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月鏡  作者: 標準的な♂
黒い聖母
18/28

神の復活

 震災や空襲、その他の災害により、焼け崩れて現存しないものもあるが、明治・大正期からの歴史ある教会は、日本のあちこちにある。

 今は大正元年。天正女学校の礼拝堂は、まだ建造されて間もない新品である。しかも、熱心な生徒が手入れを怠っていないため、神の家に相応しい清潔感が維持されていた。

 しかし、真夜中の礼拝堂には、怪しげな影が二つあった。一人は派手な格好をした少年であり、一人――正確には人物ではなく物体だったが――は、教会に相応しからぬ菩薩像である。

 

 その少年――天草四郎時貞は、どこにでもいる、ごく普通の天草四郎時貞だった。つまり、女性と見紛うほどの美少年で、派手な服を着ており、強烈な妖気を放っている。君たちの友人にも居るはずである。


 そんな彼が、観世音菩薩像を前に平伏していた。彼は切支丹であるから、仏像を崇拝するこの行為には、いささか違和感を感じるかも知れない。

 しかし、その観世音菩薩像のデザインと由来を知れば、彼の行いも納得できるものだと、誰もが納得することだろう。

 そう、赤子を抱く菩薩像――これは俗に、マリア観音と呼ばれている品である。


 マリア観音とは、徳川幕府の禁教令に伴い、切支丹は信仰を絶やさぬため、赤子を抱く観音像を聖母マリアに見立てて、信仰を保ったのだ。島原の乱を密かに生き延びて、西洋魔術の秘技で自然ならざる延命を行り、魔人と化した時貞とて、それは例外ではない。


 しかし、そのマリア観音像は、マリア観音としても異質であった。何しろ、真っ黒なのである。それも、肌だけが漆塗りのマリア観音であった。


 時貞は更に、マリア観音像に霊薬を塗り、香を焚いた上で、祈りを捧げていた。

 これは西行法師が用いた反魂の秘法に類似しており、明らかに東洋の魔術であるが、細部に微妙なアレンジが施されている。そう、彼もまた、あの土御門梨花と同様に、古今東西の魔術に通じる魔人なのだ。


 そうして時貞がマリア観音への祈りを捧げていると、不意に雷鳴が轟く。この奇妙で歪な聖母像の存在に切支丹の掲げる唯一の神がお怒りであったのか、それとも時貞の妖術かわ為せる業なのか、雷が教会に直撃し、建物を瞬く間に炎で包む。雷の轟音が時貞の鼓膜を打ち震わせ、閃光が網膜を焼く。


 やはり神の怒りであろうか! 立て続けに幾つもの雷がマリア観音像へと降り注ぐ。


 そうして砕け散ったマリア観音の中から現れたのは、母性に満ち溢れた、柔和な笑みを浮かべる女性だった。神々しい雰囲気は、美を競ったギリシャ神話の女神すら道を譲るほどだ。

「おお! マリア様が復活なされた! やはりあの天狗の秘術は正しかったのか!」

 そのような彼女が、聖母マリアであることを疑う切支丹は居るまい。


 その肌が、黒壇のように黒くなければの話だが。


「しかし、これは……」

 そのため、時貞の心に、ほんの小さな疑念が沸き起こる。何せ、その聖母は黒いのだ。神々しいオーラはまさしく聖母に相応しいものであったのだが、それでも時貞の知るマリアとは、明らかに違う。


「何を疑うのです、時貞」

 そんな時貞の心の迷いを見抜いたのか、黒い聖母は安心させるような声色で語りかける。

「貴方の熱心な祈りが通じて、わたしはここにいます。あと百年後には、我が子にして主の子であるイエスが地上に降り立ちます。今、こうしてわたしが復活したことは、あくまで予兆なのですよ、時貞。だから安心してください」

 黒い聖母はそう言って時貞の不安を解きほぐした。


「申し訳ありません。一瞬でも疑ったわたくしが愚かでした」

「時貞、もっと自分を信じても良いのですよ。貴方の働きがなければ、今こうしてわたしが肉の体を得て地上に降り立つことなど、到底できなかったのですから」

「しかしマリア様、我々にとって脅威となりうる芽は摘まねば」

「わかっています」

 黒い聖母は頷き、同意を示す。

「故に時貞、貴方に心強い二人の戦士を、部下として与えましょう」


 黒い聖母が手をかざすと、二筋の光がステンドグラスから射し込んだ。今は夜間であるが、まるで太陽の光が射しているかのようだった。

 光の中からは、人間の全身の骨格が現れた。そして、その骨格に無数の細いミミズのようなものが纏わりつき、それらが筋肉や神経を形成する。グロテスクな光景であるが、とうに朽ち果ててこの世に居ない者が、こうして蘇りつつあるのだ。


「な、なんと!」

 時貞は驚愕した。自分が何ヵ月も準備を重ねた死者蘇生の秘術を、この黒い聖母がたった一瞬で為し遂げた事実に。時貞自身が妖術に長けているからこそ、その奇跡が人のなし得ぬ神の奇跡であることを、認めざるをえなかったのである。


「ま、マリア様が復活して最初の奇跡を起こした!二人の強力な戦士を蘇らせたのだ!」

 蘇生された二人の戦士は、どちらも並々ならぬ気配を漂わせていた。どちらも異能を備えていることは間違いない。


 一人は気配どころか、明らかに見た目からして危険な戦士に見える。否、戦士と言うよりは、恐るべき怪物と表現した方が適切であっただろう。何せそいつは、身長が3米近くあり、全身に鱗が生えているから。

「兀突骨!」

 兀突骨は、三国志演義における南蛮の武将である。特殊な油で浸した蔓を編んで作った、籐甲なる鎧を着た軍団を率いたとされる。この鎧は非常な防御性能を備えており、槍も矢も通さなかったと言われているが、素材のため火に弱く、火計で一人残らず焼き殺されたという。

 だが、その容貌のなんとおぞましいことか! そう、兀突骨は3米近くあり、全身に鱗があって、目が赤く爛々と輝いているという化け物として、やはり三国志演義でも描写されているのだ。

 そのような兀突骨が登場する三国志演義は、今日における三国志の武将達のイメージを決定付けるのに一役買ったことは事実であるが、あくまでフィクションである。

 しかし、月鏡の浮き世においては、この異形の怪人は確かに存在したのだろう。何せ、実在したとは思えない藤原千方が、あのような形で存在するのだから。


 一方は、兀突骨のような異形のは備えていない。しかし、陰鬱な雰囲気を身に纏う様は、西洋における不吉の象徴たる、ある種の死の妖精を思わせるものだった。

「李舜臣!」

 李舜臣。こちらは本当に実在した人物で、豊臣秀吉の朝鮮出兵の折の朝鮮の水軍将として知られる。

 すぐにでも敵と戦いたい兀突骨とは対照的で、復活したばかりだというのに、やつれた姿だった。とても士気が高いようには見えない。

 それも無理もない話である。前述の通り、彼は大正時代頃から再評価が始まった人物であるが、次第に抗日の象徴として祭り上げられる、その活躍や実力が誇張されることになる。

 彼は知っているのだ。良くも悪くも、自分という人物が正当に評価される日が来ないことを。他人にはある死後の安らぎが、自分には無いことを。


「……えっと、どなたですか?」

 天草四郎時貞が知らなくとも無理のない二人である。

 黒い聖母の目的とは? 何故、この二人なのか?

 二人の恐るべき戦士を蘇らせた黒い聖母の目論見は、時貞の理解を遥かに越えた所にあった。





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