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月鏡  作者: 標準的な♂
黒い聖母
19/28

大正天草の乱

「では時貞、貴方は此処で祈祷の続きをしていてください。その祈りが、わたしに力を与えますから」

 あの二人の戦士は護衛なのだ。なぜあの二人なのかは、やはり時貞にはわからなかった。

「お任せください、マリア様」

 こうして時貞と黒い聖母は別行動を始めた。


 しかし、その数分後、予想外の出来事が時貞達を襲った。


「アイーッ!」

 窓を飛び蹴りで突き破り、硝子の破片がたくさん突き刺さって針ネズミのようになった尼僧が、突如乱入してきたのである。

 更にその怪僧は、猫科の猛獣じみたぎらぎらした目で、獲物の数が三人――天草四郎時貞、兀突骨、李舜臣の三名――であることを確認すると、まず兀突骨に襲いかかる。


「イエーッ! イエーッ!」

 怪鳥の如きかん高い雄叫びと共に、危険な尼僧が襲いかかった。

 人間離れした蹴りの猛攻により、兀突骨は首から下の骨を粉々にされ、最後の頭への一蹴りで首が飛び、壁に衝突して砕け散った。この恐ろしい怪僧の蹴りの前には、刃を通さない籐甲鎧も、単なる衣服でしかないのだ。

 今、尼僧達の間では、体を鍛えることが流行っているために起こった、悲しい事件である。


「南無阿弥陀仏! 南無阿弥陀仏!」

 李舜臣も、概ね同様の方法で殺害された。そもそも彼は、部下を指揮してこそ真価を発揮する将軍であって、一騎当千の豪傑ではない。配下の兵が揃っていない状態であるし、人間離れした化け物尼僧が単騎で奇襲を仕掛けてくることを予想している者など居ないので、彼の才覚を責めるのは酷というものであろう。しかし、彼の死に顔はあくまでも安らかで、望まぬ苦痛の生から解放されたが故の安堵の表情のまま息絶えていた。


「アヘェ……」

 殺戮を終えた尼僧は、だらしのない恍惚の表情を浮かべている。賢明な読者諸君はご存知のこととは思うが、この尼僧は桔梗である。


 桔梗は有害なぬらりひょんの一種である。ぬらりひょんとは、勝手に家に侵入し、我が物顔で振る舞いながらも、それを誰にも咎められないという妖怪だ。まさしく神出鬼没であり、現れる前兆といったものは全くない。普通のぬらりひょんは無害だが、不幸なことに、桔梗は見ての通り有害である。


「よくも兀突骨と李舜臣を! 誰だお前は!」

「アヘェ……」

 桔梗は恍惚の表情のまま、質問にも答えられないようなので、時貞は手裏剣を投げつけた。手裏剣が桔梗の額に突き刺さった。それから桔梗は頭上で柏手を打った。真剣白羽取りだ!


「わたしは桔梗。見ての通り、生きとし生ける者全てを苦痛から解放する者です」

 桔梗は何事もなかったかのように受け答えをした。額には手裏剣が刺さっている。


 見ての通り、というのは、あながち的外れではない。彼女が兀突骨と李舜臣を苦痛から解放した結果は、ご覧の通りである。

 時貞は恐怖した。この尼僧は、彼の中での常識が全く通用しない相手である。話もほぼ通じないだろう。彼も妖術に通じる魔人であるが、ここまで危険な刺客が差し向けられるとは思わなかったのだ。


「時貞、貴方は病気なのです。わたしは病の苦しみから、貴方を解放しに来ました」

 慈愛に充ち溢れた声で、桔梗は言った。その背からは後光が射しているが、額には手裏剣が刺さっており、全身が返り血と自分の血で真っ赤に染まっているので、神々しい気配は全くしない。硝子の破片も突き刺さったままだ。


「わたしは正常だ!」

「病人は皆そう言うのです。貴方にはしゅじゅちゅが必要です」

 桔梗は澄ました顔で言った。当然ながら、賢明なる読者の皆さま方は、桔梗がどのような人物で、何をやった生き物なのかを知っている筈である。なお、台詞は噛んでいる。


「時貞、貴方は恐ろしい計画に荷担しています。それに気付いていないのですか」

「恐ろしい計画だと?」

「貴方が蘇らせた聖母こそ、帝都を脅かしている病魔の元凶なのです」

「嘘だ!」

 そのような邪悪な計画に、聖母マリアが荷担しているなど、敬虔な切支丹である時貞には、とても信じられることではない。


「桔梗、奇声をあげながら廊下を走っては駄目と教えたでしょう……あら?」

 桔梗を追って遅れてやって来た葵は、時貞を見て驚いた。


「その気配、貴様は徳川の縁者だな!我ら島原の神の子らの怨敵め、よくものこのこと姿を表したものだ!この変態は貴様の差し金か!」

 時貞もまた、直感で目の前の少女が何者であるかを、概ね感じ取っていた。彼にとって、徳川幕府は三百年の雌伏の時を強いた怨敵である。その縁者とおぼしき女が、今また、自分の大望を阻まんとしている。時貞の表情は、純然たる憎悪に支配されていた。


「島原で懲りず、 また伴天連症候群を流行らせて、無辜の民を戦に駆り立てるつもりですか、時貞」

 葵は極力、桔梗の方を見ないようにしながら、時貞の敵意に対して敵意で応じた。

「葵様、ここはわたしにお任せください」

「良かろう。まずはこの変態を始末してからだ!」

「……」

 葵は桔梗とは他人のふりをするために目を逸らした。

 それを合図に、桔梗と時貞の戦いの火蓋は切って落とされた。


「アイーッ!」

 桔梗は変なビームを放った。読者は知っているだろう、このビームを浴びたらどうなるかを。

「アヘェ……」

 桔梗が放った変なビームの犠牲になった時貞は、両手でピースサインをしながら、白目をむき、顔を紅潮させ、口をだらしなく開き、涎を垂らしている。美少年も、こうなってはもう駄目だ。

 葵は美少年のあられもない姿に顔をしかめた。

「んほぉ……サンタ・マリアー!(伴天連の鳴き声)」

 時貞も負けじと、噛みつき攻撃をしかける。桔梗の変なビームは、当たり所が悪かったのか、単に可哀想な人になるだけの効果しか持たない。時貞はとろけた表情のまま、両手でピースサインをしながら飛びかかり、桔梗の首に噛みつく。

「ハレルヤー!(伴天連の鳴き声)」

 桔梗は時貞から病気を伝染された。しかひ、桔梗は以前発症したこともあって、伴天連症候群に対して若干の耐性を持つようになったため、伴天連の鳴き声以外の症状はない。


「アーメン!(伴天連の鳴き声)」

 桔梗は鳴き声と共に、垂直に飛び上がり、天井に手をついた反動で急降下し、時貞の頭上から急襲した。桔梗は腰まで床に突き刺さって動けなくなった。凄まじい身体能力である。

「アーメン!(伴天連の鳴き声)」

 時貞も負けてはいない。彼の正拳突きは、確実に桔梗の鳩尾を捉えていた。鈍い音と共に、桔梗の体かくの字に折れ曲がる。そして桔梗は頭上で柏手を打った。真剣白羽取りだ!


「……」

 しかし、後ろからそんな戦いを見守っていた葵は、うんざりした様子で、隠し持っていた拳銃を取り出し、得意の砲術で時貞の眉間に穴を開けて射殺した。せっかくなので、ついでに桔梗の眉間も撃ち貫いた。残念ながら、時貞はどうやら銃で撃たれたら死ぬ類の魔人であったらしい。


 時貞を始末した葵は、惨劇の場を見回す。葵が指を鳴らすと忍者が現れ、時貞の死骸を回収し、死んだように眠っている桔梗の顔に落書きをすると共に、惨劇の痕跡を隠蔽する作業を始めた。

「これは……」

 葵もそれらの作業を指揮監督したが、ふと奇妙なものに気付く。

 兀突骨の死骸は、青銅の粉のようなものになっていた。

 一方で李舜臣の死骸は、単なる死骸でしかなかった。

 これらの事実は、兀突骨と李舜臣は、それぞれ別の術で復活したことを示していた。

「……後でさつき様に報告しないといけませんね」

 葵は青銅の粉末を拾い上げると、目を瞑り、八百万の神々に祈りを捧げた。


 そこに、女性としては背の高い人影が現れる。頭のシルエットから、角が生えていることがわかる――そう、藤原千方である。

「こちらは片付いたかな、葵殿」

「千方さん……ええ、こちらは事後の処理だけです。お薬も、人数分できました……あとは、さつき様が今回の黒幕を討ち果たすことでしょう」

 さつきと梨花の二人組が黒幕を追っている。本来ならば不安にしかならない組み合わせだが、それでも葵はさつきを敬愛し、信頼している。梨花についても同じことだ。


「相馬の姫君を信頼しておられるのだな」

 葵は頬をほんのりと赤らめた。さつきとは持ちつ持たれつの関係を長く続けているのだが、いつの頃からか、淡い好意を抱くようになっていたこともにも気付いている。

 確かにさつきは凶暴で、考えなしで、猛獣じみた性格をしている。しかし、それでもなお、彼女は自分にはない何かを持っている。それに対する憧れのようなものがあるのかもしれないと、葵は自己を分析した。


「千方さん、ご迷惑をおかけします。ゾンビの治療が終わった後のことは、全部そちらにお任せしますが……」

「任せておけ。元のミッションスクールに戻してしんぜよう」

 葵は千方も信頼している。今回のような大規模な騒動があった場合の事後処理は、彼女の配下の伊賀忍軍が担っているからだ。千方が汚れ仕事を殆ど全て請け負ってくれていることに、深く感謝した。

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