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序 ミーツ・ガール

(序)


 都心から私鉄で一時間足らずというのに、辺りには雑木の生い茂った丘陵が広がっていた。狭間の小川に沿って敷かれた単線のレールを囲むように、建売住宅の町並みが薄っぺらに続いている。線路の先を見れば冬枯れの木立の隙間から、刈り揃えられた芝と生えかけたヨモギの若葉で薄緑に染め上げられた人造湖の堰堤が顔を覗かせていた。

 いつの間にか電車は本線から別れ、通勤通学以外に行楽を目的にした短い支線に乗り入れていたらしい。終着駅には、湖畔にある少し寂れた遊園地の名前が付けられていた。

 その終着駅の一つ手前。

 車内アナウンスに促されて電車を降りると、目の前には線路の間を裂くように作られたプラットホームと、改札口に続くしか用途のない急勾配の跨線橋だけしかない。

 十五・六歳の年格好の少女たちが十数人、それぞれボストンバッグやキャリーバッグを引いてホームに降り立ち、皆一様に途方に暮れた顔で階段を見上げている。動物用のキャリーケースを持っている者も多く、自分の荷物の量と急な階段の上り下りを考えて、内心で溜息をついているのがあからさまに見て取れた。

 その間を縫うように避けながら、薄い唇を結び、黒目がちの瞳を上に向け、色白の顔を紅潮させて脇目も振らずに勢いよく上っていく少女。

 背中に大きめの青いデイパックを背負い、手には同じく青のプラスチックのキャリーケースを提げている。栗色のサラサラのショートヘアとグレーの薄いブルゾン、着ざらしのブルージーンズ、そして気難しげに人を避けて早足で歩く動作が、少女に少年のような印象を与えていた。

 他の乗客に先駆けて改札を潜り、駅前の小さな広場の案内看板の前で立ち止まると、その手前に据えられたベンチにキャリーケースを置いて蓋を開ける。

 入っていたのは濃いグレーの長毛種の猫。

 体格は大きく、フサフサの尻尾が胴体の続きのように太い。

 大きな金色の瞳がケースを覗き込んでいる少女を見つけると、弾かれるように外に飛び出て、忽ちその背中に駆け上る。ゴロゴロと辺りにも聞こえるほどの甘え声を出し、少女の首に巻き付くように身体を寄せて頬に顔を擦りつけた。

 フワフワの毛が心地良いのかくすぐったいのか、猫の頭を撫でながら少女は初めて柔らかい笑顔を見せた。早くケースから猫を出したくて急いでいたのだろう。撫でている彼女の表情は、優しげな少女の顔を取り戻していた。

 頭から背中、お腹の辺りまで一通り撫で回して満足したらしく、少女は視線を看板に向けた。ケースから猫を出すのが一番の目的のようだったが、看板で行く先の道を確認するのも目的の一つだったらしい。

(カメリア学園の寮は……)

 現在地を確認し、学園の場所を目で追っていく。

「あなたも新入生ですか?」

 そこに、背後から遠慮がちな声が掛けられた。

 今の電車から降りたらしい少女が、背中越しに看板を覗き込んでいる。

 黒の膝丈のスカートと短めのキャメル色のコートという出で立ち。眉の上で綺麗に切り揃えられた黒髪の下にブラウン縁の眼鏡が収まっていた。

「あ、はい。そうですけど…」

「寮の場所、分かりますか?」

「ええ、学園の敷地内、右手にあるようですね。この坂を真っ直ぐに上がった突き当たりが正門ですから、中に入って右に行けば…」

 駅前の案内看板にしては、学園内部の建物の名称まで詳しく書かれている。尤も、この辺りで案内を必要とする場所はカメリア学園くらいだから、そこそこ細かく記さなければ看板の意味をなさないのだろう。

 少女は背を向けたまま、声をかけてきた相手に地図を指し示して説明していたのだが、

「あの、良かったら一緒に行きませんか?」

 と、途中で遮られる。

「ああ、その方が早いですね。僕で良かったら…」

 これから寮に向かうところだったから、確かに口で説明するより早いし合理的だ。あなたも新入生?と尋ねてきたと言うことは、これから同じ学園に通う同窓生だろう。拒否するどころか仲良くするべき相手であると瞬時に理解して、振り返りながら返事をする。

 瞬間、声を掛けた方の少女の目が大きく開かれた。慌てて少しずり落ちた眼鏡を直すような仕草で顔を伏せ、怖ず怖ずと上目使いに口を開く。

「え、ええ、宜しくお願いします…」

 少女の声には、かなり戸惑いが含まれていた。それが続く問い掛けにも表れる。

「…新入生の方、ですよね?」

「はい、僕は高遠真理。聖カメリア学園の一年、になる予定です」

 真理は、相手の訝しがるような眼差しに自己紹介がまだだったなと思い返して名乗ってみたが、新入生の立場は表現が難しい。まだ身分証を貰っていないことを思い出して、予定、と付け加えた。それにしても、相手の少女は自己紹介を強要するようなタイプには見えなかったのだが、何か言い足りないことがあったのだろうかと首を傾げる。

「ご、ごめんなさい! 私、滝川美枝と申します。今日から寮に入ることになっていて、あ、勿論、女子寮の方ですけど…」

「…カメリア学園は女子校と聞いていますよ? 女子寮しかないと思いますが」

「えっ?」

 美枝は硬直したように真理を見つめたまま、眼鏡の奥でもう一度目を見開いた。

 声を掛けた相手に気を遣わせ、先に自己紹介させただけで慌てていたのだが、更にその返事が混乱に拍車を掛けたらしい。

「……同じ寮ですね」

 真理は溜息をついて、え?という一言の疑問に答える。

 その言葉に、美枝のフリーズしていた頭が猛回転を始めた。

「済みません! わ、私、勘違いして、その…」

 頭は回転を始めたが、口の方が上手く付いて行かなかったらしい。言い訳をするにしても、あまりに失礼な勘違いだから、何と言って謝ったら良いか言葉が出てこない。代わりに勢い良く何度も頭を下げることにした。

「良いですよ。よく間違われますから…」

 真理は片手を上げて押しとどめ、軽く頭を左右に振りながら口を開いた。

 スカートが好きでないからジーンズを愛用しているし、髪が首や肩にコソコソと触れるのが嫌だからショートカットにしている。おまけに知らない人と会話する時に相手の容姿をじっと観察する癖があるので、目つきがキツくなって男子と間違われることも多い。

 かなり控えめな胸のことは、この際棚上げする。学園の入学案内が届いた時に、香母さんから『あら?あなた女の子だったのね』と真顔で言われたことも。

 真理の台詞には、ハッキリと諦観が滲んでいた。

「そ、そんな、そんなこと…。あ、あなた、とても素敵だと思います!」

 美枝は、真理の醒めた低い声に過剰反応して、更に思い付きを口走る。

 真理には、何故相手がそんなことを言い出したのか全く理解出来なかった。面と向かって素敵と言われたのは初めてだったが、取り繕うように言われてもあまり嬉しくはない。

 この話題から遠ざかろうと意識したわけでもないが、頭を下げるのを止めようと上げた右手の収まりがつかなかったので、首にまとわりついたままの猫の喉を指先で軽く撫でた。暫く放って置かれたのを抗議するように、猫は再びゴロゴロと大きく喉を鳴らした。

 その真理の仕草と猫の喉鳴りが、のぼせ上がった美枝の頭を冷やしたらしい。

「あら、マフラーみたいに暖かそうな猫。あなたの召喚獣サーバント?」

「ええ。こいつはモーティ。家に来た時、モヘアの毛糸玉みたいな子猫だったから…」

 そう言いながら真理が頭を軽く突っつくと、その指に頬ずりをする。

「こんなところで外に出しても大丈夫なんだ。逃げたりしないのね」

 落ち着きを取り戻した美枝の言葉は、自然に友人口調になっていた。対して真理も、くだけた口調で応対する。

「小心者だから、家の外では滅多に僕の首から離れない。図体は大きいけどね」

「へえ、私も連れてくれば良かった。…触っても良い?」

 美枝は、返事を待たずにモーティの顎の下に手を伸ばした。

 モーティは一瞬ビクッと体を震わせ、素早く真理に目を走らせたが、飼い主が穏やかに微笑んでいるのを見て、安心したように美枝の手に顎を預ける。指先で撫でられると、目を細めて喉を鳴らした。

「うわー、猫の毛って、思った以上に柔らかいのね。いいなあ。私のクーなんか、見た目はツヤツヤだけど触るとザラザラだから、頭を擦りつけられると痛いくらい。襟巻きにしたくても重くて無理だけど…」

「犬?」

「ええ、黒のラブラドール・レトリバー。黒いからクーって、単純かな?」

「モーティの名前と似たようなものだね」

 自分の愛玩動物のことで盛り上がるところは、流石に召喚者ミストレスの卵らしい。

 美枝の誤解でギクシャクしていた会話も自然に進んでいった。話しが弾めば二人の関係も打ち解けてくる。ベンチに置いていた空のキャリーケースを手に取り、どちらかともなく誘い合って一緒に寮への道を歩み始めた。

「この坂、けっこうキツいわね」

 美枝の言う通り、駅から学園までの道は急坂だった。

 この辺りは武蔵野の面影を色濃く残す丘陵地で、聖カメリア学園はその頂上付近の雑木林を切り開くようにして創られていた。

 元々、カトリック系のミッションスクールとして歴史のある学園だったが、召喚教育専門学校になってからは日が浅い。学園の施設も、本校舎や礼拝堂チャペルは蔦の絡まった趣のある煉瓦造りだが、実習棟や図書館・コンピューター関連設備が集められたセンター棟、寮などは、後から造られたために近代的な建物になっている。特に野外施設はかなりの広さが必要なので、元の学園敷地から近くにある人造湖までの丘陵全てが、サーバントのためのグラウンドとして整地されていた。

 今、二人が歩いている急坂は、駅前のメインストリートを横切って真っ直ぐに丘の頂上へ続いている。学園が全寮制でなかった頃、登下校する学生のために造られた桜並木の美しい小道。アンティークな雰囲気のカフェと画材店は今も通りに残っているが、文房具店と菓子屋はコンビニエンスストアに生まれ変わっていた。

 今年は、春先の冷え込みのために桜の開花が遅かった。三月の終わりに蕾を綻ばせ始めた桜花は、今が七分咲きと言うところ。明後日の入学式に丁度満開になるだろうか。

「…でも、綺麗な通りだね」

 真理は、緩やかにS字を描いて上っていく石畳の歩道と、辺りを薄桃色に染め上げた桜並木をゆっくりと見ながら、美枝に返事をした。

「クーと散歩するのに、丁度良さそうだわ」

 美枝の視線は、真理の首に巻き付いているモーティに向けられている。

「リードは持ってる?」

「え? ええ、いつも持ち歩いているわ」

「だったら、君も召喚したら良いんじゃない? ほら、犬を連れている人も結構いるみたいだから」

 真理は視線で美枝を誘った。その先に、犬を連れて寮に向かう少女たちの姿がある。

「…そうね。じゃあ、呼ぼうかな」

 美枝は悪戯を思いついたように首をすくめて明るい声を出した。

 寮に着いてから家に連絡を入れてクーを召喚する手筈にしていたのだが、突然呼び出して家人を驚かせるのも悪くない。後で電話をすれば済むことだ。

「荷物を貸して。持ってあげるよ」

「うん。有り難う」

 そう言うと美枝は真理にボストンバッグを預け、コートのポケットから赤いリードを取り出した。サーバントの場合、ミストレスが側にいればノーリードも許されているが、犬嫌いの人や子ども達に無用な恐怖感を与えないためにリードは付けていた方が良い。美枝はそういう常識を持っていたようだ。

 左手にリードを持ち、歩道の端に寄って右手を水平にかざす。

「召喚!」

 瞬間、手の平の下の空気が揺らぎ、直径五十㎝ほどの幾何学的な魔法陣が展開される。同時に艶のある黒い巨体が現れた。

 彫像のように、お座りの姿勢のまま一切の動きを止めたラブラドール。

 美枝が指先を軽く鳴らす。

 金縛りが解けてクーの瞳に生気が宿った。視線がすっと美枝の身体を走る。身を屈めて両手を広げる美枝。軽く一声吠えてから、クーは美枝の身体に飛びついていった。ムチのような尻尾が激しく左右に振られている。

「あはは。止めてよ、クー。眼鏡が落ちちゃうわ」

 赤い首輪にリードを付けようとしているのだが、クーは顔を嘗め回してその邪魔をする。そのつもりはないのだろうが、甘えるのに忙しくて気が回らないらしい。

 一頻りじゃれ合って、やっとリードを手にした美枝がクーを従えるまで、真理は荷物を持ったまま辛抱強く待っていた。

「ごめんなさい、待たせちゃって」

「いや、僕も他人の召喚をあまり見たことがなかったから面白かったよ」

「あなたと違う?」

「大体同じじゃないかな? 僕は不器用だからタップで召喚を解いているんだけど、君のように指を鳴らす方が格好良いね。今度練習してみよう」

「ふふっ、教えてあげるわ。…私のこと、美枝って呼んでくれたら、ね」

 美枝は真理の顔を下から覗き込むようにしながら、悪戯っぽい口調で語りかけた。少し顔を赤らめているのは、微妙に本気が入っているせいか。

「有り難う。僕のことも真理で良いよ」

 真理は美枝の微妙な雰囲気に気付くこともなく、友人同士の呼び方と言うことで納得したようだ。

 左手でモーティの首を撫でながら、散策をするような足取りでゆっくりと歩く真理。

 右手でクーのリードを引き、時々歩調を合わせながら真理に肩を寄り添わせる美枝。

 坂を上っていく二人の肩に、ゆらゆらと数枚の花びらが舞い落ちた。




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