた。
「パ―――ン!」
部屋中に響く大音量で、両手を打ち鳴らす。
音とともに、呪縛から放たれたように奥の二人がその場に崩れ落ちた。
「真理! 驚かさないで! 鼓膜が破けたかと思ったわよ」
「あっ、ごめん。美枝にまで気が回らなかった」
「もう! 付いて来いって言ったでしょ」
真理が振り向くと、両耳を手の平で塞いだ美枝が口を尖らしていた。慌てて謝ったが、謝り方が気に入らなかったらしい。
「…こっちの方が危険だったじゃない」
「悪かった。でも、急いでたんだ。召喚を解除しようと思ってね。放っておいたら寮の壁に穴が空きそうだったから」
後ろを付いてきた美枝には、睨み合う形で立っていた二人の姿は目に入らなかったようだ。真理の身体を避けるように身を捩って奥を覗き、やっと納得したという顔で頷いた。
「強制解除なんて出来るんだ。危なくないの?」
「サーバントと完全に同期出来ていない時は、ミストレス自身への衝撃で召喚を解除出来る。この場合は、危険はないよ。同期している時は、先にサーバントの方を止めないと、制御不能状態を起こすことがあるから危険だけどね」
事も無げに言った真理の言葉に、美枝は目を見張る。
「へえ、難しいことを良く知ってるわね。で、でも、同期?出来ていないなんてことまで、見ただけで分かるの?」
「目の動きとか、身体の動きを見れば直ぐ分かるよ。自分の身体が動いてしまうのは、感覚がサーバントに移行しきれていない証拠だから」
「凄いわ、真理。…でも、次からは手を叩く前に教えてよね」
そう言いながら、美枝は真理の手を取って自分の胸に押し当てた。真理を見つめる眼鏡の奥の黒い瞳も、こころなしか潤んでいる。顔が上気したように赤く染まった。
「そ、そうだ。二人を起こさないと。美枝、右の人をお願い…」
真理は、慌て気味に美枝に声を掛けて、左側の小柄な少女の方に向かった。例の暴走の気配から逃げるように。
「分かったわよ! せっかく良いところだったのに…」
暴走の気配は、妄想の八つ当たりに変わったようだ。ブツブツとこぼしながらも、美枝も痩せた少女を起こしに掛かった。
強制解除の軽い気絶状態から醒めた二人は、仲裁に入った真理たちを置き去りにして口喧嘩を再開した。同じく召喚解除された二頭の犬は、廊下から戻ってきてそれぞれの主人の周りをウロウロしている。
「だから、アゲハの所為じゃないって言ってるでしょ。オモチャを出しっ放しにする方がいけないんだから」
「あなたの犬がソラのものを勝手に取り上げたから、ソラが怒ったのよ。あなたが謝るべきでしょう」
「何でよ。勝手に荷物を広げて片付けないから、アゲハが遊んだだけだもん。あんただけの部屋じゃないんだからね」
聞いてみれば、サーバントまで持ち出した喧嘩の原因は、他愛のないものだった。
どうやらオモチャの取り合いで愛犬同士が喧嘩をしていたらしい。その犬の喧嘩が飼い主たちに移って、召喚騒ぎになったと言うところだ。
「まあ、少し落ち着いて。事情は大体分かったから」
と、真理は両手を分けるような身振りで二人をなだめた。
見れば、二人のオーラは双方ともかなり赤みを帯びている。
尤も、それがオーラだと言うことは香母さんから聞いて初めて知ったのだが…。
初めて召喚能力を発現した時の特殊な経緯から、真理は自分とモーティを包むものを視覚として感知することが出来た。初対面の人の顔をキツい視線でじっと見つめてしまうのも、それを見る仕草が癖になったものだ。
見えてしまうものの興味から面白半分に文献を漁って得た知識と、少ない経験の中からではあるが、色彩の青は内向的で思考型の性格、赤は外向的で感情型の性格が多く、波動の形では波や円を描くようなものは穏やかで、角や棘のある形は激しい性格を示すことが多いと感じていた。
この二人のオーラは赤いだけでなく、形は違うが波動にも角があった。
つまり、互いに激しい感情をぶつけ合ってしまうと思われるので、ここでなだめすかしても、これから先、また同じような騒動を起こす可能性が高いと考えられる。
そこで、
「良かったら、僕と部屋を…」
と口に出した。
いや、本来なら「…換わりますか?」と続けるつもりで口を開いたのだが、それを察した美枝が必死の形相で真理の腕を押さえ、続きを上せるのを止めた。
「あ、あの、私たちのところは二人部屋だから…」
止めた代わりに、別の提案を口にする。
「ああ、そうだね。…良かったら、どちらか僕たちの部屋に移って来ませんか?」
真理は美枝に目を向けて頷いた後、二人に向かって提案をし直した。
「はい! メグ、そっちに行く!」
小柄な少女の方が、真っ先に勢いよく手を挙げた。メグというのは自分の名前だろう。ニコニコと、顔面一杯に笑みを貼り付けて、真理と美枝の顔を見上げている。
「じゃあ、そういうことにしましょう」
美枝は、一つ大きな溜息を吐いてから結論を口にした。
溜息に振り向いて、真理は詫びを入れる。
「ごめん、勝手なことを言って。放っておけなかったから…」
「良いのよ。真理が別の部屋に引っ越しちゃうより、何百倍もマシだわ」
二人の会話を聞いて、ニコニコだったメグの顔が曇った。
「…メグ、邪魔だった?」
「あ、ごめんなさい。邪魔にしたわけじゃないの。妄想を振り払ってただけ…」
美枝のオーラは、やや青み掛かっている。波状は波形。つまり、落ち着いて理性的に行動するタイプだが、真理の目には時々別の輝きが見えていた。それがどういう意味を持つのか短い経験では分からなかったが、この時、その輝きはすっと消えた。
取り繕ったわけでない穏やかな微笑みを、美枝はメグに向ける。
「ごめん、気にしないでね。…僕のところには猫がいるけど、あまり他の動物に関心を持つタイプじゃないから、上手くやっていけると思うよ。宜しくね」
真理も、美枝の言葉に被せるように声を掛けた。
その言葉で安心したのか、もう一度笑顔を取り戻し、
「こちらこそ、宜しくお願いします!」
と、元気な声を出して頭を下げた。ポニーテールがぴょっこり跳ね上がる。
「上手くまとまったようだな」
何時の間に来ていたのか、扉の後ろに大柄な生徒が腕を組んで立っていた。
隣には、太っているというわけではないが、ふくよかな感じを受ける生徒。
両人とも制服を着用しているので、ここの生徒であることが分かったが、その態度から上級生だろうと思われる。
ふくよかな雰囲気の生徒の方に、真理は見覚えがあった。入寮の時に管理室で受付をしてくれた人だ。と言うことは、二人は寮の管理をしているのだろうか。
「お騒がせして、済みません」
そう思いついて、真理は全員を代表する形で頭を下げる。
「いや、この寮は生徒の自治で管理をしている。あたしたちの手を煩わせずに新入生だけで決着が付いたのなら、重畳と言うものだ」
大柄な生徒が、真理に目を向けて満足そうに頷いた。
「あたしは、生徒会長の相沢朱鷺。三年・戦術科に籍を置いている。君たちの名前を聞かせて貰えないか?」
「僕は、225号室の高遠真理です」
「私は、滝川美枝。真理と相部屋です」
「あ、あたしは、須永恵。えーと、真理さんたちの部屋に誘って貰いました」
「わたしは、この部屋の新藤英子です」
朱鷺の視線に促されて、順に自己紹介をしていく。
「じゃあ、221号室の恵さんが、225号室に移ると言うことで良いのかしら?」
それまで黙っていた、朱鷺の片割れの生徒が口を挟んだ。
「あ、ごめんなさい。私は庄野薫子。生徒会の幹事をしているわ」
全員の視線が向けられたので、ついでににっこりと微笑んで自己紹介を済ませる。
「はい! メグが移ることにしました!」
相変わらず元気な声で、恵が薫子に返事をした。
「あの、勝手に部屋を変えることに決めてしまって、良かったんでしょうか?」
美枝が、少し疑問に思っていたことを口にする。
入寮の際に提出した書類には、その場で部屋番号のスタンプが押された。学園からの通知や手紙なども、書類に従って届けられるはずだ。
「ふん、書類を書き換えれば済むことだ。これから管理室に戻って君たちにやって貰うことになるがな。…建前を言えば、勝手に部屋を変えてしまうのは良いことではない。寮生活も教育の一環だから、協調性を学ぶという意味で、多少のトラブルは部屋の中で話し合って解決すべきものだろう。しかし、あたしは君たちの出した結論に反対しないよ。建前では感情は解きほぐれないからな。部屋の中だけで話し合っては、トラブルが大きくなる可能性の方が高い。それを自発的に解決してくれたんだから、大いに評価するよ」
美枝の疑問に答えながら、朱鷺の視線は真理に向けられていた。
何時この場にやって来て、何処まで話し合いを聞いていたのか、仲裁に頭を悩ませていた当事者たちは気付かなかったが、かなり初めの方から成り行きを見守っていたようだ。
会長と幹事が揃っているところを見ると、先程飛び出していった少女が管理人室に助けを求めに行ったのだろうが、そこで事情を聴取したとしても、仲裁の中心が真理だと言うことは分からないはずだ。
興味深げな視線を真理に送っているのは、殆ど全てを見ていたからだろう。
「真理、君。後で管理室に来てくれないか? 少し話しがしたい」
「メグちゃん、あなたも一緒に来てね。書類を書いて貰うから」
二人から、相次いで誘いが掛けられた。
「わ、私も行って良いですか? 付き添いで…」
恵の方は事務的な手続きだろうが、真理への誘いは事情聴取だろう。そう考えて美枝は思わず言葉を挟む。
「勿論、構わない。お茶くらいはご馳走するよ」
「有り難うございます。部屋を片付けてからで、宜しいですか?」
「ああ、まだ暫くは入寮者が受付に来るだろうから、それで良い。じゃあ、後でな」
真理のお礼と確認の言葉に返事をして、朱鷺は薫子を目で促して皆に背を向けた。そのまま、勢いよく階段を駆け下りていく。
「待ってるわよ」
薫子も、最後にウインクを残して後に続いた。ふんわりとした感じの動きだが、階段を下りるスピードは朱鷺に負けず劣らずだ。
二人が急いで戻ったのは、本来の仕事を思い出したためだろう。受付に入寮者が溜まっていたのでは手続きの業務に差し障る。
この場が上手く収まったのを全員が感じ取って、誰からともなく大きな溜息が漏れた。和やかなムードを、軽い笑いが包む。
「じゃあ、メグ、荷物を持ってくる!」
「部屋の片付けもあるでしょう? 手伝うよ」
恵は、皆の気が変わらない内にと思ったのか、急いで部屋に戻った。
声を掛けて後に続こうとした真理を、221号室に残った英子が呼び止める。
「あ、あの、どうも有り難うございました」
少し上気したような顔で、じっと真理を見つめていた。
「いえ、僕の方こそ、勝手に出しゃばって申し訳ありません」
「そ、そんな。全部あなたにお世話になって、感謝してます。それで、もし良かったら、ですけど…、わたしとも、お友達になって下さいませんか?」
見つめていた目を何度も瞬かせ、それでも最後は思い切ったように言い切った。
「ええ、僕もみんなと仲良くしたいと思っています。宜しく」
そう言って、真理は右手を差し出す。
その手をぎゅっと両手で握りしめ、英子はますます顔を赤くして頷いた。
「わたしも、あなたと同室になりたかった。ううん、もう無理は言いませんが…」
両手を放さず、もう一度真理の顔を見つめる英子。真理の顔に戸惑いの色が浮かぶのを見て、首を左右に振りながら力無く言葉を続ける。
「部屋に遊びに行っても、良いですか?」
「良いですよ。でも、ワンちゃんは置いてきた方が良いかも知れないね」
真理の言葉と笑顔で、英子の顔にも微笑みが浮かぶ。同時に、握りしめていた手に気付いたらしく、パッと手を放して何度も頭を下げた。
その様子を、美枝は苦々しげな表情で見つめていた。
221号室の片づけを終えて、恵の荷物を運び出す。自室に戻り右側のベッドを使うように言い置いて、二人はもう一度部屋を出た。使用するベッドについては恵も納得してくれたので、これ以上の心配はない。そのはずだったが美枝は浮かない顔をしていた。
「…真理。あなたが優しいのはよく分かったけど、ううん、別に苦情を言うとかじゃないんだけどね、もう少し相手を見た方が良いんじゃないかと思って…」
「どういうこと?」
「…うん。英子さん、あの娘は少し危険な気がする」
「何故?」
「女の直感、かな? 思い込みが強い目をしてたわ。トラブルを呼び込みそうよ」
思い込みが強そうなのは美枝も同じだったが、確かにオーラの色からすれば英子の方は感情に流されやすそうだ。美枝は、例の病気が出なければ理性で押さえられるだろう。
「心配ない、と思うよ。悪い娘ではなさそうだったし、何かあっても早めに止めれば、聞き分けてくれるんじゃないかな」
真理がそんなことを口に出来たのは実際にオーラを見ているからだが、それを感知することが出来ない美枝には分からない。真理もそこまで説明するつもりはなかった。
「…あなたがそう言うなら良いけど、気をつけてね」
美枝は拗ねたような上目遣いで、少し口を尖らせながら返事を返す。
「さっさと荷物を運んで片付けよう。会長さんたちが待ってるからね」
あまり愉快になりそうもない話題を終わらせて、次の作業に気持ちを向かわせるために、真理は美枝の手を引いて先を急ぐ。それは意図した以上の効果になった。忽ち美枝の顔に笑みが溢れ、「きゃあ、痛いわ」などと嬌声を上げながら、嬉しそうに付いてくる。
預かり所に届いていたのは、真理の大きなキャリーバッグと美枝の二つのボストンバッグ。ある程度のものは寮の周辺で買い揃えるにしても、生活をしていく以上、荷物が多いのは仕方がない。
真理は自分のバッグを引きながら、美枝のボストンも持ってあげようと手を伸ばした。流石にそこまで甘えるわけにはいかないと遠慮をしたが、ボストン二つは手に余る。そこで、二つ目のバッグの取っ手を二人で持つことに妥協したのだが、美枝の顔はますます緩み、部屋に戻った時には上機嫌を通り越してハイテンションになっていた。
「モーティ、ただいまー」
これは真理ではなく美枝の挨拶。おまけに妙な節まで付いている。モーティはベッドの上で煩そうに顔を上げただけで、直ぐに興味を失って居眠りを決め込んだ。
「恵さん、待たせたね」
真理は、大方の片付けを終えてパピヨンを膝の上に載せている恵に声を掛けた。
「お帰りー! わあ、荷物、沢山あったんだ。メグも手伝えば良かったね!」
恵は犬を床に下ろしながら二人の傍に近寄る。さっきのお礼というわけでもないだろうが、美枝のボストンを手に取って、ベッドまで運ぶのを手伝った。
それから暫くは荷物の整理。
美枝が真理の方をチラ見しているのは、既にお約束と言えるだろう。特に衣服の整理の際には明らかに手元を覗き込んでいたが、気にしないことにした。
殆どの荷物が箪笥や棚に片付いたところでテーブルに集まり、
「じゃあ、改めて…、僕は高遠真理。こいつはモーティ。これから三年間、宜しく」
と、真理が口火を切って挨拶を交わす。モーティを抱き上げて改めて紹介した。
「私は滝川美枝。飼育舎にいるラブラドールのクーと共に、宜しくお願いします」
美枝が、真理に続いた。
「メグは、須永恵。あっ、メグって呼んで下さい。この子はアゲハ。やんちゃだけど煩く吠えたりしないから、可愛がって下さい。あと、本当に有り難うございました。これからずーっと、宜しくお願いします!」
恵は、さっきのお礼を言ってなかったことに気付いて付け加えた。意外にきちんと挨拶出来るようだ。言葉が硬いのは、正式なルームメイトの初顔合わせで緊張のためだったのだろう。
「じゃあ、僕のことも真理で良いよ」
「私も美枝で良いわ、メグ」
二人も、それぞれ友人としての呼び名を示して、ルームメイトの結束を確かにした。
「アゲハは、パピヨンだね」
「うん。耳が黒くて黒アゲハみたいだから、アゲハって名前にしたの。モーティもモヘアの毛糸玉みたいだからでしょ?」
アゲハの耳を見て、真理が思った通りの答えが帰ってきたのだが、ついでに自分のネーミング理由を当てられるとは思わなかった。それに返す言葉もない。真理は思わず額に手を当てた。
「私のクーも黒いからだし、三人ともネーミングセンスは互角と言うことね」
美枝の自虐的な取りなしで、この場は笑いに包まれた。
――上手くやっていけそうだ。
誰も口には出さなかったが、三人の胸中に同じ感想が湧いたようだ。